かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

長崎の、崎戸島の遺産

2008-01-16 16:22:09 | * 炭鉱の足跡
 長崎県の西彼杵半島の西海町から橋を渡り、大島町に向かった。その先に崎戸町である崎戸島がある。

 この一帯は、かつて石炭の炭鉱で栄えたところである。
 北九州は、福岡県の大牟田・三池、田川・飯塚・直方周辺の筑豊、佐賀県の唐津、多久、大町・北方・江北の杵島、それに長崎県の高島、池島、それにここ大島・崎戸の島など、大小の良質な石炭を採出する炭鉱が乱立していた。
 明治以降の日本の産業革命、富国強兵政策にも合致して、そこには街ができ、ひとつの繁栄を極めた。しかし、昭和30年代後半から40年代にかけて、エネルギー革命の波と同時に次々と閉山に見舞われた。活気に満ちていたこれら炭鉱の街は、その後は見る見るやせ細っていった。
 僕は、機会あるごとにこれらの炭鉱町を歩いたが、おしなべてそれらの町々は、落ちぶれたとはいえ、華やかなりし頃の青春時代を回顧することを堪(こら)えて生きている中年男のように見えた。
 これらの町々が、すべて指をくわえて衰退(老人になること)に身を任せていたのではない。炭鉱がなくなった後、町を何とかせんといかんとどこもが思っていたはずである。といって、労働力はあっても代わりの産業がすぐに育つわけではない。模索しながらも、多くの町は老人になっていった。
 「フラガール」で有名になった、常磐炭鉱(福島県)の転進の例もある。観光やメロン、国際映画祭と大胆に舵を取った夕張(北海道)は破産してしまったが、身の丈以上を背負ったからにすぎない。
 そもそも閉山当時は、炭鉱が佐渡金山や足尾銅山、石見銀山のように観光として成りたつとは考えられなかった(石見銀山は町の地道な努力が身を結んだといっていい)。だから、ほとんどの炭鉱は、炭鉱の象徴である抗魯や坑道や煙突やボタ山などは消滅させてしまった。中年になって放り出された男たちは、青春の情熱とエネルギーなんかくそ食らえと思ったのだ。30余年を経て、近代化遺産として注目を浴びるとは思いもよらなかったのである。
 もと炭鉱マンたちは、数少ない炭鉱の足跡である産業遺跡を見ても、それらを青春の栄光として見るのでなく、青春の傷跡として甦らせているに違いない。

 大島から崎戸に入ると、すぐに製塩所が目についた。ここでは、海水から塩を製造していた。それも、一つの地場産業の成長した姿である。
 街中を走っていると、ホテルや施設の看板、表示板が目につく。意味が分かりにくいRV村というのもある。この島には厚化粧と思うぐらい豪華なホテルは、もと国民宿舎だということだ。
 島内を巡っていて、やがて、ここは島ごと観光町として売り出していたことを知った。観光パンフレットもあったからである。
 島には、歴史民族資料館があり、館内に井上光晴文学館もあった。井上は遠藤周作ほど知名度はないが、彼と違ってこの地で文学講習会を開いていた作家である。
 しかし、「33゜(さんさん)元気ランド」には苦笑した。33℃の温泉浴場と思ったぐらいである。

 この島で、僕の目がとまった遺産が二つあった。
 一つは、北緯33°線展望台に行ったときである。ここからは、五島列島沖がよく見える。この展望台の横にあった、蔦の絡まった朽ち果てた石造りの建物である。
 格子状に窓のある高い建物で、最初は炭鉱の遺跡かと思ったが、中を見ると何もないがらんどうであった。中の資材はすべて持ち去られていたか既に遺棄されていた。友人が、これは軍の遺跡だなと言った。
 やはりその通りで、昭和13年(1938)に造られた、海底スクリュー音をキャッチするための海軍の見張り所、聴音所であった。
 ここ長崎には、人間魚雷の訓練所跡や、佐世保・針尾の巨大無線塔など、軍事遺産が多数ある。
 
 もう一つは、炭鉱の炭住(炭鉱住宅)であった。
 炭住といえば、平屋の長屋形式がほとんどであるが、ここは鉄筋の4、5階建てであった。
 長崎の離島には、鉄筋の炭住が多い。風が強いので強固な建物が必要だったのだろう。昭和初期に建てられた長崎沖の端島(軍艦島)の炭住は、鉄筋の建物が濫立していて、現代の風景のようである。
 崎戸の炭住は、窓がくりぬかれ、骨格だけが島の高台に聳えていた。かつて頻繁に人が行き来したであろうそこまでの道は、既に途中で途絶えて車では行けないようだ。
 廃墟となったそれは、取り残された建物というより、遠いギリシャやローマの神殿のように僕には厳かに見えた。

 栄枯盛衰とは歴史上のみではなく、目に見える形で私たちの周りで行われている。
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