2016年・第69回カンヌ国際映画祭で、「麦の穂をゆらす風」に続く2度目の最高賞パルムドールを受賞した、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督作品。イギリスの複雑な制度に振り回され、貧困という現実に直面しながらも助け合って生きる人びとの姿が描かれる。イギリス北東部ニューカッスルで大工として働くダニエル・ブレイク。心臓に病を患ったダニエルは、医者から仕事を止められ、国からの援助を受けようとしたが、複雑な制度のため満足な援助を受けることができないでいた。シングルマザーのケイティと2人の子どもの家族を助けたことから、ケイティの家族と絆を深めていくダニエル。しかし、そんなダニエルとケイティたちは、厳しい現実によって追い詰められていく。(映画.comより)
聞くところによると、ケン・ローチ監督が引退の意志を覆してでも撮りたかった作品なんだそう。なんと巨匠も御歳80歳。もうそんなになるのですね。
今回の作品も、巨匠のフィロモグラフィーに連なるべく、社会的弱者に焦点を当てたものとなっています。主人公のダニエル・ブレイクは大工として真面目に働いてきました。質素ながらも妻と二人、普通に暮らしてきたのです。ところが、妻が亡くなった後の59歳のとき、突然の心臓発作におそわれ、医師より働くことを禁じられます。しかし、生活はしていかなくてはなりません。そこで、国の援助を受けるべく申請しますが、「専門家」による「的外れな質問」を受けた後、下された判定は「就労可能」。え?援助がもらえなかったら、働けない人はどうすればいいのですか?
こういうこと、日本でもあるのでしょうね。不正に生活保護を申請する人は論外ですが、「働ける」と言われる人も少なからずあるのだろうと思います。増え続ける生活保護に対応しなければならない役所の人々の心労も察するべきとは思いますが。ダニエルも、どうすればいいかを電話で聞けば「待ち」の美しい音楽とともに半日ほど待たされるし、結果はまったくらちがあかないし、どうすることもできません。
それで、役所でいろいろ申請するわけです。判定に不服がある場合の手続きとか、当面は就職活動をしている体を整えなければならない、とか。どれもこれも、たらい回しみたいな格好になります。多分、日本でもそうですが、社会全体が疲弊していて、役人さんたちもいっぱいいっぱいなのです。どれもこれもに手が回らなくて、それでも社会的弱者は増え続けるばかりで、ダニエルたちに強く出る役人さんも「俺たちはこんなに働いているのに!」と思っているのです。一方、そんな申請場所で出会うシングルマザーのケイティも、明日の食い扶持にも困っています。右も左もわからない町に送られ、バスの乗り方すらわからなかったのです。それなのに、時間が過ぎているからダメだと、幼い子供を二人も連れている女性に対して杓子定規な対応しかできない役所に、見かねたダニエルは「ちゃんと聞いてやれ。子供が二人もいるんだぞ」と叫んでしまい、「決まりに従って私たちも仕事してるんだ」と、役人につまみ出されてしまいます。この辺は本当に胸が痛むところです。
なぁなぁで通してしまえば、収拾がつかなくなることも、わかる。働く意思もなくダラダラしているだけの奴もいるでしょう。役人たちがいっぱいいっぱいなのも、わかる。でも、ケイティは本当に困っていました。若くしてシングルマザーになり、子供にはきちんとしてあげなければ、と思ってる。でも、どうにもならない。いよいよ生活に困り、施設の狭い部屋で3人寝泊りしたことも。でも、まだ幼い下の子が落ち着かなくなり、学校でもいじめられ、どうにもならなくて福祉で紹介してもらったのが、この町のアパート。今日、支援金をもらわなければ食料を買うお金もない。そんなところまで行きついてしまっているのです。でも、「時間が過ぎている」の一点張りでもらえなかったケイティ。バスで迷っただけなのに。
あまりの仕打ちに、ダニエルが声をかけます。こちらだって「支援する」なんて、そんな身分じゃないのです。でも見ていられないってこと、ありますよね。そんな二人の交流が始まります。
ダニエル自身は、相変わらず「就労できるため、支援金は出ない」と「働いてはいけない」という医師の診断との板挟み。「履歴書の書き方講座」から強制されます。しかしね、支援金が出ない以上、押して働くしかないですよね。私ならそうします。「もうここまで来れば死んでもええわ」と思うと思うのです。だって、生活できないし。あくまで私の場合、ですが。
ダニエルは、元来実直な人です。なので、つたない履歴書でも見てくれる人がいたりするのです。声をかけてくれる人がいたのに「医者に止められているから」と断って激怒させてしまいます。「働く気もないのに履歴書を配ったのか。じっくり検討して損をした」とね。まぁ、それはそうですよね。
お金がないケイティも、万引きしてしまったお店でいかがわしい仕事を紹介されたり、フードバンクで、あまりの空腹に我を忘れて缶詰のふたを開けてすすってしまい、泣き崩れてしまったりと、いろんなことが起きます。それで、そんな場面に限って、子供の同級生に見られていたり。悲しいですね。私は、このケイティが缶詰をすすってしまうシーンで涙が出ました。女一人が、当てもないのに二人も子供を抱えて生きるつらさ。あまりに悲しいです。
それでも、なんとかかばいあい、生きてゆく彼ら。貧しいながらも助け合います。しかし、支援を得ようとダニエルがケイティとともに、次の一歩を踏み出したとき、悲劇が襲います。少し予想したかも、とも思いながら、でも「貧乏人は結局こんなものよ」と現実を突きつけられたような気がしました。多分、日本でもそう。やっぱり一番力を持っているのは、お金。「美と健康は、金で買う」の世界なのです。
イギリスの福祉制度は、かつて「ゆりかごから墓場まで」と言われよく整っていました。しかし、今は緊縮財政のなか、福祉がどんどん削られ「脳を半分失った人でも”就労可能”と言われた」とも聞きます。日本でも、誰もが予想しなかったスピードで少子高齢化が進み、医療制度も破たん寸前です。年々増える高齢者の医療費が一向に減らないからです。あまりの生きづらさに、結婚する若者は減り、産み育てる子供の数は減る一方です。そりゃそうです。こんな希望のない国で、子供たちが生きてゆけるのか、また、自分も生活がいっぱいいっぱいなのに、子供を育てられるのか、とみな思いますよね。こんな映画も他人ごとではありません。
この映画の入場料は、貧困に苦しむ人々を支援する団体に、有料入場者1名につき50円寄付いたします・・・こんな表示が最初に出ます。でも、監督は明言しているのです。「チャリティは根本的な解決にならない」と。う~ん、リアル。いいことした気になりそうな凡人をしっかりとたしなめてくれますね。
しかし、私は戦争カメラマンの映画などを見た時も、いつもそう思うのですが、こういうリアルで社会的弱者を描いた映画、作って世の中に広く知らしめて、それで世の中、良くなってます?私が知らないだけで、改善されているのならいいのですが、そう考えたとき、いつもげんなりしてしまいます。せっかくいい映画を見ているのにね、ひねくれたことを書いて申し訳ありません。