![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/78/43a89e99dfbb8f90634884a6f485497b.jpg)
10月5日、熊本県人吉市のホテルで目が覚めたら、窓の外は雨だ。台風が近づいているらしいが、ひどい雨ではない。佐賀や長崎では降っていないようだ。
この日は、午後2時半過ぎの人吉発のSL蒸気機関車に乗るのだ。それまで、人吉市内を散策することにした。
ホテルで傘を貸してくれたので、雨の街中へ出た。
まずは、10月9日にくんちの祭りをやるという青井阿蘇神社へ行った。国宝だという茅葺の楼門や本殿を持つ豪壮な神社だ。
本殿に行くと、奥の座敷の中に多くの人がかしこまって座っていた。一番前には白い式服を着た宮司の人がいて、何やらしゃべっている。関係者が座っているなか、来(きた)るくんちの祭りのためのお払いが行われているとのことだった。通りすがりの者だけど、僕も黙って末席に座らせてもらった。
神事が終わったところで阿蘇神社を出て、球磨川に架かる人吉橋に行った。球磨川はゆったりと流れていて、橋もゆったりとした風格が感じられた。
橋を渡ってまっすぐ歩いていると、古い楼門の寺に出くわした。永国寺とある。西南の役の際、西郷隆盛がここに陣を構えた寺である。
永国寺の前の通りを曲がって進むと、武家蔵があった。玄関前には、赤くなり始めた柘榴の実が雨に濡れている。僕の服も幾分濡れている。
さらに進むと、裁判所があった。裁判所があるとは、かなりの力量の市である。
その先に橋が架かっていて、川に沿って長い白塀が続いていて、城下町であることを知らしめてくれる。橋は大手橋といい、ここから先が城内なのだろう。
歩き進むと、やはり城壁があった。人吉城跡だ。
この石垣が、昨夜、料理屋のマスターが武者返しと言っていたものである。僕が、それは熊本城でしょうと突っ込むと、人吉城の方が早かったのです、熊本城がこちらをまねたのですと力説した。
天守閣などの建物はなく、城壁だけの自然な城跡だ。
雨脚が強くなった。城跡を後にし、球磨川を渡って繁華街に戻った。そろそろどこかで昼食をとろう。
何本もの道が格子のようになっている。そのなかの、鍛冶屋通りを歩いた。ここは、古い店の建物が連なる情緒のある街並みだ。
途中、ポルトガルから伝わったという「ウンスンカルタ」を紹介している建物があった。今でも、このカルタ大会を行っているようだ。
その隣の通りに、鰻屋があった。川のあるところ、柳川と同じく人吉も鰻は名物に違いない。そうだ、鰻を食おうと思ったら、1軒挟んで鰻屋が、すぐ近くに2軒ある。迷ったが、創業100年という古い店に入った。
店の中も歴史を感じさせる風情があり、頼んだうな重の鰻もボリュームがあり味もいい。
濡れた服を着替えてJR人吉駅に行ったら、昨晩は気づかなかったが、駅前に小さな3層の天守の城がある。石垣もついている。城の天守は、ここにあったのだ。飛び梅ならぬ、飛び城だ。
するとメロディーが流れて、天守の窓が開き、中で人形が動きだした。からくり時計だった。ちょうど午後2時だ。おそらく1時間ごとに、動くようになっているのだろう。
*
人吉駅は、雨だというのに人が多い。そわそわしている表情からも、もうすぐ動くSLを待っている人たちだと分かる。
僕も、昨晩駅で頼んでいたチケットをもらって、ホームへ行った。全席指定だ。乗車券のほかに、指定席券は大人800円(子ども半額)である。
「SL人吉」の蒸気機関車がホームにやって来た。(写真)
大正11年に製造されたSL58654機で、思ったよりツヤがあり綺麗な真黒だ。運転士もにこやかで、気持ちよく写真に向かって笑顔を返してくれて、ここではちょっとしたスターだ。昔懐かしい首から胸の前に名物の食べものを下げた、駅弁売りスタイルのおじさんもいる。
高校時代は、通学はSLだった。佐世保線の大町から武雄まで通った。
列車(汽車と言った)が動き出して、乗り遅れそうになっても、走っていってデッキに飛び乗ったりした。それでも、注意はされても誰もが平気な顔をしていた、のどかな時代だった。今でも、インドではよく見る光景だ。
14時38分、「SL人吉」は3両編成で、汽笛を鳴らして出発した。人吉から肥薩線で八代へ行き、そのまま熊本まで行くのだ。
乗っているのは、鉄道オタクばかりではない。子ども連れの若い夫婦から元同級生のような仲のいいおばちゃんグループや、僕のようなリュックを持った一人旅のような者まで、様々だ。
球磨川に沿って列車は走る。急流に乗ってカヌーを漕いでいる人もいる。
途中、列車の左を流れていた球磨川が右に移った。列車は何度か川を交叉して進むのだ。
人吉を出て、「一勝地」という駅で10分間の停車だ。この列車は、特徴のある駅ではしばらく停車して、乗客への観光時間もサービスするようだ。
この一勝地は、名前からここの駅の切符を必勝祈願にするらしい。
次に停まった「白石」は、駅舎が105歳という長寿の駅だ。みんな一旦降りて、駅を見たり写真に収めたりしている。駅舎を外から見ると、普通の平屋の家のような佇まいだ。駅舎の横に、赤いポストが立っている。かつての駅は、みんなこんな感じだったかもしれない。
この駅で、普通列車の電車がやって来た。昔の蒸気機関車と今の電車の擦れ違いだ。
「瀬戸口」では、「九州横断特急」との擦れ違いだ。
急流だった球磨川も、ゆったりした流れになっている。
「八代」駅で、肥薩線は終わりになる。
ここから「熊本」まではノンストップの直通で、鹿児島本線だ。
「SL人吉」は、車内は木の肌触りを味わえた。忘れていたが、昔の汽車はこんな木でできていたのかもしれない。
車内には、展望ラウンジも図書コーナーも、何よりビュッフェもあり、そして客室乗務員が親切に案内説明してくれるので、まるで遠足みたいだ。もちろん、図書が置いてあるからと行って、この列車の中で読書しているのはもったいない話だが。
缶ではない熱いコーヒーを飲みながらの車窓は、また格別だ。
17時13分、熊本着。約2時間半のSLの旅は終わった。
*
このまま、熊本から佐賀へ帰ろう。
まずは、鹿児島本線で鳥栖まで行こう。そう思って時刻表を見ると、何と特急や急行の列車がないのである。
要するに、九州新幹線ができたので、新幹線に乗るか、各駅停車あるいは快速にするか、という魂胆らしい。
熊本17時49分発、各駅列車・銀水行きに乗る。大牟田市の銀水行きで、18時34分、大牟田の手前の荒尾で降りる。
荒尾18時37分発、快足博多行きに乗り、19時17分鳥栖駅着。
やれやれ、やっと佐賀県鳥栖に着いた。
鳥栖19時32分発、佐世保線肥前山口行きに乗る。
旅は終わった。人吉で降っていた雨は、すでに止んでいた。
この日は、午後2時半過ぎの人吉発のSL蒸気機関車に乗るのだ。それまで、人吉市内を散策することにした。
ホテルで傘を貸してくれたので、雨の街中へ出た。
まずは、10月9日にくんちの祭りをやるという青井阿蘇神社へ行った。国宝だという茅葺の楼門や本殿を持つ豪壮な神社だ。
本殿に行くと、奥の座敷の中に多くの人がかしこまって座っていた。一番前には白い式服を着た宮司の人がいて、何やらしゃべっている。関係者が座っているなか、来(きた)るくんちの祭りのためのお払いが行われているとのことだった。通りすがりの者だけど、僕も黙って末席に座らせてもらった。
神事が終わったところで阿蘇神社を出て、球磨川に架かる人吉橋に行った。球磨川はゆったりと流れていて、橋もゆったりとした風格が感じられた。
橋を渡ってまっすぐ歩いていると、古い楼門の寺に出くわした。永国寺とある。西南の役の際、西郷隆盛がここに陣を構えた寺である。
永国寺の前の通りを曲がって進むと、武家蔵があった。玄関前には、赤くなり始めた柘榴の実が雨に濡れている。僕の服も幾分濡れている。
さらに進むと、裁判所があった。裁判所があるとは、かなりの力量の市である。
その先に橋が架かっていて、川に沿って長い白塀が続いていて、城下町であることを知らしめてくれる。橋は大手橋といい、ここから先が城内なのだろう。
歩き進むと、やはり城壁があった。人吉城跡だ。
この石垣が、昨夜、料理屋のマスターが武者返しと言っていたものである。僕が、それは熊本城でしょうと突っ込むと、人吉城の方が早かったのです、熊本城がこちらをまねたのですと力説した。
天守閣などの建物はなく、城壁だけの自然な城跡だ。
雨脚が強くなった。城跡を後にし、球磨川を渡って繁華街に戻った。そろそろどこかで昼食をとろう。
何本もの道が格子のようになっている。そのなかの、鍛冶屋通りを歩いた。ここは、古い店の建物が連なる情緒のある街並みだ。
途中、ポルトガルから伝わったという「ウンスンカルタ」を紹介している建物があった。今でも、このカルタ大会を行っているようだ。
その隣の通りに、鰻屋があった。川のあるところ、柳川と同じく人吉も鰻は名物に違いない。そうだ、鰻を食おうと思ったら、1軒挟んで鰻屋が、すぐ近くに2軒ある。迷ったが、創業100年という古い店に入った。
店の中も歴史を感じさせる風情があり、頼んだうな重の鰻もボリュームがあり味もいい。
濡れた服を着替えてJR人吉駅に行ったら、昨晩は気づかなかったが、駅前に小さな3層の天守の城がある。石垣もついている。城の天守は、ここにあったのだ。飛び梅ならぬ、飛び城だ。
するとメロディーが流れて、天守の窓が開き、中で人形が動きだした。からくり時計だった。ちょうど午後2時だ。おそらく1時間ごとに、動くようになっているのだろう。
*
人吉駅は、雨だというのに人が多い。そわそわしている表情からも、もうすぐ動くSLを待っている人たちだと分かる。
僕も、昨晩駅で頼んでいたチケットをもらって、ホームへ行った。全席指定だ。乗車券のほかに、指定席券は大人800円(子ども半額)である。
「SL人吉」の蒸気機関車がホームにやって来た。(写真)
大正11年に製造されたSL58654機で、思ったよりツヤがあり綺麗な真黒だ。運転士もにこやかで、気持ちよく写真に向かって笑顔を返してくれて、ここではちょっとしたスターだ。昔懐かしい首から胸の前に名物の食べものを下げた、駅弁売りスタイルのおじさんもいる。
高校時代は、通学はSLだった。佐世保線の大町から武雄まで通った。
列車(汽車と言った)が動き出して、乗り遅れそうになっても、走っていってデッキに飛び乗ったりした。それでも、注意はされても誰もが平気な顔をしていた、のどかな時代だった。今でも、インドではよく見る光景だ。
14時38分、「SL人吉」は3両編成で、汽笛を鳴らして出発した。人吉から肥薩線で八代へ行き、そのまま熊本まで行くのだ。
乗っているのは、鉄道オタクばかりではない。子ども連れの若い夫婦から元同級生のような仲のいいおばちゃんグループや、僕のようなリュックを持った一人旅のような者まで、様々だ。
球磨川に沿って列車は走る。急流に乗ってカヌーを漕いでいる人もいる。
途中、列車の左を流れていた球磨川が右に移った。列車は何度か川を交叉して進むのだ。
人吉を出て、「一勝地」という駅で10分間の停車だ。この列車は、特徴のある駅ではしばらく停車して、乗客への観光時間もサービスするようだ。
この一勝地は、名前からここの駅の切符を必勝祈願にするらしい。
次に停まった「白石」は、駅舎が105歳という長寿の駅だ。みんな一旦降りて、駅を見たり写真に収めたりしている。駅舎を外から見ると、普通の平屋の家のような佇まいだ。駅舎の横に、赤いポストが立っている。かつての駅は、みんなこんな感じだったかもしれない。
この駅で、普通列車の電車がやって来た。昔の蒸気機関車と今の電車の擦れ違いだ。
「瀬戸口」では、「九州横断特急」との擦れ違いだ。
急流だった球磨川も、ゆったりした流れになっている。
「八代」駅で、肥薩線は終わりになる。
ここから「熊本」まではノンストップの直通で、鹿児島本線だ。
「SL人吉」は、車内は木の肌触りを味わえた。忘れていたが、昔の汽車はこんな木でできていたのかもしれない。
車内には、展望ラウンジも図書コーナーも、何よりビュッフェもあり、そして客室乗務員が親切に案内説明してくれるので、まるで遠足みたいだ。もちろん、図書が置いてあるからと行って、この列車の中で読書しているのはもったいない話だが。
缶ではない熱いコーヒーを飲みながらの車窓は、また格別だ。
17時13分、熊本着。約2時間半のSLの旅は終わった。
*
このまま、熊本から佐賀へ帰ろう。
まずは、鹿児島本線で鳥栖まで行こう。そう思って時刻表を見ると、何と特急や急行の列車がないのである。
要するに、九州新幹線ができたので、新幹線に乗るか、各駅停車あるいは快速にするか、という魂胆らしい。
熊本17時49分発、各駅列車・銀水行きに乗る。大牟田市の銀水行きで、18時34分、大牟田の手前の荒尾で降りる。
荒尾18時37分発、快足博多行きに乗り、19時17分鳥栖駅着。
やれやれ、やっと佐賀県鳥栖に着いた。
鳥栖19時32分発、佐世保線肥前山口行きに乗る。
旅は終わった。人吉で降っていた雨は、すでに止んでいた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます