写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

人間が成長する時

2015年07月15日 | 生活・ニュース

 朝、トイレに入りラジオのスイッチを入れた。ちょうど武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」という番組が始まったところで、誰かが書いた「人間が成長する時」という本の紹介をしていた。内容については翌日説明するということで、詳しい話は聞かせてもらえなかったが、ただ一点「修羅場を経験した時に、人間は成長する」と話していた。

 今の私はというと、成長どころか退歩してばかりだが、「修羅場を経験した時に、人間は成長する」というフレーズには大いに共感するところがあった。ところで修羅場とは何か。「阿修羅と帝釈天
との争いが行われたとされる場所のことで、転じて、激しい闘争の行われている場所、あるいはそのような場所を連想させる戦場または事件・事故現場といった状況」とある。

 「
人生には無駄な経験などひとつもない」とはよく聞くが、勤めている会社が危機的状況に陥ることもあれば、自身も病気やケガに見舞われることもある。不本意にも左遷させられることもあろう。こんな時が修羅場であり、これをどのようにして切り開けばよいかを一生懸命に考え、何とか乗り越えていく道を探し出す。こんな経験を経て人間は1段階ごと成長する、と言いたいのであろう。

 「人間が成長する時」と入力してネットで調べてみた。大きなトラブルや追いつめられた時は、大きく成長するチャンスだという。すなわち、初めて経験する非日常的な大きなプレッシャーに曝されている時である。プレッシャーもない手慣れた仕事を毎日やっていたのでは熟練はするが人間的な成長は余り見られない。

 振り返って見る私の人生。自分なりにどんな時に成長したかと思い出しながら自己評価してみた。 
 
1.未経験分野の新しい職場に異動した時。2.新プロジェクトを任された時。3.昇格昇進で慣れない新しいポジションに立った時。4.大きなトラブルの解決当事者になった時。5.子会社整理の役目で出向した時。6.ちょっと危ない病気が見つかった時、などか。

 これらを今静かに振り返ってみると、それぞれ私なりの修羅場ではあったが、そこには必ず強い味方や協力してくれる人がいた。精神的には修羅場ではあったが、命を奪われるほどのことはなかった。長い時の経過は、苦しかったことは浄化され、楽しい思い出だけがより鮮明に蘇って来るのは、あながち歳のせいばかりではなさそうである。