東京へ戻る前に、呼子へイカを食べに行った。
呼子は、玄界灘に面した佐賀県唐津の小さな漁港である。呼子といえば、イカの活き造りが最近有名度を増してきて、こともあろうか昨年年末に放映されたNHK佐賀テレビの「未来に残したい佐賀遺産ベスト70」では、伊万里・有田焼を抜いて7位にランクされていた。(2011.12.31ブログ参照)
問題の残る佐賀遺産ベスト70であったが、イカの活き造りが美味いのは間違いない。
僕も、佐賀の美味ランキングでは、佐賀牛とともにベスト3にあげるだろう(もう一つは意見の分かれるところであろう)。
その呼子の港は、鄙びた家並みが海に沿って続き、風情を保っている。
ここの港からかつては壱岐まで行く船が出ていたが、今は唐津の港に移ってしまい、漁船以外の航路の船はない。
若いとき、一人で呼子にふらりとやってきたときのことだ。壱岐行きの船が停泊しているのを見て、壱岐に行く船がここから出ているんだと思ってしばらくは船を見ていたが、だんだん乗りたくなって、出航寸前に飛び乗り、そのまま壱岐に行ったことがあった。
呼子の港に着くと、いつも行くイカの生き造りの元祖という「河太郎」の店は、港の岸壁に新しくなって移っていた。
店に入ると、大きな生簀にイカが泳いでいる。あゝ、これから人間に食べられるとも知らずに。
2階の港が見える席に座り、海を見ながらイカの生き造りに箸をのばした。
この日は友人と2人できたので、ケンサキイカとモンゴイカの2匹が出た。食べ比べられるのは幸運だ。イカは胴体の部分は透き通っていて、見るだけでもきれいだ。刺身用に胴体は千切りに切ってあるのだが、足は動いている。
あとで、足はテンプラにしてくれるのだ。
午後の昼下がり、海を見ながら食べるイカは、うららかな贅沢気分だ。空は水彩画のように青い。窓の先のすぐ前の海には、加部島に続く呼子大橋が見える。
イカの活き造りを食べたあと、近くにあるという鯨屋敷を見に行った。
鯨漁といえば、宇能鴻一郎作の「鯨神」(映画では、勝新太郎、本郷功次郎主演)で描かれているように、かつてはこの玄界灘でも行われていたのだ。今は玄界灘でその姿を見ることは滅多にないが、ごく最近の昭和に入った頃まで、鯨が捕れていた。その写真もある。
呼子の海岸に沿った道を歩くと、江戸から明治、大正期の古い家が並ぶ。その中でひときわ目立っていたのが鯨屋敷の中尾家で、きれいに改修され展示場として公開されていた。
この家はもともと江戸中期に建てられたもので、「松浦の鯨王」と呼ばれた鯨組主の中尾家の旧屋敷である。(写真)
2階建ての家の中は、思ったより広い。柱や梁が幾重にも組み合わされていて、絵が描かれている杉戸があるように、江戸時代の九州の港町には洒落た豪邸であったことが窺える。
裏の別館には、一角鯨の捩れながら尖った白い一角が展示してあった。これは初めて見た。
今のように牛肉や豚肉が簡単に手に入る前は、といってもまだ昭和30年代ぐらいまでは、鯨はどこの街でも安価に売られていた。牛肉や豚肉より格下の扱いだったのだ。それが、今では都会では珍しく(それゆえ鯨専門のレストランもある)、しかも高価だ。
帰りに、海岸沿いに屋台風に朝市をやっている通りで、魚の干物を売っているおばちゃんからアジの味醂干しを、そして通りに出たところで、萬坊のイカシュウマイを買う。
そのうち、イカとともに、呼子で鯨料理も食べさせてくれ! 鯨の活き造りとは言わないから。
きっと、呼子の新しい名物となるだろう。
呼子は、玄界灘に面した佐賀県唐津の小さな漁港である。呼子といえば、イカの活き造りが最近有名度を増してきて、こともあろうか昨年年末に放映されたNHK佐賀テレビの「未来に残したい佐賀遺産ベスト70」では、伊万里・有田焼を抜いて7位にランクされていた。(2011.12.31ブログ参照)
問題の残る佐賀遺産ベスト70であったが、イカの活き造りが美味いのは間違いない。
僕も、佐賀の美味ランキングでは、佐賀牛とともにベスト3にあげるだろう(もう一つは意見の分かれるところであろう)。
その呼子の港は、鄙びた家並みが海に沿って続き、風情を保っている。
ここの港からかつては壱岐まで行く船が出ていたが、今は唐津の港に移ってしまい、漁船以外の航路の船はない。
若いとき、一人で呼子にふらりとやってきたときのことだ。壱岐行きの船が停泊しているのを見て、壱岐に行く船がここから出ているんだと思ってしばらくは船を見ていたが、だんだん乗りたくなって、出航寸前に飛び乗り、そのまま壱岐に行ったことがあった。
呼子の港に着くと、いつも行くイカの生き造りの元祖という「河太郎」の店は、港の岸壁に新しくなって移っていた。
店に入ると、大きな生簀にイカが泳いでいる。あゝ、これから人間に食べられるとも知らずに。
2階の港が見える席に座り、海を見ながらイカの生き造りに箸をのばした。
この日は友人と2人できたので、ケンサキイカとモンゴイカの2匹が出た。食べ比べられるのは幸運だ。イカは胴体の部分は透き通っていて、見るだけでもきれいだ。刺身用に胴体は千切りに切ってあるのだが、足は動いている。
あとで、足はテンプラにしてくれるのだ。
午後の昼下がり、海を見ながら食べるイカは、うららかな贅沢気分だ。空は水彩画のように青い。窓の先のすぐ前の海には、加部島に続く呼子大橋が見える。
イカの活き造りを食べたあと、近くにあるという鯨屋敷を見に行った。
鯨漁といえば、宇能鴻一郎作の「鯨神」(映画では、勝新太郎、本郷功次郎主演)で描かれているように、かつてはこの玄界灘でも行われていたのだ。今は玄界灘でその姿を見ることは滅多にないが、ごく最近の昭和に入った頃まで、鯨が捕れていた。その写真もある。
呼子の海岸に沿った道を歩くと、江戸から明治、大正期の古い家が並ぶ。その中でひときわ目立っていたのが鯨屋敷の中尾家で、きれいに改修され展示場として公開されていた。
この家はもともと江戸中期に建てられたもので、「松浦の鯨王」と呼ばれた鯨組主の中尾家の旧屋敷である。(写真)
2階建ての家の中は、思ったより広い。柱や梁が幾重にも組み合わされていて、絵が描かれている杉戸があるように、江戸時代の九州の港町には洒落た豪邸であったことが窺える。
裏の別館には、一角鯨の捩れながら尖った白い一角が展示してあった。これは初めて見た。
今のように牛肉や豚肉が簡単に手に入る前は、といってもまだ昭和30年代ぐらいまでは、鯨はどこの街でも安価に売られていた。牛肉や豚肉より格下の扱いだったのだ。それが、今では都会では珍しく(それゆえ鯨専門のレストランもある)、しかも高価だ。
帰りに、海岸沿いに屋台風に朝市をやっている通りで、魚の干物を売っているおばちゃんからアジの味醂干しを、そして通りに出たところで、萬坊のイカシュウマイを買う。
そのうち、イカとともに、呼子で鯨料理も食べさせてくれ! 鯨の活き造りとは言わないから。
きっと、呼子の新しい名物となるだろう。
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