田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

オオカミは嘘をつく(Big Bad Wolves)

2014年11月27日 07時35分20秒 | 日記

 

 

 イスラエルの新鋭監督コンビ、アハロン・ケシャレス&ナボット・パプシャドが手がけたバイオレンススリラー。凄惨な少女殺人事件を背景に、気弱そうな容疑者と暴力刑事、復讐に燃える被害者の父親が繰りひろげる予測不可能なドラマをスリリングに描く。イスラエルで少女誘拐事件が発生。刑事たちは強引な捜査で容疑者を拘束し、少女の居場所を吐かせるべく激しい尋問を開始する。やがて刑事たちの上司の命令により、容疑者は釈放。ところがその直後、誘拐された少女の惨殺死体が発見される。上司から担当を外され独自で捜査に乗り出した刑事は、再び容疑者を拘束。そこへ、娘の復讐を果たさんとする被害者の父親が現れる。(映画.comより)

 

 

 イスラエル映画。結構話題になっているので、行って来ました。わりと入ってましたね。これだけのサスペンス、というかスリラー映画、過激な描写もふんだんで、こんな映画が許されてるのね、って感じです。

ただ、音楽があまりに大仰だったのと、話がちょっとスローテンポだったのとで、もう少しシャープな映画に仕上げることはできたかな、とも思いました。

それでも、所々に入る容赦ない残酷描写には驚きました。結局、誰が犯人なのか、最後まで分からなくなっているのですが、所々観客をミスリードするつくりにもなっていて、単純な私はまんまとその手に乗ってしまいました。

一人の少女の失踪。犯人とおぼしき男の逮捕。しかし、充分な証拠がないまま、力による取り調べと本人の否認が続きます。やがて男の釈放。しかし、その後少女は首なし惨殺死体となって発見されるのです。

諦めきれない刑事はもう一度その男を張り込みます。そして充分な証拠もないまま拘束。とにかく吐かせたい一心で容疑者を追い詰めます。しかし、どこまでも拒否する容疑者。大学教授であるこの容疑者は、見かけも温厚そうな、いわゆる「虫も殺せなさそうな」風貌の男。しかし、今回の出来事で職も失い、某映画のマッツさんのように、あらぬ疑いをかけられているだけのようにも見えます。

と、そこへ第三の男が登場。彼は惨殺された少女の父親(自らは「45歳」とのたまっているが、どう見てももっと老けている。祖父の様)で、娘を救えなかった後悔でなんでもしかねない様子。彼は刑事をも拘束してしまう。

本当の犯人はどこにいるのか。被害者の肉親なら何をしてもいいのか(そんなはずはないが)。最終的には少女の祖父(昔軍隊にいたらしい)まで登場して、4つどもえの展開が始まります。

怖い!容赦ない残酷描写もあり、怖すぎる映画なのですが、なんともいえないユーモアがあちこちに折り交ぜられてて、正直、笑える。不謹慎かもしれないのですが。でもやっぱり、心臓の弱い方には勧めません。

 

 

<ここよりネタバレあり>

結局、例の教授が犯人のようです。しかし、観客をミスリードするための伏線が、どうにもご都合主義な感じもします。刑事も、教授も、男連中はみな離婚されてるみたいで、娘も母親と共に連れていかれてしまい、時たま会うだけのようです。で、教授が元妻に電話しているシーンがあるのですが、「娘の誕生日なのに会えないのか」などと交渉しているのが、バレエ教室の前なのです。バレエを習っている娘をこっそり見に来てるのかと思いきや、これは刑事の娘だったようで、後にケーキで眠らされてるシーンがちらと映ります。

しかし、バレエのレオタードを着たまま「Happy birthday~♪」とお祝いされてケーキを出されているシーン。その後、それを食べた刑事の娘は眠ってしまうことになるのですが、これすべて教授が仕掛けてるんですね。だから、私達観客は「教授、娘に会えたのね」とミスリードされるわけです。

でも考えてみてください。少女はいきなり知らないおじさんについていったのでしょうか。元妻と話していた、ということは教授の娘は本当にお誕生日だったはず。では、刑事の娘も偶然同じ日が誕生日だったのでしょうか。それとも、違うけど怖いから逆らえなかっただけでしょうか。

結局、最初の少女の頭部も見つからないまま、いきなりのジ・エンドを迎えます。教授は殺されて。

なんだか自分が気付かないだけで、もっといろんな伏線がありそうな気もします。この「スカッとしない」終わり方がまたいいんでしょうけれど。

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偽りなき者(Jagten)

2014年11月25日 07時09分47秒 | 日記

偽りなき者

「セレブレーション」「光のほうへ」で知られるデンマークの名匠トマス・ビンターベアが、「007 カジノ・ロワイヤル」「アフター・ウェディング」のマッツ・ミケルセンを主演に迎えたヒューマンドラマ。変質者の烙印を押された男が、自らの尊厳を守り抜くため苦闘する姿を描き、2012年・第65回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞ほか3冠に輝いた。親友テオの娘クララの作り話がもとで変質者の烙印を押されたルーカスは、身の潔白を証明しようとするが誰も耳を傾けてくれず、仕事も親友もすべてを失ってしまう。周囲から向けられる侮蔑や憎悪の眼差しが日に日に増していくなか、それでもルーカスは無実を訴え続けるが……。(映画.comより)

 

 

 最近見逃した映画を見る機会に恵まれています。どっと古いものから比較的新しいものまで。手当たり次第になんでもかんでも録画している娘のおかげなのですが(笑)、録画し過ぎて「早く見て、消去して行って!」などと急かされたりもするわけです。興味のないものは「私はいいから、好きに消去しぃよ」なんてものなのですが、「おっ」と思うものは置いといてもらうわけです。

さて、マッツ氏の少し前の映画。この手の題材はあまり好きではなく、日本でも「それでもボクはやってない」という映画があったように、男性が一度そんなレッテルを貼られてしまうと、一生を棒に振る、というもので、今回は子供ですが、現実には自意識過剰な女性がいることも事実です。

こういう事件と言うのは、複数の要因が絡まり合って起きてしまいます。まず、主人公のマッツさんが離婚されて男一人暮らしであること。学校の閉鎖により職を失い、今は幼稚園の先生をしていること。

そして地元の親友であるテオの夫婦は、言い争いも多く、今日も朝から大声でがなりあっています。幼稚園児の娘クララはいたたまれず、外で座っています。そんなクララと幼稚園まで一緒に行く優しいマッツさん。クララはひそかにマッツさんに恋慕の情を抱いています。

そして、クララには年上の兄がいて、多感な時期の兄は性的な写真を「ほらほら、見ろ」と幼い妹に見せたり、卑猥な表現を使ったりします。

そして、男の子に比べておマセな女の子は、大好きなマッツ先生にキスしたりプレゼントを贈ろうとしたりします。皆に平等であるべき先生は、「口にキスはだめだよ」とか、「これは、他の男の子にあげなさい」などと、女心を踏みにじる発言をしてしまうのです。ここが大きな誤算でしたね。女の子は、男性が思うより大人なのです。

クララのプチ復讐が始まります。「先生なんて大嫌い」から始まって、ないこと、ないこと、話し始めてしまいます。兄から学習した付け刃の性的知識も、大人たちの誘導尋問によって完成されてしまい、後は何を言っても(例えば「嘘だったのよ」と言っても)、「恐ろしい記憶は、頭が消そうとするのよ。無理しなくていいわ」などと言われてしまいます。

一度こういう疑いをかけられてしまうと、あとは雪だるま式に「うちの子もそうだった」などというあり得ない証言が次々出てくるのは社会の常。この辺は今まで映画でも散々描かれて来ましたね。

私達は、主人公マッツさん側から鑑賞してるので、クララや周りの大人に腹が立つわけですが、しかし、よく考えるとどれもこれもが日常にあることなんですね。

たとえば被害者意識マックスなテオ夫婦。自分たちが言い争っていたことや、子供にそんな思いをさせていたなんて、カケラも気付いていません。あくまで「自分たちは普通だった」と思っています。でも、もし自分がその立場なら、きっと同じですよね。むしろその事件がきっかけで夫婦が結束すると言う。

また、一番の原因を作った兄貴だって、自分の言ったこと、したことなんて、とうに忘れてしまって「かわいそうなクララ」と涙を流しています。これも、teenagerなら、そうですよね。性的なおふざけなんて、日常茶飯事過ぎていちいち覚えているはずがありません。

そして、一番いけないと思ったのは、子供に誘導尋問を行った「専門家」と呼ばれる方々。ここは映画だから誇張されているのか、あまりにあまりな誘導でした。現実にはここまでの誘導はプロとしてあり得ないかも。

後から後から膨らむ「変質者」のレッテルにおびえる住民たち。村八分より悲惨な状態になります。それでも、もし自分が「その他大勢」の保護者だったら。「マッツさんは潔白だ」と固く信じるほどの付き合いがなかったら。多分大きな波にのまれたまま、皆と同じ行動を取りますよね。

結局、どれもこれも特別なことではないにも拘わらず、結果的にすべてのことが絡み合って既成事実が作られてゆく、という現実を目の当たりにすることになります。かわいそうなマッツさん。

ラストは一転、明るい展開を見せますが(何かのきっかけでマッツさんの嫌疑が晴れたのか、なぜか1年後には地域に溶け込んでいる)、これだけの騒動、完全に元の鞘に収まることなどあり得ないんじゃないかなぁ・・・と不安がマックスになったところで、あることが起きます。詳しくは説明されません。なんだったのか、あるいは幻視だったのか、よくわかりません。

でもやっぱり、人の社会は、そう単純ではないのです。

 

 

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ロッキー(ROCKY)

2014年11月24日 08時39分15秒 | 日記
 

 

 

 世界ヘビー級チャンピオンの黒人ボクサー、アポロ・クリード(カール・ウェザース)が話題作りのため、無名選手と戦うことを宣言した。指名されたのは、ボクシングだけでは生活できずに、高利貸しの取立バイトで日銭を稼いでいた三流ボクサーのロッキー・バルボア(シルヴェスター・スタローン)。かくして親友の妹にして恋人のエイドリアン(タリア・シャイア)やトレーナーたちに支えられながら、ロッキーの過酷なトレーニングが始まった。勝利するのは、チャンピオンか、それともロッキーか?!(午前10時の映画祭ウェブより)

 

 

言わずと知れた過去の名作。「5」しか見てない私は、「1」はこれが初鑑賞。映画ヲタクのくせに、いままで無視して来てしまってたバカ者です。なんかね、あまりにポピュラーすぎて、テーマソングも知ってるし、内容まで見たような気になってたのでした。

ロッキーは、下町に住むなんてことのない男です。でも、自分の分をわきまえていて、過ぎたことを望むでもなく、それ相応に生きれればいいと思っている男で、女性もゴージャスではない、地味目の女に好感を持っています。情にも厚く、このまま埋もれるにはもったいない男かもしれません。

そんな中、ボクシングジムのコーチがいつもきつく当たるので「どうしていつもそんななんだ」とスタローンが尋ねるシーンがあります。すると年輩のコーチは乱暴に言い放ちます。「才能があるのに、それがわからず浪費しているからだよ!」と。

それでも「今さら」と、一発奮起することもなく暮らしていると、チャンピオンのアポロから「対戦相手に」とお声がかかります。どうやら、負け犬っぽいのと「イタリアの種馬」という愛称が気に入ったようです。チャンピオンはチャリティのつもりだったようです。

最初は驚いたロッキーも、なんだかんだとやる気を出して、やがてがっつり鍛えて向かって行くと、油断していたチャンピオンと互角に戦えてしまった・・・そんなお話です。

みんなが何かの時に、どうして「エイドリア~ン」と叫ぶのか、やっと理解しました(笑)。

しかし「映画は生き物」ですから、やっぱり当時に見るとものすごく感動したんでしょうね。今だと、つい冷静に見てしまいます。例えば、例のテーマソングがかかって、走っていたロッキーが両手を突き上げるところ。今まで”勝ったから喜んでる”とばかり思っていたのですが、試合の前日じゃないですか。「な~んだ。まだ勝ったわけでもないのにその気になってたわけか」などと醒めた考えが頭をかすめてしまいました。失礼ですよね、私。

ともかく、やっぱり「映画は生き物」と再確認した次第です。いや、もちろん、映画は名作だと思いますけれどね。

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ショート・ターム(Short Term 12)

2014年11月23日 07時56分23秒 | 日記

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[Short Term 12 (2013)]

ロカルノ国際映画祭ほか世界中の映画祭や映画賞を席巻した、未成年の保護施設を舞台に生きる喜びを描いた感動のヒューマンドラマ。ティーンエイジャーをケアするための短期保護施設で働くヒロインの心の闇や、彼女を取り巻く施設の子供たちが心に受けた傷を丁寧にすくい取る。監督と脚本は、これまでショートフィルムなどを手掛けてきたデスティン・ダニエル・クレットン。主演は、テレビドラマ「ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ」シリーズなどのブリー・ラーソン。人とのつながりや人の温かさを感じさせる、珠玉のストーリーが心に響く。(シネマトゥディより)

 

 

 上映時間は比較的短く、見やすい映画に仕上がっていましたが、その内容は濃く、冷静ではいられないものでした。”ショートターム”とは、18歳以下の事情のある子を短期間預かる施設のこと。しかし、それぞれ深い事情を抱える子供たちに寄り添うのは、その辺の人間には務まりません。彼ら若いスタッフたちの才能の高さには、本当に感心しました。

子供たちに対する絶妙の距離感。当然ですが、いくら彼らのためを思っていても深く関わればいいというものでもなく、また滅多なことで心を開いてくれるものでもありません。

また、施設には施設のルールがあって、一歩施設から出ると彼らに触れることはできません。それは、うっかり施設から脱走してしまうと、あとは追いかけて言葉で説得するしかないことを意味します。もちろん彼らだって、脱走したって行くところもないわけですが、しかし最悪の結果を招かないためにも、とにかく寄り添うしかありません。

しかも、teenagerのための短期施設のため、18歳になると否が応でも出て行かなければなりません。いくら施設になじんでいても、行くあてがなくても。そんなシーンも描かれます。黒人のマーカス。彼自身は言葉や体の不自由もなく、賢い男の子なのですが、深い深い心の闇を抱いています。卒業間近の彼が「歌を作ったから聞いてくれ」とスタッフのメイソン(男性)に言います。小さな太鼓をたたきながら応じたメイソン。しかし、その内容の悲しさにしまいには太鼓をたたけなくなります。「おぉ・・・マーカス・・・(つぶやき)」それ以上の言葉が見つかりません。私は涙が止まりませんでした。

メイソンだって、元々は孤児です。でも、彼は優しい養父母に恵まれ、仲間に恵まれ、育ちました。ちょっと変人(?)だけど、とっても優しい男性です。そんな彼は同じスタッフのグレイスとつきあっています。グレイスは有能なメインスタッフで、自らの人生のことを多くは語りませんが、子供たちに寄り添うのがとても上手です。

もちろん、いくらスタッフが有能でも、横やりも入ります。「優秀」と言われる心理士さんに「訓練」と称して、大事にしていた人形をすべてとりあげられ、こもってしまった少年。これ、誰が考えても極端ですよね。でも、心理士さんが正しいってことになってしまうのです。このへんは「カッコーの巣の上で」を想起しました。

新メンバーの少女の筆記から、父親による性的虐待を確信したグレイス。でも、所長(男性)は「僕も知っているけど、立派な男だ。私だって現場は長いんだからわかる。それはない。そもそも子供たち全員を救うことなんてできないんだ」などとのたまう。なんでそれは絶対にない、なんて男性にはっきりわかるんですか。

件のマーカスが退所を前に、初めて頭を刈り上げるシーンがあります。どうして今まで髪を伸ばしていたか明らかになるシーンも。そして「大丈夫。刈り上げられる」とわかった時の希望。

人は一人っきりでは生きて行けません。どんなに裕福でも、どんなに優秀でも。もっとも、裕福だったら人が集まって来るのかもしれませんが(笑)。

ともかく、心揺さぶられる映画でした。自分にも発達障害の息子がいるので、いろんな面倒が起きてほとほとイヤになります。この映画を見たからと言って「私もがんばらねばなぁ」などと、お手本のような感想は持ちませんし、生きる希望を見出すわけでもありません。逆に、「普通の子供を産んでるのに、なんでそれに感謝せずに虐待するんだろう」と思ったりします。

それより、グレイスやメイソンの寄り添いの上手さに感心しました。この感性、学習するものではないんだろうなぁ、と思いました。

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グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札(Grace of Monaco)

2014年11月19日 07時43分58秒 | 日記

Grace of Monaco

“世紀の結婚式”から6年経った1962年、グレース・ケリーは、いまだにモナコ宮殿のしきたりに馴染めずにいた。社交の場で女性が政治に意見するのは「アメリカ流」だと皮肉られ、夫のレーニエからも公の場では美しいだけの人形でいることを望まれる。失意のグレースがヒッチコックからのハリウッド復帰の誘いに心を動かされたとき、レーニエは過去最大の危機に直面する。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領が過酷な課税をモナコに強要、承諾しなければ「モナコをフランス領にする」という声明を出したのだ。
 窮地のなかグレースは、自分にしかできない秘策を考え出す。外交儀礼の特訓を受けて、完璧な公妃の“役作り”に励み、ド・ゴールを含む各国の指導者を招いたパーティという“舞台”を用意。果たしてグレースが自ら書いた“脚本”のクライマックスとなる、運命を握るスピーチとは──?(ギャガホームページより)

 

 

 まぁ・・・すごい。宮殿の中がこれほど住みづらいとは。「フューリー」のブラピも真っ青だね。まさに命がけ。皇族はどこでも大変だろうし、中国の帝の映画だって暗殺計画ばかり。どこもここもつらいのは同じだろうけれど、あんな豊かな小国でもこれほどの苦難があるなんて。

映画を見るまえは、もっと華やかな映画だろうと思っていました。グレース・ケリーの苦難が描かれるとは言っても予想できる範囲くらいで・・・と、少しなめていました。こんなにシリアスな映画だとは予想していなかったです。

やはり「大国に守られた小国」というのは、やりづらいですね。自前の軍隊を持たず(日本でもそうですが)、税金の安さもフランスの庇護の元、可能になっている。そんななか、その「タックスヘイブン」を目指してフランス国内からモナコへと、企業が流出してゆくのですから、本国が黙っているはずがありません。「そちらでも相応の税金をかけろ。従わなければ併合するぞ」・・・まぁ、当たり前の発想ですよね。近い親族の裏切りも重なり、モナコ王室は追い詰められてゆきます。

そんな国家危機の中、王妃は持ち前の社交性と人脈で赤十字主催のパーティを開き、そこで世界の要人を相手にスピーチを披露するのです。テーマは「愛」。世界は争っている場合ではないのです。

しかしなぁ・・・このお話、どこまでが実話なんでしょうか。王国のプリンスとの愛、子供たちへの愛、そして世界の子供たちが等しく幸せであるようにと願う愛は認めますが、だからといって国家の政策までが変わるのでしょうか。

元々は、赤十字のパーティなんてお金持ちの夫人たちの集まり。夫の地位が高いだけで、自分まで偉いような顔をして着飾り、パーティを開くお金はあっても、古い病院を修理するお金なんてない、と平気でのたまうような女たちの集まりです。「王妃の言いなりなんてまっぴらゴメンよ」「なによ、女優のくせに」なんてことを日常言ってるのですから。権力に執着する男達、妬み嫉みで生きている女達。ヒトの本質は怖いです。

ともかく、王妃の感動的なスピーチによってフランスの強硬策は緩和されるのですから驚きです。そんなものなのかなぁ。政治なんて、案外感情なんですね(笑)。

ニコール・キッドマンは、思いのほかハマってました。年齢的にも無理があるのでは・・・と、当初思っていたのですが、ティム・ロスとのバランスもよかったし、さすがの演技でした。

脇を固めるディレク・ジャコビやフランク・ランジェラもよかったし、もちろんティム・ロスも。

楽しめました。

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