舛田利雄監督 石原慎太郎原作 石原裕次郎 北原三枝 小林旭 杉浦直樹 白木真理 安井昌二 宍戸錠 1958年日活
子どもの頃、ジャックナイフという響きを聞いただけで何やら違った世界にいけた。あのパチンとバネで飛び出すやつ、小さなナイフだ。そこには、知らない大人の世界があった。
どこかの少しいかれたお兄さんがそのナイフを持っていて、時々見せびらかしていたのを、そっとのぞいてみた。お兄さんはどうということはなかったが、ジャックナイフは何かを語っているようであった。
まだ、石原裕次郎の映画は見たことはなかったが、「錆びたナイフ」の歌は少年の心に残っていたのだ。
砂山の砂を指で掘ってたら、真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ
1956年「狂った果実」「太陽の季節」でスターダムを駆け上がっていった石原裕次郎と、後に日活ダイヤモンド(アクション)ラインを組むことになる、小林旭、宍戸錠の初の3人の共演作である。石原裕次郎23歳、小林旭20歳、宍戸錠24歳の時である。
物語は、地方都市の市長選に絡んで自殺と見せかけた殺人を3人が目撃する。それが、裕次郎、旭、錠である。
3人は、元チンピラの仲間という設定である。共演といっても錠は最初にあっけなく死んでしまう(暴力団に殺される)。だから、本質は裕次郎、旭の共演ということになる。
そして、旭も最後は死んでしまう(同じく暴力団に殺される)。残る裕次郎が仲間の仇を討つという、アクションがらみミステリー仕立ての物語である。
裕次郎の相手役は、既定路線になっていた北原三枝で、旭の相手役は後にアクション映画においてダンサー役として欠かせない白木マリである。
「俺は待ってるぜ」や「嵐を呼ぶ男」などで、アクション路線でスターの地位を築いていた裕次郎は、この年「陽のあたる坂道」の文芸ものを撮り、後に「あじさいの歌」「青年の樹」など、アクションと文芸の2本路線を進むことになる。
一方、1956年「飢える魂」でデビューした小林旭は、方向が定まらないままアクション、文芸、青春ものと様々な映画に出て模索状態が続く。
裕次郎の弟分として出演しているこの「錆びたナイフ」では、まだスターになっていなかった旭は、やはり役でも格下のチンピラである。しかし、この年の1958年、旭は文芸名作「絶唱」で浅丘ルリ子と共演している(後にこの映画は舟木一夫・和泉雅子、三浦友和・山口百恵でリメイク版が作られた)。小林旭・浅丘ルリ子のコンビは、その後「渡り鳥シリーズ」へと続くことになる。
小林旭の運命を変えたのは、翌年の1959年である。
この年、「渡り鳥シリーズ」の原型「南国土佐を後にして」が大ヒットする。すぐその後に「銀座旋風児」が封切られ、旭のアクションスターとしての人気が爆発する。「渡り鳥」「流れ者」「銀座旋風児」が揃ってシリーズとなり、次々と新作が発表されていく。
旭主演の映画は、1959年13本、1960年、1961年12本、1962年10本封切られる。今では考えられない月1本のペースである。この頃の旭の人気は裕次郎を凌ぐものであった。
日活ダイヤモンドラインは、その後赤木圭一郎、和田浩二が入り、裕次郎の骨折、赤木の急逝などにより宍戸錠、二谷英明の昇格(主演一本立ち)を図るが、徐々に衰退していった。
「錆びたナイフ」は、日活ダイヤモンドラインの到来を予感させる記念碑的作品と言えるだろう。
子どもの頃、ジャックナイフという響きを聞いただけで何やら違った世界にいけた。あのパチンとバネで飛び出すやつ、小さなナイフだ。そこには、知らない大人の世界があった。
どこかの少しいかれたお兄さんがそのナイフを持っていて、時々見せびらかしていたのを、そっとのぞいてみた。お兄さんはどうということはなかったが、ジャックナイフは何かを語っているようであった。
まだ、石原裕次郎の映画は見たことはなかったが、「錆びたナイフ」の歌は少年の心に残っていたのだ。
砂山の砂を指で掘ってたら、真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ
1956年「狂った果実」「太陽の季節」でスターダムを駆け上がっていった石原裕次郎と、後に日活ダイヤモンド(アクション)ラインを組むことになる、小林旭、宍戸錠の初の3人の共演作である。石原裕次郎23歳、小林旭20歳、宍戸錠24歳の時である。
物語は、地方都市の市長選に絡んで自殺と見せかけた殺人を3人が目撃する。それが、裕次郎、旭、錠である。
3人は、元チンピラの仲間という設定である。共演といっても錠は最初にあっけなく死んでしまう(暴力団に殺される)。だから、本質は裕次郎、旭の共演ということになる。
そして、旭も最後は死んでしまう(同じく暴力団に殺される)。残る裕次郎が仲間の仇を討つという、アクションがらみミステリー仕立ての物語である。
裕次郎の相手役は、既定路線になっていた北原三枝で、旭の相手役は後にアクション映画においてダンサー役として欠かせない白木マリである。
「俺は待ってるぜ」や「嵐を呼ぶ男」などで、アクション路線でスターの地位を築いていた裕次郎は、この年「陽のあたる坂道」の文芸ものを撮り、後に「あじさいの歌」「青年の樹」など、アクションと文芸の2本路線を進むことになる。
一方、1956年「飢える魂」でデビューした小林旭は、方向が定まらないままアクション、文芸、青春ものと様々な映画に出て模索状態が続く。
裕次郎の弟分として出演しているこの「錆びたナイフ」では、まだスターになっていなかった旭は、やはり役でも格下のチンピラである。しかし、この年の1958年、旭は文芸名作「絶唱」で浅丘ルリ子と共演している(後にこの映画は舟木一夫・和泉雅子、三浦友和・山口百恵でリメイク版が作られた)。小林旭・浅丘ルリ子のコンビは、その後「渡り鳥シリーズ」へと続くことになる。
小林旭の運命を変えたのは、翌年の1959年である。
この年、「渡り鳥シリーズ」の原型「南国土佐を後にして」が大ヒットする。すぐその後に「銀座旋風児」が封切られ、旭のアクションスターとしての人気が爆発する。「渡り鳥」「流れ者」「銀座旋風児」が揃ってシリーズとなり、次々と新作が発表されていく。
旭主演の映画は、1959年13本、1960年、1961年12本、1962年10本封切られる。今では考えられない月1本のペースである。この頃の旭の人気は裕次郎を凌ぐものであった。
日活ダイヤモンドラインは、その後赤木圭一郎、和田浩二が入り、裕次郎の骨折、赤木の急逝などにより宍戸錠、二谷英明の昇格(主演一本立ち)を図るが、徐々に衰退していった。
「錆びたナイフ」は、日活ダイヤモンドラインの到来を予感させる記念碑的作品と言えるだろう。
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