かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ 秋たちぬ

2007-07-26 01:46:21 | 映画:日本映画
 成瀬巳喜男監督 笠原良三脚本 乙羽信子 藤間紫 藤原鎌足 夏木陽介 賀原夏子 菅井きん 大原健三郎 一木双葉 1960年東宝

 神田の神保町の映画館で「子どもたちのいた風景」と銘打って、昭和30年代の映画を上映しているとの記事が目に入り、見に行った。
 実は、「にあんちゃん」(今村昌平監督、1959年)を見るつもりで行ったら、既に終わっていて「秋たちぬ」が上映されていた。
 成瀬巳喜男監督作品である。この人の作品では、林芙美子原作の「浮雲」が有名で、そのほかにも林原作を何本か映画化している。その人の少年が主役の映画である。

 長野から、母(乙羽信子)に連れられた小学6年の男の子(大原健三郎)が東京の伯父さんの家にやって来て、そこで住むことになる。父が亡くなり、長野で住めなくなったのだ。母は、近くの旅館で住み込みで働くことになる。
 伯父さん(藤原鎌足)の家は、築地あたりの八百屋で、その店で働いているいなせな息子(夏木陽介)と、銀座のデパートに勤めているちゃきちゃきな娘(賀原夏子)がいる。
 少年にとって、東京は何もかも珍しくもあり、母と別れて暮らす生活は寂しくもある。そんな時、母が働いている旅館の小学4年の娘(一木双葉)と知り合いになる。旅館業を営んでいる少女の母(藤間紫)は、金持ちの男の妾で、彼女は妾の子だった。
 少年と少女は、兄妹のように仲良くなる。そして、よく一緒に遊ぶようになる。
 少女と仲良くなった少年は、少しずつ東京の生活に慣れていく。しかし、それも束の間、母が旅館の馴染みの客(加東大介)と駆け落ちしていなくなる。そして、少女も急に引っ越してしまった。

 1960年(昭和35年)頃の銀座が頻繁に映しだされる。
 銀座通りには、既に多くの車が行き交う。それに交ざってオート三輪が走っている。
 車の飛び交う信号のない道路では、子どもたちが車の走る合間を縫って道路を横切るが、田舎から出てきたばかりの少年はなかなか渡れない。
 デパートの屋上(おそらく高島屋)からは晴海の海が見える。
 二人は、海を見に行こうと晴海へ行く。海を見たことがない少年は、「もっと青い海が見たい」と言う。
 晴海の先には、荒野のような埋め立て地が広がっている。「もうすぐ、ここにビルが建つのよ」と話す少女。
 この映画で、変わりゆく寸前の東京に出合うことができる。
 夢の島の埋め立て地でさえ懐かしい風景である。

 田舎から来た転校生の方言をからかったり、すぐに喧嘩したりする少年たち。それでも、またすぐに仲良くなる。
 少年たちは、少しの空き地を見つけては三角野球をする。そして、空き地の管理の小父さんにしかられ、蜘蛛の子を散らすように逃げまとう。
 東京にもカブトムシがいるはずと探しにやって来たのは多摩川べり。川では青年たちが泳いでいる。まだ多摩川では泳げたのだ。

 東京と田舎は風景は違えども、少年たちの心は同じだ。
 田舎の子が野や山を走るように、都会の子も路地やビルの裏通りを走っていた。
 そして、大人の世界に揉まれながら、いや、大人の世界の犠牲になりながら、少年も少女も成長を余儀なくされ、大人になっていく。
 清々しさと哀しさの混じった余韻が残る映画である。

 「にあんちゃん」は見逃したけど、この映画を見たことはよかった。少年の世界を描きながら、大人の世界をも描ききった秀作である。
 この映画の中の伯父の娘役の賀原夏子が、当時の活きいきとした若い女性を演じて印象深い。
コメント
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