かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

逝きし駅の面影、「肥前山口駅」

2023-02-24 04:00:49 | 人生は記憶
 肥前山口駅は、佐賀県のほぼ中央にある、100年以上の歴史を持つ長崎本線と佐世保線の分岐点の駅である。
 古くは急行「雲仙・西海」や深夜特急「さくら」、3特急が連結して走っていた「かもめ・みどり・ハウステンボス」など、長崎発着と佐世保発着の特急の併結、分割がこの駅で行われていた。
 また、稚内駅から同じ駅や区間を使わずに、一筆書きで最も長いルートになる「最長片道切符の終着駅」としても、鉄道ファンには有名な駅である。2022年の西九州新幹線開業に伴い変更となったが、NHKのテレビ番組(2004年)で放映されたりもした。

 個人的にも特別な駅であった。
 私は肥前山口駅のある江北町の隣町の大町町で育ち実家がそこにあったので、佐世保線の一つ先となる武雄寄りの大町駅を乗降としていた。
 大町駅は各駅停車の列車しか停まらない。それで、急行あるいは特急列車で博多・東京方面へ行くとき(反対に帰るとき)、あるいは特急列車で長崎方面に行くとき(帰るとき)は、肥前山口駅で乗り換え利用した。
 肥前山口駅は、その駅の街としては大きくはないのだが、長崎本線と佐世保線の分岐点で、佐世保線の起点の駅であるから、急行や特急も停まらざるをえないのだ。

 1964(昭和39)年、大学受験で初めて東京へ行ったとき、肥前山口駅から急行「西海」に乗った。
 肥前山口駅は、佐世保線の佐世保駅からやってくる「西海」と、長崎本線の長崎駅からやってくる「雲仙」が、肥前山口駅で併結して東京へ向かった。
 2本の急行列車を連結させるので、停車時間があった。だから、ここで駅弁とお茶を買った。ホームには、首から弁当箱の山を抱えて「べんとー」と声をあげながら歩きまわる、駅弁売りがいた。
 大町駅を19時台の各駅停車で出て、肥前山口駅を急行「雲仙・西海」は20時過ぎに出発。東京駅には翌日の19時近くに着くという約1日の列車旅だった。
 その後、急行「雲仙・西海」、寝台特急「さくら」など、東京行きの列車がなくなり、代わりに新幹線が東京―博多間を通うようになり、佐賀空港もできたが、東京~佐賀(大町)間は、長年あれこれと列車を利用してきたのだった。
 肥前山口駅は、私にとって長い付き合いの馴染みの深い駅なのだ。

 *肥前山口駅が消えた

 肥前山口駅の歴史を振り返ってみよう。
 ・1895(明治28)年、九州鉄道の鳥栖駅から続く山口駅として開業。
 その後、九州鉄道は国鉄となり、さらに西の武雄・有田の先の早岐駅経由で長崎まで通ったことにより長崎本線となる。
 ・1913(大正2)年、山口県の国鉄山口駅が開業したことに伴い、肥前山口駅に改称する。
 本来、先に佐賀県の山口駅が開業しているので名前の優先権があるはずだが、譲った形となった。
 ・1934(昭和9)年、肥前山口駅より有明海に沿って路線が肥前鹿島駅、さらに諫早駅まで延びたことにより長崎駅に通じ、この路線が長崎本線に変更された。従来のルートは早岐駅を境に佐世保駅までの佐世保線と早岐駅から諫早駅までの大村線とに分離される。
 これにより、肥前山口駅は長崎本線と佐世保線の駅となる。

 ・2022年(令和4年)、肥前山口駅は江北駅に変更。
 駅が敷かれた1895(明治28)年当時は、この地は山口村だったので当初「山口駅」、そして「肥前山口駅」として100年以上続いていた。それが、現在はこの地が江北町となっているため町名と合わせる、との町長の説明である。
 私は肥前山口駅という名前に愛着を持っているし、歴史もブランドもあるので変えるのは軽率な判断だと思っていた。「肥前山口駅の江北町」でいいではないか。「博多駅」を表看板に発展してきた「博多駅の福岡市」を見ればいい。
 住民のなかでも多くの反対者がいたそうだが、改名(変名)は決定した。
 すでに変えてしまったものは仕方がない。
 それから……のことである。

 *どうする、肥前山口駅の遺産は?

 つい最近のこと、2023(令和5)年2月17日の朝日新聞夕刊(東京本社版)に、「なくなる駅名、残る思い出」との見出し、そして「西九州新幹線新駅で競売」「旧「肥前山口」駅名標25万円で落札」と大きく記事が出ていた。
 2月11日に、佐賀・嬉野温泉駅で鉄道関係の部品のオークションが開かれた。そこで目玉となったのが、なくなる肥前山口駅のホームに立ててあった駅名標だった。
 駅名標は数点出品され、注目を集めたのが最も古めかしく、駅名が変わる前日までホームに立っていたというもの。それが25万円で落札されたという。

 私は、驚きとともに落胆した。
 なぜ江北駅が、長きにわたって掲げてきた駅の看板ともいうべき駅名標を、資料として保存しなかったのかということだ。
 先にあげたように、肥前山口駅は佐賀県では鳥栖駅と並んで特別な駅である。江北駅は自らその名をなくしたのであれば、どうして肥前山口駅の面影を偲ぶ資料を展示・公開する、資料館なるものを駅舎内にでも造らないのだろう。
 そのような計画があるのだったら改めて言うことではないが、ぜひ造るべきだと思う。駅名標は、資料館の目玉になろう。それが、「遺産」というものである。

 さらにこの報道で驚いたのは、駅名が変わる前に、博多駅長が江北駅長に駅名標などを保存しておくように内緒で頼んだという。
 その理由が、オークションをやったときに出品すれば人気になるだろうという考えからのことだという。オークションの主催はJR九州と嬉野市である。
 オークションのために駅名標を保存するよう提案?
 方向が違うだろう。私は、後々遺産になるから駅で保存しておいた方がいい、という提案かと思ったのに。

 佐賀・鍋島藩は、幕末維新の時期、鉄精錬・反射炉や蒸気船の製造など、他藩に先駆けて科学技術の開発を成し遂げてきた。にもかかわらず、「明治日本の産業革命遺産」でも、佐賀県はほとんど”遺産”を残していない。
 あとには何も残さない。
 それが佐賀県の特質なのだろうか。

 *佐賀への私的愛着

 「佐賀は何もなか」と佐賀県人でも自虐的に言う人がいるが、「そんなことはなか」と、私はずっと異を唱えて、折にふれ発信もしてきた。
 このブログ「かりそめの旅」にて、佐賀を話題として紹介した一例を記しておこう。

・「未来に残したい「佐賀遺産」ベスト70とは?」(2011-12-31)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/06c2e45f631bf9cb02346e14d74fab8d
・「佐賀の偉人25人とは誰か?」(2019-02-11)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/d2166fc73737536a9a563f22aa2d8b03?fm=entry_awp
・「「唐津くんち」それとも「佐賀バルーンフェスタ」」(2015-11-07 )
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/ee71052e321251f740b7e168e77a9d80
・「胸に棘刺す有田の町の、陶器市」(2013-05-03)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/86f510c9df4c911b17c88d2adf24b1b6
・「佐賀・有田の山あいに、秘かに潜む宮殿!!」(2018-10-25)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/535b4eb97ab0ce5ac2a7081764764390
・「炭鉱王の邸宅・高取邸」(2008-02-01)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/107e7a99223f3f838b5f99ff22e946cc
・「東京駅から逃げ出した4匹の動物が、武雄温泉の楼門に」(2014-09-19)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/bb2c173be8b8bb7871058b896eeb13a0
・「佐賀・白鬚神社の田楽」(2013-10-30)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/2cbcdf637fc6633e4af5925ecf850349
・「玄界灘・呼子のイカ」(2015-04-21)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/3f2903b6189a20d21f92a63038f00b82
・「待望の、鳥栖駅の焼麦弁当」(2013-02-03)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/1edc4c4a7f0cb12ed36e5bc0ae105a36
・「「たろめん」に見る、杵島炭鉱の面影」(2011-01-22)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/c/c1f17c562cf4ce7732605dbbe6eb3706/1
・「「にあんちゃん」を知っている」(2009-02-20)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/4177db915cfcc911cdc75cf02cbca3f3
・「ミシュランの☆佐賀探索①「ミシュランガイド福岡・佐賀版」」(2014-10-14)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/081e424381323fcd02ee7918177c5462

 *
・「稲佐神社のくんち」 (2006-10-20)
・「妻山神社のくんち」 (2006-10-23)
・「伊万里トンテントン祭り」 (2006-10-25)
・「唐津くんち」 (2006-11-07)
・「玄界灘に浮かぶ加部島の、佐用姫伝説」 (2008-01-08)
・「有田にあるツヴィンガー宮殿」 (2011-01-14)
・「秋の空を彩る、佐賀バルーンフェスタ」 (2013-11-02)
・「李香蘭の戸籍謄本」 (2007-03-30)
・「産業記憶遺産ともいえる、映画「にあんちゃん」(2012-02-24)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/c7e3bcebd4fc6135255d01044f5cc82d
・「「薩長土肥」の「肥」の象徴、鍋島直正」(2018-04-30)
 https://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/b72bb7b136ef9560908e32b8197881ee

 *
 この文のタイトルは、昨年12月に亡くなられた熊本在住の思想史家、渡辺京二の代表作「逝きし世の面影」(平凡社)に倣った。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 作家、永井路子さんのこと…… | トップ | 白梅爛漫の湯島天神 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人生は記憶」カテゴリの最新記事