かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

佐賀・白鬚神社の田楽

2013-10-30 01:43:09 | * 九州の祭りを追って
 田楽といえば、豆腐や茄子や里芋などを串に刺して、味噌を塗って焼いた田楽刺しを思い浮かべる人が多いかもしれない。
 しかし、ここでいう田楽は古い民俗芸能のことである。田植えのときに田の神を祀るため笛、太鼓で歌い舞った平安時代から行われている農耕儀礼で、後の猿楽や能の原型と言われている。今では、数少ない地域でしか残っていない。
 その田楽が、佐賀の白鬚神社に残っているという。それも、珍しい子どもによる稚児田楽だという。佐賀県人にもあまり知られていないが、平成12年には国により重要無形文化財に指定されている。
 各地で秋祭り・くんちが行われている最中の、10月18、19日に田楽が奉納されるというので、18日に白鬚神社へ行った。

 佐賀市のバスセンターから北の久保泉町川久保方面へバスで約25分。
 佐賀平野の田園地帯の先の里山に白鬚神社はあった。すぐ横に小川が流れ、奥には森が茂り、道路沿いには人家が散在している。佐賀ののどかな田舎の町だ。
 白鬚神社は伝えによると、6世紀ごろ、近江国(現滋賀県)より移住した人により勧請された、白鬚明神である猿田彦命を祭った神社である。
 この白鬚神社の田楽は、いつから始まったかは定かではない。神社の人の話によると、古くは1665年の文献に出ているので、少なくともそれ以前から行われているという。

 正午、参道の鳥居をくぐって、舞い手の一行がやって来た。
 本殿の前には、竹で組まれた囲いの中にゴザが敷かれた玉垣の舞台が設えられていて、その中で舞いが始まった。(写真)
 正面に座った笛吹き8名は壮年で、舞い手の8名は稚児である少年たちだ。
 舞い手の構成は、「ハナカタメ」と呼ばれる、真綿の鉢巻をした幼児1名。
 「スッテンテン」と呼ばれる、金色の烏帽子をかぶり、小鼓・扇子を持つ幼児1名。
 「ササラツキ」と呼ばれる、造花を飾り、錦の女帯を垂らした花笠をかぶり、「ささら」という音を出す編み木を持った女装の少年4名。
 「カケウチ」と呼ばれる、花笠をかぶり、胸に平太鼓、両手にバチ、腰に木太刀を挟んだ少年2名。
 全員、地元の小学生および中学生で構成されている。
 左右両側に座った「カケウチ」が、「インヨー」「オハー」と掛け声を発し、太鼓でリズムをとり、舞台の進行役を行っている。
 「ササラツキ」の4人が、細長く削った何本もの木を糸で編んだ「ササラ」という編み木をジャラリ、ジャラリと鳴らしながら、女の舞いをするのである。少年たちは、頬紅に口紅をして全くの女のいでたちだ。
 時間もゆったりと流れていた時代に遡ったような、全体を通して、ゆったりとした舞いである。舞いはこの辺りの風景に溶け込み、今という時代をしばし忘れさせてくれた。
 この舞いが、休むことなく1時間半続けられた。なのに舞い手の子どもたちは、顔色変えずに舞い続けてくれた。

 白鬚神社の舞いが終わったら、一行はその足で、北へ歩いて10分ほどのところにある勝宿(かしゅく)神社へ向かった。
 そこでも、短縮した形で、田楽が奉納された。ここでは、本殿前の広い境内に直接ゴザを敷いて行われた。
 勝宿神社での奉納が終わって、再び一行は白鬚神社に帰っていった。僕が見送っていると、神社の人が、奉納のために作った花をくれた。その花は、木の枝である裂いた竹に、色紙の花弁を何枚か貼ったものである。
 僕は、その一行を見送りながら、帰りのバスに乗った。
 このような民俗芸能が、地元に長く伝えられ続けているのは貴重だ。
 願わくば、県(観光課)はもっと広くPRしてほしい。

 白鬚神社の田楽の風景を思い浮かべさせるその花は、今、わが家の玄関を入ったところに飾ってある。

 
  知らぬ世の 香りを運ぶ 祭り花
       宴のあとにも 庭草は繁げ
                     沖宿

  

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