田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ホビット 思いがけない冒険(the hobbit:an unexpected journey)

2012年12月30日 23時42分40秒 | 日記

 

 「ロード・オブ・ザ・リング」の前章となるJ・R・R・トールキン著「ホビットの冒険」を映画化した3部作の第1部。「ロード・オブ・ザ・リング」より60年前の中つ国(ミドル・アース)を舞台に、指輪の前所有者であるホビット族のビルボ・バギンズが繰り広げる冒険を描く。ドラゴンに支配されたエレボールのドワーフ王国の再建をかけ、旅へ出ることになったビルボは、戦士トーリン・オーケンシールドら13人のドワーフとともに、ゴブリン、オーク、巨大なクモなど危険が待ち受ける荒野を進む。やがて旅の途中でゴラムと出会ったビルボは、中つ国の運命と深く結びついた指輪を手に入れ……。若きビルボを演じるのは、英国の新鋭マーティン・フリーマン。ガンダルフ役のイアン・マッケラン、ゴラム役のアンディ・サーキスら「ロード・オブ・ザ・リング」でもおなじみのキャストが再登場。監督も「ロード・オブ・ザ・リング」3部作のピーター・ジャクソンが務める。(映画.comより)



 時間の都合で、日本語吹き替え版・2Dで見ました。普段あんまり吹き替えで見ることはないのですが、たまに見ると歌のところだけオリジナルのまま外国語であることも多く、そんなときは「不自然だなぁ」と感じてしまいます。

しかし、さすがに「ホビット」、それが重要なシーンだからか、みんなで「はなれ山の歌」を歌うシーンはちゃんと日本語に吹き替わってました。声優さんたちもご苦労様でした(笑)。

しかし、字幕だと読めばわかりますが、吹き替えだと聞こえづらいこともしばしばあり、ゴラムとのなぞなぞゲームもきちんと聞こえないところもありました。私の耳が悪いのかもしれませんが・・・。

それにしても、長い!長すぎる!もう少しシャープにできたのではないか、というのが正直なところです。

基本は「ドワーフが、ずっと前に奪われてしまった故郷を取り戻す」、そして「その冒険になぜか付き合わされてしまったホビット」それだけの話です。そこにいろんな種類の生き物やキャラが絡んできて、戦いが繰り広げられるのです。

見る方にわかりやすくするためか、基本的に主人公たちに敵対する生き物はみな醜悪で、味方となる生き物は美しい。ガラドリエルなどは言葉にできないほど美しい。

そして、魔法使いが付いているからか、主人公たちはどんな危機に陥っても必ず助けが現れ、ドワーフのプリンス(トーリン・オーケンシールド)などは、死んだかに見えたのですが、ガンダルフの魔法によって立ち上がります。

3部作だからか、この作品では指輪についてはほとんど語られません。でも、確かにビルボ・バギンズは指輪を手に入れました。だからなんなのかをまったく知らずに。

私は2Dで鑑賞したのですが、それでも映像の美しさは特筆すべきもので、長いお話の間じゅう、まるでCGショーを見ているようでした。

映画中に監督の愛が溢れています。このお話を本当に愛してるんでしょうね。

できれば、「2」「3」は、もう少し短く仕上げてほしいです。

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スカイフォール(007 in skyfall)

2012年12月28日 16時25分49秒 | 日記
 
 
 007シリーズ50周年記念、シリーズ第23作。MI6壊滅をもくろむ元MI6エージェントとボンドの壮絶な闘い!その裏には、ボンドの上司Mが封印していた過去が深くかかわっていた・・・。


 やっと感想アップです。実は「レ・ミゼラブル」と続けて鑑賞したのでした(少しハードだった・笑)。

元エージェントが裏切る、という筋書きは、過去にピアース・ブロスナンのときにもありましたよね。だから、「どうなんだろうなぁ・・・」とも思っていました。

この映画の悪役ハビエル・バルデムは、確かに凄い奴なんだろうけれど、才能がありすぎて「○カと天才紙一重」の世界なのか何なのか、ちょっと今までの悪役とはイメージが違いましたね。

このお話は、ハビエルの直接の上司が女性だから起きた事件で、これが男性だったらどんな結果になっていたのだろうと思います。

あれだけの秘密組織なのだから、才能あるかわいい部下であっても、切らなければ(見捨てなければ)ならないことはあるでしょう。そんなこと、叩き込まれているはずです。それなのに彼は、「ママはボクを捨てたんだ」とばかりに母の愛を求め続けます。

なまじ才覚があるだけに、悪いことをやろうと思えば完璧です。ありとあらゆるものをあやつります。

さすがのやり手、Mも追い詰められてゆきます。彼女だって、失った部下のことを忘れているはずはありませんし、今起きていることへの指示も出さねばなりません。

突然政府の役人(一応上司?レイフ・ファインズ)は訪ねてくるわ、政府の諮問委員会にはかけられるわ、申し開きはしなきゃならんわ、命は狙われるわ、散々です。

ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドも、一度は誤射で落ちてゆく(これは予告でも映してましたね)ものの、ちゃ~んと美人の現地女性に助けてもらって生き永らえています。

行くとこ、行くとこ美人に会える、というのも才能の一つでしょうか。運も才能のうちとはよく言いますし。

しかしながら、今回は年齢のことや「引退を考えてみたら」などと、ガンガン年寄り扱いされるボンドです。見ているこちらは少し戸惑いながら、内心「ガンバレ」などと思ってしまいます。

昨今、もっと年輩のアクションスターもがんばっているのに、あんまりボンドが年輩扱いされるので、切なくなりました。

それでも、我らがクレイグ・ボンドは負けません!どんなことだってこなし、上司であり母である(?)Mを守り抜くのです。


今回はボンド以外のキャステキングも素敵でした。個人的にイチオシなのが、やっぱりQ。黒縁めがねなんかかけちゃって、年齢よりも若く見えます。ボンドに「顔にニキビが」と言われても、「顔とは関係ありません」と返します。そりゃそうだ(笑)。
彼の「パフューム」も好きですが、「テンペスト」で演じていた天使も好きです~。つかみどころがなく、いつもふわふわ浮いていて、そのくせヘレン・ミレンの言いなりなんです。最高にハマってましたね。

あと、一応ボンドガール?のナオミ・ハリス。彼女ってこんなに魅力的だったっけ?と思うほどきれいでした。「パイレーツ・オブ・・・」の時とは比較になりませんね。やっぱり色男と共演しなきゃいけませんね(ジョニーでは役不足だったか?笑)。

あと、イギリスといえばレイフ・ファインズ。なんだか当たり前すぎて、ラストである展開を見せた時も「おもしろない」と思ってしまいました。順当過ぎる。

Mを「エマ」と呼ぶかわいいアルバート・フィニーも。いいなぁ、こういうおじさん。

私、実はスコットランドへ行ったことがあるのです。それで、かの風景に「そうだったなぁ」と思ってしまいました。都会のエジンバラだけでなく、ず~っと上の方まで周遊しましたから。

(それで思い出しましたが、そのときスコットランドの人が「鯉」のことを「コイ」とそのまま発音して、私思わず「それ、日本語」って言ったことがあるのですが、先日見た「砂漠でサーモンフィッシング」でも、ユアン・マクレガーが「コイcarp」と言ってましたね。)

あ、あと、関係ないですが、ハビエルがMと久しぶりに面会した時、「こんなに小柄だったか?」と言ったので、ドキっとしました。実は私も大変小柄な人間なのです(別に私に言ったわけではないのですが・・・笑)。

ともかく、ボンドのアクションはすごかったです。どこまでエスカレートするのかな。まだあと2作、なんだか少し怖い気もします。
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レ・ミゼラブル(les miserables)

2012年12月24日 18時36分16秒 | 日記

 

 格差と貧困にあえぐ民衆が自由を求めて立ちあがろうとしていた19世紀のフランス。ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、パンを盗んだ罪で19年間投獄され、仮釈放されたものの生活に行き詰まり、再び盗みを働く。しかし、その罪を見逃し赦してくれた司教の慈悲に触れ、身も心も生まれ変わろうと決意。マドレーヌと名前を変え、工場主として成功を収め、市長の地位に上り詰めたバルジャンだったが、警官のジャベール(ラッセル・クロウ)は彼を執拗に追いかけてくるのだった。そんな中、以前バルジャンの工場で働いていて、娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と知り合い、バルジャンは彼女の幼い娘コゼットの未来を託される。ところがある日、バルジャン逮捕の知らせを耳にした彼は、法廷で自分の正体を明かし再び追われることになり、ジャベールの追跡をかわしてパリへ逃亡。コゼットに限りない愛を注ぎ、父親として美しい娘に育てあげる。だが、パリの下町で革命を志す学生たちが蜂起する事件が勃発、バルジャンやコゼットも次第に激動の波に呑まれていく……。(movie.comより)



<ネタバレあり>



 幼い頃、家の本棚や学級文庫、図書室には「ああ無情」と題した本が必ずあり、なにか読まなければならないような雰囲気を放ってました。実際、みんな読んでましたし、親も「読んでて当然」みたいな口ぶりでした。

それで、子供心にも「ヒドいなぁ・・・パンひときれでなんで19年?」などと思いながら、ジャンが懐中時計だと思って口に含んでいたものが、ただの石ころだったとか、そんなしょーもない場面だけをクリアに覚えてたりして、ともかく「ミゼブル」という単語が「みじめな」を意味するんだと覚えたのも、この作品のおかげでした。(それを悟ったのはずっと後でしたが。)

映画は何年も前のジャン=ポール・ベルモンド版を見て、長かったけれど秀作だったのを覚えています。ジャン=ポールがハンサムじゃないんですね、そこがまたよかった(笑)。

で、今回の映画です。私、今まで知らなかったのですが、この作品でジャン・バルジャンはシャベール警部に「窃盗の罪は5年。後は脱獄の刑期だ」と言われてましたね。そうだったのですね!無知をさらしてすみません。
しかし、ということは、パンひときれで19年も服役したのではなく、ある程度は自業自得だった、ということになりますよね。

もちろん、いろいろ理由はあったでしょうが、5年我慢してれば逃げ回らずに済んだ、ということです。まぁ脱獄するときはだれしも、もう逃げ切るつもりでしますからね、5年よりましだと思ってするんでしょうけど。

そして司祭様による魂の救済。なかなかこんなことは言えません。この司祭様は本当に偉かったのですね。

あと、話が戻って申し訳ないのですが、冒頭「フランス革命から26年。世は再び王政に戻っていた」と出て、民衆が苦しんでいる様子が映しだされます。

あれだけの革命を起こしたのに!王族はギロチン系に処されたのに!たった26年でこんなに混乱してしまっていたなんて、マリー・アントワネットも浮かばれませんね。(違うのかな。物語の中だけのことかな。実際はそうでもなかったのかな。)

なんだか、歳取ってから同じ作品を見て、驚くこと多数でした。今まで自分がいかに基本を把握せずに見ていたか、ということなんですが・・・。

そしてそして、さらに驚くことに、心を入れ替えたジャン・バルジャンは、たった8年(9年だったかな)で財をなし、工場を経営し、市長にまでなっているのです。(すごいですねぇ。物語なんだから、そんなことを言っていたら始まらないけれど、すごすぎる)

そして、あまりの貧困に衰弱死してしまったファンテーヌに代わって、娘コゼットを引きとり、育てます。コゼットの面倒をそれまで見ていた悪徳宿屋の夫婦はしかし、最後の最後まで一緒に出て来ます。夫婦仲はいいんだなぁ、と感心しました。

美しく成長したコゼットはやがて革命を志す青年と恋に落ちます。でも、成功しないとわかっていても、若者たちは理想に燃え、殉死することが美しいと錯覚し、突撃してゆきます。

シャベール警部も一度は若者たちに捕まるもジャン・バルジャンに救い出され、その後も任務は任務と遂行するも、やはり最後にはジャンを捕えることはできません。そんな自分に絶望した警部は、あろうことか川に身を投げ・・・(えぇっ!そ、そんな)

瀕死の重傷だったコゼットの恋人は、ジャンの必死の救出により一命を取り留めます。そして幸せになる二人。役目が終わったジャン・バルジャンには、フォンテーヌの迎えが来ます。

こんな素敵なお迎えがあって旅立てれば理想ですね。私も是非、そうあって欲しいです。

歌は皆さん、とっても上手です。さすが、一流と呼ばれる俳優さんたちは、なんでもできるのですね。どの人も本当に上手です。

映像もさすがの迫力です。これは、一つの時代を象徴する映画でしょうね。

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菖蒲(tatarak)

2012年12月23日 18時44分17秒 | 日記

 

 「世代」(1954)、「地下水道」(56)、「灰とダイヤモンド」(57)の抵抗3部作や「カティンの森」(2007)で知られるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、同国の作家ヤロスワフ・イバシュキェビチによる短編小説を映画化した文芸ドラマ。ポーランドの小さな町に暮らすマルタは、医師の夫と長年連れ添っていたが、ワルシャワ蜂起で息子を亡くして以来、夫婦の間には距離が生まれていた。夫は自身の診察で妻が不治の病にかかっていることを知るが、そのことを妻に言い出せず時間が過ぎていく。亡き息子への罪の意識が消えないマルタは、ある日、息子が亡くなった時と同世代の20歳の青年ボグシと出会い、ひかれていく。ボグシを誘って河辺で逢引していたマルタだったが、ボグシが菖蒲の根に足をとられて溺死してしまい……。(映画.comより)



 アンジェイ・ワイダの作品も久しぶりです。一番最近では「カティンの森」でしょうか。でも若い頃はよく見ました。「聖週間」「ヴィルコの娘たち」「灰と・・・」などなど。しかし、今ちょっと調べると製作年が随分前なんですね、思っていたよりも。私はなにかの特集上映で見たのかもしれません。あるいは日本に来るのがものすごく遅かったのか(笑)。まぁ、いいです。

今回の映画は、製作途中に予定が変わったのだそうです。主演の女優さんのご主人であり、監督の長くにわたって盟友であった撮影監督が、不治の病であることが判明し、彼の病状や治療に合わせて撮影スタイルを変更していたらしいのですが、その努力もむなしく、製作半ばで亡くなってしまったらしいのです。

そこで、この映画は「ヤンダ(主演女優)が夫と過ごした日々を語るシーン」「原作を基にした”菖蒲”の物語」そして「ワイダ監督も登場する撮影現場が映し出されるシーン」の三重構造になってます。


 物語の中では、ヤンダが不治の病をわずらっており、医者である夫は深刻な病状を伝えることができずにいます。彼らには二人の息子がいたのですが、ワルシャワ蜂起で二人共を失ってしまっており、どことなく冷たい空気が漂う家庭となってしまっています。

その一方、場面が変わると、ヤンダは自分の夫の死ぬまでを詳細に独白し続けます。

そして、「菖蒲」の撮影場面。ほとばしるような「生」を感じさせる若い青年ボグシに魅せられたヤンダは、彼と川でのデートを約束し、早めについて彼を待ちます。

しかし、彼は若い女性とお話ししながらやって来るのが見え、思わず我に返ったヤンダは帰ろうとします。が、彼に見つかり、「どうしたの」と声をかけられ、帰るに帰れなくなってしまい、結局デートします。彼女は送って行っただけなんだそうです。

さて「もうすぐお祭りだから菖蒲の葉を集めるのよ」とヤンダ。川に潜って葉を集めてくるボグシ。「後で怠け者と言われるのはイヤだからね。もっと取って来るよ」と言ってもう一度潜ったボグシはしかし、上がって来ません。

取り乱すヤンダ。それは映画の撮影とわかっているはずなのに、主人の死と重なってしまったのでしょうか、撮影スタッフの制止を振り切って走り去ってしまいます。ワイダ監督も驚いています。

水着のままタクシーを拾うヤンダ。ガタガタ震えています。

見ている方も、ここで映画と現実が混ざるわけですが、わかりやすいのできちんと理解できます。

さて、映画「菖蒲」に戻ります。ヤンダはきちんとお芝居をこなし、友人たちに引き上げられた、息のないボグシを抱きしめて嗚咽します。「どうして、どうして・・・」と。

映画の半ばで、医師であるヤンダの夫が「忘れているようだね。生はとても簡単に死に転じる」と述べる場面があるのですが、これがテーマなのでしょう。ワイダ監督、86歳。さすがです。

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ミラクル・ツインズ(the power of two)

2012年12月22日 23時53分38秒 | 日記

肺の難病「嚢胞性線維症」をもって生まれてきた日系アメリカ人の双子の姉妹、アナベルとイサベルの軌跡を追ったドキュメンタリー。監督は、2度のアカデミー賞ノミネートの経歴を持つマーク・スモロウィッツ。1972年、アナベルとイサベルは、ドイツ人の父、日本人の母のもと、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。だが生後3日にして、遺伝性難病(嚢胞性線維症=CF)と判明、幼少期、思春期を通し、生きるために胸を叩くなどの苦しいセラピーを日課とし、入退院、呼吸困難、肺の感染症を繰り返しながらお互いを支えて大人になった。スタンフォード大学卒業後、アナベルは、スタンフォード大学病院で遺伝カウンセラーとして、イサベルは同病院でソーシャルワーカーとして勤務する。しかし、ついに肺の機能が低下、二人を救ったのは臓器移植による新しい肺だった。それは呼吸する力(=生きる力)を二人に与え、不可能だった登山や水泳などのスポーツを可能にする。やがて自分たちの病気のこと、そして臓器移植の必要性を多くの人に伝えるため自ら支援活動を開始、人々に勇気と希望を与えていくのだった……。(goo映画より)


 この病気の90%は白人に起きるのだそうです。私たちに縁が薄い所以ですね。
ともかくつらい毎日、「前向きになれる映画を見よう」と、これを選んではるばる行って来たのですが、冒頭主人公たちが日系の女性だったので驚きました。小さい頃からろくに学校へも通えずに入院生活を送る彼女たちに、最初は同情を禁じ得ませんでした。
しかし、いつも一緒(もちろん病気も一緒)の双子ちゃんは、どんなときも二人一緒で、しかも双方聡明。そのため、入院生活やその時々の処置・お薬、そういったもの一切をイラスト入りの綺麗なメモにまとめ上げ、出版されるまでにもなります。

優しく前向きな母や支えてくれた仲間たち、みんな前向きで明るいのです。
死んでいった患者仲間のことは忘れないけれど、この映画の主人公たちはギリギリになった時は幸運にも脳死からの移植を受けることができ、二人とも元気になります。

アメリカではドナーの家族と交流することも認められていて、臓器をもらった家族さんにも積極的に会いに行きます。日本と死生観が違うので、単純な比較はできないのですが、アメリカではドナーの家族は大変尊敬されていて、その家族を称えるパレードがあるほどです。(実際のパレードの映像も流れます)

ちょっと日本では考えられないと思うのですが、それだけ臓器移植が多く行われているということですね。

ともかく、彼女たちはあちこちからの講演依頼が引きも切らず、また本人たちも「移植者の運動会」や様々な交流イベントに積極的に顔を出し、移植推進をアピールしているのです。

もちろん、死人が出るのを待って移植してもらうのですから、葛藤がないわけではありません。でも、ある人が言います。「彼らは移植が原因で死んだのではない。死んだから移植したのだ」と。

一見前向きで明るい彼女たちですが、いったん講演のための旅行カバンをあけると、そこには山のような薬が・・・。なんだか胸が詰まります。

「胸一杯に空気を吸う」そんな当たり前のことができることに感謝。そう言う、彼女たちの言葉には重みがあります。

しかし、あまりに元気で前向きな姿を多く映しているので、伝えたいメッセージはわかるのですが、深刻さが少し薄れてしまっているような気もします。もちろん、頭ではわかっていますし、映画自体を短くまとめてあるせいもあって駆け足になってしまっているところもあると思うのですが。

移植における日米の価値観の違いを描くくだりは、さもありなんと納得することばかりでした。日本からは河野洋平さんの息子さんが出られてました。そういえば、お父さんにご自分の肝臓の一部を提供された、と聞いたなぁと思い出しました。
こればっかりは昔からの宗教観もありますし、一朝一夕には変わらないでしょうね。

彼女たちが日本に長く滞在し、移植者の運動会に参加したり香川大学で講演したりした・・・ということは本当に知りませんでした。もっと大きくメデイアが取り上げてもよかったんじゃないかと思いますね。

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