田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

それだけが、僕の世界(그것만이 내 세상)

2019年03月29日 16時33分04秒 | 日記

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 イ・ビョンホン主演で、落ちぶれた元プロボクサーの兄と天才的なピアノの腕を持つサバン症候群の弟が織り成す兄弟の絆を描いたヒューマンドラマ。ボクサーとしてかつてはアジアチャンピオンにまで上り詰めたが、40歳を過ぎたいまは落ちぶれ、その日暮らしをしているジョハ。幼い頃から両親と離れ、孤独の中で拳を頼りに生きてきたジョハだったが、ある日、17年ぶりに別れた母と再会。サバン症候群の弟ジンテの存在を初めて知る。天才的なピアノの腕を持つジンテがコンテストに出られるよう、面倒を見てやってほしいと母から頼まれたジョハは、弟の面倒を見始めるのだが……。イ・ビョンホンが、寡黙で粗暴だが人情に厚い兄ジョハを演じた。弟ジンテ役は「太陽を撃て」のパク・ジョンミン。「王の涙 イ・サンの決断」の脚本家チェ・ソンヒョンが、自ら執筆した脚本でメガホンをとり、初監督を務めた。「国際市場で逢いましょう」の監督ユン・ジェギュンが製作を担当。(映画.comより)

 

 

 

 

 イ・ビョンホンの映画がこんな田舎で上映されてる!都会でも上映館は少ないだろうに。発見した時の驚きは相当なものでした(笑)。これは行かなければ!

 ビョンホンの映画は久しぶりです。前回の作品が何だったかを思い出せないくらい。今回製作に回っているユン・ジェギュンの「国際市場で逢いましょう」は、涙が止まらないくらい感動したのを覚えています。ちょっと期待。

 難しいですねぇ、本当に。たった一人で生きてきた元プロボクサーのビョンホンは、ふいに長年音信不通の母親と再会。一時は無敵だった彼も人生に行き詰っていたこともあり、母親宅に転がり込みます。そしてそこにはサヴァン症候群の弟がいたのです。弟の存在なんて知らなかった兄。サヴァン症候群がなんなのかも知りません。ただ、普通ではないようです。一生懸命弟の面倒を見ている母を見て、複雑な気持ちです。

 

<ここから少しネタバレ>

 母親は父から壮絶なDVを受けていました。ビョンホンだって殴られていたし、目の前で母がボコボコに殴られているのをただ泣きながら見ているしかなかった幼少期。母は裸足で家から逃げだし、川に身投げしようとしたところを通りがかりの人に止められ、そのまま家には帰りませんでした。その時に妊娠していたのでしょうか、あるいはその後別の人と再婚でもしたのでしょうか。お腹は出てなかったのですが、その辺は説明されません。その後、父と二人暮らしとなり、そのうち父が逮捕されたビョンホンは、とてもつらい人生を歩んできました。幼いのにたった一人、いつしかボクサーとなったのです。愛されることを知らずに大きくなったビョンホンは、引き際がわからず、いつも相手を殴りすぎてしまうので、問題も多く、強くて一目置かれているのにも関わらず、結局行き詰っているのです。

 <ネタバレ終わり>

 

 さて、母には「どうして一度も迎えに来てくれなかったのか」と、複雑な思いも持っています。母もつらかったのはわかっているため何も言えませんが、それでも自分一人が残されて、その後どうなるのかは想像できたはずだ、とも思っています。そんななか、手のかかる弟を必死で守っている母親。母は弟を守る意識が強すぎて、兄弟一緒に出掛けた際に弟がなにか問題を起こしても「お前がついてて何をしてるんだい」とか、弟のTシャツがあまりにボロだからと買って帰っても「自分の服を買いたいがために目を離したのか!」と、せっかく3人の生活になじみかけたビョンホンを責めてばかりです。つらいですねぇ。大の男は今更母親に甘えるのは難しい。障害児を守らなければならないのは当然ですが”普通なんだからできて当然”みたいに言われてばかりだとね、「俺だって相当つらかったんだ」ってなっちゃいますよね。弟に罪はないけれど。このへんは胸が痛かったです。

 サヴァン症候群の弟には、ピアノを弾くという才能がありました。楽譜を全然読めなくても、聞いただけで弾いてしまえるんですね、絶対音感っていうのでしょうか。中でも、大好きな女性ピアニストの曲は、すべて空で引けるようです。このピアニストのお話も絡んできます。

 ビョンホンの暴力父親は、今は刑務所に入っていますが、すべてに対して覚悟を決め、前に進むと決心したビョンホンは、一度だけ父に面会に行きます。しかし、父は変わっていませんでした。「ここを出たら、お前をまた殴ってやるからな」「あの、頭のおかしい弟だろ」・・・涙を浮かべながら「そんな言い方するな」と言い返すビョンホン。アホな父親ですねぇ、自分は歳を取ってるんだから、ボクシングのチャンピオンにかなうわけないじゃないですか。頭悪いんじゃないだろうか。

 ともかく、映画はいろんなことがありながらも、前向きに収束してゆきます。話はありきたりなはずなんだけれど、やっぱりホロっと感動してしまいました。人っていいな、月並みだけれど、そう思わせてくれる映画でした。リー・リンチェイの「海洋天堂」を少し想起しました。

 

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ミスター・ガラス(Glass)

2019年03月19日 16時05分36秒 | 日記

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 M・ナイト・シャマラン監督がブルース・ウィリス&サミュエル・L・ジャクソン共演で送り出した「アンブレイカブル」のその後を描いたサスペンススリラー。同じくシャマラン監督作でジェームズ・マカボイ主演の「スプリット」とも世界観を共有する。フィラデルフィアのとある施設に、それぞれ特殊な能力を持つ3人の男が集められる。不死身の肉体と悪を感知する力を持つデヴィッド、24人もの人格を持つ多重人格者ケヴィン、驚くべきIQの高さと生涯で94回も骨折した壊れやすい肉体を持つミスター・ガラス。彼らの共通点は、自分が人間を超える存在だと信じていること。精神科医ステイプルは、すべて彼らの妄想であることを証明するべく、禁断の研究に手を染めるが……。「アンブレイカブル」でデヴィッドを演じたウィリス、ミスター・ガラスを演じたジャクソン、「スプリット」でケヴィンを演じたマカボイが同役を続投。(映画.comより)

 

 

 

 

 出た!シャマラン・ワールド真骨頂!これだけのことを最初からぜ~んぶ考えて撮ったのかな。すごい才能だな。すごすぎる。私は、最初「シックスセンス」と「アンブレイカブル」が同じ世界なのかと思っていました。「アンブレイカブル」を見た後も、なんとなくシリーズものを見た気でいました。たとえば、「シックスセンス」をよ~く見ると、どこかにサミュエル・l・ジャクソンがいるとか。でも、その後の様子(?)を見ていると、どうも違うみたいですね。個人的には、「シックスセンス」の衝撃の結末と、「アンブレイカブル」のサミュエルの髪型が一番印象に残っています。

 「スプリット」が来たときは、すごく前だけど、フランス映画「迷宮の女」を髣髴させ、「似たような話かぁ」と二の足を踏んでしまいました。そんないきさつで、これを飛ばしたまま「ミスター・ガラス」を鑑賞しました(その後wowowで「スプリット」鑑賞)。でもなぁ・・・。

 やっぱ日本人とだいぶ価値観が違いますよね。宗教的な背景が違うからかな。シャマラン監督の独特な超常感っていうか、日本で普通に暮らしていたら「そんなはず、ないだろ!」的な価値観が受け入れられるかどうかですよね、映画を楽しむには。でもまぁ自分は凡人なので知らないだけで、実は世の中にはいろんなもの(コト)を信奉する団体が結構存在するのかもしれませんね、資金力を伴って。たとえそれが”スーパーヒーロー”であっても。

 ブルース・ウィリス似のキャラだと、これも古い記憶なのですが「フェアレス」というジェフ・ブリッジスの映画があったと思うのです。彼も飛行機事故で無傷で生き残ったがために、自分は特殊な才能があると信じ込む男で、こちらはもう少しリアルな話だったと思います。ただ、人間は「俺は死なない。特別なんだ」と信じ込むと、本当に強くなるような描写もあって、いわゆる「運を引き寄せる」と言うことなのか、超然としていると本当に助かったりしたと記憶してます。あと、多重人格者を実際に見たことはないのですが、マカヴォイの演ずる通り、モンスターの人格になった時には本当に”バカちから”になったり、飛躍的な身体能力を伴ったりすることはあるような気がします。いや、見たことないですけどね。

 ともかく、あまりに突飛な話なので、個人的には引いて見てました。映画なんだから楽しむべきなんだろうけれど。あるいは、そう突飛でもないお話なのか。ちなみに、後から見た「スプリット」、マカヴォイの素晴らしい演技は特筆に値しますが、話自体は微妙な感じだと思いました。ありがちというか、設定が安易というか。

 しかし、このシリーズ(?)、続くのでしょうか。

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ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)

2019年03月16日 17時59分27秒 | 日記

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 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの現メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーを描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレックがフレディを熱演。「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガーがメガホンをとったものの完成前に降板するなど製作トラブルも伝えられたが、公開されると世界中で観客に受け入れられ、日本でも2018年公開映画でトップとなる興行収入100億円を突破。社会現象とも呼べる大ヒットとなった。第76回ゴールデングローブ賞では最優秀作品賞(ドラマ部門)、最優秀男優賞(ドラマ部門)を受賞。第91回アカデミー賞でも作品賞を含む5部門にノミネートされ、主演男優賞ほか4部門を受賞した。(映画.comより)

 

 

 

 

 私、クイーンを聞いて育ってません。それで最初は「見てもわからない」と思い、無視していました。でも、あんまり評判が良くて、信じられないほどのロングラン、また「クイーンを知らない人でも感動する」などの記事を読んで、気持ちが変わりました。ずっと見やすい時間帯で上映されてましたし。いや、見てよかった!クイーンを全然知らない私でも、聞き覚えのある曲がいくつかありましたし、ドラマ自体も見ごたえがあり、役者さんたちもすごくよかった。主演男優賞を受賞したラミ・マレックも、すごい熱の入りようでしたね。本人かと思いました。実は体の大きさなど、結構違うんですってね。信じられない。感動しました。

 才能のある人は、凡人と違い多難です。でも、それゆえの天才ですから仕方がありませんね。人生のすべてのお話に心動かされました。リアルタイムでクライマックスのチャリティコンサートを知っている人は、涙が止まらなかったのではないでしょうか。私はクイーンの軌跡を知りませんし、このコンサートももちろん知りませんでした。でも、映画を見ていただけでもこみ上げる感動、そしてその楽曲に「あぁ、よく聞いていればよかった。一つの世界を知らずに大きくなって、一つ損をしたんだな」と思いました。クイーンを聞いて育っていれば、必ずもう一度見たでしょう。

 よくこれだけの映画を作ったものです。才能ある人って、あらゆる方面にいるんですねぇ。

 

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クリード 炎の宿敵(Creed II)

2019年03月16日 16時48分03秒 | 日記

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 「ロッキー」シリーズを新たな主人公アドニスの物語として復活させ、世界中で好評を博した「クリード チャンプを継ぐ男」の続編。「ロッキー4 炎の友情」で、アドニスの父であり、ロッキーの盟友だったアポロ・クリードを葬ったイワン・ドラコの息子ヴィクターが登場し、アドニスが因縁の対決に挑む姿を描く。ロッキーの指導の下、世界チャンピオンに上り詰めたアドニスは、かつて父アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターと対戦することになる。ヴィクターの反則行為により試合には勝利したものの、納得のいく勝利を飾ることができなかったアドニスは、心身ともに不調に陥ってしまう。やがて婚約者のビアンカが出産して父親になったアドニスは、ロッキーから父親という存在の大切さを諭され、しばらく一線から遠のくことに。しかし、「ボクシングこそが自分そのもの」と気づいたアドニスは、ヴィクターとの再戦を決意する。前作から続いてアドニス役をマイケル・B・ジョーダン、ロッキー役をシルベスター・スタローンが演じ、スタローンは脚本も担当。「ロッキー4」でイワン・ドラコを演じたドルフ・ラングレンも同役で出演。監督は新鋭スティーブン・ケイプル・Jr.が務めた。(映画.comより)

 

 

 

 

 見た順にきちんと書いているんだけれど、今さら感がひときわ大きい映画。あれ~書いてなかったっけ?と思いました。正直に言います。この作品の主演はドラゴとその息子です。マイケル・ジョーダン演じるアドニスの影の薄かったこと。同じような話の展開、みるみる強くなるアドニスなど、見飽きたシーンの繰り返しに、ロッキーは渋くてカッコいいけれど、やっぱり食傷気味になりました。人里離れたロシア(?)の田舎で鍛えられているアドニスが、次のシーンでムキムキで走っているのを見て、つい「あ~彼はファンタスティック・フォーだもんな」と思ってしまいました(笑)。

 ボクシングはスポーツなんですから、勝つことも負けることもあって当然です。それなのに、ドラゴはロシアで負け犬として徹底的に排除されています。妻にも逃げられ、息子を男手一つで育てているドラゴは、息子ヴィクターには勝つことのみを教えてきました。「弱いから負けるんだ。勝てばいいんだ。俺は負けたからこんな目に遭った」と。「負け犬だから、おまえのかあさんを失ったんだ」と。

 ヴィクターは、大きく、強い男になります。そしてロシア国内での試合では、相手がいないほど強いファイターとなり、アドニスとの試合に打って出るのです。ちょうど家庭を持ったアドニスは、危険を承知でそれを受けて立ち、反対するロッキーと一度は袂を分かちますが、やっぱり一緒に戦うことになります。対するヴィクターは、強い時だけすり寄っておべっかを言う権力者たち(そして金持ちと再婚して同じようにふるまう母)に反発し「父さんはどうして平気なんだ」とドラゴに詰め寄りますが、「強いからこそ得るものがあるのだ」などと諭されてアドニスとの試合に臨みます。

 話の展開は同じです。最初はヴィクターのほうが有利に展開していました。しかし、長引く試合に疲弊し始め(ロシアではそんな長丁場は経験しなかった)、だんだんロッキー側が有利に。派手に着飾り、特等席で男と一緒に観覧していた母は、負けが濃厚になった時点でさっさと帰ってしまいます。思わず咆哮するヴィクター。目には涙(だったと思う)。「立て、勝つんだ。立て」の一点張りだったドラゴも、ボロボロになった息子の姿に、思わず次の行動に出ます。ロッキーと同じ後悔をしないように。

 かわいそうなヴィクター。なんなんですか、この薄情な母親は。演じるはなんと本人ブリジット・ニールセン。よく担ぎ出しましたね。女優やってたのかな。男の子にとって、母親は絶対の存在。それは母親にとっても同じのはず。それなのにこの仕打ち。個人的に涙が出ました。母の愛を知っていれば、この子はこんなことにはならなかっただろうに。しかしラストでは、勝利だけが人生ではないと悟ったドラゴが、息子と一緒にランニングする姿が。あぁ、希望のあるエンディングでよかった。気が付けば、ドラゴ父子の話だけが心に残っていたのでした。マイケル・ジョーダン、いたっけ?

 このシリーズは最初から3部作かなぁ。もう、終わりにするのかな。私は、もういいと思います。今度はドラゴのスピンオフ作品でも作るのかしらん、そう思った作品でした。

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チャンス(Being There)

2019年03月10日 17時52分16秒 | 日記

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 ワシントン郊外。主人が亡くなり、行き場のなくなった中年の庭師チャンスは町をさまようことに。彼は屋敷の外を知らず、草花をいじり続け、テレビだけを楽しみに生きてきた男だった。やがてチャンスは政治をも左右する財界の大物ベンジャミンと知り合う。無垢な心を持つチャンスはベンジャミンや彼の妻といった人々を次々と虜にしていくが……。天真爛漫な庭師を通じ、社会を風刺したコメディ。ピーター・セラーズが名演を見せる。(映画.comより)

<午前10時の映画祭>

 

 

 

 久しぶりに行ってきました、午前10時の映画祭。この映画は、評判を聞いてビデオ(!)に録画したはいいけれど、未見のままここまで来てしまった作品。ピーター・セラーズは「ピンクパンサー」もちゃんとは見てないけれど、イメージとしてはコメディな感じ。

 しかし、この映画の彼はとてもシリアス。たぶん生まれつき知能遅れ。お金持ちのご主人様に(子供のころ)どこかで拾われたか、あるいは名もないような使用人とかの不義の子だったか。ともかく、日本でいうところの出生届や戸籍みたいなものを全く持たず、大きな屋敷の敷地内から出ることもなく過ごしてきた庭師なのです。同じ使用人仲間はいたけれど、たぶんまともな会話は成り立たない。素直な人だから、それなりにかわいがってもらっただろうけれど、今回はご主人様が亡くなってしまいました。家族はいなかったのですね、屋敷は閉鎖となり、使用人たちはみな解雇となりました。テレビだけが友達だったチャンス(ピーター・セラーズ)は、行き場に迷います。初めて見る外の世界。彼が外に出た時の戸惑いは、大音量の音楽とせわしなく動く画面描写で表されます。

 しかしながら、個人的にはこの場面がとてもうるさかった。監督の意図するところはわかるんだけれど、音楽うるさすぎ。頭が割れるかと思いました。そして、道にふらっと出たところをシャーリー・マクレーン演じる貴婦人の車と接触するのです。慌てた奥様は、自宅に常駐(!)する医師に診察させるべく、彼を連れ帰ります。その道中、奥様に名を聞かれて「チャンス。庭師です」と答えた彼がむせたがゆえに、奥様は「チャンシー・ガードナー」と聞き違え、それ以来「チャンシー」と呼ばれるようになるのです。社会に順応していない彼は、いつも自然体で、ものに動じることがありません。思ったことをそのまま私利私欲なしに発言する姿に、いつしか皆が引き寄せられてゆくのです。ご主人様のお下がりの高級スーツを着ていたことも誤解の一因かもしれません。

 と書くと、とても美しいお話のようですが(いや勿論そうなのですが)、あまりに皆がチャンシーの言葉を歪曲して解釈するので、滑稽でした。本人に勿論そんな意図はありません。しかし、教養高いはずの周りの人間たちが、「おお!深いことを述べている」などと、いちいち信じられない方向に解釈して、勝手に感心するのです。変ですねぇ。「そんなはず、ないだろ!」の連発でした(笑)。上流社会の人たちって、病んでるのね。というのが正直な感想です。ひねくれててすみません。でも、挙句に大統領候補にまでって、ありえなくないですか?「正体がわからない。スパイだったのではないか」「FBIやCIAが記録を抹消したんじゃないか」おもしろすぎる。まぁね、まったく生存の痕跡がない人間なんてあり得ないですものね。わからないでもないですが。

 でも、植物を目にしたときのチャンスは、プロの顔になります。やっぱりそれが人生なんでしょうね。ラストシーンはちょっと寓話的。そこもチャンシーらしいのかもしれませんね。

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