昨日観た「CODE46」の中でティム・ロビンソンとサマンサ・モートンが音程を外しながら『 No Woman No Cry 』を二人で歌うシーンがあった。なるほど未来に歌い継がれるべき曲だという意味では納得したのだけど、エンドロールを観ていたら曲名とともにクレジットされていたのがボブ・マーリィーではなく、V.Ford という人になっていた。
てっきりボブ・マーリィー自身が作った曲だと思っていたので、意外な気がしてその V.Ford なる人の正体を調べようとしたもののこれがなかなか見つからない。アメリカやイギリス、カナダの検索エンジンを使っても見つからない。
そこでボブ・マーリィーのすごく充実した公式サイト”bobmarley.com" に飛んで探してみると、確かにそこにはこの曲は V.Ford という人の作品であることが書いてあった。
ただ、そこに書いてあることが、「彼はタタール人で云々・・・」とか、そのまま訳してもちょっと理解不能で、未だ正体わからずです。ウーム
ともあれ、『 No Woman No Cry 』といえば、随分以前にこの歌の訳詩は ”泣く女は、いない” とするべきか、 ”女よ、泣くな” とするべきかとなんていうことが話題となったものだけど、全体の詩を改めて読んでみると、後者だということは明白でした。
そんな彼のステージをニューヨークのハーレムにあるアポロシアターで見たのが確か1978年の11月。もうあれからすでに26年も時が過ぎていってしまった。
♪俺にはまだこの二本の足が残っている だから 何があっても俺は行かねばならない
俺がいない間も すべてはうまくいくさ きっと うまくいく
世の中すべて いつか きっとうまくいく
そうさ 何から何まで 俺たちの望むとおりになっていく
世の中すべて きっと 今よりもよくなっていく
だから 女よ 泣くな 俺のちっちゃな恋人
涙を見せちゃいけない
1981年36歳の若さで彼が世を去って23年、世の中はなかなかうまくは行っていない。
てっきりボブ・マーリィー自身が作った曲だと思っていたので、意外な気がしてその V.Ford なる人の正体を調べようとしたもののこれがなかなか見つからない。アメリカやイギリス、カナダの検索エンジンを使っても見つからない。
そこでボブ・マーリィーのすごく充実した公式サイト”bobmarley.com" に飛んで探してみると、確かにそこにはこの曲は V.Ford という人の作品であることが書いてあった。
ただ、そこに書いてあることが、「彼はタタール人で云々・・・」とか、そのまま訳してもちょっと理解不能で、未だ正体わからずです。ウーム
ともあれ、『 No Woman No Cry 』といえば、随分以前にこの歌の訳詩は ”泣く女は、いない” とするべきか、 ”女よ、泣くな” とするべきかとなんていうことが話題となったものだけど、全体の詩を改めて読んでみると、後者だということは明白でした。
そんな彼のステージをニューヨークのハーレムにあるアポロシアターで見たのが確か1978年の11月。もうあれからすでに26年も時が過ぎていってしまった。
♪俺にはまだこの二本の足が残っている だから 何があっても俺は行かねばならない
俺がいない間も すべてはうまくいくさ きっと うまくいく
世の中すべて いつか きっとうまくいく
そうさ 何から何まで 俺たちの望むとおりになっていく
世の中すべて きっと 今よりもよくなっていく
だから 女よ 泣くな 俺のちっちゃな恋人
涙を見せちゃいけない
1981年36歳の若さで彼が世を去って23年、世の中はなかなかうまくは行っていない。
http://www.bobmarley.freeserve.co.uk/ford.htm
に、V.Fordのこと書かれてます。