田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

おやすみなさいを言いたくて(A Thousand Times Good Night)

2014年12月30日 08時23分41秒 | 日記

 世界各地を飛び回る女性報道写真家のひたむきな生きざまを描き、2013年モントリオール世界映画祭審査員特別賞など数々の賞を受賞した人間ドラマ。監督は、報道カメラマン出身で『卵の番人』の撮影を務めたエリック・ポッペ。信念を持って戦場カメラマンの仕事に打ち込むも、愛する家族と危険を伴う仕事との間で揺れ動くヒロインを、オスカー女優ジュリエット・ビノシュが熱演する。また人気ロックバンドU2のドラマー、ラリー・マレン・Jrが出演しているのにも注目。(シネマトゥディより)

 

<ネタバレあり>

 

 

 う・・・ん、難しいですねぇ。女性にとって「仕事を取るか、家庭を取るか」なんて言葉は、もはや使い古されたフレーズで、今の「できる女」はすべて持っている、そう思ってました。

いや、普通ならばそうなのでしょう。社会的地位を得た女性の多くは、家庭もきちんと持っていて、今やどちらかを選ぶなんてことはないように見えます。

しかし、今回のジュリエット・ビノシュは戦場カメラマンです。女性だからこそ潜入できる現場もあって、まさに冒頭描かれるシーンなんかは、体に爆弾を巻きつけた女性が自爆テロに挑む様子に密着したものとなっています(しかし、部外者にここまで撮らせてくれるものなのでしょうか?あるいは向こうも”宣伝になる”くらいに思っているのでしょうか)。

ともかく、今まできちんとした結果を残し、その世界では名の知れたカメラマンであるビノシュですが、このときばかりは爆撃を受けてしまい、一命は取り留めたものの、かなりな重傷を負ってしまいます。

ビノシュには、アイルランドにかなり長身でイケメンな(そして多分年下)夫と娘二人の家族がいて、留守がちな彼女を支えて娘の面倒をみてくれている優しい夫は海洋学者です。

このおうちがかなりおしゃれなんです。なぜアイルランドって設定なのかな。とにかく、海の近くに結構広いおしゃれな家が建ってるんですね。さすが、成功している人は違います。

しかしながら、彼女は「やっちゃった~」くらいに思っていたのですが、普段は優しい夫も、彼女を深く愛するゆえ「もう限界だ。こんなことに耐えられない」と言い出し、多感な年ごろの長女も心を傷めていることを知り、彼女も一度は「使命に突き動かされる仕事」を諦め、家族と過ごそうとします。

でもね、人の性格・価値観なんてそうそう変えれるものじゃないんです。結局、仕事の依頼もあり、長女が「アフリカン・プロジェクト」に興味を持っていることもあって、「絶対に安全だから」というスタッフの言葉を信じて、長女と二人でケニアの難民キャンプの取材に行くことになります。

しかし、難民キャンプが絶対に安全だなんてことはあり得ません。案の定、ゲリラに襲われ銃撃戦が始まります。危険な雰囲気を早期に察知したスタッフが二人を連れだそうとしますが、娘だけを車に乗せて、ビノシュはカメラを片手に走り出してしまいます。「僕は君たちの安全の全責任を負っている。早く車に乗るんだ!」というスタッフの言葉にも耳を貸さず、「私の命は私が責任を負うわ。ともかく、娘を安全な所へ」、娘には「私は大丈夫だから、先に行って待っててちょうだい」と言って走り出してしまいます。

これはどうなんでしょうね。使命感に突き動かされる気持ちはわかりますが、泣きじゃくっている娘の気持ちは?なにかあったら責任を負わなければならないスタッフの気持ちは?その時はたまたま帰って来れたからいいけれど、そしてそのときの写真のおかげで国連の警備態勢が強化された、という副産物を産んだけれど、だからといって正義ヅラで「国連にこの写真を送るわね」と言って済むことか。

この出来事は夫には黙っていたけれど、長女はこの出来事を境にあまりものを言わなくなります。個人的には本気で怖かったんだと思います。長女はもう大きいから、母の仕事の意義も頭では理解しているんです。アフリカン・プロジェクトに参加するくらいですから。ただ、それが生身で自分の母となると、リアルすぎるんでしょうね。この娘には、「ママが死んじゃえばいいのに。そうしたら、みんなで悲しんで。それで終わりになるのに」とも言われます。これは核心を突いてますね。

そしてそのうち、娘のカメラに映っていた一連の動画から、ビノシュの行動が夫の知るところとなり、激怒した夫は妻を放り出します。「死臭がする」と言って。

どれだけ謝っても「君は、また行くさ」と言われ、もう元には戻りません。そのうち、彼女にも大きな仕事が舞い込むようになり、やっぱり戦場へと足が向いてしまいます。

しかし・・・ラストシーンは予想を裏切ります。同じように自爆テロを取材しているビノシュ。でも、今回、カーテンを開けてみると、それは年端の行かない少女だったのです。動揺した彼女はシャッターを切ることができません。「やめさせなきゃ、やめさせなきゃ」と小声でつぶやくだけで、よろめき、座りこみ、写真を撮ることはできないでいるのです・・・。

 

映画はここで終わります。それでどうなったかなど、わかりません。(まだ予告でしか見てないけれど)ブラッドリー・クーパーの「アメリカン・スナイパー」を思い出しました。悲惨すぎます。信仰の力の恐ろしさよ。

 

しかし、個人的には(あくまで私個人の価値観)、この「戦場カメラマン」という職業には疑問を持っています。あれほど悲惨な写真を撮って、それで世界は変わったでしょうか。よくなったでしょうか。映画では、ビノシュのおかげで難民キャンプの保安体制が強化されてました。しかし、それは標的や攻め方が変わるだけで、起きることは同じってことはないのでしょうか。また、宗教対立が及ぼす国家間の対立などは、写真が報道されたからといって緩解されたことがあるのでしょうか。

無知な私はそう思いました。それなら、家族の傍にいてあげる方がいいんじゃないかと。

 

 

コメント

メビウス(뫼비우스(英題/Moebius))

2014年12月29日 09時59分07秒 | 日記

 

 「嘆きのピエタ」でベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した鬼才キム・ギドクの監督作で、その狂気に満ちた過激すぎる内容から韓国で上映制限がかけられた問題作。韓国のとある上流家庭。夫の不倫に嫉妬心を燃えあがらせた妻は、夫の性器を切り落とそうとするが失敗し、自分の息子に矛先を変える。妻は夫と息子を残して家を飛びだし、性器を失った息子は生きる自信さえもなくしてしまう。息子への罪悪感に苦しむ父は、ある方法で解決策を見出し、息子と新たな関係を築いていく。ところがそこへ、行方をくらましていた妻が帰ってきて……。全編にわたってセリフを排し、「笑う」「泣く」「叫ぶ」の3つの感情要素だけで、人間の欲望や家族についての壮絶なドラマを描いていく。夫役に「悪い男」のチョ・ジェヒョン。(映画.comより)

 

 

 なんという映画を作るんだ!いくらキム・ギドクでも。ちょっと極端になりすぎているのではないでしょうか。過激だったらいいってもんでもないし、人間の本質をえぐったように見せればいいってもんでもない。もちろん、食欲・性欲や物欲など、人が持って生まれた欲と言うのはあると思う。でもここまで描かれて「人間の本質だ」と言われたくはない。極端すぎる。まぁ映画だからわかりやすくする必要はあるんだろうけれど。

セリフもいっさいなし。うめき声や言葉にならない発声だけで、きちんとしたセリフはありません。これについては前にも「うつせみ」だったかなんかで、一切話さない男性が登場してましたね。もっとも、あの作品では彼以外の人は話してましたけど。

今回、監督のこだわりでそういった表現になったのでしょうけれど、少し不自然さを感じました。まぁ内容から言って、セリフを付けたところで嘘っぽくなったのかもしれませんけれど。

今回の主人公たちは、わりと裕福な感じの家庭。母は充分若くて美しいのに、父は近所の雑貨屋の若い女(と思いこんで見ていたけれど、妻と二役の同じ女優さんだった!!)と公然と浮気をしています。お父さん、いけませんねぇ。息子にデートを目撃される(しかも「あ~ん」とかやってる)ばかりではなく、母にも息子にも見られるような駐車場で車内セックスするなんて。もう少し隠そうって意図はなかったのかな。息子、多感な時期なのに。

ともかく、嫉妬に狂った母が父の性器を切断しようとして失敗し、代わりにぐっすり眠っていた息子のそれを切断してしまう、しかも気付いた父がすぐ取り戻そうとしたら、あろうことか母がそれを飲み込んでしまう、そんな話の展開です。ひぇ~、飲み込むって・・・。

母はそのまま家を飛び出してしまいます。ここから、父と息子の人生との格闘が始まります。罪の意識に苛まれる父、トイレでうまく用が足せずに同級生たちに「それ」がないことがばれ、いじめに会う息子。

いじめられてる息子を見かけ、助けに入った父親にまで殴る蹴るの乱暴を加える同級生達って、何?出て来る人たちが皆(同級生だけでなく、街のチンピラや警察官まで)、息子のそんな状態をさらしものにして笑うのです。なんで?同情こそすれ、普通笑う?

とにかく、いい人(?)が一人も出て来ない。常識人というか。単に文化の違いかなぁ。

そして、父は贖罪のためか息子に移植させるためか、自分のを切除する手術を受けたり、「それ」がなくても快楽を得られる方法を見つけたり、あるいは終盤母親が帰って来たりと、次から次と予想できない展開が待ってます。

これでも日本で公開するにあたって、手を加えたらしいですね。で、やっとR18+で公開できたとか。むむむ・・・。当然韓国では事実上公開できないような条件がつけられているらしいです。

単に好みの問題とは思いますが、私は前作「嘆きのピエタ」の方が好きですね。この作品は、特に女性にはお勧めしません。心臓の弱い方はやめておきましょう(笑)。

コメント

シャトーブリアンからの手紙(La mer a l'aube)

2014年12月27日 17時32分16秒 | 日記

 ドイツの巨匠フォルカー・シュレンドルフが、第2次大戦時、ナチス占領下のフランスで、1人のドイツ人将校が暗殺されたことから、ヒトラーが150人のフランス人の銃殺を命じたという史実を映画化した人間ドラマ。1941年10月20日、ナチス占領下のフランスで1人のドイツ人将校が暗殺される。ヒトラーは報復として収容所のフランス人150人の銃殺を命令。過度な報復に危険を感じたパリ司令部のドイツ軍人たちは、なんとかヒトラーの命令を回避しようとするが、即日50人、さらに1日ごとに50人と3回にわけての刑執行にするのが精いっぱいだった。政治犯が多数収容されているシャトーブリアン郡のシュワゼル収容所では、銃殺されるフランス人のリストが作られていくが、その中には、映画館でドイツ占領に反対するビラをまいたために収容された、まだ17歳の少年ギィ・モケも含まれていた。ギィは、塀を隔てた女子収容所にいる同い年の少女オデットに恋をしていたが……。(映画.comより)

 

 

 「ブリキの太鼓」はその評判は耳にしながらも未見で、シュレンドルフ監督がどんな監督かもよく知らないままの鑑賞となってしまいました。

時は1941年。フランスはドイツの占領下に置かれています。そんな時代ですから、ドイツの占領に不快感を持つ若手分子もいるわけで、そんな若者の一人がナント(今は映画祭が行われていますね)でドイツ将校を暗殺します。個人的にその将校に恨みがあったわけではありません。将校であれば誰でもよかったのです。とにかく、なにかしたかったのでしょう。

しかし、殺されたのは将校。「ふぅぅぅん」では済みません。ヒトラーは報復として、収容所に収容されているフランス人を150人殺せと命じます。激高していた彼は「即日」とも言ったようですが、さすがにそれはできません。

この命令には、さすがにパリ司令部のドイツ軍人達も「いくらなんでも」「犯人はわかっていますし、処刑します」とベルリンにとりなしたようですがヒトラーは聞かず、またフランスの現地スタッフ(軍)も、普段はドイツ軍の命令に従ってはいますが、占領を快く思っていないのは当然で、あまりの命令に唖然とします。

そんなドイツ軍・フランス軍双方の取りなしで、「処刑リストを作るためには日数がかかる」とか「1日に50人ずつ3回に分けて処刑する」とか、なんだかんだと理由をつけて先延ばしにし、ヒトラーの機嫌が収まるのを待つのですが、いつまでもというわけにはいかなかったのです。

この映画は処刑された中でも、政治犯が収容されていた「シャトーブリアン郡ショワゼル収容所」が舞台になっています。政治犯と言っても、インテリなおじさんからビラを撒いただけの17歳の少年まで、雑多に放り込まれていて、みな考えはそれぞれでしょうが、「国家を転覆しよう」などと大それたことを抱いている輩はなく、隣の女子収容所の女の子を見染めたり、地域で徒競争をしたりと、暢気なものです。

と、そこへ降って湧いた処刑計画。政治犯ゆえ、矛先が向いたのです。この「シャトーブリアンからの手紙」というのは、最期の時を迎えるにあたって呼びだされた神父さんに、皆から渡された家族・友人への手紙のこと。たった17歳の少年や、今日釈放予定だった青年などを見るにつけ、現地の軍人達に「何に従って生きるのだ。命令の奴隷になるな」と呼びかけた神父さんの言葉が心に残ります。しかし、彼らとて、たった一人で偉大なるヒトラーやナチスに逆らえるはずもないのです。ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」、彼女がアイヒマンのことを「極悪人ではなく、凡人」と言ったのを思い出しました。

17歳の少年ギィ・モケは、その若さゆえ、戦後ナチ抵抗の悲劇の象徴となり、その名がパリの地下鉄の駅の名前にもなったそうです。ドイツにおける「白バラ抵抗運動」の「ゾフィー・ショル」になぞらえて「フランスのゾフィー・ショル」と呼ばれることもあるそうです。

この映画は、作家・思想家のエルンスト・ユンガー氏の回想録と、ノーベル文学賞作家ハインリヒ・ベル氏の小説、この二つから着想を得ているため、処刑された犠牲者たちだけではなく、その意に反して(「プライベート・ライアン」のアパム曹長のように)電話交換手だった(ドイツ軍)文系男子がいきなりこの地に放り込まれ、いきなり処刑を命じられ腰が砕けてしまう場面も挿入されます。

どの人もみな、善意を持った人間だった。完全な悪人はいなかった。しかし、それでもなお、虐殺は行われた・・・多分、監督が言いたかったのはそこだと、素人ながらに思います。

時代って、本当に恐ろしい。私達だって、時代が違えば、お国のために死ぬことが美しいと本気で思っていたかもしれない。先日学校で勉強していて爆撃されたかの国の子供達だって、時代が違えば、明るく校庭でスポーツに高じていただろう。

戦時中に、市民として勇気を発揮するのは難しい。ましてや軍人ならば。だからといって諦めてはいけなかったのだ、と言うことなのだろうけれど、翻って自分がそこにいたなら。こんな平和な時代でも、充分小市民な自分。決して人のことは責められないと思う。

コメント

ゴーン・ガール(GONE GIRL)

2014年12月24日 07時38分05秒 | 日記

(←おもしろい!)

 「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」の鬼才デビッド・フィンチャー監督が、ギリアン・フリンの全米ベストセラー小説を映画化。「アルゴ」のベン・アフレックを主演に、ロザムンド・パイク、ニール・パトリック・ハリスらが共演。幸福な夫婦生活を送っていたニックとエイミー。しかし、結婚5周年の記念日にエイミーが失踪し、自宅のキッチンから大量の血痕が発見される。警察はアリバイが不自然なニックに疑いをかけ捜査を進めるが、メディアが事件を取り上げたことで、ニックは全米から疑いの目を向けられることとなる。音楽を、「ソーシャル・ネットワーク」「ドラゴン・タトゥーの女」でもタッグを組んだインダストリアルバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」のトレント・レズナーと、同バンドのプロデューサーでもあるアティカス・ロスが共同で担当。(映画.comより)

 

 

 

 なんなんだ!デビット・フィンチャーだしさ、どれだけひねってある話かと期待してたんだけど・・・。わりと薄~い話でした。いや、確かによく練られた脚本だとは思うんだけど、突き詰めるところ、どうでもいい動機というか、どこかで見たような展開と言うか。

賢ぶったロザムンド・パイクも、飄々とした姿勢を崩さないベン・アフレックも、大したものだとは思うけれど、マスコミに簡単に誘導される大衆心理や出来過ぎた証拠、テレビによる印象合戦などは、すでに今までの映画で散々描かれて来たことだし、20年もの間、見返りも求めず尽くし続けてくれる異性がいるなど、およそ考えられない設定にもなってるし、どうなんだろうなぁ、って感じです。

ただ、中途までは「どうなってるんだろう」って、ぐんぐん引っ張って行ってくれます。半ば以降にタネあかしをしたあたりから、印象が変わって来ると思います。まだ幼い(?16歳)うちの娘は「すごいなぁ。頭ええんやなぁ」と、張り巡らされた罠と話の展開に感動した模様ですが、散々いろんな映画を見て来た上に、少々ヒネてる私には「ふぅぅぅぅん。そんなことするんかなぁ」と、主人公のとった行動に少し腑に落ちなさを感じます。

ともかく、かなり長い映画なので、水分を控えるなど心構えが必要なのと、「フィンチャーだからどんな斬新な展開が!」と過度に期待していると、少々肩透かしを喰らうかもです。

しかし、ベン・アフレックって、よくみるとなかなかの男前だし、体格だってがっちりしていて男らしいし背も高い。なのに、どうしてこんなに情けない系のやさ男がハマるのかな。不思議だねぇ~。

コメント   トラックバック (4)

インターステラー(Interstellar)

2014年12月21日 10時18分46秒 | 日記

 『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が放つSFドラマ。食糧不足や環境の変化によって人類滅亡が迫る中、それを回避するミッションに挑む男の姿を見つめていく。主演を務める『ダラス・バイヤーズクラブ』などのマシュー・マコノヒーを筆頭に、『レ・ミゼラブル』などのアン・ハサウェイ、『ゼロ・ダーク・サーティ』などのジェシカ・チャステインら演技派スターが結集する。深遠なテーマをはらんだ物語に加え、最先端VFXで壮大かつリアルに創造された宇宙空間の描写にも圧倒される。(シネマトゥデイより)

 

 

 さて、そろそろ新作です。ぼちぼちアップしていきますね。

地球が永遠に存続しないであろうことは、大方の人が予想していると思います。もちろん、楽観的な考えを否定するつもりはありませんが、昨今の異常気象などを見るにつけ、また異常気象などなくても、一部の国々における極端な年齢層の偏りなどを考えたとき、「人類はそのうち消滅してゆくのではないか」との危惧を個人的には持っています。

この映画の舞台もまさに、そんな未来。もう地球は滅びる寸前。子孫に残すべきものはもはやなく、なんとかして居住可能な惑星を見つけられないか、人類の目的はその一点に絞られています。

重力を計算する学者、存在するであろうワームホールやブラックホールをも考慮された宇宙計画、それにこっそり予算を割いて協力するNASA。そして、その計画のパイロットとして抜擢されたかつての名パイロット。彼は過去に予想不能なものに襲われた経験があったため、それが何であるかおおよそわかった現在、貴重な経験者として迎えられたのでした。もちろん、技術も一流であることは大前提です。

まるまる3時間の超大作。目に新しい映像は驚嘆の域だとは思いますが、小市民な私は、ワームホールだブラックホールだと言われても、具体的なことはなにも知らなくて、ましてやその概念を映像化されたものを見せられても「ふぅぅぅん」の域を超えないのでした。すみません。

重力が何であるかはわかっていても、だからどうというその先のことなど計算できない私は、とにかくこの映画に関しては「わ。ふぅぅぅぅぅん」と驚いていたのですが、ラストに至る時空(時間軸?)の展開には目が覚めました。「こうなるのかぁ~~~~」って感じです。しかも「あり得るかも」と思ってしまいました。なぜそう思うかと言う根拠は何もないのですが。

ともかく、ノーラン監督のことです。かなりきちんと計算され、あながちあり得ないことではないことを描いているのだろうと思うと、なんだか感慨深いものがあります。本当に地球はどうなってゆくのでしょうね。人類は、他の生き物たちは。人の英知が及ぶ範囲では収まらないでしょうが、それでも融和していけたら。

 

コメント   トラックバック (3)