かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

長崎の海辺の町、外海町の遺産

2008-01-15 20:19:56 | ゆきずりの*旅
 佐賀・有田の友人の案内で、長崎に行った。
 近代産業遺産を見るためである。
 北九州を中心とした炭鉱、製鉄、造船などの一連の近代産業遺産を世界遺産に申請する動きがあるという。
 有田から佐世保を経て、西彼杵半島の西海町に渡った。西海橋がかかっているところで、昭和30年代に橋ができたときは、大きさと、その下の急流にできる渦巻きもあってたちまち観光地となった。

 西海町から南に下り、大瀬戸町を経て外海(そとめ)町に行った。
 ここは、平戸・生月と並んで隠れキリシタンが多い街である。かつては陸の孤島といわれたほど交通の不便なところで、このようなところだからこそ、厳しいキリシタン禁止令のあとも深く潜伏できたのであろう。
 キリシタンの苦難の過去の物語を小説に結晶させたのが、この外海町を舞台にした遠藤周作の「沈黙」である。
 ここの海を見下ろす景観の地に、遠藤周作文学館がある。
 ここでは、「沈黙」に関するものだけでなく、遠藤周作を知るうえでの多くの資料が揃っている。ここで分かったのは、遠藤は「沈黙」の取材でこの外海を頻繁に訪れたが、その後もこの地を気に入って、しばしば三浦朱門などと訪れているということである。
 遠藤は、この「沈黙」のあと、晩年の70歳のときに、インドへ行き聖地ガンガーのヴァラナシを舞台に、やはり宗教をテーマにした「深い河」を書き上げた(ちなみに享年73)。
 僕はクリスチャンでもないので、この一連の遠藤の宗教をテーマにした小説には感動を覚えることもなかったが、彼のエッセイであるサービス精神溢れる「狐狸庵閑話」シリーズは好きだった。

 この外海の海を見下ろすように建っているのが、出津(しつ)教会である。この白く美しい教会は、明治15年、フランス人の宣教師、マルコ・マリ・ド・ロ神父によって建てられたものである(写真は、その後明治42年増築された教会)。
 このド・ロ神父が建てた教会をはじめ、この地に彼が残した数々の建造物・足跡がある。それらが、この時代の貴重な歴史資産として、最近再評価されている。
 というのは、ド・ロ神父は単に布教のためだけに尽力した人物ではないからである。
 ド・ロ神父は、1968年(慶応4)長崎に赴任し、長崎大浦天主堂および横須賀で、石版印刷所を設けている。その後、この外海の村に来た神父は村の窮状を見て、村を救うために生涯をかけることになる。
 どうしたかというと、私財を投じてこの地の土地を購入し、地場産業を植えつけることを行ったのである。
 救助院や保育所などの福祉施設ばかりでなく、マカロニ工場や鰯網工場を造って、産業を興すことにより、住民の生活の困窮を救おうとしたのである。さらに、防波堤や道路改修工事なども行っている。
 このマカロニ工場は、日本で初めてのパスタ製造となった。しかし、このあと日本人に馴染んだソーメンを造るようになっている。
 行政がやらねばならないことを、彼は独自の当時の先進技術を投入して行った。彼の業績は、宣教師というより実業家のごとくである。
 それは、西洋技術の日本への投入・融合であり、産業技術開発であった。
 今でも、ド・ロ神父が建てた当時の授産場や工場が残っている。ここは、先日、NHK・TVの「知る楽選/近代化遺産」で取りあげられたばかりである。

 ここをあとに、西海町の西にある大島、崎戸に向かった。ここは、かつて炭鉱があった島である。
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