田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ショーン・オブ・ザ・デッド(shaun of the dead)

2013年01月30日 18時59分48秒 | 日記

 

  
. ロンドンに暮らすショーンは、いい歳して人生の目標や目的を持たぬまま、親友のエドとパブに入り浸るばかりの冴えない毎日を送っていた。そんな彼に長年の恋人リズもついに愛想を尽かしてしまう。このままではいけないと自覚したショーンは、リズとヨリを戻すため、これまでのだらしない生活を改めようと決意する。ところが、ショーンが恋人のことで頭がいっぱいになっている間に、街にはゾンビが溢れ、生きた人間を次々と襲っていたのだった…。(yahoo映画より)



 今頃本当にすみません。映画ヲタクのくせにこれが抜けていたのです。「宇宙人ポール」は見たのですが、このシリーズ(?)が抜けていたため、サイモン・ペッグは「ミッション・インポッシブル」に出てくる真面目俳優だと思っていました。
実際背も高いし、見栄えもするじゃないですか。

ということで、この作品です。しかし・・・正直に白状します。ロメロ版「ゾンビ」見てません。あのころはまだホラー系が苦手で・・・。

しかし、いいわけはともかく、それでも楽しめました。サイモンと太っちょニックのダメダメペアは、なんとなく「テッド」を連想させるし(こういう取り合わせはよくあるのかもしれないけれど)、ぜ~んぜん知らないうちにゾンビだらけになってた、なんてありそうだし。私なんかも鈍いと思うので、早めに自分が襲われない限り気付くの遅いと思うし。

見てないけれど、ロメロ版「ゾンビ」は消費社会を批判するものになっていた、と聞きます。しかし、どこかの批評に書いてあったけれど、襲われる方の人間が「悲壮感」や「社会に対する冷静な目」を持っていたから成り立った話であって、これが単なるアホだったらどうなっていたか・・・を描いたものがこちらの作品だとか。

でも、大方はそうですよね。だって、ゾンビにすぐそこまで来られてるのに、やれ社会に対する批判だ、近頃の人たちは消費しすぎだ、とかそんなこと考えないですよねぇ。私ももう、襲われて死んじゃいます。打つ手ないし。

これくらいの人数が揃うと必ずいる、「気が小さいくせに屁理屈ばかり言うメガネ男」が傑作でした。やっぱりいるのねって。最期は壮絶でしたけど。

あと、出演陣が豪華なので驚きました。大好きなビル・ナイが早々にゾンビになる残念な役で(もったいない!)。主人公ショーンの元同僚の女性イヴォンヌという強い女性、彼女の彼氏役でセリフもないけどマーティン・フリーマンが!ショーン達一行とすれ違う時、イヴォンヌの後ろに立ってます。(彼氏だというのは、特典映像でそう言ってたから)

しかし、ラストっていうか、終わり方は意外でした。もっと終末思想みたいなのを想像していたのですが、そんな方法もあったのか・・・って感じでした。もっとも、上手く行くのかどうかは疑問だとは思いますが。

さぁ!これで、機会があったら「ロンドンゾンビ紀行」が見れるぞ。

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シェフ!~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ~(comme un chef)

2013年01月29日 08時12分09秒 | 日記

 

 スランプ気味の三ツ星レストランの料理人と元シェフのペンキ塗り職人が巻き起こす奇跡を通して、人生の喜びや幸せについて描くヒューマン・コメディー。天才的な舌を持ちながら高慢な態度ゆえにレストランを次々と辞めさせられる主人公を『変態ピエロ』のミカエル・ユーンが、星を一つでも失えばクビが飛ぶ三ツ星レストランの一流シェフを『レオン』のジャン・レノが演じる。著名なシェフであるブノワ・ボルディエが手掛けたレシピを基にした、伝統的なものからアバンギャルドなものまで趣向を凝らしたフランス料理の数々にも注目。(シネマトゥディより)

 

 ジャン・レノも大きくなりましたねぇ、と言うか、恰幅が良くなりましたね。ドパルデューかと思いました(笑)。やっぱりフランスはお料理がおいしんですね。

さて、この映画は完全にコメディです。単純に楽しめて、ガハハと大笑いできて、目にも優しい。いや、目の毒と言うべきか。なんとも美しくて美味しそうな料理の数々が目白押しなのです。おなかがすきます。

三ツ星レストランの超有名シェフがスランプ。お金のことしか頭にない2代目経営者は、星が一つでも減ったらクビだと息巻く。我々一般人は(フランス人は違うのかもしれませんが)、「星の数がなんぼのもんよ。評論家がどれだけ偉い舌を持つんか知らんけど、きれいな店でおいしい料理をおいしく食べれたらそれでいいじゃないの。」な~んて思うわけです。表現、下品でごめんあそばせ。

ともかく、人間だもの、スランプくらいあるわさ・・・と、レノ・シェフに同情しつつ、なんだかんだと口数の多い若手シェフと、老人ホームで働く、いろんな経歴の持ち主である個性的なシェフたちに、そして彼らを応援している老人達に、つい共感しながら力が入ってしまうわけです。

お話は、もちろん素晴らしい展開でハッピーエンド。どんでん返しがあるわけでもなく、お約束通りに安心して見ていられるわけですが、ちゃ~んとジャン・レノと若手シェフによる、日本人夫婦への変装という爆笑場面が用意されています。

いまやドラえもんとなったジャン・レノが見事なちょんまげに和装。若手シェフは白塗りに日本髪・扇を持って振袖姿という信じられない出で立ちで、「外交官のノグチ夫妻よ」と言って、ライバル店に偵察に入ります。「こんにちは、ありがとう」と、意味のない日本語を連発し、最後は振袖を大いに振って舞を舞い、ライバル店の調味料やその他のものを袖に隠して持ち出す、という、いまや日本人でも思いつかない大技を披露します。

これには驚きました。後方にお座りの男性が、大声で爆笑されてました。

それにしても、このライバル店のような「分子料理」、私は知らなかったのですが、本当にあるんですってね。なんか、気持ち悪い感じがしました。元の形を完全にとどめない、分子レベルにまで分解して再構築された料理なんて、おいしいんでしょうか。いや、案外おいしいのかもしれませんが。

ともかく、なにも考えずに気楽に見れて、しかもとびっきりおいしそうな料理が鑑賞できる。おなかがすくのが難点ですが、疲れている時や癒されたいときにはお勧めです。

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愛について、ある土曜日の面会室(qu'un seul tienne et les autres suivront)

2013年01月27日 17時13分12秒 | 日記

 

 フランスのマルセイユを舞台に、それぞれの事情を抱えて刑務所の面会室へと向かう3人の男女の心の軌跡を追ったヒューマンドラマ。初恋の男性が警察に暴行した罪で逮捕されてしまった少女ロール、多額の報酬と引き替えに自分にそっくりな受刑者と入れ替わるという依頼を受けた青年ステファン、息子が殺された真相を知るためにアルジェリアからやって来た母親ゾラ。ある土曜日の朝、3人はそれぞれの思いを胸に刑務所の面会室を訪れる。(映画.comより)

 

 冒頭、刑務所に面会に来た人たちが外で待つ中、幼い子供を連れた女性が「彼が突然連れ去られたの。どうしていいかわからない。どこの刑務所にいるのかもわからない。誰か教えて、お願いします」と泣き叫んでいるのに、誰もが押し黙り、誰も助けてあげない様子が映し出されます。やがて、「中へ」と刑務所の係官に言われてみんなは中へ入ってしまい、泣き叫んでいる女性だけが取り残される中、係官も扉を閉めてしまいます。

もはやここで、「えっ、どうしてこんな寒いところに放置してゆくんだろう。子供もいるのに。みんなは関われなくとも、せめて刑務官くらいは役人なんだから、”警察に相談しなさい”とか、”もし刑務所に入っているとわかっているのなら、どこにいるのか聞けるところは○○です”とか、なんとか言ってあげられないのだろうか」と、早くも心はわしづかみにされてしまいます。だって、先進国フランスなんですよ。法が整っていない途上国ではないのです。せつない始まりです。

そしてお互いを知らない3組の主人公たち。舞台は刑務所ですから、もちろんなんにも知らない無垢な人々ではありません。それぞれに恵まれていなかったり、自暴自棄だったり、殺人に巻き込まれていたり。それでも、人は生きてゆくしかありません。ある母親は、息子が殺された理由を知りたいと思い、体が小さく病弱だった弟を知っている姉は、そんな弟が殺人を犯してしまったことを思い悩みます。

また、なにをやってもダメな男は、やはり同じような女と離れられずにいて人生は行き詰まるばかりです。そんなところへ降って湧いた入れ替わりの依頼。報酬は高額なものの、仕事すらろくに続かないような男にそんな危険なことが務まるのか。

また、愛し合った若い男女は・・・。男は最初から危険なにおいがしていたはず。そこが魅力と言えばそれまでだけど、成人が一緒でないと面会もできない二人、そして女の子の身体に起きる異変。

これらの人々が、交わることは、ない。ただ、同じ面会室にやって来るというだけ。

そして冒頭の場面に戻ってきます。そう、ここへ来るまでのシーンを回帰してたのですね。

だからといって、一転、物事が解決するわけではありません。人は後戻りすることはできない。もう一度、あの時間に戻ることはできないのです。ただ、どんなに苦しくても、どうにか生きてゆくしか、それができないのなら死んでしまうしかないのです。

で、大方の人は、どうにかこうにか、生きてゆこうとします。それは、意識するしないにかかわらず、やっぱり一つのことを乗り越えて一歩を踏み出しているのです。それは「私はがんばって乗り越えたぞ」と、大仰に言うのではなくて、生きてゆくということはそういうことなんだ、と提示されているように思います。あくまで私がそう思うだけですが。

それで、面会に来ていた人々が帰ってゆく姿が映されるのですが、それはそれぞれが新たな段階を迎え、一歩を踏み出している姿なのですね。

監督は当時28歳の女性。これからの作品が楽しみです。

 

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最初の人間(le premier homme)

2013年01月26日 22時50分29秒 | 日記

 

 
 「異邦人」「反抗的人間」などで知られるノーベル文学賞作家アルベール・カミュの遺稿で、没後30年以上を経て発見され、未完のまま1994年に出版された「最初の人間」を映画化。監督はイタリアの名匠ジャンニ・アメリオ。1957年夏、年老いた母を訪ねて故郷のアルジェリアに戻った40代の小説家コルムリは、フランスから独立を求めるアルジェリア人と政府の間に戦火が広がっていた1910年代に過ごした少年時代を回想する。親戚や恩師、そして懸命に働き、一家を支えた若き日の母。地中海を臨む美しい大地で、自らの生い立ちを振り返り、フランスとアルジェリアの和解のためにできることを模索していたコルムリの追憶の旅を描く。(映画.comより)

 

 無教養をさらけ出して大変恥ずかしいのですが、アルベール・カミュという作家を知りませんでした。名前を聞いたことがあるような気もするのですが、知らないことに変わりはありません。こんな年齢からですが、是非彼の作品を読んでみたいと思いました。

他にも映画化されているようです。「異邦人」などはルキノ・ヴィスコンティが。ヴィスコンティと言えば「ベニスに死す」か「イノセント」くらいしか見たことがなく、昨今の3D大作などにうつつを抜かして(?)過去の名作を見ずにいる自分を恥じるばかりです。

さて、個人的にはアルジェリアとフランスの戦争と言えば、ブノワ・マジメルの「いのちの戦場 -アルジェリア1959-」くらいしか見てなくて、その時は、ベトナム戦争を描いた映画を見た時のような感想を持ったのを覚えています。確か「この事実をフランス政府はまだ認めていない・・・」とかいうキャッチフレーズがついていたと記憶します。

しかし、今回の映画は「いのちの・・・」のように、後から正義を振りかざしたような映画ではなく(ブノワの映画が駄作だと言っているのでは断じてない)、当事者の当時のようすを実に淡々と、しかししっかりと描いたもので、いちいちが生活に根差した描写で、共感を呼ぶものになっていると思います。

第二次世界大戦に召集されて25歳で亡くなってしまった父。厳格だった祖母、必死に働いていた母、気のいい叔父。でもみんな、文盲だったのです。教育の大切ささえわからない極貧の生活。それでも、どこまでも青い地中海と輝く太陽に包まれて、カミュはそれなりに幸せだったようです。

そして、その聡明さに気付き進学を勧めてくれた恩師。それらが、激動の時代に帰郷したカミュの回想となって示されます。

カミュは争いごとを嫌い、アラブ人とフランス人の共存は可能だと信じていたのですが、もはやどちらの側も極端な思想に走ってしまっていて、修復は不可能なレベルにまで来ていました。

そのため、どちらの肩も持たなかったカミュは非難され、ノーベル賞作家であった彼でさえ講演には危険が伴ったのです。(ちなみにカミュは、ノーベル賞授賞式で「私は正義を信じる。しかし、正義より前に私の母を守るであろう」と述べました。)

でも、いつの時代でも、また世界中のどこでもそうだと思うのですが、一部の過激派を除けば、市井の人々は生きてゆくのが精いっぱい。今目の前にある生活が精一杯で、大きなことは、もはやほとんど関係ないのです。

危険を押して母を訪ねたカミュ。母は以前とちっとも変らない暮らしをしています。字の読めない母は、新聞の一面に出ている息子の写真を「いい写真ね」と差し出してくれます。それは「大荒れ」と書かれた記事だというのに。

映画は今現在のカミュと、彼の回想が入り乱れて出て来ます。少し注意して見ていないと混乱するかもしれません。

原作自体が未完だという「最初の人間」・・・。

カミュは、自身がアルジェリア生まれ・アルジェリア育ちであるにもかかわらず、フランス人であったがために、どちらの国にも疎外感を感じていたとも言われます。難しいですね。しかし、それが作家としての才能をはぐくんだのなら、才能とはなんとも切ないものですね。

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もうひとりのシェイクスピア(anonymous)

2013年01月20日 16時34分39秒 | 日記

 

 

 「インデペンデンス・デイ」「2012」のローランド・エメリッヒ監督が、ウィリアム・シェイクスピアの作品は別人が執筆していたという「シェイクスピア別人説」をもとに描いた歴史ドラマ。シェイクスピアの正体の有力候補とされるオックスフォード伯を主人公に描く。16世紀末、エリザベス1世統治下のロンドン。宰相として権力を振るい、王位継承者にスコットランド王ジェームスを据えようと企むウィリアム・セシル卿は、芝居が民衆にもたらす力を恐れていた。一方、セシルの義理の息子にあたるオックスフォード伯エドワード・ド・ビアは、セシルの陰謀に反し、芝居によって女王の心を動かそうとする。主演は「ノッティングヒルの恋人」「アメイジング・スパイダーマン」のリス・エバンス。(映画.comより)



 この映画って、ネット情報によると、全国で11館でしか上映されてないんですって。本当に名作だったのに。日本の配給システムは、どこかで間違ってるね。

さて、私自身、不勉強で「シェイクスピア別人説」自体を知りませんでした。彼自筆の手紙が存在しないとか、署名の書体が毎回違うとか、まともな教育を受けた形跡がないとか、とにかくいろいろ不思議なことが多いようで、言われてみれば「なるほど~」と思わんこともないです。

今回の映画は、最も有力な「オックスフォード伯エドワード・ド・ビア説」に基づいて作られています。

16世紀チューダー王朝時代。芝居(小屋)など、庶民のものとされていた時代に、権力争いも相まって、戯曲など書くことを許されなかったエドワード。しかし、あふれ出る才能はいかんともしがたく、また一方で芝居や演劇を取り締まる女王側近への反発もあり、人々の意識を喚起するペンの力を信じてもいました。

そこへ、女王若かりし頃の色恋や血筋・陰謀が実にうまく絡み合い、少々複雑でわかりづらいところもありますが、必死についてゆくと、最後には信じられないギリシア悲劇が!

まさかすべて真実とは思いませんが、実によくできた脚本。よくこれだけのものを考えたものです。この作品の監督がローランド・エメリッヒだと知って二度仰天。そのあまりな落差にしばらく言葉を失いました。

しかし、エメリッヒ監督は「2012」の後、「CG大作はもうやめにして、シリアス路線に転向したい」とおっしゃってたそうです。それでいきなりこれだけのものを作るのですから、いくら役者がすべてイギリス人だからと言っても、大したものです。

主人公にリス・エヴァンス。最初と最後に出てくる語り部にデレク・ジャコビ。彼が出てくると、一気に画が荘厳な雰囲気を帯びますね。若かりし頃の女王と年老いてからの女王に、ジョエリ-・リチャードソンとヴァネッサ・レッドグレイブの母娘。女王の側近セシル卿にデヴィット・シューリス。ちなみに、このエリザベス女王が、ケイト・ブランシェット演じた「ヴァージン・クイーン」のエリザベスです。

そしてそして!今回大発見の超・超イケメン、ジェイミー・キャンベル・バウワーは、若かりし頃のリス・エヴァンスを。本当なら、こんなイケメンをリスの若い頃にキャスティングして!と思うところですが(笑)、今回はリスも苦悩を秘めた表情で貴族の衣装を着こなし、渋く決まっていたので許すことにします(おまえに言われたくない、と言われますから手(パー)

シェイクスピアに関しては、複数のライターが書いたものをまとめたペンネームじゃないか、との説もあるようです。

ともかく、歴史的な何かが発見されない限り、永遠の謎でしょうね。

絶対におススメです。
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