とある世界のカナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立。2ヶ月後、内閣はS18法案を可決する。公共医療政策の改正が目的である。中でも特に議論を呼んだのは、S-14法案だった。発達障がい児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続きを経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律である。ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる。(「mommy」ウェブサイトより)
ドラン監督の作品は「すごい、すごい」と噂を聞くばかりで、「わたしはロランス」しか見たことがなくて、実は少しアセっています(笑)。それで、今回見逃すまいとばかりに劇場に行って来たわけですが、いや・・・ほんとによくできた映画でした。個人的には、よく出来過ぎてつらかったです。現実を突きつけられたようで。いや、それが本当に現実なので、どうせ逃げるわけには行かないのですが。そうなのですが・・・。
「となる世界のカナダでは」という冒頭で、いきなり「それって、カナダだろ!」と思ってしまったひねくれ者の私。最初のシーンは、ある施設からの退去を命じられた母親が、施設長である女性と対峙している場面です。どうやら、息子(ダイアン)は施設のダイニングに放火した模様。それにより、体に大やけどを負った少年もいたようで、この少年の両親には後々損害賠償を請求されることになります。
とにかく、もはや施設では預かれないと言うことで、母親に引きとるよう要請が来ているわけですが、夫を3年前に亡くし、教養もない母親にとっては、自分一人の生活が一杯一杯。夫亡き後、息子の施設の近くに引っ越してはいるものの、最近は職まで失ってこれからどうやって生きてゆけばいいのか、途方にくれます。なんとか施設にとどめておきたい母親ですが、施設長は譲りません。「普通の子なら刑務所行きよ」「15歳になったら少年院に入れるわ」などと心ない言葉ばかり。しかし、施設長だっていろんな子供を見て来てるのです。「お母さん、いろんな子供がいるわ。何とかなる子もいる。でも、愛情だけではどうにもならないこともあるのよ」と最後に発言します。これをどうとらえるか。「あなたの愛情が足りないわけでは、決してないのよ」と言われたのなら、少し楽にもなります。「どうやったって、どうにもならないのよ」と言われたととらえると、どうにもならなくなってしまいます。おそらく、両方なのでしょうね。
さて、とにもかくにも母子二人の生活が始まります。このお母さんは、若くないとはいえ、なかなかの美人。それゆえ、気にかけてくれる年輩のおじさんが近所にいたり、仕事でも少し融通を効かせてくれる上司がいたりしました。
改めて職探しのため、ミニスカート(!)で例の上司を訪ねてみると、経営者は女性に変わっています。剣もほろろにあしらわれた彼女は、お先真っ暗。それなのに、ADHDの息子は何を思ったか、大量に買い出しして来て「ママと二人の生活が始まるんだ!お祝いしよう!」と、母親にネックレスまでプレゼントします。そんなお金、持ってるはずがありません。母親は顔面蒼白です。「いいこと、私は怒らないから、正直に言ってちょうだい。どこから盗ってきたの?一緒に返しに行きましょう」とつとめて優しく話しかけるも、「どうしてそんなこと言うんだ!僕のプレゼントなのに!盗んでなんかない。僕のお祝いなのに!」とパニックになるばかり。大げんかとなり、母親は首を絞められます。思わず壁に掛かっていた絵で息子を殴る母親。息子は怪我をしてしまい、「ママに傷つけられた」とショックを受けます。
すべては本人に悪意がないこと。これが根本です。つらいですね。本当に、どうやって生きてゆく?息子は母親より大きくなり、強くなります。でも、社会的な常識は理解できず、まったく悪意なく行動してしまいます。
お金がないので、必死に職探しする母親。「学校を途中でやめるんじゃなかった」と、今言っても何の解決にもなりません。ここでふと、向かいにずっと家にいるらしい、表情の硬い女性を見つけます。ご主人とかわいい娘さんがいるようですが、奥さんはいつもこわばった表情で在宅しているようです。
後に、彼女は元学校教師で2年ほど前からストレスでうまく発声できなくなり、吃音となったため休職しているということがわかります。優秀な御主人は優しいけれど、彼女を世間から隠そうとし、その職種もあってよく引っ越しするようです。
そんな彼女に息子の面倒を頼むようになった母親。その間、就職活動もでき、なにかと見つけて働くようになった母親は、その日暮らしとはいえ、なんとか生活してゆくようになります。
この辺は、個人的には安易な感じがしました。そんなにうまく、向かいに似たような境遇の人が住んでいることは、現実ではまれだからです。
しかし、息子は相変わらずです。少し勉強したかと思うと、もうやめる。向かいの元教師にも辛辣な言葉を投げる。そして母親は、やっと生活ができるようになった矢先、やけどの少年の両親からの訴訟を受けるのです。普通の人には絶対に払えない額の賠償金。ましてや母一人障害児一人。でも、被害者も全身やけどで人生を変えられたことに変わりはないのです。
どうにもならない母親は、近所で好意を見せてくれている初老の紳士に相談しようと思い立ちます。彼は元々法的な仕事をしていたようですし。いつもは断っていた誘いを受け、バーへ飲みに行き、談笑します。しかし、同席した息子は不満で不満でなりません。「この男は僕のママを狙ってるんだ」思いはその一点です。とうとうお店でトラブルを起こしてしまい、3人で店を出た後も、男性に喰ってかかります。
「君がそうやって問題ばかり起こすから、お母さんが苦労しているのがわからないのか」とうとう叫んでしまう男性。「ママを狙っているくせに」「ママもだ!この男はママと寝ようと思っているのがどうしてわからないんだ」などと連発し、男性を殴ってしまいます。
結局助けてもらえなかった母子。息子に悪意はありません。本当にママを愛しているのです。でも、それでは社会で生きてゆけないのです。それがわからない・・・。本当にため息が出ます。
<ネタバレします>
一事が万事。すべてこんな感じです。とうとう、母は彼を入院させることを決意します。本人は承諾しないので、「ピクニックに行く」と騙して出掛け、トイレに寄るふりをして待機してくれていた看護師さんたちに引き渡します。
反抗した息子の暴れ方は半端ありません。看護師さんが怪我をするに及んで、ビリビリ棒を使用。「息子に危害を加えないって約束だったのに。もういい。連れて帰る」泣き叫ぶ母親。「ママは僕を騙したんだ」暴れまわる息子。「あなたが結んだ契約です。今さら止めることはできません」と看護師。そして、病院へ。
どれくらいの時が経ったのでしょうか。一人になった母は、それなりにがんばって働いています。なにか、新しいことにチャレンジすらしているようです。向かいの女性が「また引っ越すことになったの」と伝えに来ます。「あら!そんな都会へ行けるなんてすごいじゃないの。うれしいわね」・・・結局何も解決していない向かいの女性も含め、二人の間で空虚な言葉が流れます。
かたや、息子は施設で看護師の制止を振り切って、出口の方へと満面の笑みで走り出して行き、これがラストシーンとなります。さて、これがわずかな希望なんでしょうか。きっと、社会常識ではそうなんでしょうね。でも、私はそうは思いません。施設を逃げ出して、それでどうなるんですか?やけどの子の賠償金は?これからの生きてゆくすべは?
そんなことを言ってたらきりがないのでしょうけど、障害児がのびのびと個性を伸ばして生きてゆけるほど、世の中は甘くはありません。そして、母親は言うのです。「小さい頃はわからなかった」と。
小さい頃はわからなかった?それでなくとも息子は、母親より体も力も大きくなるのに。
困難な場面を見ながら、「息子を連れて練炭焚くかも」と思ってしまった私でした。
この監督って、インタヴューなどでもかなり個性が強いようだけど、自分も障害児と言われて来たのかな。作品を見て、「経験者でないとわからないんじゃないのかな」とも思うことも多々ありました。こういうふうに、うまく結実するといいんですが。
忘れてました。例のプレゼントのネックレスなどの買い出しですが、ずいぶん経ってから、母親は夫の皮ジャンなどの衣類が売り払われていることを発見します。盗んだのではなかったのですね。なにも言われませんが、そういうことだと思います。