田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

クレッシェンド 音楽の架け橋(Crescendo - #makemusicnotwar)

2022年03月31日 18時25分23秒 | 日記

映画でも観なきゃやってらんねぇ! — LiveJournal

Recensione del film “Crescendo #makemusicnotwar” di Dror Zahavi, al cinema  dal 27 agosto

クレッシェンド 音楽の架け橋』2022年1月28日公開決定!日本版特報&ポスターが解禁! | Fan's Voice〈ファンズボイス〉

 世界的指揮者のスポルクは、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くという企画を引き受ける。オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスを掴んだ20余人の若者たち。しかし、戦車やテロの攻撃にさらされ憎み合う両陣営は激しくぶつかり合ってしまう。そこでスポルクは彼らを南チロルでの21日間の合宿に連れ出す。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合い…少しずつ心の壁を溶かしていく若者たち。だがコンサートの前日、ようやく心が一つになった彼らに、想像もしなかった事件が起きる――。(公式ウェブサイトより)

 

 

<2022年3月27日 劇場鑑賞>

 数日前に「ベルファスト」という映画を見て、「どうして同郷の人たちでこんなに争うのだろう」と悲しくなりました。もちろん、朝鮮半島を例に出すまでもなく、そういう事例はたくさんあるとは思いますが、やっぱり心が痛くなります。今回の映画も、イスラエルとパレスチナの根深い歴史により、みなが素晴らしい才能を持ちながら、そして同じように惹かれあいながらも、やっぱり上手くいかない現状を浮き彫りにします。なんて悲しいのでしょう。もちろん、今までの争いの中で親族が殺されたりと、許せない記憶をそれぞれが持っているわけで、一朝一夕には改善されるはずがないのはわかるのですけど。そしてそれは「いつから、どちらが、なぜ」とか言う根源論になってしまうので、ますます不毛なんでしょうけれど。

 どこの争いでもそうなんでしょうけれど、一個人はみんないい人。今、争っているロシアとウクライナでも、たぶんどちらに知り合いがいてもいい人なんです。それでも、人類は争う。なぜか、争う。この映画も、素晴らしい音楽が心の壁を溶かすか、と思いきや、コトはそんなに簡単には運びません。また、今回の企画に乗ったマエストロだって、自分の両親が戦時中に行ったことについて、深い深い心の傷を持っているのです。歴史を消すことはできません。でも、人は人生を後戻りすることはできないのだから、とにかく前向きに進むしかないと思うのです。それが難しいのでしょうけれど。

 一つ、個人的に少し驚いたのは、パレスチナ側から参加する女性レイラの母親の表情のきつさ。なんであんなに怖い顔立ちになるのだろうと思いました。何もしていなくても吊り上がった眉と目。常に怒ったような口調。自分の母親もそういう人だったので、驚くことはないのでしょうけれど、もう離れて長いので、今更ながらに見ていて辛かったです。今の私なら、こんな顔立ちの人に話しかけない。避ける。それだけ過酷と言ってしまえばそうなんでしょうけれど、他の人はそんなでもなかったから、やっぱり人となりだと思う。話も辛かったけれど、ここが一番しんどかったかな。

 ラストは、あるいは希望と言えるのかもしれません。まだわからないですけど。

 

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アンビュランス(Ambulance)

2022年03月28日 17時57分30秒 | 日記

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 「トランスフォーマー」シリーズのマイケル・ベイ監督がジェイク・ギレンホールを主演に迎え、強盗を働いた元軍人の主人公が、瀕死の警官を乗せた救急車で逃走劇を繰り広げる姿を描いたノンストップアクション。アフガニスタンからの帰還兵ウィルは、出産直後の妻が病に侵され、その治療には莫大な費用がかかるが保険金も降りず、役所に問い合わせてもたらい回しにされるだけだった。なんとかして妻の治療費を工面しようと、血のつながらない兄のダニーに助けを求めるウィル。犯罪に手を染めるダニーが提案したのは、3200万円ドル(約36億円)もの大金を強奪する銀行強盗だった。計画通りならば、誰も傷つけることなく大金だけを手にするはずだったが、狂いが生じて2人は警察に追われる事態に。やむを得ず逃走用に救急車に乗り込んだ2人だったが、その救急車はウィルに撃たれて瀕死となった警官を乗せていた。乗り合わせた救命士キャムも巻き込み、ダニーとウィルはロサンゼルス中を猛スピードで爆走することになる。ダニー役をギレンホールが演じるほか、ウィル役を「マトリックス レザレクションズ」のヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、キャム役を「パーフェクト・ケア」のエイザ・ゴンザレスがそれぞれ演じる。2005年製作のデンマーク映画「25ミニッツ」のリメイク。(映画.comより)

 

 

 

<2022年3月27日 劇場鑑賞>

 長い映画でした。こういう内容の映画にしては長すぎるのではないか、とも思いましたが、ジェイク・ギレンホールとヤーヤ・アブドゥル=マーティン2世の熱演と、マイケル・ベイの押しの強さで見てしまえました。これが結構楽しかった(笑)。

 ケチな(?)犯罪者だった父親に反発する兄弟、ジェイク兄とヤーヤ弟。ヤーヤは養子縁組で来た子供でしたが、二人はとても仲良く育ちました。でも、血は争えないのか、二人して悪に手を染めていた時期もあった模様。ヤーヤはそんな人生を立て直すため、アフガニスタンに従軍し軍功を挙げています。誇れる経歴です。ジェイクは一時は足を洗ったものの、今は古巣に戻ってしまっています。そんな中、ヤーヤはワイフの手術のためにどうしても医療保険、お金が必要です。でも、どんなに相談窓口に電話しても取り合ってもらえないのです。電話は待たされるばかり、やっとつながっても相手は「22番」とか「23番」とか名乗るばかりで誰なのかもわからない上、「該当する書類はありません」「休憩時間ですから」と一方的に切られてしまいます。なんですか、この相談窓口。ちょっと日本では信じられないですね。休憩時間には交代制で臨むのが当たり前です。窓口が混雑していてず~と待たされるのは日本でも同じですけどね。(しかしモノを売る側だと待たせずにきちんと出る。すごいもんだなぁ、といつも思う)

 とにかく、八方塞がりのヤーヤはやむを得ずジェイク兄貴にお金を借りに行きます。しかし、兄は足を洗っていなかったばかりか、銀行強盗に弟を巻き込むのです。ダメだとわかっていても、絶対に誰もくれないのが、お金。他に方法がないってこと、ありますよね。そして起きてしまういろいろな行き違い。物事って、上手くいかないときは最初から横やりが入るもの。周りのルーティンワークが一つでも違うとわかった時に、即座に中止するべきでした。

 一度失敗すると、悪いほうにしか転びません。銃撃戦が起きる、成り行きで警官を撃ってしまう、包囲網から逃げられないから救急車をハイジャックして逃走する、その救急車には瀕死の警官・・・。ここまで来たら、潔く諦めるべきですよね。逃げ切れるはずはありません。映画じゃないんですから。いや、映画か。まぁツッコミどころは一杯あります。武功著しい元軍人が、兄を助けるためとはいえ、警官を撃つ?しかも瀕死になるような撃ち方を?とかね。しかもこの瀕死警官、輸血を受けたりなんだかんだで最後まで生きてて、ここぞという時は意識を取り戻してムックリ起きたりするんです(笑)。なんという基礎体力!さすがです。あと、現場に愛犬連れてくる警察の上官ね。犬に何かあったらどうするんだ!

 ジェイク兄も、優秀な大学で犯罪学(?)を修めたスマートな男ってことになっているのですが、その割には見極めが甘いような。こんな逃げ方、不毛でしょう。

 それでも、街の警官二人が「パトカーから降りるときも”バッドボーイズ”を気取って」とかなんとかいって、ウィル・スミスと同じアングル(多分)で立ち上がるところはめっちゃ笑えたし、「ザ・ロック」ネタも笑えたし、あり得ないアホばか・カーチェイスも楽しかったし、見ながら「私って、やっぱマイケル・ベイ好きかも」って思いました(アホですみません)。

 もう少し短い尺のほうが見やすかったとは思いますが、個人的には楽しめました。好きです。

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ベルファスト(Belfast)

2022年03月26日 17時57分42秒 | 日記

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 俳優・監督・舞台演出家として世界的に活躍するケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品。ブラナーの出身地である北アイルランドのベルファストを舞台に、激動の時代に翻弄されるベルファストの様子や、困難の中で大人になっていく少年の成長などを、力強いモノクロの映像でつづった。ベルファストで生まれ育った9歳の少年バディは、家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごしていた。笑顔と愛に包まれた日常はバディにとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだったバディの世界は突如として悪夢へと変わってしまう。住民すべてが顔なじみで、ひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断され、暴力と隣り合わせの日々の中で、バディと家族たちも故郷を離れるか否かの決断を迫られる。アカデミー賞の前哨戦として名高い第46回トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞。第94回アカデミー賞でも作品賞、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。(映画.comより)

 

 

 

<2022年3月25日 劇場鑑賞>

 こんな映画が遅れずに田舎で上映されているなんて!それだけで感激。駆け付けました(笑)。ケネス・ブラナーというと、ロイヤル・シェクスピア・カンパニーのエリートだし、映画もいつも格調高くて、私みたいな庶民がシェイクスピアの話になじめたのも、すべて彼がわかりやすく映画化してくれたからだし、本当に感謝しているとともに、イギリス人だと思い込んでいました。ベルファストの出身だったのね!

 まず、この映画を理解するにあたって、映画公式ウェブサイトより、次の記事を抜粋します。

 

HISTORICAL BACKGROUND

この映画が描く1960年代末は、いわゆる「北アイルランド紛争」(英語で “the Troubles”)へ突入していった時代だった。プロテスタントとカトリックが反目し、1998年の和平合意に至るまでに3600人近い死者を出した。

 カトリックvsプロテスタントという対立の根は16世紀の宗教改革にある。キリスト教の最大教派ローマ・カトリック教会に対して反旗が翻され、そうした対抗諸宗派はまとめて「プロテスタント」と呼ばれた。イングランドは、国王ヘンリー8世の離婚問題をきっかけにローマ・カトリックから離反する。国の勢力を拡大していく過程でイングランドは隣のアイルランド島への植民に力を入れ、プロテスタント植民者が土着のカトリックから土地を奪うという構造ができあがっていった。17世紀末にはプロテスタント優位体制が確立、1801年にアイルランドはグレートブリテン王国に併合される。アイルランドの自治復権を目指すその後の長い闘争は、20世紀になってようやく実ることになる。血みどろの独立戦争の末、1921年にイギリスとアイルランドは条約を締結、プロテスタントが多数派のアイルランド島北部6州が「北アイルランド」としてイギリス領に残り、島の残りは「アイルランド自由国」として自治を獲得、実質的独立を果たした。

 1960年代、米国の公民権運動に影響され、北アイルランドではカトリックに対する差別撤廃を求める運動が盛り上がる。この運動には少なからぬプロテスタントの人々も賛同していたが、デモ行進などはプロテスタントによる過剰反応を呼び、双方の対立は暴力化していった。人々は、「カトリック」対「プロテスタント」というレッテル、または「ナショナリスト」(アイルランド全島で一つの国家【ネイション】となることを目指す)対「ユニオニスト」(北アイルランドがブリテンと連合【ユニオン】している現状を維持する)というレッテルを貼られて二分されたのである。

――解説:佐藤泰人(東洋大学准教授・日本アイルランド協会理事)

 

 

 以上です。アイルランド闘争については、たくさんの映画が作られてきましたね。私もいくつか見て、それなりに理解しているつもりでした。でも今回、本当にそこに生活していた「子供」の目線で描かれた現実を見ることによって、よりわかりやすく、より肌で感じるような感覚を得ることができました。

 なにもない田舎の小さな町で、地域の人たちみんなが家族のように生きてきたのに、突然起こった暴力、爆発、諍い。実際、毎日を必死に生きている庶民にとっては、隣の人がなんの宗教か、なんてことはどうでもよくて、平和に無事に過ごせればそれでいいはずです。声の大きい少数の人が怒ってれば、それが目立つだけであって、大方の人は「それがどうしたのよ」と思っているはずなんです。町が壊されてもいいなんて、誰が思っているでしょうか。

 それでも、コトは起きてしまうのです。仲良しだった人が見張りに立ってたり、それでも子供がちゃんと学校へ通えるなど、人情は通ってます。宗教がバックグラウンドにあるとは言え、いきり立って「俺が今回の指導者に選ばれた」などと言って暴れる男は、たぶん社会に不満を持っているか、自分はもっと成功してもいいはずだと根拠なく自信をもっているか(それが社会に対する不満になるのでしょうが)、実は小心者か、そんなところなのではないでしょうか。

 とにかく、身近で起きる争いに巻き込まれた”一般人”は、一緒に闘うか、そうでなければお金を払うかの二者択一を迫られ、住んでいられなくなってきます。それでも、子供たちは子供の世界で精一杯。主人公のバディは、憧れの優等生に近づくため必死に勉強したり(席順が成績順だったりするのだ・笑)、何かの研究を彼女と共同で行う方向に持って行ったりと、策略尽くめ。でも、彼女のほうも、そんなバディを気にかけていたりもするのです。(しかし、男の子って、なんでいつも自分より賢くて美人で、自分よりお金持ちの女の子に憧れるんだろうね。映画だとうまくことが多いけど、現実はどうなんだろうね)

 バディのお父さんは、よく出稼ぎに行って留守なので、お母さん一人で男の子二人を抱えて、この状況はつらすぎます。お父さんはいい人なのですが、ちょっとお金に関しては不真面目なところもあるようで、時々けんかもしています。父方の祖父母も近くに住んでいて、よく面倒もみてくれるのですが、おじいちゃんはちょっと体が悪い。お父さんはロンドンでもっといい仕事の話があるから、皆で引っ越そうと勧める。でも、お母さんは「誰も知りあいのいない場所なんて。どうせアイルランド訛りの英語なんてバカにされるだけ」と否定的。う~ん、両方正しい(笑)。

 そんなこんなで、それでも不穏な地域にこれ以上住めなくなって、バディ一家はロンドンへ越す決心をします。「年寄りはもういいの」とおばあちゃんは残ります。バディは、例の優等生の少女とプレゼント交換し、「きっと戻るから」と約束します。そして父親に問うのです。「彼女はカトリックだけれど、僕たち、将来結婚できるかな」って。お父さん「お互いがまだ好きで、真面目に生きているのなら、宗教は関係ないんだ」という意味のことを子供の目線で諭します。

 本当に、人と人とが争うのはつらいこと。誰が得をするものでもありません。それでも、現在もあちこちで起き続ける争い。人は何百年生きても、学ばない生き物なのかもしれません。

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デーヴダース(Devdas)

2022年03月23日 13時54分20秒 | 日記

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 ベンガルの作家シャラトチャンドラ・チャテルジーが書いた小説『デーヴダース』は、1928年から現在まで、様々な言語で20回も映画化されている。その中でも最高の製作費5億ルピー(当時で約13億円)が費やされた本作は、デーヴにシャー・ルク・カーン、パーローにアイシュワリヤー・ラーイ、チャンドラムキーにはマードゥリー・ディークシトと、最高の顔ぶれが揃えられた。第55回カンヌ国際映画祭でのワールド・プレミア後、インドで公開されるや大ヒット、2002年の興収第1位となったほか、インド国内外で数々の賞も受賞した名作である。

 デーヴとパーローは隣同士の幼なじみ。デーヴは地主の次男で、パーローの家とは身分が違うが、両家の人々は幼い2人が仲良くすることを許していた。だが、デーヴが長期の留学から戻ると、2人の結婚を望んだパーローの母の申し出は地主から拒絶され、パーローは年の離れた金持ちに嫁ぐことに。デーヴは傷つき、娼館に行っては酒に溺れるようになる。娼婦チャンドラムキーはそんな彼を心配するが、デーヴは破滅へと向かっていく…。そして何年かのち、病に冒されたデーヴは、以前パーローと交わした約束「死ぬ前に必ず君の家を訪ねる」を果たすため、パーローの婚家がある村へと向かったのだった。(JAIHО ウェブサイトより)

 

 

 

<2022年3月21日 JAIHО配信サービスにて鑑賞>

 2002年の映画ですから新しくはないのですが、日本語字幕がついて放映(配信)されたのは初めてということで、早速鑑賞。185分の大作でした。

 主演は我らがシャー・ルク・カーン。過去、日本でインド映画がはやったときに「ムトゥ 踊るマハラジャ」のラジニカーントとロマンス系のハンサム、シャー・ルク・カーンは双璧でしたね。ミラ・ナイールなど女性監督の作品を除いては、ほとんどの作品が彼ら二人のものだったと記憶します。古い話ですけど(笑)。

 そして今回も、シャールクの本領発揮、ベタベタのロマンスです。身分違いとは言え、幼い頃から一緒に育ち、欠かすことのできない存在だった女性パーロ(アイシュワリヤー・ラーイ)に背を向けてしまった御曹司のシャールク。後からどれだけ後悔しても、適齢期を迎えた女性は嫁がなければなりません。パーロは年上の男性との縁談がまとまっていたのです。自分のふがいなさに耐えられないシャールクは娼館に入り浸って酒に溺れ、面倒をみてくれる美しい娼婦(マードゥリー・ディークシト)に甘えながらも身体を壊し、ボロボロになってゆく・・・そんな話です。

 たったこれだけの内容を目も眩むような豪華絢爛、これでもかというほどの豪華さで描き切り、魅せてしまう映画です。こんな豪華すぎる屋敷、CG?本当にセットを作ったのかな。それとも、本当のマハラジャ邸をお借りした?ちょっと見たこともないような豪華な屋敷(娼館も含む)で、さすがインド映画としか言いようのない映画でした。

 細かいツッコミは多々あるけれど、これはインド映画。理屈抜きに楽しまなければならないのです。これだけの美人が、消えない灯をともして10年もの歳月をたった一人の男を待ち続けることに費やし(しかもくれた手紙はたったの5通)、日々灯を見つめて過ごすなんて、冷静に考えるとちょっと怖いし、親孝行が日本よりずっと奨励されるインドで、10年もロンドンから帰らない息子って「どうよ」とも思うし(しかもお金はたくさんあるのに)、父親との確執がずっとあって、家を飛び出したりするわりには「父さんが悲しむから」と言ってパーロを捨てたりするし、それって、自分が意気地なしなだけだろ!って思ったりしました(すみません)。

 差別されてるパーロの家だって、おっきいんです!日本では考えられないほど。ただ母親が旅芸人の出だから、とかそんなことなんですね。インドの価値観、難しいです。そして、失ったパーロの大きさに気が付いて荒れるシャールクは、仕事もせずに娼館で酒浸り。結構なもんだな、とうっすら思いました(ごめんなさい)。

 185分ですから、かなりの覚悟が必要です。が、インド映画を結構見てる私でも、本当に目が眩んだ豪華さ。見所はここに尽きると思います。

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ガンパウダー・ミルクシェイク(Gunpowder Milkshake)

2022年03月22日 18時18分55秒 | 日記

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 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のカレン・ギランが主演を務め、犯罪組織に立ち向かう女たちの死闘を描いたバイオレンスアクション。ネオンきらめくクライム・シティ。暗殺組織に所属する凄腕の殺し屋サムは、ターゲットの娘エミリーを匿ったせいで組織を追われ、命を狙われてしまう。次々と送り込まれる刺客たちを蹴散らしながら夜の街を駆け抜けるサムは、かつて殺し屋だった3人の女たちが仕切る図書館に飛び込む。女たちはジェーン・オースティンやバージニア・ウルフの名を冠した武器を手に、激しい戦いへと身を投じていく。3人の図書館員を「スパイキッズ」シリーズのカーラ・グギーノ、「ブラックパンサー」のアンジェラ・バセット、「グリーン・デスティニー」のミシェル・ヨー、サムの母をテレビシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のレナ・ヘディが演じた。監督・脚本は「オオカミは嘘をつく」で注目を集めたイスラエル出身の鬼才ナボット・パプシャド。(映画.comより)

 

 

 

<2022年3月20日 劇場鑑賞>

 おもしろい映画が田舎に降りて来てるな~と思って鑑賞。こういう珍しい(?)映画は、田舎では往々にして明るいうちの上映は1週間だけなのです。2週目からは夜1回の上映となり、そのままジ・エンドです。ですから、夜活発に動ける人でない限り、始まったことを素早く察知し、すぐ見に行かないと見逃してしまうことになるのです。恨めし、田舎。

 ということで、すぐに鑑賞。ついこの間「355」という映画が来たばかりですから、少し「かぶったな」と言う感は免れませんが(そしてちょっと年長の女性が入っているな、という感覚も同様に)、しかし「オオカミは嘘をつく」がわりとよかったと記憶してるので、女性たちを主人公にどんなアレンジをしているのか、というのも興味があるところでした。

 で、おもしろかった。とてもおもしろかったのですが、やはり「オオカミ・・・」のほうがよくできていたと思いました。確かに強い女性たちはカッコいいし、少女も賢い。でも、ストーリーがよく練られているわけではないし、それならそれで徹底して、ウソでもなんでも使いまくって、女性たちをカッコよくみせるための大仰フィクションでもよかったかも。男たちも必要以上にアホで弱い。もう少しリアルに強いほうがおもしろかったんじゃないかな。

 マフィアのボスが「俺は自他ともに認めるフェミニストだ」と、自分が間違っていることに気付かずに、自己陶酔まみれのゴタクを並べるところはおもしろかった。ここが「オオカミ・・・」っぽかったかも(笑)。

 個人的にはミシェル・ヨーが好きです。「ポリスストーリー4」からのファンです。でも、アクション映画でアジア女性が必要な時に決まって呼ばれているような気がするので、アジアにもっとアクション女優がいるといいと思います。

 

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