田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

新・少林寺

2011年11月30日 19時06分27秒 | 日記
なんで今さらアンディ・ラウ?という気がせんでもなかったのですが、ともかく話題作なんで見ておこうと思いました。いいって聞きましたし。

昔のリー・リンチェイ版「少林寺」は、見たような気もするのですが、さりとて内容を思い出せず、見てないのかなぁ・・・と限りなく自信がないのです。

そのかわり、「崇山少林寺」という映画が強く印象に残っていて、こちらは特に有名人が出てるわけでもなく、何かと二本立てだったくらいなのですが、大変よい映画でした。いたく感動したのを覚えています。


さて、今回の「新・少林寺」。結論から言うと、よかったですね~~、所々涙してしまいました。

アンディ・ラウも、主役には歳を取りすぎているかと思っていたのですが、いやいや、なかなかハマっていました。お話も、少し年輩者でも成り立つように変えたのかもしれませんね。

久しぶりにお顔を見るニコラス・ツェー。何年も前の美少年映画以来のような気がします。ちょっとオダギリジョーを悪くしたような感じでした。

で、すっかり翁になってしまったジャッキー・チェン。彼は今回は厨房で長年働く男です。厨房といえども、あれだけの大所帯の少林寺。大きな中華鍋を振り回したりする所作や、大量の小麦粉を練る力技は素人にはできません。今回は「武術なんてまったく知らない」という設定なのですが、いざとなると「鍋を振るように」とかいろいろアドバイスされてこの技が術となって生きるのです。

さて、お話はちょうど辛亥革命のあとの混乱の時代。中国全土で争いが絶えず、どの将軍も戦々恐々としていた頃。自分を含め(つまり自分も義兄弟を裏切った)、裏切りに次ぐ裏切りですべてを失くした上に懸賞金をかけられてしまった将軍、アンディ。

かつて愚弄した少林寺の僧たちに助けられたアンディは、いろんな経験や修行を経て生まれ変わってゆきます。そして、やがては自分を裏切った部下と対峙することになるのです。


すごい映画でしたねぇ。アンディもかなり拳法を使っていました。彼って、使い手だったっけ?ボディダブルかな。

質素に生き、争いによる負傷者を手当てし、死者を葬る少林寺の僧たち。そしてそのすごすぎる技の数々。素晴らしい!思わず私も出家しようかと思いました。

どんな地位にいようと、家族の命は尊いはず。どうしてこんな無益な戦いを繰り返すのでしょう。本当に悲しくなりました。

そのなかでも、本当の勇気・慈悲・尊厳を見せてくれる僧たち。久しぶりに「中国映画」を見た、って感じでした。

たった一つ、難を言うなら「人が死にすぎ」。監督ベニー・チャン。
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抱擁のかけら

2011年11月29日 08時18分42秒 | 日記
いまごろすみません。録りおいてある作品をひとつ、さばいたもので・・・。

当時はとても見たかったのに、限られた劇場でしか上映してなくて泣く泣く諦めたのを覚えています。

お話は単純です。美しいペネロペ・クルス。彼女はある会社の社長秘書をしていますが、あまり裕福なおうちではなく、癌なのに病院を放り出された父親をどうしてよいかわからず泣き顔になっているところを社長に助けられるのです。

年輩のリッチな社長が美しくて若い女性に特別なはからいを見せるのですから、その下心はわかってますね。彼女は彼の言いなりになります。

ところが、いくら愛されていても愛人生活って飽きてくるのですね。なんでもあるのに満たされない。

もともと女優に憧れていたペネロペは、なにか生きがいを見つけようと、あるオーディションを受けます。ところが、この映画監督が彼女に一目ぼれしてしまうのですね。

社長が自分の息子を監視役にどれだけはべらせていても、一度始まった情熱を抑えることはできません。二人はあっというまに情熱的な愛にのめり込みます。

もちろん、社長は放ってはおきません。ここから復讐が始まるのです。


しかし、この映画は時勢を交互に持ってきているので、冒頭は現在の映画監督、ある理由で盲目となり、脚本を書きながら質素に生きている年輩の紳士として登場します。そして若かりし頃のお話が挟み込まれてゆくのです。


監督はペドロ・アルモドバル。この映画のペネロペは本当に美しい。


しかし・・・さすが情熱の国、スペイン。私が歳をとりすぎているのか、あるいは単に民族性の違いか。その情熱にはついてゆけませんでした。

日本人はタテマエの民族だから、どうにも理性が先に立ってしまいます。

「あれだけ世話になっておいて、好きな男ができた途端、あんなに強く出るのは違うんとちゃう?」とか、「おっちゃん(社長ね)も、あれだけ若くて美しい女をモノにしたんだから、いつかこういう日が来るって思ってなかったのかな」とか、「監督も、なんにも言わずに突然彼女とふたりで逃避してしまうなんて、おとなげないでしょう」とか(だって、そんなことするから勝手に映画を編集されて公開されてしまうのよ。いまどき、たった二人の世界に逃げ込むなんて、10代の子でもしないよね~)、そんなことをいろいろ思ってしまって、主人公たちの情熱に共感できませんでした。


やっぱ、歳とっちゃったかな・・・。今の私には無理だな・・・。

ま、こんな世界もあるということで。
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孔子の教え

2011年11月27日 10時24分17秒 | 日記
なんだか壮大な映画を見てしまいました。

しかし、この映画自体が、孔子の人生の後半を描いたものだったので、わりと読み物などで知られてる部分が多かったような気がします。

私個人的には、もっと知らない部分、例えばどんなおうちに生まれてどんなご両親だったか、とか、子供の時はどんなだったかとかを知りたかったなぁ、とも思います。また、小さい頃の時代背景とかも。

まぁ、だからといって「義経記」のように美談化されてても困るのですが。

孔子役は「亜州影帝」チョウ・ユンファです。やっぱりハマってましたねぇ。
お年を召した分貫禄も出て、海賊のユンファよりもずっと素敵でした。

時代は春秋戦国、各国が己の支配地を増やそうとお互いに虎視淡々とにらみ合っていた時勢。魯国に仕官した孔子は理想を掲げていったんは成功したかに見えます。

しかし、いつの世も政治というもの、陰謀がつきもの。どの政治家も自分かわいさに「出る杭は打たれる」。

やがて地方を放浪しはじめる孔子。幾人もの弟子たちがついてきます。行く先々で教えを乞われはするのですが、どこでも政治が絡み(時々は美人の妃に絡まれたり)、落ち着くところはありません。

14年にもおよぶ生命をかけた放浪の後、魯に帰還できたときには「学者に徹することを許して下さい」とお願いするしかなかったほどでした。

やがて、主にこの弟子と共に放浪したときのことが編纂されて「論語」となるのですが、紙が無かった時代、師(孔子)が残した書(木簡)は膨大な量でした。

生涯を賭けて乱世を正す・・・その理想は大変素晴らしいと思うのですが、そんなこと、無理ですよね。平和になったらなったで新たな問題は出てくるし(今の日本やアメリカ、中国・ギリシャも、イタリアもみんなそう)、しょせん全員が幸せになるということは不可能なんですから。

よっぽど規模の小さいコミュニティなら可能でしょうが。

偉大な孔子様の物語を見させてもらいながら、変にさめてる自分がイヤでした(笑)。
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カウボーイ&エイリアン

2011年11月23日 16時24分39秒 | 日記

今頃すみません。長らく書くのをためらっていたもので・・・。

そこそこ楽しめた上にわかりやすいストーリー、古き良き時代の西部劇をそのままもってきたような感じ、どこをとってもいい作品なんですが、いかんせん「可もなく不可もなく」という印象を受けてしまい、何を書いていいのやら、迷ってしまってました。

もちろん、俳優陣は豪華です。ダニエル・クレイグにハリソン・フォード、オリビア・ワイルドにサム・ロックウェルやポール・ダノまで。よくこれだけのメンバーを集めたものだと感心するくらい。

おまけに監督はジョン・ファブロー。うきうきしますねぇ。

ところが・・・まぁ、わざと昔の感じを出すために、先の読める展開にしてあるのかもしれませんが、やっぱりこれは、私が昔の西部劇を懐かしがる世代ではないから?

ともかく、いい作品であることはよくわかるのですが、「で?」という感じです。
結局、すばらしい技術をもっているはずのエイリアンに、なんで勝てたのでしたっけ?かすかに「ロサンゼルス決戦」に似た展開だったような記憶が。

ジョン・ファブロー監督は、「アイアンマン」も好きですが、「スインガーズ」が一番好きですね

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ラビットホール

2011年11月22日 19時11分40秒 | 日記
ニコール・キッドマンの新作。たった一人の4歳の息子を失ってしまった夫婦の物語。夫役はアーロン・エッカート。死亡理由は交通事故。それも、犬を追って道路に飛び出したのが原因で、誰も責めることはできない・・・。もちろん、子供を轢いてしまった青年は心から謝罪してくれてる。でも、やっぱり飛び出しが原因。

そんなことが、映画を見ながら徐々にわかるようになっています。

この夫婦がどうやって生きてゆくのか。再生してゆくのか。激しい口論や、失った人たちの「会」、あるいは母親など、いろんな人や物を巻き込んでの人生を描いたものです。

ここで、「最後は明るい希望が見える」などと言うのは簡単です。でも、人間って、自分も死なない限り、生きてゆくしか仕方がないんですよね、なにがあっても、命があるかぎり。




私は、理由はどうあれ子供を失った感覚って、当人じゃないとわからないと思うんです。

しかも、ただ「失った」といっても、そのシチュエイションはさまざま。だから、それぞれの抱いている感覚って、やっぱり当人でないとわからないと思います。

劇中、ニコールの母も息子(つまりニコールの兄)を失ったことになっているので、いろいろと彼女に諭してきます。そこで、「4歳の子が犬を追って亡くなったのと、30歳で麻薬中毒で亡くなったのとを同列に語らないで欲しいわ!」と叫ぶシーンがあります。私はまったくもってニコールに賛同するのですが、母親は「それでもわたしの息子だわ」と言います。

かように、個人の思惑はさまざまなのです。

かなり取り乱しているニコールに、喪失の経験のない人は「わがままがすぎる」と思うかもしれません。普通に見るとそうかもしれません。


しかし・・・事実はどうすることもできないのです。自分は生きてしまっているのですから。


こんな現実をわざわざ映画にする必要があるでしょうか。私は見ていてあまりにつらく、「こんなことを描く必要はないんじゃないのかなぁ」と思ったのが正直なところです。

まぁ、だからといって軽く描いてしまえるものでもないのでしょうが。

なんだかとっても重くなってしまった映画でした。あと、まったくの個人的見解ですが、アーロン・エッカートって、こんな役に不向きじゃないかなぁ・・・。
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