俺の明日はどっちだ

50歳を迎えてなお、クルマ、映画、小説、コンサート、酒、興味は尽きない。そんな日常をほぼ日替わりで描写

「カポーティ」  Capote

2006年10月27日 08時49分08秒 | 時系列でご覧ください
まずはともあれ、予告編でも充分伝わってきたフィリップ・シーモア・ホフマンのカポーティへの成りきりぶりは、ある程度予想していた言え、やはり驚嘆もの。

独特の甲高く特徴のある話し方、ゲイならではの身のこなしとファッションセンス(特に衣装は抜群でした)、さらには人を小馬鹿にしたように見えるちょっと頭をそらしたポーズなどなど、カポーティはきっとこんな人間だったに違いないと思わせる説得力充分なそっくりさん的な外面の部分にとどまらず、それをもとにカポーティが持ち続けていたであろう心の葛藤が内面からフツフツと伝わってくる見事な演技にはほとほと感心させられた。



映画そのものはトルーマン・カポーティ自身がいかにしてこの小説を書いたのかといったその場の様子がフィクションとして描かれているのだけど、ついついホフマン=カポーティに見えてしまうので、あたかもドキュメントがごとく話が展開しているようにすら感じてしまった。

最初は新聞の記事で興味を持ち、実際に現地に出向き惨殺された四体の死体を目にすることによって積極的に関わっていこうとするカポーティ。
ハリウッド俳優をファーストネームで呼び、ニューヨークの社交界で持て囃され、写真撮影のためにリチャード・アベドンをカンザスまで引っ張ってくるという、彼はまさに時代の寵児であったカポーティ。

小説「冷血」は綿密な取材を敢行し膨大なデータを蓄積し、それを再構成して現実の再現に迫るといった『ニュージャーナリズム』の走りともいわれているけれど、そういった味わいはこの映画においても等しく感じられた。




そして小説を読んだ時点では、「冷血」とはまさに非情な犯人に対してのものだと思っていた。
しかしながら二人組の犯人のうちの一人であるペリーにカポーティ自身は自分を投影したという解釈は小説の中でも文面から感じていたけれど、映画ではそのペリーの極悪非道ぶりを敢えて描かず、クリフトン・コリンズ・ジュニアの好演もあって死刑執行を待つ頼りなさげな人物として描かれていて、「冷血」さをさほど強く感じさせられなかった。



信頼を得るために手段として懇意にしているように見せかけるといった卑劣な手段をとり、ペリーと近づいていくカポーティ。
やがてそこに自分がいたかもしれない居場所を見つけてしまい、暗澹としてしまうカポーティ。
そしてペリーのことを思うと同時に、物語の決着をも望んでしまう自己矛盾に悩むカポーティ。

結局、最後に残された“ In Cold Blood ”とは何を指すのか、荒涼たるカンザスの風景とともに重くのしかかってくる見ごたえ充分の力作だ。
出来ることなら「冷血」を読んでからの鑑賞を強くオススメ。

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3 コメント

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こんばんは (nikidasu)
2006-10-31 00:10:33
■ミチさんへ



映画を観ると、実際に取材を行なった時点ではカポーティよりキャサリン・キーナー(好演!)扮するネルのサポートが大きかったんだろうなあと強く思わせられました。

映画を観たあともう一度読むというのもアリかも知れませんね。



■mimia さんへ



「ブラックダリア」やこの映画とかは、原作を読んでいるか否かで印象が大きく変るような気がしました。

読む前はパワーが必要かもしれませんが、いざ読み始めると、その「面白さ」に、すっかり虜になると思うなですが・・・・。

平積みの3段目当たりに滑り込ませて置いてください(笑)。
よく出来た映画でした! (mimia )
2006-10-29 19:04:31
>ペリーにカポーティ自身は自分を投影したという解釈…



ディックとペリーの関係になんとなくそれ風の雰囲気を感じてしまったのはそのためなんですね、なるほど!

原作はノンフィクション・ノベルの金字塔…ですか。はい、読んでみます。って読む本が平積み状態です。

あ、nikidasuさんは『父親たちの星条旗』ご覧になったんですね~。た・の・し・み!
こんにちは♪ (ミチ)
2006-10-27 17:31:43
ホフマンは多分すごくカポーティに似せているのだろうなというのが伝わってきました。

いま「冷血」を読んでいるのですが、映画を見ているせいか雰囲気がよく伝わってきます。

とても綿密な取材のもとに書かれているみたいで、彼があの事件に深く関わっていった様子が伝わってきます。

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