「甘利山&千頭星山」登山の前日に、ご近所仲間と三人で映画を観に行きました。
「劔岳・点の記」と「愛を読むひと」の二本でしたが、今回は「劔岳」のお話です。
あらすじ
明治40年、地図の測量手として、実績を上げていた柴崎芳太郎は、突然、陸軍参謀本部から呼び出される。「日本地図最後の空白地点、劔岳の頂点を目指せ」―当時、ほとんどの山は陸地測量部によって初登頂されてきたが、未だに登頂されていないのは劔岳だけだった。柴崎らは山の案内人、宇治長次郎や助手の生田信らと頂への登り口を探す。その頃、創立間もない日本山岳会の小島鳥水も剱岳の登頂を計画していた。
原作は「孤高の人」や「強力伝」、「八甲田山死の彷徨」などで御馴染みの新田次郎による同名小説で、劔・立山連峰の山中27ヶ所に三角点を設置した実在の人物、柴崎芳太郎の仕事への熱意、生き様を描いた作品です。
映画化の監督・脚本は、「八甲田山」など数多くの作品でカメラマンを務めてきた木村大作氏・・・
50年の映画人生で初めての監督作品だそうです。
リアリズムにこだわり、いっさいのCGは使わず、およそ100年前に柴崎たち測量隊がたどった劔岳への険しいルートを、ほぼ順を追いながら行なわれたという現地撮影。その時間は延べ200日を越えたそうです。
久しぶりに観た日本映画でした。
少々脚本が消化不良気味かな?屋内の描写が弱いかな?
そんな思いも、岩の殿堂「劔岳」の圧倒的な迫力ある姿に吹き飛びます。
熊・猿・雷鳥など、たくさんの動物達も登場し、自然の驚異とそしてその神秘的なまでの美しさに感動させられます。
一列になって歩く人々が山の自然の中に溶け込んで、人間も自然の一部なんだと感じるような描写の連続で・・・
さすがカメラマン出身の監督さんのカメラワークは冴えています
物語は断崖絶壁の続く「劔岳」の頂上に向かって、ろくな装備もない時代、道なき道をたどりながら、山岳会よりも早く頂上にたどり付き「三角点・設置」をするようにとの軍の命令の元、難儀を重ねる柴崎と長次郎の人間模様が描かれています。
沈着冷静な柴崎を演じた浅野忠信さんも良かったけど、断然光っていたのが劔岳測量登山の案内人・宇治長次郎役の香川照之さん。上手いですね~、役者です
上映中、隣の席に座った友人のNさんが「こんな怖い山にわざわざ登るなんて、私には考えられない」と話しかけてきました。
確かに、山を知らない人には理解できないかも知れません。
柴崎のように仕事ならイザ知らず、遊びで山に行くなんて
晴れの日ばかりではありません。
強風や大雨に見舞われ、滑落や雪崩などの命の危険とも常に隣り合わせ・・・
でもね、あの雄大な風景の中に身を置いたときの、心昂ぶる清冽なる気持ちを一度味わってしまうと、どんなに苦しくても叉行きたくなるのが「山」なんですね。
そして圧倒的なまでに大きな自然の中で、自分の小ささを痛感し、クヨクヨ悩んだりする事が無意味に思えてきます。
つまり「無の境地」になれるということでしょうか・・・
ですから日本では昔から「山岳信仰」が栄えたのでしょう。
この映画も、最後は思わぬ展開となりますが、山の世界では有名なお話です。
こちらは北アルプスに通いだしてすぐに登った「唐松岳」頂上から眺めた「劔岳」です。
この時は「五竜岳」まで縦走しましたが、午後はずっとガスの中でした。
同じ職場の仲間たちと月に一回は山に行き、夏のアルプスと秋の紅葉登山が一大イベントでした。
40代前半のこの頃は、技術さえ身に付けたら登れない山はないと思っていました。
「いつかは必ず行こうね、劔岳へ」、そんな会話をしたのを覚えています。
同じく後立山連峰の「蓮華岳~針の木岳~赤沢岳~爺岳」と縦走した時の「鳴沢岳頂上」から見た劔岳です。
黒部湖を挟んで正面に見えました。
測量隊山案内人の長次郎さんの名前の付いた頭や谷もあるはずです。
断崖と絶壁が続く中での最後の難関、有名な鎖場「カニの立てばい」「横ばい」は頂上直下のどの辺でしょうか?
最初の一歩さえ足が置ければ大丈夫!と聞いていますが・・・
このコースを歩いた数年後に「白馬から雪倉~朝日」と縦走して、後立山連峰がほとんど繫がりました。
色々な角度から「劔岳」を見ましたが、ここからの姿が一番豪快に見えますね。
そして白馬から望む「劔岳」は優美でした。
この頃は、三人揃って「白馬山荘」で買った山のお花がプリントされたTシャツを着て・・・
すれ違う登山者を振り返えらせる若さも体力もありましたね。
モチロン劔岳もトーゼン登れるものと信じておりました。
山を一番楽しんでいた頃の私たちです
こちらは立山の「奥大日岳」付近から見た「劔岳」です。
三人とも同じ職場を退職した後は、それぞれ違う道に進み、年老いた親のことや孫の誕生などでも忙しくなり、中々スケジュールが合わなくなりました。
50代後半に行った立山「大日三山登山」以後、三人一緒のアルプスは遠のいています
この前年に行った「雪倉~朝日」の縦走でヘロヘロと成り、体力の限界を感じて自信をなくし、「もう劔は無理ね」と口に出ました
「劔岳」は私たちが一番最初に諦めた山なのです。
つぎはぎだらけの古い紙焼きの連続写真で恐縮ですが、一番左が劔岳、そして真ん中が「別山」、右端が「雄山・大汝・富士ノ折立」です
今年はせめて、立山の雄山から歩いて「劔岳」が目の前に迫る「別山」まで行ってみようかしらと思う今日この頃なんですよ。
7月13日追記
もう1本の映画「愛を読むひと」は、世界中が涙した小説『朗読者』を映画化したものです。
今年のアカデミー賞で、主人公ハンナ役のケイト・ウィンスレットは主演女優賞を獲得しました。
哀しい女の生き様を、見事にそして淡々と演じていましたね。
彼女の秘密は、命をかけるほどに守らなくてはならなかったのか?
余韻の残る上質な作品でした。
詳しい内容や感想などはブログ仲間のmarriさんが6月26日の記事で語っていますので、ご興味のある方はご覧下さい。
(山岳会のおじ様たちからは「さくら三人娘」とよばれていました。フフフフ)
白馬山荘で買ったお揃いのお花のTシャツが目を引いて、わざわざ戻って声をかけてくれる人(女性)が多かったです。
山は山男よりも山女の方が多いのですよ。
映画「釼岳」のあの神々しい風景が、今でも時々頭に浮かびます。
壮絶なるロケ現場だったと想像できますよ。
流石に最後の頂上アタックは画像がありませんでしたね。
私ももう一日9時間も歩く体力はなくなりました。
「月の兎」の画像、私も拝見させていただきますね。
今日は叉、戻り梅雨でしょうか・・・
涼しい朝を迎えていますね。
実らぬ恋というよりも、「釼岳」は高嶺の花という存在です。
ですから早々に諦めました。
実らぬ恋は「北岳」です。三度計画して流れました。
まだまだトライする気はあるのですが・・・
私も久しぶりの映画でした この「剱岳・点の記」
美しい映像に感動して・・もう~一月近くたちますね もう一度じっくりと観たいと思っていましたが。。今だにいけません
香川照之さんがトーク番組で「9時間かけて行った撮影場所でたった2カットの撮影だったと、 しかもその映像を見た監督が「これは使えねぇ~なぁ~」って・・
「今日は2時間で~す」って朝言われると皆さんで「おぅ~今日は近いぞ~」と喜んだそうです
本当に過酷な映画だったんですね!
お友達の月の兎さんがこの夏に挑戦するそうですので又素晴らしい景色を拝見できそうです
ピチピチとした3人娘、これでは山男も振り返った事でしょうね
楽しい素晴らしい思い出、羨ましいです!
明日はこの暑さも一休みのようです ホッとしています
山って、行けばどんどん山歩きに適した筋肉が強化されるのです。
行かなければ衰える・・・
最近は私もすっかり衰えましたよ。淋しい事ですが・・・
膝も酷使していましたから無理は利かず、今では一日6時間の山歩きが限界です。
そうなると行ける山は限られてくるのですよ。
ミサさんの膝も中々良くなりませんか?
いつまでも活動的でいるには、足と胃と歯が丈夫でなければと言われています。
でも、この歳になると、私も人並みにあちこちにガタがきていますよ
単なる趣味で山に行ってただけで、特別な事ではないのですよ。
ごん魔女さんのスキーと同じです。
私は臆病者ですから、雪山はやらず・・・
神々しいまでに美しい雪山の魅力は、ごん魔女さんの方がご存知のはずです。
ごん魔女さんのブログを拝見して、「地図作ることの苦労」が抜け落ちていた事を実感しました。
私自身の行きたくても行けなかった「釼岳」への思いが強くて・・・
肝心の物語の「核」を書かなかった、ジコチューな感想文に反省させられました。
今週は仕事が忙しくて、夜はすぐに眠くなる始末です。
山をやらない人でも、この映画は楽しめるようです。
脚本がイマイチなのですが、何しろ劔岳の風景が綺麗!
特に中高年に人気のヒット作品になったようです。
山もスポーツや遊びの一つです。
心臓さえ悪くなければ誰でも登れるものなんですよ
私自身、山登りを始めたのは40代前半、50代半ば頃までは熱中し、毎月のように登っていました。
それが中々行けなくなり、今ではすっかり筋肉も衰えて、足も弱ってきています。淋しい事ですね。
うまいなぁ~!と思ったのが、香川照之さん、東大卒とは思えない素朴な山案内人になりきっていました。
そうですね・・・
若い頃はハイキング程度で「山」には縁がなかったのですが、この地に越してきてから、ご近所のご夫妻と一緒に山に行くようになり、アルプスの素晴らしさに目覚めたのがきっかけです。
行ってみたら結構歩けて・・・
雄大な風景に魅了され、どんどんのめりこんで行きました。
昔は詩が好きな夢見る夢子さんでしたが、今ではすっかりタフな「山女」になりました。
詩は書かなくなりましたが、代わりにこのブログで胸のうちを語っている日々ですよ。
確かに大変な山ほど頂上に着いた時の気持ちは最高なのでしょうね。
想像を絶しますがわかるような気がします。
足腰が丈夫で羨ましいけど、
本当に何時までもお元気で、記録を伸ばされますよう祈ってます。
美人三人組密かに言えなかったけれど私も真ん中・・・
今もきっと素敵なんでしょうね。
映画も観ていないので なんとコメントしてよいのかわかりませんが・・・
いや~ 記事を拝見していて nao ママ さんのすごさを改めて痛感いたしました~
山登りが大の苦手な私とは全く正反対!
お仲間といろんな山に登られたのですね~~
昔のお写真も楽しく拝見させていただきました。
これからも そこに山がある限り 楽しく登られてくださいね。
気の効いたコメが残せないですみません。
中学時代にスポーツはしていたと聞きましたが、私が知ってるnaoさんはいつも詩を書いているような文学少女ではなかったかしら?それが「山女」に変身とは正直驚いています。
私も山登りはとても無理ですが、この映画は観たいと思っています。浅野忠信さんのフアンなんですよ。
山小屋さんの「妙高・火打」の山行はお天気に恵まれそうですね。
火打岳のハクサンコザクラの群落が見たくて、我々も丁度今頃チャレンジしましたが、妙高で大雨に遭い、エスケープルートで関温泉に降りました。
二週間に一度は山にお出かけの山小屋さんのスケジュールにはいつも驚かされています。
体の筋肉がもう山用に出来ているのですね。
ご一緒したいのは山々ですが、とてもついて行けそうもありません
映画では「劔岳」ですが、正しくは「釼岳」ですね。
せめて「仙人池」からの、釼岳の絶景を眺めでも見たいものです。
「下の廊下」は仲間の一人が紅葉時、山岳ツァーで行ったのですが、閉所恐怖症気味の私はパスでした。
高い所は大好きなんですが・・・
故郷佐渡から無事のお帰り何よりです。
船が揺れましたか・・・
冬の佐渡汽船の揺れは経験済みですが、近年は久しく経験していませんね。
残念
監督自ら企画立案し、3年かけて撮られた映画のようですね。
スタッフ始め役者さんたちも、不便な山小屋での共同生活で寝起きを共にし、連帯感が強まったのでしょう。
あのような危険な場所でのロケは、お互いに信頼感がないとできませんものね。
富山県並びに、立山の山小屋の協力もあって、素晴らしい画像が展開する映画となりました。
特に中高年には人気の、ヒット作品になったようですね。
そうなんです!
最近の山はどこも中高年で溢れています。
70歳を過ぎてもお元気で歩かれている方々を拝見すると、私もまだまだ弱音を吐くには早すぎる!と元気をもらっていますが・・・
今から11年前の山を楽しんでいた頃の私たちの写真を見るにつけ、あのころの体力はもうないなぁ~とつぶやいてしまいます
経験は積みましたが、思いがけず体力が無くなり、今では諦めざるを得ない山が増えています
「劔岳」は映画の美しい画面を見て満足するしかありません・・・
明治時代では満足な登山装備も無く、道なき道を進み、困難を極めた中での「三角点・設置作業」
山の頂上にたどり着くと、まずこの三角点の四角い石をポンとたたく私ですが・・・
先人達の苦労のたまものなんですね。
これからは心してさわらねばと、映画を観ながら思いましたよ。
劔岳を背に三人並んだ写真は1998・8・10と記してありますから、今から11年前の、三人とも50歳前後の頃の画像です。
経験も積み、体力もまだまだあり、山に対しては一番充実していた頃の画像です。
赤い色が大好きな私、この時の赤い帽子はお気に入りでした。
紅さんの冴えた勘には恐れ入りました
ソロソロその時期かとも思いますが、まだまだ登れる山はあるはずと・・・
最後のあがきをしているところです
ですから画像はすべて歩きながらの瞬間撮影、芸術作品には程遠い記録写真です
写真が拙いので、その分文章で補っていて・・・
読む方にはご迷惑をかけるような長文で申し訳なく思っています。
2~3枚の写真だけで、すべてが訴えられる傑作が撮れるようになった時は、山のピークを諦めた時とお察しくださいね(笑い)
単身赴任は何かと大変でしょう・・・
私もこれからは分りやすいようにコメントを入れさせていただきますね。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。
今では「剱(つるぎ)」で統一されているようです。
記録をみたら平成18年9月28日~10月1日に登っています。
剱沢小屋にザックをおいてサブザックでピストンしました。
剱山荘が雪崩で崩壊し、建替え工事中でした。
仲間はこのあと仙人池に向かいましたが、自治会の役員をやっていたので、運動会のため私だけ帰ってきました。
一ノ越から東一ノ越を通って黒部ダムに降りたのですが、途中にベニバナイチゴがたくさんあって食べたのを覚えています。
最近は早月尾根から登る人が多いようです。
黒部ダムから歩く「下ノ廊下」もなかなかスリル満点でした。
ここは短い期間しか歩けません。
紅葉がきれいで、阿曽原小屋の露天風呂もよかったです。
この映画は近くに上映しているところがないので、まだみていません。
機会があればみたいのですが、多分無理でしょうね。
昨日、佐渡から帰ってきたのですが、海が大荒れでした。
久し振りに揺れた船に乗りました。
naoママさんはまだまだ登れます。
いつかご一緒したいのですが、なかなかお会いできませんね。
今週末は妙高、火打、今月末は木曽駒~宝剣~空木、
8月に奥穂~前穂縦走の予定です。
また9月には唐松~不帰ノ嶮~白馬鑓、大日三山も以前に称名の滝から室道に歩いていますが、今度は逆コースで歩こうというプランもあります。
どれかに参加されませんか?
それでもやはり怖さが先立ち、諦めた山です。
測量隊の三角点設置作業は道なき道を行くのですから困難を極めたのは当然ですよね。
それでも山で生まれ育った長次郎は動物的なカンで、測量隊を頂上に導きます。
香川照之さんはそんな長次郎を見事に演じています。
東大卒と聞いていますが、流石にお父さん(猿之助)の血を引いているだけありますね
お母様のことは以前もうかがいましたが、お元気で山を楽しまれていらっしゃるようで何よりですね。
主人の父は45歳の時に、結核で片方の肺を全部とりました。
医者には10年後の生存は難しいと言われたそうですが、ナント!98歳まで元気で自宅で過ごしていました。
兄一家のみんなと、ちゃんと食卓で食事をし、トイレも自分で一人で行っていました。
お母様もミンゴさんやお孫さんたちに囲まれて、日々の生活が充実している事も、体にはいい影響を与えているのだと思います。
これからはPCにも取り組んで、ますます世界が広がりますね。
この時期は楽しい夏の計画を立てる時期ですが、お盆の頃に息子一家が我家近くに引っ越してくるので、中々遊びの予定が立てられずにいます。
まだ具体的には何も決めていませんが、「劔岳を見に行く」というのが私の希望です。
実現できるといいなぁ~
ミンゴさんご一家も、お天気に恵まれと良いですね。
お互いこの夏は雄大な山の景色を満喫しましょう!
雄山から歩かれる予定ですか。
16日に母がPCを始めます(笑)
まだ操作方法やブログなんてどれだけかかるか^^;
なんかメールの嵐がきそうですーー;
ブログもしたいと前向きな母です。
片肺と書きましたが、肺は片方3枚に分かれていてその1つを
取りました。
でも今では無くなったはずの肺がレントゲンで見ると、綺麗に伸びているそうです。
人間の体って不思議ですね!
細胞が伸びたということでしょうか?わかりませんが。
でも普通の方よりはしんどいのは当然で・・・
昨日も検査でしたがコレステロール以外は問題なしでした(笑)
昨年乗鞍を登れたのもとても嬉しかったようです。
白馬山荘で買ったお花のTシャツ、三人でそれぞれ自分に合ったイメージのお花の模様を選びました。
私は濃い黄色のリュウキンカのお花です。
それにはオレンジ系の赤い帽子がピッタリだったんですよ。
屏風のように長く連なる「後立山連峰」を歩くと、その頂から常に存在感のある「劔岳」が見えます。
切り立った断崖絶壁が続く山と知っていても、50代の中ごろまでは「いつかは登りに行こう」と思っていました。
それが体力的に自信がなくなると、真っ先に「もう劔は無理ね」と・・・
そんな第二の劔、第三の劔がどんどん増えていく今日この頃です。やはり淋しいですね。
「愛を読むひと」では勝手にmarriさんの所をリンクさせていただきました。
事後承諾でスミマセンが宜しくお願い致します。
テニスやスキー、シュノーケリングもかじりましたが、ものにならず・・・
元来高い所の好きだったお転婆な私には、山があっていたということでしょう。
映画「劔岳」の主人公のような人たちが居たからこそ、精密な「地図」が作られ、役立っているのですよね。
道なき道を行き、事故やトラブルにもめげず、山の案内人の動物的なカンを信じ、成し遂げられる「三角点」の設置作業・・・
我々はそんな方々の踏み後を、楽して歩かせていただき、山をスポーツとして楽しんでいるわけですが、それでも「劔岳」はとても登れずに諦めた山ですわ。
先日、徹子の部屋で監督の木村大作氏が語っておりました。
あれだけの山ですから壮絶な撮影だっとのこと、エピソードなどが面白かったです。
ですので映画を是非見に行きたいと思っておりました。
この映画「剱岳」は、山好きの方は勿論のこと、山好きの方でない方にも人気があるようですね。
それにしましてもnaoママさまの山の経験豊富なことには驚かされます。
お話によりますと、剱岳が未踏の山であることなど・・・ただただ圧倒されるばかりです。
素敵な3人の方ですね~。あぁ~、どの方でしょうか~。
何~となくは分かりますが~~。。。
いつもありがとうございます。(*^_^*)
カニの横ばいも経験済みだなんて、凄い!凄い!
尊敬いたしますよ~
昔の若者は今よりずっと冒険心があり、山に向かっていましたものね。
今の山は中高年ばかりですよ
あんなにスリル満点な所は無いのにね~
若者!出てこ~い!
我家の主人も遠ざかっていた山登りを、私に急かされてしぶしぶ付き合ってくれていますが、昔と全然違うのが、山の衣類と道具だそうです。
何もかもが機能的で快適となりました。
数人の方のブログで拝見し、ふとnaoママさんを思いました。
剣岳はnaoママさんにとっても成し得なかった憧れの山だったのですね。
100年も前にこの地に3角点設置の計画とは想像を絶する事でしたでしょうね。
どなたも香川照之さんを絶賛してましたね。
登山に燃えていた40代のnaoママさん、輝いてますね~♪
今もですよ~~!
真ん中の赤い帽子がnaoママさんでしょうか?
直感です~(笑)
この所出かけることが多く、お伺いも儘ならずでした。
今週はのんびり過ごせそうです~^0^/
国土地理院が行く先々で大宣伝していました。
私も見ておきたい映画です。うらやましいです。
さすがに佐渡では見られませんから、長岡に
戻った時などでチャンスがあれば..。
しかし、色々歩かれた山々の風景良いですねぇ。
当方は自然は好きですが、山登りはとんとして
いませんでした。最近は植物撮影のためにも
少しは登りますが、縦走とかピークを狙うとか
のための登山ではないです。でも、途中まで登っ
て帰ってくるだけでも楽しいものです。
さて、ミヤマクワガタへのコメント入れを見逃して
いまして、失礼しました。職場から帰り、晩酌を
しながら夕食準備や風呂準備。気がついたら
眠気が..の日々ですのでうっかりがあります。
そんな地理佐渡ですが、これからもおつきあい
を..(笑)。
そんな頂上に明治のころに三角点を設置するというのは困難の多いことだったのでしょうね。
香川照之さんはなかなかの俳優だと思います。
母も昨日観て来ましたよ^^
山好きにはたまらないでしょう~
両親もまだ剱岳には登った事がありません。
もう登れないでしょう。
前にも言いましたが、今年は立山へ両親と私と甥っ子、娘で計画を立てていますが、
まだ休みが合うか、体調、天候などあるのでわからないです。
体力も私と母は問題です。母は肺が片方ないので・・・
昔のように登れないと思います。
室堂でゆっくりするのがいいかも。日本一高い温泉
私は体力が(笑)
貴女にとっての剱岳はそういった山だったのですね!
ずっしりと胸にしみこんでくるような内容でした。
私も感動して、圧倒された作品でしたが。どのように書いて良いのか、こんな表現の仕方は出来ないので。読まさせていただいて再度の感動を覚えました。改めて剱岳の景色を思い出しています。
「最後は思わぬ展開となりますが、山の世界では有名なお話」
そうなんですか。アッと驚きましたよ。でも、みんなカッコよかった!山を愛する人って共通した何かを持ってましたね。
監督さんが構想三年の作品だったそうですね。
若き日のお写真、真ん中の人ではないかしら?
それは・・・帽子で決めさせていただきました。感かな?違ってますか^^;;
私も、先日映画「剱岳」を観てきたばかりです。
生来、気力体力とをもてない根性なしの私にとっては、登山そのものが凄い世界です。
naoママさんのブログは、いつも盛り沢山で素晴らしいと思っていましたが・・・
登山愛好者であるnaoママさんには、マタマタ~脱帽です
登山のお仲間にも恵まれて、、、凄いです
「別山」に、是非いらしてくださいね
山の画像が目に沁みています(笑)
最後に登ったのは白山だったかも。
それも30年?いやもっと前だ(笑)
結婚してからは登っていないなあ
家族が出来ると体調管理も登山には必要。
小児喘息の長男を抱えていたので、山には登らず森林浴のみだった。
独身時代実は剣岳に登っています。
アルバムをひっくり返したら、セピア色下モノクロ写真が出てくるかも。
カニのヨコバイも経験しています。
夏山ですが今から考えると、実に装備も簡単なものだった。
ようあんな冒険が出来たなあと、今なら冷や汗ものです。
室堂から地獄谷を越え、剣までの行程は途中で1泊しました。
その後前年完成した黒四まで降りて行ったが、やはり若かったなあ
今では絶対に無理でしょう。