現代のインドで、安全で安価な生理用品の普及に奔走した男の実話を映画化したヒューマンドラマ。インドの小さな村で最愛の妻と新婚生活を送るラクシュミは、貧しくて生理用品が買えず不衛生な布を使用している妻のため、清潔で安価なナプキンを手作りすることに。生理用品の研究とリサーチに明け暮れるラクシュミは、村人たちから奇異な目を向けられ、数々の誤解や困難に直面する。そんな彼の熱意に賛同した女性パリーの協力もあり、ついに低コストで大量生産できる製造機の発明に成功。農村の女性たちに、ナプキンだけでなく、その製造機を使って働く機械も与えようと奮闘するラクシュミだったが……。主演は「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」のアクシャイ・クマール。共演に「ミルカ」のソーナム・カプール。(映画.comより)
<2019年10月14日 netflix鑑賞>
現在の私たちは、生理の時はちゃんとナプキンをつけないと下着が汚れることくらい知ってるし、それは月一で来るものであって、将来妊娠することも含め、女性であればあって当然と認識できています。もちろん、インドの人々もそういう事実は知っていただろうと思うのです。ただそれを「穢れの時」とか言って、生理中の女性は家の中で眠れずに外で寝る、とか、学校も休まなければならないとか、啞然とするような事実がいくつも描かれます。きちんとしたナプキンがないと、布団が汚れるとか、学校を汚すとか、それなりに理由はあるのだろうと思いますが、例えば劇中、女の子がいるお父さんが「成績も優秀だったのに、毎月一週間も学校を休み、勉学に後れを取るのは理不尽だと思っていた」と述べるシーンがあります。当たり前です。月の1/4をいつも休んでいたら、勉強にも支障が出るでしょう。サイクルがもっと短い女性もいたかもしれません。その家の跡取りを産むのも女性なのに、「穢れている」と言われて外で寝るなんて。
ともかく、この映画の主人公(演じるのは我らがアッキー)は、愛する妻が理不尽な扱いを受けているのが我慢できず、「なんらかの方法があるはずだ」と一発奮起し、研究に研究を重ねる物語です。なかなかの家柄だったアッキーは、男のくせにあるまじき研究を始めたということで、親兄弟から総スカンをくらいます。妻の父親には「家柄も教育もある男がなんという体たらくだ。こんなことなら娘を嫁になどやらなかった」と怒鳴られ、普段肩身の狭い思いをしているはずの姉妹にまで「なんということを聞くの」と逃げられ、協力者さえ見つかりません。アッキーは姉妹に言います。「君たちはちゃんと教育も受けたじゃないか。なんでこれが理不尽だと思わないんだ」と。でも、女性たちは逃げ惑うばかりです。文化的なバックグラウンドって、体に染みついていますからね、きちんとした家柄なら余計にそこから外れることはないのでしょうね。
アッキーは、失敗を重ねながらも、信じられない粘り強さで製品を作り続けます。どんなにバカにされてもあきらめません。結構キツい展開でした。私なら、こんな粘り強さはないでしょう。どこかで折れてしまっています。大したものです。
結論から言うと、モノになり始めると、将来の市場になり得るということで、協力してくれる企業が出てきます。また少しでも女性に還元したいということで、売り上げに応じて収入を得るシステムを作り、働いて現金収入を得たい女性たちを誘って”女性がアドバイスして女性に売る”というネットワークを築き上げます。これが功を奏するのです。よかった!
ところで、劇中、生理が始まった少女が、お祝いの山車みたいなものと共に街中をパレードするシーンがあって、つまり”女になった”ということを皆に派手に知らしめる習慣があるようなのです。それなのに「穢れている」と言われ続けるということに、少なからず違和感を感じたのでした。
日本でも、最近「コロナなどで生理用品を買えない女性たちを助けよう」みたいな運動が始まっていますよね。確かに若い頃から「高いなぁ」と思い続けていました。必ず消費してしまうし、学生だろうが何だろうが、高い物って親はさっさと買ってくれなくなるし。どんなに品質が悪くてかゆみやにおいが出ても、安物を買うしかなくなるし、確かに切実でした。今はそんなに質の悪いものはないのでしょうけど。
話が広がってしまいました。ともかく、切実で少し重い映画です。疲れているときは避けた方がいいかも。