田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

エル・スール(El Sur)

2024年04月29日 17時17分42秒 | 日記

Amazon.com: El Sur *** Europe Zone *** : 電影和電視

El Sur: A Complete Incomplete Film | Current | The Criterion Collection

画像3

 「ミツバチのささやき」のビクトル・エリセ監督が、同作から10年を経た1983年に発表した長編監督第2作。イタリアの名優オメロ・アントヌッティを迎え、少女の目を通して暗いスペインの歴史を描いた。1957年、ある秋の日の朝、枕の下に父アグスティンの振り子を見つけた15歳の少女エストレリャは、父がもう帰ってこないことを予感する。そこから少女は父と一緒に過ごした日々を、内戦にとらわれたスペインや、南の街から北の地へと引っ越した家族など過去を回想する。2017年、世界の名作を上映する企画「the アートシアター」の第1弾として、監督自身の監修によるデジタルリマスター版が公開。(映画.comより)

 

 

<2024年3月31日 劇場鑑賞>

 なんだか難しい映画でしたが、最近見た「アフターサン」のような映画、つまり、わけあっていなくなってしまった父親との思い出を娘が回顧する、そういう映画だったと思います。私たち日本人が知識として知っているような”スペインの内戦”では、現地の人には現地の人にしかわからないような記憶があるのでしょうから、私たちが共感するには限界があるのかもしれません。だから、私は「アフターサン」のように、父親を慕っていた娘が、愛情をこめて彼を思い出すお話として鑑賞しました。

 主人公エストレリャのお父さんは、医者として勤務していますが、振り子で水脈を見つけることもできて、その才能は人々に期待されています。また、母は教師でしたが、内戦で職を追われ、今は家でエストレリャに勉強を教えてくれています。かつて父は、政治的信条を巡って祖父と相いれず、南の実家を飛び出して、今住んでいる北の”かもめの家”に移って来たのでした。父はエストレリャには優しかったのですが、いつもどこか影があるような、そんな感じでした。実の父親と仲違いしていたからかもしれません。みんなはそう思っていたのでしょうね。しかし、エストレリャはある時、父がある女性を慕っていることを知ってしまいます。彼女は女優で、今はあまり活動していないようでしたが、かつての彼女の映画がリバイバル上映されたことで、劇場まで出向いた父は彼女を思い出し、手紙も書いたようです。彼が実家を飛び出さなければ、あるいはそのまま付き合っていたかもしれない元カノ。しかし、「今更なんだというのですか」とあしらわれ(そりゃそうだ。10年は経ってるという設定だったと思う)、人生に落胆してしまった父親。

 あらすじを書いてしまったらなんてことない感じですが、美しい風景や、極力抑えられたセリフ、洗礼の日に父と踊った思い出など、美しい映像が続くので、よく考えると残酷な話かもしれないのですが、すんなり見れてしまいます。

 そして最後は、エストレリャが文字通り「南(エル・スール)へ向かう」ところで映画は終わります。噂では続編を作る予定だったとか。映画は芸術とは言いながら、やっぱり興行収入って、大事なんですね。今となっては幻です。でも、それはそれで美しいかもですね。

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ミツバチのささやき(El espiritu de la colmena)

2024年04月26日 14時36分15秒 | 日記

El espíritu de la colmena (1973) DVD | clasicofilm / cine online

El espíritu de la colmena, (Víctor Erice, 1973) - Crónicas de Cine

La película El espíritu de la colmena - el Final de

 

 スペインの名匠ビクトル・エリセが1973年に発表した長編監督第1作。スペインの小さな村を舞台に、ひとりの少女の現実と空想の世界が交錯した体験を、主人公の少女を演じた子役アナ・トレントの名演と繊細なタッチで描き出した。スペイン内戦が終結した翌年の1940年、6歳の少女アナが暮らす村に映画「フランケンシュタイン」の巡回上映がやってくる。映画の中の怪物を精霊だと思うアナは、姉から村はずれの一軒家に怪物が潜んでいると聞き、その家を訪れる。するとこそには謎めいたひとりの負傷兵がおり……。2017年、世界の名作を上映する企画「the アートシアター」の第1弾として、監督自身の監修によるデジタルリマスター版が公開。(映画.comより)

 

 

<2024年3月31日 劇場鑑賞>

 この名作を未見でした。今回、和歌山にできたミニシアターが、近くのシネマコンプレックスで上映された「瞳をとじて」に合わせてビクトル・エリセ監督の特集を組んでくれたのでした。実は最初は少しケチな発想をして、DVDレンタルを見に行ったのですが、たったひとつの「ミツバチのささやき」は借りられてしまっていて、縁がなかったのでした。

 しかし、おかげで大画面で見ることができました。本当に名作でした。小さくても女の子独特の感性、姉との独特の関係性などを垣間見るにつけ、「そうそう」と共感することしきりでした。私自身は弟しかいないので姉がいる感覚って想像でしかないのですが、この映画の主人公アナのように、物心ついたころから姉とずっと一緒だったら、姉の言う世界が100%になりますよね。

 比較的裕福とは言え、厳格な父親が君臨している家庭。養蜂場を営みながら蜂の研究を続けている父親は、かなり気難しそうです。そんな中、村で定例の映画上映会が開かれます。今回は「フランケンシュタイン」、小さなアナは衝撃を受けます。わからないことを姉イザベルに聞くのですが、イザベルは「あれは映画だから怪物たちは死んでない。怪物は精霊だから見えない。でも、友人になったら話すことができて、私はすでに友人なんだ」みたいなことを言います。小さいアナは姉の言うことを信じ、いつか精霊と友達になりたいと思います。そして、村のはずれには井戸つきの廃墟があるのですが、イザベルは「ここに精霊が住んでいる」と姉さんぶったウソをつきます。すっかり信じたアナは、時々ここに来るようになります。

 ある時、脱走兵が(少し前までスペインでは内戦が起きていた)この廃墟に逃げ込みます。やって来たアナに見つかった脱走兵。でも、アナは「精霊かな」と思ってリンゴを差し出します。そして、その後もコートや食べるものを持って来て、なにかと世話を焼き始めるのです。この辺はどうなんでしょうね。もちろん、筋書き通り「精霊と仲良しになりたい」と思っていたでしょうが、それだけではないような気がします。つまり、女の子独特のオマセな感覚、秘密の場所で自分だけが、他人が知らない人と会っている・・・そんな感覚もあったのでは?と推測します。うがった見方かもしれませんが。

 やがて脱走兵は追っ手に見つかり、射殺されます。コートに名前が書いてあったせいで父親が呼び出されます。まさかあんなに小さなアナが脱走兵の世話を?驚く父親。そうとは知らず廃墟までまたやって来たアナ。血痕を見て驚くと同時に、探しに来た父親に呼び止められ、走って森の中まで逃げるアナ。一晩みんなが探しても見つかりません。やがて帰ってきたアナはしかし、精霊の存在をしっかり信じていて、夜の暗闇に「私はアナ」と呼びかけます。

 自分は子供の頃、こんな機会はなかったけれど、同じ状況に置かれたら同じことをするかもしれないと思いました。いろんな勘違いに気付かないまま、自分が感じたことだけを信じて「こんなことした」と思い込んでいるかもしれません。どちらにしても、少女の気持ちが沁みるほどわかる映画だと思いました。名作ですね。

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コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話(Call Jane)

2024年04月25日 16時14分41秒 | 日記

Call Jane (2022) - IMDb

Call Jane' Review: Abortion History That's Being Repeated Now - The New  York Times

女性たちを救うための道具はカボチャ!? 映画『コール・ジェーン』新たな場面写真3点公開 |au Webポータル芸能ニュース

 女性の選択の権利としての人工妊娠中絶を題材に、1960年代後半から70年代初頭にかけてアメリカで推定1万2000人の中絶を手助けしたとされる団体「ジェーン」の実話をもとに描いた社会派ドラマ。

1968年、シカゴ。裕福な主婦ジョイは何不自由ない暮らしを送っていたが、2人目の子どもの妊娠時に心臓の病気が悪化してしまう。唯一の治療法は妊娠をやめることだと担当医に言われたものの、当時の法律で中絶は許されておらず、地元病院の責任者である男性全員から手術を拒否されてしまう。そんな中、ジョイは街で目にした張り紙から、違法だが安全な中絶手術を提供するアンダーグラウンドな団体「ジェーン」にたどり着く。その後ジョイは「ジェーン」の一員となり、中絶が必要な女性たちを救うべく奔走するが……。

主人公ジョイを「ピッチ・パーフェクト」シリーズのエリザベス・バンクス、「ジェーン」のリーダー、バージニアを「エイリアン」シリーズのシガニー・ウィーバーが演じる。「キャロル」の脚本家フィリス・ナジーが監督を務めた。2022年・第72回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)

 

 

<2024年3月30日 劇場鑑賞>

 この話題は昔のものではなくて、今なおアメリカではどちらを支持するかでもめてますよね。私個人的には、子供の命は何物にもかえがたいとは思いますが、母体に危険がある場合は堕胎することを選ぶ権利があるべきだと思います。それは母親が判断できるべきです。もちろん家族と相談の上でね。

 今回の映画では、妊娠した主人公ジョイ(エリザベス・バンクス)に病気が発覚。このまま妊娠を継続するのは命の危険があるということなのに、年寄りじいさんばかりの会議で「許可しない」と結論付けられます。なんで妊娠したこともないじじいがわかったようなことを?もちろん、ジョイだって子供を失いたくない。自分の子だもの。でも、選択の権利はあってもいいはず。

 そうやってうつうつ悩んでいるジョイは、ふと「コール・ジェーン」と書かれた小さな看板を目にします。戸惑いながらも連絡。一度は逃げ出したものの、考え直して再度訪問。”ジェーンたち”だって、みんな女性だもの。「最初は戸惑うのは当たり前」と、優しく受け入れてくれます。

 そうして臨んだ堕胎手術。残念ながら医師は男性でしたが、無事に成功。アフターケアも受けます。そして、手先が器用だったのか(そういえば料理上手だった)、ジョイはやがて医師の手伝いをするようになります。”ジェーンたち”の手伝いを始めたころは、いいかげんな態度で堕胎に来る若い女性に腹を立てたりもしたけれど、そこは代表のシガニー・ウィバーにも諭されて、女性たちのために働くようになります。

 しかし、違法行為であることに変わりはなく、要はかの男性医師だって闇医者なわけです。メンバーが増えれば情報も漏れるし、なかなかに難儀なことも起きますが、それをはねのけてがんばった女性たちの話です。これが、事実なのですから。

 さて、ストーリーに関係ないところで、自分の感想をいくつか。まず、男性たちの髪型が、みなビートルズ風の前髪パッツンだったこと。ちょっと笑えました。1960年代だったんだなぁって、それだけでわかります。あと、欲を言えば、最初にジョイが堕胎を決心するところ、もう少し葛藤があってもよかったかなと思いました。あまりにすんなりって感じで。命が懸かってるのだから当然なのかもしれませんが。

 とにかく、同じ女性として他人ごとではない事実。興味深く見れました。そして、今なお論争されている現実に「人それぞれ、自分の状況に応じて決心すればいいのでは?」と思いました。日本ではそんなに声高に「禁止だ!」と叫ぶ人たちがいないから、そう思うのかもしれませんが。

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オッペンハイマー(Oppenheimer)

2024年04月23日 15時57分27秒 | 日記

Oppenheimer trailer: Christopher Nolan film gives sneak peek into life of  Robert Oppenheimer, Manhattan Project | Hollywood News - The Indian Express

ついにあのアインシュタインも登場するクリストファー・ノーラン監督作品「オッペンハイマー」予告編が公開中 - GIGAZINE

Christopher Nolan says his 'Oppenheimer' film is 'both dream and nightmare'

 「ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。

第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。

オッペンハイマー役はノーラン作品常連の俳優キリアン・マーフィ。妻キティをエミリー・ブラント、原子力委員会議長のルイス・ストロースをロバート・ダウニー・Jr.が演じたほか、マット・デイモン、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ラミ・マレック、ケネス・ブラナーら豪華キャストが共演。撮影は「インターステラー」以降のノーラン作品を手がけているホイテ・バン・ホイテマ、音楽は「TENET テネット」のルドウィグ・ゴランソン。

第96回アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞を果たした。(映画.comより)

 

 

<2024年3月30日 劇場鑑賞>

 今頃「オッペンハイマー」。完全に流行からずれています(笑)。やること遅い。

 さて、映画はみっちり3時間。その才能を見出され、抜擢され、成果を上げ、しかし、やがてその思想を巡り責め立てられることになるオッペンハイマー氏の生涯を描きます。もちろん優秀な人ですから、彼を本当に慕う人もたくさんいます。しかし、そうではない人の妬みを買うこともあるのです。

 映画は、優秀な男たちが寄り集まっていろんな研究結果に一喜一憂するさまや、みんなで固唾を飲んで大きな実験を見守る姿など、描写としてはよくある感じかと思いました。その目的が壮大だっただけで。そして、時の成功者はやがて時代の流れに逆らえなくなるのも同じ。日本人としては複雑な気持ちでした。「原爆は戦争を早く終わらせた功労者」という思想がアメリカには深く根付いていることは周知の事実。そこを責めても仕方がないし、映画ではノーラン監督、一応氏が”原爆の犠牲者”の幻影に悩まされる姿を描き、「努力してるんだな」と感じさせることには成功していると思います。なので、この映画はあくまで「オッペンハイマー氏の生涯を描いたもの」として私情をはさまず鑑賞するのがいいのかと勝手に思っています。

 個人的に一番驚いたのは、あんなに「研究バカ」の天才が、いつどこで手を出したのかと思うほどの女たらしだったこと。不思議な気がしました。ずっと勉強しているように見えるのに。やはり凡人じゃないです。

 ごく最後の方のシーンで、”上院議員JFK”の名前が出ます。名前だけで出て来ないのですが。それで「あ~彼がまだ議員だった時代の話なんだな」と考えれば当たり前のことに感嘆したりしました(笑)。アホな私には、オッペンハイマー氏とアインシュタイン氏が同時に生きていたことも驚きだったし(アホすぎ、すみません)、細かいところでいろいろ勉強になった映画でした。

 いろいろ書きましたが、総じて楽しめた映画でした。キリアン・マーフィは熱演でしたし。

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天才ヴァイオリニストと消えた旋律(The Song of Names)

2024年04月22日 18時53分43秒 | 日記

Song Of Names, The | Showtimes, Movie Tickets & Trailers | Landmark Cinemas

The Song of Names Movie Poster (#2 of 2) - IMP Awards

『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』

 「海の上のピアニスト」のティム・ロスと「トゥモロー・ワールド」のクライブ・オーウェンが共演した音楽ミステリー。1938年、ロンドンに住む9歳のマーティンの家に、類まれなバイオリンの才能を持つポーランド系ユダヤ人の少年ドヴィドルがやって来る。マーティンと兄弟のように育ったドヴィドルは、21歳でデビューコンサートの日を迎えるが、当日になってこつ然と姿を消してしまう。35年後、コンサートの審査員をしていたマーティンは、ある青年のバイオリンの音色を聴き、がく然とする。その演奏はドヴィドルにしか教えられないものだったのだ。マーティンは長い沈黙を破ってドヴィドルを捜す旅に出る。監督は「レッド・バイオリン」「シルク」のフランソワ・ジラール。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのハワード・ショアが音楽を手がけ、21世紀を代表するバイオリニストのレイ・チェンがバイオリン演奏を担当。(映画.comより)

 

 

<2024年3月28日 録画鑑賞>

 日本では2021年に公開された映画なんですね。知らずに録画で見たけれど、新しい映画だったのですね。お話の最初は「シャイン」みたいな出だし。ヴァイオリンの才能を持つポーランドの少年ドヴィドルが、イギリスの裕福な家庭に英才教育を受けるために預けられます。まだ小さいのに、祖国や両親とも離れて英才教育を受けるのですね。当時はまだ第二次世界大戦前。多分イギリスの上流階級では、文化の発展に貢献することが良しとされていたのでしょう。自腹を切って他人の子を教育するわけですから。

 ここで「シャイン」と違うのは、預かった家庭にも同年代の男児マーティンがいたこと。そして彼にも音楽の才能があったこと。もちろん、自分の家に親の愛情を二分する存在が急に現れるわけですから、マーティンも最初は不服に思います。しかし、そこは子供同士。すぐに仲良しになります。気丈なドヴィドルはすぐに頭角を現し、マーティンの父親も名器を買い与えたりして彼に期待します。もちろん、生活に不自由はありません。

 書き忘れてましたが、冒頭、ドヴィドルのデビューコンサートが描写されます(多分20代)。”若き天才”見たさにたくさんの人たちが詰めかけ、社会的地位の高い人々も臨席していました。しかし、ドヴィドルは現れなかったのです。意を決した父親はコンサートの中止を発表し、チケット代は返金されました。しかし、精神的ダメージは大きく、後にわかることですが、父親は多くの財産を失ったうえ、2か月後には亡くなってしまうのです。

 失踪したドヴィドルの行方はわからないまま、マーティンは別の人生を歩み、今は音楽教師として若い音楽家の審査もしています。ある時、ドヴィドルの演奏を想起させるヴァイオリニストに出会い、そこから彼の”ドヴィドル探しの旅”が始まるのです。映画は、過去の回想を交えながらの彼の捜索がメインストーリーとなります。上に書いた話は、その過程で出て来る回想シーンです。

 しかし、皆さん歴史で習った通り、1939年には第二次世界大戦がはじまり、ポーランドはナチスドイツに侵略されるのでしたね。そんな歴史も重なり、家族の安否もわからないドヴィドル、家族が殺されたことを知って気がおかしくなってしまう同郷の仲間、それでも恩師の期待を裏切るまいとがんばっていたドヴィドルでしたが、ある出来事でコンサートをフイにしてしまっていたのでした。

 結論から言うと、マーティン(ティム・ロス)の捜索は実を結びます。諸事情もお互いに理解し合えます。しかし、だからと言って、何がどうなると言うのでしょう。ましていまさら。悲しすぎます。

 一番ラストで、ティム・ロスが「カディシュ(ユダヤ教の賛美歌)を読む」シーンがあります。ここ、仏教徒の日本人には理解できないので、私も何をしているのかわからなかったのですが、調べるとこんな感じでした。

 

《ユダヤ教》カディシュ◆1日に3回行 われる礼拝の最後に唱えられる、神をたたえる重要な祈り。 幾つかの変種があり、通例"say kaddish"と言う場合は葬儀や喪服期間 に唱えられるmourners' kaddishを指すことが多い。

 

 これを知ってて見るほうがラストの理解も深まると思うので、参考にしてください。

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