田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

愛する人

2011年04月30日 16時32分12秒 | 日記

ネタバレあり

 

 

都会で単館上映されていたものが、こうやって田舎にも降りてくるとうれしいものです。

見たい見たいと思いながら、かなわなかったこの作品。田舎ではたった2週間の上映ですが、ギリギリセーフで見ることができました。

主演はアネット・ベニングとナオミ・ワッツ。そしてケリー・ワシントン。お話は、いくつもが並行して描かれます。

 まず、アネット。彼女は純粋に恋をして、あまり知識のないままに彼と愛し合い、14歳で妊娠してしまいます。もちろん、相手だってわかっているし、彼も彼女を愛していたのですが、いかんせん14歳。赤ん坊の全権はアネットの母親にゆだねられ、母親は赤ん坊が生まれたその日に養子縁組に出してしまいます。幼いながらも喪失感を味わったアネットは、その後、結婚することもなく母と二人で暮らしてきました。娘の誕生日を忘れることなく。

母とはうまくコミュニケートできません。母は「人生なんて失望の連続よ」などと言ってアネットを眺めるものですから、幼くして妊娠してしまったことや、その後家庭を築けなかったことで母を失望させている、と落ち込むばかりです。

 さて、その手放した娘は今や37歳。これがナオミ・ワッツです。彼女は聡明で、弁護士として成功しています。その優秀なキャリアゆえ、採用する方が躊躇するくらいです。ここではサミュエル・L・ジャクソンが上司として登場します。ナオミは養父を12歳くらいで亡くし、養母とはうまくいかなかったために早くから自立して生活しています。実の母を知らない、また母も自分を探そうとしていない・・・そんなこんなで独特の価値観を持ち、美しく、なおかつ自立しているからか、男性とのおつきあいも奔放なようです。サミュエル演じる上司も、自ら手にかけます(彼は数年前に妻を亡くしている)。

 次にケリー・ワシントン。愛する人と結婚したにもかかわらず、子供に恵まれず、ついに養子縁組を決心する若夫婦として登場します。これが案外難しいんですね。経済的に安定していて、夫婦仲もよくても、沢山の人たちが順番待ちをしていますし、また子供を養子に出す方の母親(多くは若くして望まぬ妊娠をした女性)とも合意しなければなりません。その過程が描かれます。

 ある日、アネットの母が亡くなります。その後、家に来てくれていた家政婦さんから、「お母様は、あなたに申し訳ないことをした、取り返しのつかないことをしてしまった、とおっしゃってました」と伝え聞きます。「どうして・・・。どうして、それを私に言ってくれなかったの。私に言うべきではなかったの・・・」と言って泣き崩れるアネット。家政婦さんは「お母様はあなたが怖かったのよ」と言うのですが・・・。

ここは私もどうかな、と思いました。女が一人で生きてきて、「怖い人」などと言われるのが一番つらいのではないでしょうか。それでなくても、好意を寄せてくれている男性に対して、「私と話すと怖いのね」と言ってしまったりしているのに。自覚していても、「怖い人」などと言われると、すごくイヤな気分になりますよね。

しかし、結論から言うと、めげることなかったこの男性と、アネットは結婚することになるのです。そして、彼の信心深い娘さんから、「手遅れにならないうちに、娘さんを探してみたら」と言われるのです。

 かたやナオミ。仕事も順調だったにもかかわらず、ふいに妊娠してしまいます。それを避けるために、わざわざ卵管を縛ってあったにもかかわらず。ドクターには「縛ってあっても、まれに妊娠することがあります」と言われてしまいます。それで、ドクターは産まないのかな、と思っているのですが、どういう気持か、ナオミは産む決心をするのです。いまさら人を頼るわけにもいきません。できていた上司とも別れて、さっといなくなってしまいます。

彼女の胎盤の位置が悪く、移った先のドクターにも帝王切開を勧められますが、彼女は「生まれる瞬間が見たい。眠らせないで」といって譲りません。彼女の気持ちはわかります。しかし、日本では帝王切開でも、半麻酔で意識はあるんですけどね。

で、やはり思うところがあったのか、ナオミも初めて母に手紙を書こうと思い立ち、自分が養子縁組した組織に預けます。このころ、アネットも同じ組織のシスターに手紙を預けてあったのですが、なにかの手違いが起き、お互いの意思があるにもかかわらず、相手には渡らないまま1年が過ぎてしまいます。

 そして、その間に、無理して自然分娩したナオミは赤ちゃんの顔を見た後、亡くなってしまっていたのです。この辺はやりきれないほど悲しかったですね。もちろん、ありきたりな予定調和はないだろうと思っていたのですが、やっぱり悲しかったですね・・・。

 1年後にシスターからそれを聞いたアネット。悲しさのあまり泣きわめいてしまいます。しかし、そのずっと後、そのまた娘が子供のない母親にもらわれたと聞き、また養母が「会ってもいい」と言ってくれてると聞き、会いに行くのです。その住所は、ほん近所だったのです。

その養母こそがケリー・ワシントン。彼女も、ご主人に「やっぱり俺の血が入った子を」と言われて破局したり、約束していた女性に心変わりされたりして、つらい思いをしながらも突然現れた”身寄りのない子”を心を決めてもらい、育てていた女性。

 もちろん、アネットには何を請求する権利もありません。でも、そんなこと、どうでもいいんです。そこに娘の忘れ形見が存在している、それで充分なんですよね。

これがハッピーエンドだったのかどうかはわかりません。でも、「よかった・・・」という気持ちになったことは確かです。

こんな美しい、女性の物語の監督が男性だなんて・・・。これは「めぐりあう時間たち」を見たときにもそう思いました。まぁ、性別で垣根を作ることに意味なんてないですけどね。こんな話が理解できるものなんだなぁ・・・と思っただけです。

ただ、こういう話、嫌いな人は嫌いかもしれません。

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ザ・ライト エクソシストの真実

2011年04月26日 22時48分56秒 | 日記

いまさらなんでエクソシスト??と思わないでもなかったのですが、実話だというところと、アンソニー・ホプキンスに惹かれて見に行きました。

アンソニー演じるルーカス神父は、高名なエクソシストという設定。でも、最初に登場する悪魔祓いのシーンはやっぱりどこかでみたような感じ。ハナから神様を信じていない若者の視点から描かれているのは新鮮だったけれど、せっかくいちいち論理的に反論していた若者に、後半は「悪魔はいるんだぞぉ~~」と言わんばかりに超常現象が押し寄せる。

そんなバカな(笑)。

それに、今回の悪魔は多弁だ。誰に対してもうだうだと説教くさい。取材目的でこの若い神父(マイケル)に近づいた女性に対しても「精神病院に入れられた弟は・・・」と、それは悪魔憑きだったことを明かす。もちろん、そうかもしれない。でも、そんなこと、どうやって区別するの。

マイケルに対しても、「おまえの父親は・・・」とか「おまえの家庭は・・・」とかいろいろあげつらうんだけど、どこの家庭にもいざこざや不和の一つや二つはあるだろうに(親との確執なんて、当たり前なんじゃ・・・)、こんなこと言われて「へぇ!悪魔だ」なんて思うのかな、と思ってしまった私でした。

で、プロだったはずのルーカス神父は少女を悪魔からとうとう守ってやれず、おなかの赤ちゃんともども亡くならせてしまう。何度悪魔祓いしてもまた取り憑かれ、「何年もかかることもある」などとのたまっていたルーカス神父。

それなのに、いざ神父さん自身が取り憑かれたときは、新米エクソシスト(?)マイケルのたった1回の悪魔祓いですっかりよくなってしまうのだ。笑える。

まぁ、普段の修行の成果なのかもしれませんが・・・。

じゃ、悪魔が存在しないアジアの国々はどう?悪魔憑きはすべて精神病とされているってこと?わからないですねぇ。

私がこの映画でもっとも怖かったのは、師である神父(ルーカスではない)がマイケルを追おうとして「マイケル!」と声をかけた途端、つまづいてころんでしまうシーン。その彼をよけようとした若い女性の乗った自転車が、向かいから来た車に轢かれてしまいます。画材道具を持っていた、未来あるはずの若い女性が(マイケルのお祈りを得られたとはいえ)亡くなってしまい、神に仕え、人を救うはずの神父たちが生き残る。その後、つまづいた年輩の神父は「頭から離れない。私のせいだ。修道女の平均年齢を知ってるか。63歳だ」と言うのです。

つらい場面ですねぇ・・・。私のような凡人は「神様なんて、いないな」と思う瞬間です。

ともかく、映画自体はよくできていたとは思うのですが、「エクソシストって、宗教って、なんなんだろうな」と思っただけでした。

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アメイジング・グレイス

2011年04月23日 18時50分26秒 | 日記

音楽に詳しくないので、その旋律を聞いたことはあっても、歌の内容までは知りませんでした。お恥ずかしい話です。でも、不思議なことに、映画館で予告を見たとき、本田美奈子さんの同タイトル曲が流れたのと同時に、なぜか目頭が熱くなったのを覚えています。この歌に関してはまったく無知であったにもかかわらず。

さて、お話は18世紀のイギリスで、主たる収入源となっていた奴隷貿易をなくすために尽力した一人の男と、その友人たちのお話です。触れ込みでは「妻の愛にささえられ」と大きく書いてありますが、妻はさほどに描かれません。もちろん、支えられていたのでしょうが。どちらかと言うと、議員仲間だった、史上最年少の首相(ウィリアム・ピット)のほうが存在感が大きかったように思います。

歴史の古いイギリスにおいて、ましてや議員などは保守的な人が多いのに、収入源となっているものを撤廃するとなるとこれは難しい。今の時代なら、誰が聞いても「なくすべき」と思うようなことでも、そうはいかない。

なんだかそのかかった時間に驚いてしまいました。

それにしても、奴隷を乗せた船の環境の悪いこと!どうしてでしょうね。だって、何百人と言う黒人奴隷を乗せて、イギリスに着くころには半分以上は亡くなっているんですよ。連れだした人たち全員を無事に届けて、全員を働かせるほうが効率がいいと思いませんか。

「また行けばいい」というものかもしれませんが、あれだけの距離、交通費(?)がかさむことを思えば、なるべく少ない回数でたくさんの元気な奴隷を連れてきた方がずっと効率がいいはず。だれも指摘しなかったのかな。

ともかく、リンカーンではないけれど、人を人とも思わぬ扱いに憤りを覚える人は、やはりいつの時代にも存在するもの。だから、歴史は動いてきたのですね。

それにしても、主人公のウィリアム・ウィルバーフォースは「体が弱い」という設定で、よく寝込んだりするシーンが出てくるんですね、静養に行ったり。でも、次の場面ではすっかり持ち直してまた活躍してる。やがて、ピット首相の方が先に病気になって亡くなってしまう。その場面が出てきたときは「あれっ?」って思いました(笑)。結局は強かったのね・・・。

ヨァン・グリフィスはよくはまってました。ベネディクト・カンバーバッチと言う俳優さんもよく印象に残りました。経歴にある「つぐない」も「ブーリン家の姉妹」も見たのですが、どこに出てたのかな・・・。ナタリー・ポートマンと最初に結婚したいいところのボンかな。

いい映画でした。

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エンジェルウォーズ

2011年04月18日 13時51分54秒 | 日記

アメリカって、日本ヲタクな監督が結構いるんですね、タラちゃんを筆頭に。まぁアジアっぽものって好きですものねぇ。

お話を深く追求してはいけません。ただ、若くてかわいらしい女性が、魅力的なコスチュームで、バーチャルな戦闘を繰り返す、ただそれだけです。

自由を求める彼女たちを導く”賢者”はスコット・グレン。似合ってましたね~。

彼女たちは精神病院に入れられているはずなのですが、そこは「バーレスク」なんですねぇ。ただ、本当のバーレスクのように自分の意思でやめたり出てゆくことはできません。牢獄のように監禁されているんですね。

で、かわいい女の子たちには「スイートピー」だの「ベイビィドール」だのといかにもな呼び名がつけられているわけです。

美しいこと・完璧に踊ること・などによって大富豪に気に入られると出世(?)してゆくあたりはおいらんのようでもあります。

ともかく、自由を求めて(多分空想の世界で)戦いを繰り広げる彼女たち。武器は銃だけではなく、日本刀も。戦う相手も落ち武者・サムライが最初です。

こんなに、楽しむだけの、あんまりわかんないようなお話の映画に、結構豪華な女優陣が出てるんですね、アビー・コーニッシュやジェナ・マローン、ヴァネッサ・ハジェンズまで!ベイビィドール役のエミリー・ブラウニングのかわいかったことったら!彼女って小柄なのかしら。

あと、女医さんの役でカーラ・グギーノ。きれいでした。

頭からっぽで楽しみたい時に、どうぞ。

 

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サラエボ 希望の街角

2011年04月16日 14時10分25秒 | 日記

ネタバレあり

 

サラエボの紛争に関する映画はいくつか見てきたつもりです。でも、やっぱり映画で見るだけでは「ひとごと」で終わっていたんだなぁ、と今回感じてしまった次第です。

今回の映画は、声高ににボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を非難する場面もなく、だからこういう悲劇が起きた、と前面に押し出したような場面もありません。見る方が注意深く鑑賞し、「そうか、主人公の男性(アマル)は紛争時兵士で、弟を亡くしたんだな」とか、「女性(ルナ)は紛争で両親を亡くしたんだな」とか、そういうことを頭に入れておかないと、あまりに話がさらっと進むので、なにげない男女のすれちがいの話のみが頭に残ってしまいます。

事実、私も(平和な日本に育っているせいか?)、素敵な彼女とちゃんとした仕事を持ちながら、アルコール依存から抜け出せなかった男(彼は断酒のプログラムに参加しても「来ているのは変な奴ばかりだ」と、一回で拒否してしまう。自分は違う、と思っている典型的な男に見える)を「意志の弱い奴。こういう奴に限って口が達者だったりする」と嫌悪感をもって見てしまった。

また、彼はふとした簡単なきっかけで信仰にのめりこんでしまう。まぁ、それでアルコールをやめることができたのだから、よかった一面も確かに、ある。しかし、宗教の恐ろしいところは、他の事と違って、のめりこんでも「それが正義だ」と信じて疑わないところにある、と私は思う。

アルコールやギャンブルなら、本人にもある程度の罪悪感がある。しかし、人生に一度迷った人間がのめりこんだ宗教ほど恐ろしいものはない。なぜなら、絶対的なカリスマ・教えを深く信じ込み(それ自体は問題ないと思うが)、近しい人、たとえば恋人や妻、子供などに価値観を共有するように強要するからである。

その場面が延々と描かれるうちは、ルナが被害者に見えてつらかった。「ルナだって、まだ若いし美人。そのうえいい仕事も持っている。こんな男に絡めとられていないで、さっさと捨てればいいのに」と何度思ったか。

しかし、それだけの話なら、なにもサラエボでなくてもよかったんですね、随分あとでそこに気がつきました。紛争で見なければよかったものや、脳裏にこびりつくような記憶がアマルにはあったかもしれない、だからアルコールもやめれなかったのかもしれないんですね。

今まで共存していた人々が争わなければならない。こんな悲しいことがどうして起きてしまうのでしょう。でも、今でもありますよね。

ルナだって、気丈に働いているけれど、”幼少のころに目の前で両親が殺された”なんて、そんなこと、私には想像もできません。どんなトラウマを負ったかなんて、本人か同じ経験をした人でないとわからないでしょう。

そう思うと、話はそう簡単ではないんだな・・・とアホな私はやっと気付いたわけです。

いよいよ彼との別離を本気で考え始めた矢先に、あれほど恵まれなかった子供を授かっていた、というのはいかにも映画的だけれど、まだ同じ信仰を勧めるアマルに、「あなたが戻って」と希望を残すことばをかけたルナ。これは監督の意向かな。

しかし(私の個人的な意見だけれど)、多分彼は戻らないでしょう。でも、たぶんルナは一人でも子供を産むと思いますね、希望を込めて。甘いかな・・・?

「サラエボの花」と同じ監督なんですね。こちらも好きな作品です。

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