田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ラッシュ プライドと友情(Rush)

2014年02月25日 22時18分15秒 | 日記

 

 「ビューティフル・マインド」「ダ・ヴィンチ・コード」のロン・ハワード監督が、1976年のF1世界選手権を舞台に、2人の天才ドライバー、ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの戦いと絆を描いた。76年のF1チャンピオンシップで、フェラーリのドライバーとして快調なレースを続けていたラウダは、ドイツ・ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで大事故に見舞われる。奇跡的に6週間で復帰を果たしたラウダだったが、ライバルでもあるマクラーレンのハントにポイント差をつめられてしまう。チャンピオンシップを競う2人の決選は、富士スピードウェイで行われる日本での最終戦に持ち越されるが……。ハント役には「マイティ・ソー」のクリス・ヘムズワース、ラウダ役には「グッバイ、レーニン!」のダニエル・ブリュールが扮する。脚本は「フロスト×ニクソン」のピーター・モーガン。(映画.comより)

 

 

 今回は小さな息子を連れていたので、吹き替えで鑑賞。ほんとはダニエル・ブリュール(ニキ・ラウダ)の独特の訛りが聞きたかったんだけどね。

ともかく、楽しめました。雷神の印象が強いクリス・ヘムズワースも、才能のある遊び人がうまくハマってうならせましたし、おクソ真面目なニキ・ラウダを演じたダニエルも、本当にハマってました。この二人がこんなにサマになるのが意外でした。

1976年と言えば、まだタイレル(ティレル)の6輪車が走っていた時代なのね。残念ながら、まだ私はF-1を見ていなかった年頃だけれど、F-1と言えば鈴鹿しか知らなかった私には、それが富士スピードウェイだったことも含めて、いろいろと勉強になったのでした。ちなみに鈴鹿には開催3回目という年度に見に行きました。観覧席も今ほどなくてガラガラでした。主要な場所こそ座席がありましたが、裏ストレートなど全然何もなくて、歩きながら見放題でした(笑)。

(ちなみのちなみにポルトガルのエストリルサーキットにも一度行ったことがあります。関係ないですが・笑)

さて、話がそれてしまいました。すみません。吹き替えのkinki kidsの二人は、最初こそ違和感を感じましたが、そのうち気にならなくなりました。よくがんばっていたと思います。

天賦の才を持つジェームズ、真面目でマニア肌のニキ。どちらも常人には及ばない天才なんですね。もちろん、F-1パイロットたちは一握りの選ばれし者ばかりなんでしょうが、それでもその時代時代でひときわ目立つ存在というのがあるのですね。そしてこの時代はこの二人だったというわけです。

さて、女性達なのですが、ちょっと主役の二人に重きを置きすぎたのか、女優陣が物足りないと感じました。ハントの最初の妻、人気スーパーモデルのスージーはオリヴィア・ワイルド。う・・・ん、もう少し若くて華やかな女性がよかったんじゃないかなぁ。彼女も充分華やかですが、ちょっとハントより年上に見えるかも。

ラウダも、最初はガンガンに(?)派手系の女性を攻めていたのが印象的でした。で、ある時同胞に「彼女の前の彼氏はイケイケのジェームズ・ハントだ」と教えられるシーンがあります。この辺は、昔メルセデス・チームで彼女を持ちまわった(?)カール・ベンドリンガーとミハエル・シューマッハを思い出しました。ま、彼らの場合はすべてを知っててつきあっていたようですが。

ラウダの彼女、後に妻となるのはレース業界とは関係ない女性、マルレーヌ。私には地味系に見えたのですが、ラウダと出逢った頃は自信満々。「やってくれないの?私の願いでも?」とラウダに”魅せる”ドライビングテクニックをねだります。そして、お金がないわけでもないだろうに、役所で介添え人もいない超地味婚。これはないだろう、というくらいの地味婚でした(笑)。

そしてくだんの1976年。どちらがワールド・チャンピオンになるのか、しのぎを削っていた頃、いやニキ・ラウダがややリードしていたシーズン。突然に大事故は起きてしまいます。生死にかかわるほどの全身大やけど。人相までも変わってしまいます。

しかし、彼の意志は強かった。人間の身体って、これほど意志の力に左右されるのか、と思うほどの回復力で帰って来ます。やけどの痛みをこらえながらヘルメットをかぶる姿に、妻は「もうやめて」と懇願します。しかし彼は「そう思う気持ちはわかる。でも、どうしても行きたいんだ。わかってくれ」と言います。もうこうなると男の世界。妻の入る隙などありません。

そしてポイント差3点で迎えた最終戦、日本・富士のスピードウェイ。天気は大荒れ。さて、二人の決選はどうなるか。

 

 

<ここからネタバレ>

この映画は史実に基づいていますから、結果は調べれば簡単にわかるわけです。が、まだこの頃F-1を見ていなかった私はそのまま見ました。そして、大雨の中、1周で棄権したニキに茫然としたのです。こんなことが起きていたのか・・・。

でも、彼の英断は理解できます。トップ意外、誰も前が見えない水煙の中で、まだまだパーフェクトに健康体ではなかった彼がそれ以上無理をする必要はありません。先は長い。それをつまらないという人もいるでしょう。でも、私が妻なら賛成したでしょう。

そして、ワールドチャンピオンはジェームズ・ハントの手に。おめでとう!

さすがにF-1、ドラマチックです。時代は下るけど、いろんなことを思い出しました。深夜の放送で見ていたレースでセナが亡くなって、しばらく本当に信じられなかったこと。解説の人たちが泣きだして一緒にもらい泣きしたこと。中島悟・鈴木亜久里・片山右京。その辺までは見てたなぁ。私が見たエストリル・サーキットでは右京と井上隆智穂が走っていたこと。

いろいろ、いろいろ。あの頃は燃えてたなぁ・・・。今は怠惰な日々。仕事やめたいなぁ、とかさ(笑)。吹き替え版のニキがよく言ってた。「おまえはアホだ」「アホが」って、むやみにね。

さ、がんばろ(笑)。

 

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きみがくれた未来(Charlie St. Cloud)

2014年02月20日 23時23分58秒 | 日記

 

 「ハイスクール・ミュージカル」のザック・エフロンが、最愛の弟を失った兄の葛藤(かっとう)と再生を繊細に演じたヒューマン・ドラマ。弟サムを交通事故で亡くしたことに罪の意識を持つチャーリーの前に、死んだはずのサムが姿を現す。兄弟の日課だったキャッチボールを続けることをサムに誓ったチャーリーは、自らの将来を犠牲にしてまで弟との約束を守り続けるが……。監督は「セブンティーン・アゲイン」でもエフロンと組んだバー・スティアーズ。(映画.comより)

 

 

 録り置きの作品です。良いと評判は聞いたものの、ザック・エフロンなんてアイドルだとナメてかかってました。実に申し訳ない(笑)。予想を大きく裏切り、不覚にも2度ほど涙を流してしまいました。「ザックって、やれるんだな」って見直しました。ごめんなさい。

ザックには歳の離れた弟がいて、母子家庭で育つ二人は、一緒にヨットをやっていたりして、大の仲良しです。一生懸命働く母親を慮り、ザックもよく弟の面倒をみています。

ある日、お金のため急に夜勤を入れた母親に代わり、弟の面倒を見なくてはならなくなったザック。しかし、先約があった彼は、夕食だけ用意して黙って外出しようとして弟に見つかり、仕方なく弟を友人の家まで乗せてゆくことになります。

しかし、この道中に事故に遭うのです。向こうから大きなダンプのライトが見え、こちらを向いていた弟が兄に呼びかけたところで記憶が飛びます。

次に気がついたのは救急車の中。そこでは「もう無理だ。諦めろ」と言われてもなお、希望を捨てなかった救命士(レイ・リオッタ)が、ザックに意識が戻ったことに歓喜の表情です。「弟は・・・」向こうにだらんと手が下がっています。必死に手を握ろうとしますが届きません。「動かないで。まだまだ安静に」と言われ、諦めます。

弟は帰らぬ人となりました。しかし、夕方の大砲を合図に野球の練習を始める約束でした。まだ弟の死を信じられないザックは約束の場所へと行ってみます。すると、ちゃんと弟は待っていました。そして約束通り練習を始める二人。ショックゆえ、ヨットも大学もすべて諦めたザックはしかし、これだけは律義に続けて5年が経ちました。

人には見えない弟が見えるザック。それゆえか、墓守となった今も、亡くなった旧友と話したりすることもできます。人々に狂人扱いされることもしばしばです。

そんな折、昔弟と絶好調にヨットをやっていたころ、同じようにレースに参加していたサラという女性と出会います。といっても、彼女はその時から彼を見ていました。そして、今でもヨットに夢中で、女一人で過酷なことにも挑戦しています。

それなりに仕事をこなしながらも、大砲が鳴ると森へと練習に消えていたザックは、気になる女性が現れても、彼女を優先させることはありません。しかしながら、彼女の方が少し積極的でした。もうすぐ半年のセーリングに出かけるとあって、一晩を過ごす二人。朝目覚めると「私を見つけて」と張り紙が。ザックは駆け出し、彼女を見つけます。それは、若い二人がそれなりに楽しい時間を過ごした、よくある思い出のはずでした。ところが・・・。

 

ここからが本筋です。あっと驚く展開が待っています。いや。予想できるかもしれません。でも少なくとも私は思いも寄りませんでした。弟を亡くした時、手を握ることができなかった後悔も、これから生きてきます。

良い作品でしたね・・・。人は人生を後戻りすることはできません。どんなに悲しいことやしんどいことがあっても、前を向いて生きてゆくしかないのです。5年という年月はかかりましたが、亡くなった弟の存在を真正面からとらえることができて、彼の人生は動き出したのです。それが、他人には不思議に思える能力を前提にしていたとしても。

私はオススメだと思います。ここで一言だけネタバレを・・・

 

(「シックスセンス」を想起しました。)

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鉄くず拾いの物語(Epizoda u zivotu beraca zeljeza)

2014年02月17日 22時36分15秒 | 日記

 

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナのロマ民族の村に住むナジフは体に変調をきたした身重の妻セナダを病院に連れてゆく。セナダには至急手術が必要なことがわかるが、保険証を持っていないため、ナジフの鉄くず拾いの仕事では到底払えないような費用を病院側から要求される......。ダニス・タノヴィッチの監督第5作である本作は、実際に起こった事件をその当事者たちを俳優として起用し、9日間という短期間で一気に撮り上げた作品である。ドキュメンタリーと見まがうかのようなリアリズムの中に経済格差、民族差別など東欧が直面する様々な社会問題を浮き彫りにするこの力作は、ベルリン映画祭で審査員グランプリ、男優賞、エキュメニカル賞特別賞の3賞を受賞する栄誉に輝いた。(第14回東京フィルメックス・ホームページより)

 

 

 この映画、とっても評判だったんですね。ベルリン映画祭で三冠とも聞きましたし、上映時間が短い手軽さと、閉館してしまうガーデンシネマの最後の作品になるかもしれないという思いで、つい鑑賞しました。

でもなぁ・・・私って、冷たい人間なのかな。結論から言うと、あんまりどうとも思わなかった。

主人公は、ボスニア・ヘルッツェゴビナの極寒の地に定住しているロマの家族。お父さんは鉄くず拾いで生計を立て、どうやらお母さんは専業主婦の模様。自分の国を持たないロマの人々は、たとえ定住していても選挙権も住民票も、何の権利も持たないらしい。彼らには二人の娘がいますが、二人とも学校にも通っていない様子。

ある日、お母さんは激しい腹痛に見舞われ、それはお腹の中の第3子に起因するものと判明します。実は早くに死んでしまっていて、それが元の出血で、早く手術をしないとお母さんの命も危ないというもの。

しかし、保険証を持たない彼らは、大きな手術費用を払えず、「分割で」と懇願しますが、院長に聞き入れてもらえません。仕方なく帰宅しますが、症状は悪化するばかり。当たり前ですよね。

そこで、親戚の女性が保険証を持っていると聞き、彼女になりすまして病院へ行く、という荒業をやってのけます。保険証を貸す方も「何かあったら、自分で責任とってね」とこわごわです(当然だ)。

そして行った違う病院では、「どうしてここまで放置した!」と、夫は怒られることになります。それでも、他人の保険証で来ている以上、本当のことは言えません。「車がなくて」と見当違いなことを言って謝るしかありません。そして「高価ですが、きちんとお薬を飲ませるように」と何度も念を押されます。

そして帰宅してみると、お金が払えなかったゆえの停電です。止められちゃってるんですね。世の中って、とにかくお金ですね。人がどれだけ窮地に陥ろうと、お金を払わないと誰もなんにもしてくれません。これは先進国だけじゃないんですね。

夫は、元々ポンコツだった自分の車をとうとう解体します。そしてその「鉄くず」を売って電気代と薬代を作るのです。

話はここで終わりです。この主人公は、たまたま映画監督の目に留まり、映画祭で受賞することができたから、職や保険証を得ることができたようですが、彼の後ろにはそうではない人がもっともっといるのでは、と思うと複雑な心境です。

映画は短いし、お話はドキュメンタリーっぽく、演じているのも本人です。ただ、淡々と事実を描写しているだけなので、はっきりいって映画自体にメリハリはなく、少々眠くなりました。

こういう貧困の問題は、今に始まったことではなく、ここ日本でも最近はよくクローズアップされてますよね。医者代が払えないから、妊娠しても一度も診察を受けていなかった女性や、それゆえ飛び込み出産する女性、そんなリスクを負いたくないドクターの気持ちも報じられましたね。今はいろいろ改正されて、妊婦の検診は基本無料になりましたけど、それとて保険を持っている人だけ。そりゃ、保険料をきちんと払っている側からすれば当たり前でしょうし、その言い分も正当ですけど。

それにしても、主人公の奥さんがあまりにパンパンに太っているのでびっくりしました。腕の太さなどは、ちょっと日本人では考えられないほどです。やっぱり、胎児にも悪影響だったんじゃないかなぁ。

二人の子供たちも、せめて識字くらいの教育をと強く思いました。どうにかならないのかな。移動することが人生だった時代のロマなら、それでよかったのかもしれませんが、定住しているのならこの子たちの将来のために、せめて字くらいは習っておくことはできないものかと、心配してしまうわけです。そう考えること自体、先進国の奢りなのかしら。

ともかく、私が院長だったら、相手が真面目な人でさえあれば分割払いを認めるのになぁ、などと思った私は、ぬるま湯に浸かっているのかもしれません。

真面目に生きている人が報われる世の中になりますように・・・。

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さよなら、アドルフ(Lore)

2014年02月15日 23時37分41秒 | 日記

 

 さよなら、アドルフ

第2次世界大戦の終戦直後、ナチス親衛隊高官の父と母が去ったあと、14歳の少女が小さい妹弟と共に祖母に会うために困難な旅をする姿を描くヒューマンドラマ。旅の過程で、ナチスの行ったユダヤ人虐殺の真実に動揺し、葛藤する加害者の子どもたちの繊細な心の動きが映し出される。監督は、『15歳のダイアリー』のケイト・ショートランド。ヒロインは、ベルリン国際映画祭シューティングスター2013に選出されたザスキア・ローゼンダール。過酷な現実に直面し、さまざまな経験を経た少女の成長の物語に心を揺さぶられる。(yahoo!映画より)

 

 

<物語をすべて語っています。注意>

 

 つらい、つらすぎる映画でした。ナチス党員やユダヤ人、あるいは市井の人々を描いた作品はあっても、放置された(残された)子供たちのお話を描いた映画はないんだそうです。でも考えるとそうですよね、処刑された人々、あるいは自殺した人々にだって家族はあったはず。ましてや両親ともヒトラーに心酔していたナチス高官だったなら、子供だって洗脳されています。

何の知識もないまま、突然路上に放り出されてしまった子供たち。下は小さな赤ん坊までいる。生活に不自由などなかった10代の長姉は、年端の行かない妹・弟たちを連れて、どうやって生きてゆく?多少の貴金属は母に持たされてあったとしても。

終戦すぐの国内なんて、食べるものすら充分になかった時代。祖母の家までと言っても実に900km。すでにドイツは分断されて、こちらはアメリカを筆頭に連合国が支配し、向こうはソ連が実効支配しています。

子供ながらに「ドイツは勝利する」と信じ、幼い弟たちは「パパは国のために戦っているんだ」と思い込んできました。14歳である長姉は、900kmものつらい旅を重ねるうち、うすうす自分の間違いに気付き始めますが、幼い弟はそんなこともわかりません。

食べ物も分けてもらえず、薄汚れて人で一杯の教会でやっと体を拭けたローレたち。赤ん坊を抱いた女性を見つけ、お乳をやってもらえるよう、高価なブローチを差し出します。

空き家を見つけて入れば死体がころがっているし、拳銃自殺したナチス高官の、座ったままの死体に出くわしたことも。しかし、もうこの頃には、それでもその高官の腕時計を盗ってゆくことができるほどローレは切羽詰まっていたのです(学習したと言うべきでしょうか)。

道々には、ナチス幹部がユダヤ人を虐げているところの写真が貼り出されてあったり、それがあろうことか父親の写真だったりと、ローレのアイデンティティが音を立てて崩れるようなことにも遭遇します。しかし、彼女は多くを語りません。いつも前を見据え、寡黙です。

やがて道を歩いていると、アメリカ兵に呼び止められます。通行証がないと通れないというのです。そこへ、たまたまいたユダヤ青年に「僕は兄トーマスです。他のみんなの身分証は失くしましたが、一緒です」と助けてもらいます。この青年、たまたまいたというよりは、教会くらいからその辺にいたように思うので、同じようにさすらっていたのでしょうね。あるいはわざと近くにいたか。

ともかく、それ以来、ユダヤ青年が旅に同行するようになります。最初は「弟たちに近づかないで」と言っていたローレも、徐々に彼を頼るようになります。

しかし、あちこち通行止めでなかなか進めず、山越えでソ連側へと隠密行動していたときに、不用意に走り出した双子の弟の片割れが、撃たれて亡くなってしまいます。それでも、泣いている暇すらありません。とにかく逃げないと。

そしてやっと「この川の向こうに祖母の家が」というところまで来て、船がありません。しかし、でっぷり肥ったおじさんは、ローレの差し出したガラスの置物に「こんなもので船を出せと言うのか」と笑い飛ばします。もう他にはなにもないローレ、仕方なく洋服のボタンをはずし始めます。

そこへあらわれたトーマスは、大きな石でおじさんを殴り殺してしまいます。目の前で起きたあまりのことに、動揺するローレ。しかし、トーマスの漕ぐ船にみんなで乗って川を渡るしか道はありません。

そこから汽車に乗るみんな。しかし、車両のなかで身分証の提示を求められたとき、トーマスはそれを失っていることに気付き、汽車を降りてしまいます(あるいは強制的に降ろされたのか)。ローレを疑っているのでしょうか。こちらを睨んでいます。

しかし、犯人は幼い弟でした。「これがないと離れて行かないと思ったの」・・・そう言いながら、彼らはその身分証が他人のものであることに気付きます。彼もまた、その辺の身分証をかっぱらってユダヤと偽るしか生きて行くすべはなかったのです。

そして、無事にたどり着いた祖母の家。今まで通りの充分な暮らし。「お父さん、お母さんは間違っていなかったのよ。誇りを失わないで」という祖母は、食事の時に給仕を待たずにパンに手を伸ばした弟を叱りつけ、同時に長姉ローレに対して「なんという躾なの!なってない。わかっているの」と叱り飛ばします。ローレは黙ったまま、パンをちぎって食べ、水をテーブルにこぼしてそれをすすります。

顔を真っ赤にして叱りつける祖母。ローレは黙って席を立ち部屋に戻ると、自分の持っていた最後のガラスの置物も含め、すべてのガラス細工を壊してしまいます。

これがラストシーンです。さて、これから子供たちはどうなるのでしょうか。ローレはどうするのか。

それにしても、「お父さんは?お母さんは?」と行く先々で聞かれ、答えないことでその素性を見抜かれ、必死の思いで生き抜いてきたローレたちと、その祖母の生活との差はなに?ソ連の支配はゆるかったのかな。

そのへん、よくわからないこともありますが、どちらにしてもつらい映画でした。私も長姉。弟たちを育てた身としては(そう、母はいつもいなかったから私が育てた)、ローレのとった行動がいちいち身に沁みました。つらい映画でした・・・。

 

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マイティ・ソー ダーク・ワールド(Thor: The Dark World)

2014年02月14日 09時20分14秒 | 日記

 

 マーベル・コミックの人気ヒーローを映画化した「マイティ・ソー」(2011)の続編。マーベルヒーローが集結し世界的大ヒットを記録した「アベンジャーズ」(12)から1年後を舞台に描かれる。英ロンドンに原因不明の重力異常が発生し、ソーの恋人で天文学者のジェーンが調査に向かうが、そこでジェーンは地球滅亡の鍵となる「ダーク・エルフ」の力を宿してしまう。事態を打開するため、ソーはジェーンを連れてアスガルドに戻るが、そのせいで家族や故郷を危機的状況に陥れてしまう。最後の手段としてソーは、血のつながらない弟で宿敵でもあるロキの力を借りることになるが……。(映画.comより)

 

 

 娘のたっての希望により、IMAXにて鑑賞。しかし、ここだけの話、今回ばかりはIMAXの必要なかったな、と思いました(笑)。ほとんど影響ありません(と思います)。

さて、お話はますます壮大に。もはや収拾がつきません。まぁ、「アベンジャーズ2」に繋げなきゃいけないし、とりあえずソーは神様だし、お話がおっきくなるのは仕方がないんでしょうね。

それにしても、なぜロンドン?で、重力のゆがみを知った子供たちから、なんで国家も通さず直接ジェーン(ナタリー・ポートマン)へ?ひょっとして、すべてはダーク・エルフのマレキスが仕組んだこと?じゃ、わざわざジェーンにいったん憑依させずに直接自分が取れば話が早かったんじゃ?いや、それを理由にアスガルドを壊したかったのか。いやいや、それなら「闇の力」を得てからでも壊しに行けたんじゃないのか。

などと数々の疑問を抱きつつも、よくわからないまま鑑賞を続けます(笑)。アメコミに屁理屈は無用なのにね。

しかし、この映画を見て強く思ったのが、闘いが多すぎること。だって、ソーは神様なんでしょ?オーディンだってすべてを司る神なんでしょ。なんでそんなに四六時中争ってるの?それじゃ、浅はかな生き物、人間と同じ。

冒頭の浅野君が登場するシーンでも、誰と戦ってるのかはわからないけれど、とにかく戦ってる。ソーが強くて、一撃で岩男をやっつけるほどだというのはわかったから、もう少し神の国々は平和であってほしい。

まぁそうこうしながらも、「闇の力」を狙うダーク・エルフの長・マレキスはアスガルドを壊滅させるべくやって来ます。それを、「最後の一人になるまで戦う」と主張する父オーディンと、「それならマレキスと同じ。力を宿したジェーンと共に相手側へ出向き、そこで闘い、被害を最小限に食い止めたい」と主張するソーとが対立します。

そこで、父に門をあけてもらえないソーは、闇の通路を知っているロキを連れだし、共闘するべくアスガルドを抜け出すのです。

果たして、ロキは信用できるのか・・・というのがお話の骨子です。

映画半ばでは、ソー・ロキ共に、深い愛情で包んでくれていた母が亡くなる事件も起き、さすがのロキも深く悲しみます。

もちろん、キャプテン・アメリカやアベンジャーズも含め、お話は続くので、ソーが負けることはありません。でもこの先、どうなるんだろうなぁ。ソーはジェーンが忘れられないし、神様が地球に住むのかしら。グリーンカードで?(笑)じゃ、その子供・・・とかって、話が続くのかしら。

ちょっと楽しみかも。

そうそう、キャプテン・アメリカもちらっと出ます。遊んでます。あと、後にネットで知ったのですが、ソーやロキがナタリーにビンタを食らうシーン、なかなかOKが出ずにそれぞれ40発くらい食らわされたんだそうです。仕事とは言え、かわいそう~~。

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