第2次世界大戦下、小さな町へ疎開した双子の兄弟が、時に残酷な手段をもってしても生き抜いていく姿を描き、世界に衝撃を与えたアゴタ・クリストフの同名ベストセラーを、クリストフの母国ハンガリーで映画化。第2次世界大戦末期。双子の兄弟が、祖母が暮らす農園へ疎開してくる。彼らは村人たちから魔女と呼ばれる意地悪な祖母に重労働を強いられながらも、あらゆる方法で肉体的・精神的鍛錬を積み重ねる。大人たちの残虐性を目の当たりにした2人は、独自の信念に従って過酷な毎日をたくましく生きぬいていくが……。これがデビュー作となるアンドラーシュ&ラースロー・ジェーマントが主人公の双子を鮮烈に演じ、「タクシデルミア ある剥製師の遺言」のピロシュカ・モルナール、「ある愛の風景」のウルリッヒ・トムセンらベテラン勢が脇を固めた。(映画.comより)
これって、原作があるんですね。女性作家で、本では3部作になってるんだそうです。だからと言って映画が3部作作られるわけではなさそうですけど。
原作では、場所や時代を特定せず、ただただ過酷な状況で行きぬかねばならなかった幼い双子の生き様が描かれているのだそうです。しかし映画では、舞台はハンガリーとドイツ国境の町、双子たちは第二次世界大戦のために会ったこともない祖母宅に疎開する、と言う設定になっており、週末になると祖母宅の離れに泊まりに来る「将校さん」は、明らかにナチスの制服を着ています。なお、ほんの短い描写ですが、冒頭には疎開前のブダペストでの家族水入らずの満ち足りた生活が描かれています。
映画では、直接ナチスの攻撃や拷問が描かれるわけではありません。しかし、人々はすさんで異様な雰囲気に包まれ、理由なく殴る・殺す、子供たちはかっぱらいをしている、食べるものは不足している。そして、祖母は子供たちを「メス犬の子供たち」と呼び、人々は彼女を「魔女」と呼んで恐れています。母と娘の間にも複雑な事情もあるのでしょうね、彼女は孫たちにも一切優しい顔は見せません。「働かざる者食うべからず」の精神は徹底しています。
また、この町から大勢の人々が移送されてゆく描写もあるのですが、彼らがユダヤ人であることも明示されています。
そんな中、子供たちは父親の言いつけどおり、「事実のみを克明に記す」ことを続けます。聖書といくらかの本だけで勉強し、「強くなるため」「痛みに耐えれるようになるため」と称して殴り合い、「痛くないぞ」「平気だぞ」と口に出します。「精神が弱くならないため」に母親を忘れようとし、「残酷さに慣れるため」虫や生き物を次々殺して標本にしてゆきます。
森の中で寒さと飢えで死んでしまった兵士を見ては「あんなふうに死にたくない」といって”空腹に耐える訓練”をする。もちろん、兵士から(爆弾など)かっぱらえるものはかっぱらって。
生きることに対しての「訓練」は、二人一緒とはいえ、言葉を失うほどの壮絶さ。時に”美少年”であることを武器にしながら(性的な描写はない)、強く生きて行くことに対する執念のようなものは、平時に生きる私達には想像できないものでした。
そして、一心同体だった双子の最後の訓練は「別れ」。彼らはその後、無事に生き永らえたのでしょうか。
父親や母親も後半出て来ます、少しですが。しかし、彼らの「訓練」にはなんの影響もなく、ただひたすらに、「強くなるため」に彼らは生きて行きます。久しぶりに親に会ったときの表情のなさは、「太陽の帝国」のクリスチャン・ベイルを想起させました。
この原作、戦争と言う前提なくこれだけのことを日記形式で仕上げてあるのなら、かなりすさまじいものでしょうね。映画の方は、彼らがそうならざるを得なかった環境をも描いてあるので、まだ理解はできるのですが。
主役の双子は、本当にハンガリー出身の貧しい双子を登用したとのこと。成功しましたね。素晴らしかったです。その後どうしているのでしょうか。「スラムドッグ・ミリオネア」のようになっていなければいいのですが(なんていう発想が甘ちゃんなんでしょうね。平和な日本人の思い上がりかもしれません)。
しかし、主役の男の子たちがよかったからか、個人的には、予告を見て想像していたほど「しんどい」映画ではありませんでした。すごく覚悟していたからかもしれません。
でも、「ファーナス」と同じことを書いてしまいますが、繊細な女性には勧めません。