写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

アカシアの大連

2013年05月16日 | 生活・ニュース

 2004年6月、新聞に初めて投稿した短いエッセイを掲載してもらった。「アカシアの花」と題したものであった。

 
5月の末、妻と姉夫婦と念願だった満州・大連旅行に出かけた。凍てつく寒い朝、この地で私は生まれたと、母からよく聞かされていた。終戦直後、着の身着のままで引き揚げて来たという。まだ幼かった私には、明確な思い出は殆どない。唯一、家の前のアカシヤ並木を微かに覚えているだけである。
 その大連に60年ぶりの、言ってみれば里帰りをした。住んでいた場所をやっと探し当てた。そこには、あのアカシヤ並木は見当たらなかったが、街路の数本の木の枝には、母も見た遠い思い出の白い房が、たわわにぶら下がっていた。」
(2004.6.30毎日新聞「はがき随筆」掲載)
 
 あれから9年が経った今日、裏山に上ってみた。以前から背の高いアカシアの大きな木が数十本群生している場所があることに気が付いていたが、花が咲いているのを今まで見たことはなかった。大連で見たあのアカシアと同じ花なのか、一度じっくりと眺めてみたいと思っていた。

 15分も上ると、今を盛りにアカシアの花の房が手の届かない高い枝先に、たわわにぶら下がっているのが目に入った。樹高はいずれも20m以上もあり圧巻だ。背の低い1本の小枝の房を観察してみると、大連のものとまったく同じであった。

 本来のアカシアは黄色いミモザのことをいうが、一般にいうアカシアとは白い房をつけるニセアカシアのことをいいい、大連の並木に植えてあるものもニセアカシアである。幼いころ、母はこのアカシアの花の房をてんぷらにして食べさせてくれたが、引き揚げて以来一度も食べることはなかった。
唯一、アカシアに因んだ食べ物といえば、花からとれる上質なハチミツを買ってくるくらいである。

 
 アカシアといえば、西田佐知子のヒット曲「アカシアの雨がやむとき」、石原裕次郎のヒット曲「赤いハンカチ」や北原白秋の「この道」などの歌を思い出すが、この"アカシアの白い花"は全てニセアカシアのことのようだ。

 9年前の5月の中旬、大連でアカシア祭りが開催されている時に訪れた。そんなことを思い出しながら小さな一枝を手折って家に持ち帰ると、奥さんがガラスの花瓶に挿して窓辺に飾ってくれた。香り高いとはいえない特長ある生っぽい匂いが漂ってきた。これが私の生まれ故郷の匂いである。