写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

生存競争

2015年07月17日 | 季節・自然・植物

 5月に目を楽しませてくれた庭のハナミズキは、今はすっかり新緑に変わり、狭い庭に緑陰を作ってくれている。咲いていた花のあとには、小粒のピーナツくらいの大きさの実が付いている。色はまだ薄緑だが、秋になると真っ赤に熟れ、これを狙ってよくヒヨがやって来ることを思い出しながら眺めていた。

 一歩近づいてその実を観察してみると、実の足元というか根元には20個もの小さな実が付いている。あたかも、大きな実を胴上げしているように、下から持ち上げている。秋に赤く実るのは、大きくなっている1個だけである。足元の小さな実は、大きくなることなく落ちていく運命であろう。

 花一つ咲いた後の、こんな小さな植物の世界に、何んとも激しい生存競争が繰り広げられている。何も大げさに「生存競争」と声高に言うほどのことはない。植物のみならず動物も全て自然界では生存競争しながら生き延びている。

 それにしても花水木の約20分の1の確率で大きくなっている実は、一体どんな努力をして生き残ることになったのだろうか。選ばれて大きくなった実は、秋にはヒヨのエサとなり、どこかの地で翌春芽を出すようなことがあるのだろうか。そこでもまた厳しい試練が待っていて、必ず芽を出すわけでもなかろう。

 そんなことを考えていると、我が身の存在すら、何億分の一の確率で生まれてきたことに思いが到った。そう、生きているもの全て、何億分の一の確率で生まれてきた選ばれし生き物である。そう思うと20分の1の確率なんぞは、まだ楽な生まれ方をしているように思えた。

 話はがらりと変わって今年の広島カープ。先日やっと借金が1となった日に大敗して、今や借金4の生活だ。交流戦でセリーグの各チームはパリーグにコテンパンにやられて、どのチームも借金生活という惨めな状況。「あいつは全く打てない」とか「あいつが投げると必ず打たれる」とか、テレビを見ながら辛辣なことを言ってはいるが、どの選手も生存競争に勝ってきた「日本中から選ばれし野球エリート」ばかりである。ゆめゆめ軽率な非難は慎みたい。選ばれて生まれてきた凡人のつぶやきである。