世界各地を飛び回る女性報道写真家のひたむきな生きざまを描き、2013年モントリオール世界映画祭審査員特別賞など数々の賞を受賞した人間ドラマ。監督は、報道カメラマン出身で『卵の番人』の撮影を務めたエリック・ポッペ。信念を持って戦場カメラマンの仕事に打ち込むも、愛する家族と危険を伴う仕事との間で揺れ動くヒロインを、オスカー女優ジュリエット・ビノシュが熱演する。また人気ロックバンドU2のドラマー、ラリー・マレン・Jrが出演しているのにも注目。(シネマトゥディより)
<ネタバレあり>
う・・・ん、難しいですねぇ。女性にとって「仕事を取るか、家庭を取るか」なんて言葉は、もはや使い古されたフレーズで、今の「できる女」はすべて持っている、そう思ってました。
いや、普通ならばそうなのでしょう。社会的地位を得た女性の多くは、家庭もきちんと持っていて、今やどちらかを選ぶなんてことはないように見えます。
しかし、今回のジュリエット・ビノシュは戦場カメラマンです。女性だからこそ潜入できる現場もあって、まさに冒頭描かれるシーンなんかは、体に爆弾を巻きつけた女性が自爆テロに挑む様子に密着したものとなっています(しかし、部外者にここまで撮らせてくれるものなのでしょうか?あるいは向こうも”宣伝になる”くらいに思っているのでしょうか)。
ともかく、今まできちんとした結果を残し、その世界では名の知れたカメラマンであるビノシュですが、このときばかりは爆撃を受けてしまい、一命は取り留めたものの、かなりな重傷を負ってしまいます。
ビノシュには、アイルランドにかなり長身でイケメンな(そして多分年下)夫と娘二人の家族がいて、留守がちな彼女を支えて娘の面倒をみてくれている優しい夫は海洋学者です。
このおうちがかなりおしゃれなんです。なぜアイルランドって設定なのかな。とにかく、海の近くに結構広いおしゃれな家が建ってるんですね。さすが、成功している人は違います。
しかしながら、彼女は「やっちゃった~」くらいに思っていたのですが、普段は優しい夫も、彼女を深く愛するゆえ「もう限界だ。こんなことに耐えられない」と言い出し、多感な年ごろの長女も心を傷めていることを知り、彼女も一度は「使命に突き動かされる仕事」を諦め、家族と過ごそうとします。
でもね、人の性格・価値観なんてそうそう変えれるものじゃないんです。結局、仕事の依頼もあり、長女が「アフリカン・プロジェクト」に興味を持っていることもあって、「絶対に安全だから」というスタッフの言葉を信じて、長女と二人でケニアの難民キャンプの取材に行くことになります。
しかし、難民キャンプが絶対に安全だなんてことはあり得ません。案の定、ゲリラに襲われ銃撃戦が始まります。危険な雰囲気を早期に察知したスタッフが二人を連れだそうとしますが、娘だけを車に乗せて、ビノシュはカメラを片手に走り出してしまいます。「僕は君たちの安全の全責任を負っている。早く車に乗るんだ!」というスタッフの言葉にも耳を貸さず、「私の命は私が責任を負うわ。ともかく、娘を安全な所へ」、娘には「私は大丈夫だから、先に行って待っててちょうだい」と言って走り出してしまいます。
これはどうなんでしょうね。使命感に突き動かされる気持ちはわかりますが、泣きじゃくっている娘の気持ちは?なにかあったら責任を負わなければならないスタッフの気持ちは?その時はたまたま帰って来れたからいいけれど、そしてそのときの写真のおかげで国連の警備態勢が強化された、という副産物を産んだけれど、だからといって正義ヅラで「国連にこの写真を送るわね」と言って済むことか。
この出来事は夫には黙っていたけれど、長女はこの出来事を境にあまりものを言わなくなります。個人的には本気で怖かったんだと思います。長女はもう大きいから、母の仕事の意義も頭では理解しているんです。アフリカン・プロジェクトに参加するくらいですから。ただ、それが生身で自分の母となると、リアルすぎるんでしょうね。この娘には、「ママが死んじゃえばいいのに。そうしたら、みんなで悲しんで。それで終わりになるのに」とも言われます。これは核心を突いてますね。
そしてそのうち、娘のカメラに映っていた一連の動画から、ビノシュの行動が夫の知るところとなり、激怒した夫は妻を放り出します。「死臭がする」と言って。
どれだけ謝っても「君は、また行くさ」と言われ、もう元には戻りません。そのうち、彼女にも大きな仕事が舞い込むようになり、やっぱり戦場へと足が向いてしまいます。
しかし・・・ラストシーンは予想を裏切ります。同じように自爆テロを取材しているビノシュ。でも、今回、カーテンを開けてみると、それは年端の行かない少女だったのです。動揺した彼女はシャッターを切ることができません。「やめさせなきゃ、やめさせなきゃ」と小声でつぶやくだけで、よろめき、座りこみ、写真を撮ることはできないでいるのです・・・。
映画はここで終わります。それでどうなったかなど、わかりません。(まだ予告でしか見てないけれど)ブラッドリー・クーパーの「アメリカン・スナイパー」を思い出しました。悲惨すぎます。信仰の力の恐ろしさよ。
しかし、個人的には(あくまで私個人の価値観)、この「戦場カメラマン」という職業には疑問を持っています。あれほど悲惨な写真を撮って、それで世界は変わったでしょうか。よくなったでしょうか。映画では、ビノシュのおかげで難民キャンプの保安体制が強化されてました。しかし、それは標的や攻め方が変わるだけで、起きることは同じってことはないのでしょうか。また、宗教対立が及ぼす国家間の対立などは、写真が報道されたからといって緩解されたことがあるのでしょうか。
無知な私はそう思いました。それなら、家族の傍にいてあげる方がいいんじゃないかと。