戦前から戦後にかけての美男、美女といえば、まず上原謙、原節子の名前があがるだろう。
上原謙は、田中絹代との共演作「愛染かつら」(1938年)で一躍スターとなり、戦後も数多くの映画に出演し、二枚目俳優の代名詞となった。ご存知の人も多いだろうが、加山雄三の父である。
原節子は、「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)「東京物語」(1953年)など、小津安二郎監督作品が有名だが、それだけでなく、「わが青春に悔いなし」(監督:黒沢明、1946年)、「安城家の舞踏会」(監督:吉村公三郎、1947年)、「青い山脈」(監督:今井正、19949年)など、戦後日本の映画スターのなかでも、日本女優の顔として君臨していたといえる。そして、42歳で映画界を引退した後は決して人目に曝されることなく隠遁の生活を送って、今なお伝説の人となっている。
原節子のはっきりした目鼻立ち、しっかりした体形は、いつも輝いている印象で、従来の日本女優とは一線を画して、荒廃した戦後の女性の夢を体現していたといえる。
この戦後の美男、美女が、映画「めし」(原作:林芙美子、監督:成瀬巳喜男、1951年東宝)で演じるのは、何とも平凡な夫婦である。しかも、結婚5年目の倦怠期を迎えたどこにでもありそうな家庭の、どこにでもいそうな夫婦である。
東京で育った三千代(原節子)は、夫の仕事の関係で大阪に住んでいる。当時の日本はどこでもそうだったように、長屋住まいでパッとした住宅ではない。
そこで、毎日のおさんどんに追われて、これが結婚生活なのかと気が晴れない。
夫の初之輔(上原謙)はといえば、しがない会社員である。仕事はやり手でもなさそうだし、何か趣味がありそうでもない。家に帰れば「腹が減った」が口癖の、これといって面白くもない男である。
そんなとき、初之輔の姪である里子(島崎雪子)が家出をして大阪へやってきた。里子は自由奔放な性格で、叔父の初之輔にも甘えたところを見せる。二人で出かけたときは、腕を組んだりする。初之輔も、開けっぴろげで快活な里子を可愛いと思っている。
そんな2人の言動を見て、三千代が面白いはずがない。ますます機嫌は悪くなり、ついに思いつめた三千代は、東京へ帰る決心をする。
倦怠期の夫婦の間に割り込んできた女。美男、美女の間に闖入してきた小悪魔といった感じである。
静かな家庭に波風が立つ。波風は嵐になるのだろうか? それとも、もとの静かな家庭に収まるのだろうか?
原作は、林芙美子が完成途中で亡くなったため未完で終わっている。しかし、監督の成瀬は、最後に、三千代にこう言わせる。
「私のそばに夫がいる。その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、私の本当の幸せかもしれない。女の幸せとは、そんなものではないだろうか」
小さな幸せを大事にしよう。それが女の幸せだ、と言わせている。
この映画から、戦後の小さな家庭の幸せ、女の幸せが誕生したかのようである。しかし、戦後の歴史を振り返ると、それで女性が満足したわけでも、そこに黙って納まったわけでもない。
その後女性は、自分の手で幸せをつかもうと、自立の道を歩き始めるのである。
映画の中で、遊覧バスで大阪見物するという場面が出てくる。遊覧バスとは観光バスで、いわゆる東京の「はとバス」である。
戦後間もない、1950年当時の大阪の街を見物することができる。
上原謙は、田中絹代との共演作「愛染かつら」(1938年)で一躍スターとなり、戦後も数多くの映画に出演し、二枚目俳優の代名詞となった。ご存知の人も多いだろうが、加山雄三の父である。
原節子は、「晩春」(1949年)「麦秋」(1951年)「東京物語」(1953年)など、小津安二郎監督作品が有名だが、それだけでなく、「わが青春に悔いなし」(監督:黒沢明、1946年)、「安城家の舞踏会」(監督:吉村公三郎、1947年)、「青い山脈」(監督:今井正、19949年)など、戦後日本の映画スターのなかでも、日本女優の顔として君臨していたといえる。そして、42歳で映画界を引退した後は決して人目に曝されることなく隠遁の生活を送って、今なお伝説の人となっている。
原節子のはっきりした目鼻立ち、しっかりした体形は、いつも輝いている印象で、従来の日本女優とは一線を画して、荒廃した戦後の女性の夢を体現していたといえる。
この戦後の美男、美女が、映画「めし」(原作:林芙美子、監督:成瀬巳喜男、1951年東宝)で演じるのは、何とも平凡な夫婦である。しかも、結婚5年目の倦怠期を迎えたどこにでもありそうな家庭の、どこにでもいそうな夫婦である。
東京で育った三千代(原節子)は、夫の仕事の関係で大阪に住んでいる。当時の日本はどこでもそうだったように、長屋住まいでパッとした住宅ではない。
そこで、毎日のおさんどんに追われて、これが結婚生活なのかと気が晴れない。
夫の初之輔(上原謙)はといえば、しがない会社員である。仕事はやり手でもなさそうだし、何か趣味がありそうでもない。家に帰れば「腹が減った」が口癖の、これといって面白くもない男である。
そんなとき、初之輔の姪である里子(島崎雪子)が家出をして大阪へやってきた。里子は自由奔放な性格で、叔父の初之輔にも甘えたところを見せる。二人で出かけたときは、腕を組んだりする。初之輔も、開けっぴろげで快活な里子を可愛いと思っている。
そんな2人の言動を見て、三千代が面白いはずがない。ますます機嫌は悪くなり、ついに思いつめた三千代は、東京へ帰る決心をする。
倦怠期の夫婦の間に割り込んできた女。美男、美女の間に闖入してきた小悪魔といった感じである。
静かな家庭に波風が立つ。波風は嵐になるのだろうか? それとも、もとの静かな家庭に収まるのだろうか?
原作は、林芙美子が完成途中で亡くなったため未完で終わっている。しかし、監督の成瀬は、最後に、三千代にこう言わせる。
「私のそばに夫がいる。その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、私の本当の幸せかもしれない。女の幸せとは、そんなものではないだろうか」
小さな幸せを大事にしよう。それが女の幸せだ、と言わせている。
この映画から、戦後の小さな家庭の幸せ、女の幸せが誕生したかのようである。しかし、戦後の歴史を振り返ると、それで女性が満足したわけでも、そこに黙って納まったわけでもない。
その後女性は、自分の手で幸せをつかもうと、自立の道を歩き始めるのである。
映画の中で、遊覧バスで大阪見物するという場面が出てくる。遊覧バスとは観光バスで、いわゆる東京の「はとバス」である。
戦後間もない、1950年当時の大阪の街を見物することができる。
夫婦の倦怠期 子育てがあると 忙しいだろうなぁ。しかし 結婚5年目に 倦怠期は 早いなぁ。「私のそばに夫がいる~女の幸せとは そんなものではないだろうか」 いいセリフですね。従順な 古風な ヤマトなでしこ かもしれないですね。
めし おもしろそうな映画ですね。
原節子と島崎雪子、その間でふらふらする平凡な男の上原謙を見る映画ですね。