かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

水郷の町、潮来、佐原

2007-07-01 17:16:21 | * 東京とその周辺の散策
 あやめ祭りも過ぎた季節、友人と水郷、潮来へ行った。
 水郷と言えば、九州では柳川だが、関東では潮来が有名である。
 潮来に着くと、絣着物を着た船頭のおばさんが、何人も「船に乗らんかね」声をかけた。あやめの季節が終わったせいか観光客はほとんどいないので、おばさんもお茶を引いて、暇を持て余している。
 ここへは、昔「潮来の伊太郎」を求めて来たことがあるが、当時は船乗り(川下り)以外何もなく、つまり見るべき街並みもなく、泊まるつもりだったのだが、ぶらぶらと近辺を歩いてその日のうちに帰ったのだった。
 今は、(いいかどうかは別にして)潮来の伊太郎の銅像があり、橋幸夫の歌までテープで流れるようになっている。しかし、この町を有名にしたのは、伊太郎の前の「潮来花嫁さん」だろうがと思ったが、その歌碑や花村菊江に関する記念碑などはない。
 
 潮来の前に流れる利根川(常陸利根川)を渡って、こちらの方が情緒が残っていると聞いた対岸の加藤洲十二橋の船乗りを楽しむことにした。こちらは静かなもので、客引きのおばさんもいない。それに、こちらは佐原(現香取市)なのだ。
 堀割への堤防(堰止め)のある川岸に小さな店(雑貨屋)があり、そこに船の案内があるので、窓口で「船に乗れますか」と訊くと、おばさんが出てきた。そして、「いいですよ。ちょっと3分ほど待ってください」と言って奥へ引っ込んだ。
 外で待っていると、絣着物の船頭服に着替えた先ほどのおばさんが、衣替えをして出てきた。「私のところは、個人でやっているので」と、値段も交渉次第のようでまけてくれた。
 利根川から入り込んだ堀割に船が入る。ここでは、「潮来花嫁さん」のカセット・メロディーが流れる。船は木で造った橋の下をゆっくり流れる。船頭のおばさんが、「私の若い頃は、本当に花嫁さんが船で下ったものだよ」と話す。途中、堀に沿ったところに出店があり、そこで団子を買って食べた。(写真)
 水郷と言っても、九州びいきでいうのではないが、やはり柳川にはかなわない。柳川は、堀割も深く街に入り込んでいて、慎み深くも歴史(立花藩の)と人々の生活がしっかりと生息している。
 水郷と言えば、柳川もそうであるが鰻が名産ということであろうか、道路沿いには鰻屋がやたら目につく。
 ということで、潮来で鰻重の昼食を食べて、鹿島神宮へ。
 
 鹿島神宮は古い神宮であるが、謂われに神武天皇と書いてあるのはちと過大表記であろう。この日はよく分からない団体のイベントが行われているようで何となく落ち着きがない。
 しめ縄で丸い輪を作り、そこをくぐり抜けると(縁起が)いい、六月(水無月)の大祓の設えがあったので、潜ってみた。
 そこへ、笙、ひちりきの調べに乗せて花嫁花婿がやってきた。結婚式もやっているのだ。

 せっかく鹿島神宮まで来たのだから、ついでと言っては失礼だが香取神宮へも足を伸ばした。この香取神宮も鹿島神宮に比肩する古い神宮である。
行ってみると、この香取神宮の神殿の方が漆黒と金の装飾で威厳がある。そして、ここでも例の六月の大祓の丸いしめ縄があった。スペイン語を話しているラテン系の若者が、香取神宮と毛筆で書いた掛け軸を買っていたのが面白い。

 香取神宮のあと、佐原の街へ行った。
 伊能忠敬橋の近辺は、古い街並みが残っている。う~ん、と唸ってしまった。保存に対する家々の努力の跡が窺われる。この界隈だけで言えば、つい先頃世界遺産に指定されたばかりの島根石見銀山の大田市街並みと遜色ない。
 千葉にこんな街並みがあろうとは、千葉も捨てたものではない(失礼)。
コメント
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