花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

鎌倉「建長寺」・今年最後の紅葉

2009年12月20日 | 鎌倉散策
日本列島は寒波襲来で、雪国も一夜にして白い世界に様変わりしたようですね。
こちら関東南部は真冬の冷たい風が身に沁みます。


今朝(12月20日)、我家の2Fのベランダから写した富士山
画面左の南側に雪が多いというのも珍しいです。

元F1ドライバーの片山右京さんら3人が、富士山御殿場口新5合目(標高1400)から入山。
標高2650mメートル付近でテントが吹き飛ばされて2人が遭難した事故が起きました。
痛ましい事です。
今日も風が強くて、御殿場口のある南側はブリザードか吹き荒れているようにも見えますね。

さて、今年もいよいよ押し迫ってきて、残りはあと10日余り・・・
一日4時間、隔週交替方式の仕事も、シフトの関係上、私は昨日が年内の仕事納めでした。

さぁ~これから大掃除に突入
年賀状も仕上げなくてはと、心は急きますが
まだ鎌倉「建長寺の紅葉」の画像をアップしていませんでした。

遅まきながら、私自身の記録保存のために今年最後の紅葉を載せますので、
「紅葉はもう見飽きた」という方はスルーしてください。

鎌倉「建長寺」

建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227年 - 1263年)によって創建された禅宗寺院で、
建長5年(1253年)に落慶供養が営まれています。
開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師、1213年 - 1278年)
※今回の資料はウィキペディアを参考にさせていただきました。

11月28日、私は鎌倉の「獅子舞」(モミジ谷)の紅葉を見てから、「天園ハイキングコース」
歩いた事はすでにこのブログでもご紹介しましたが
その終着点が鎌倉五山・第1位の「建長寺」だったのです。
この日はお天気にも恵まれ、今年最後の紅葉が楽しめました

「建長寺・半僧坊」

「天園ハイキングコース」から建長寺に抜けるという事は、
裏の山から建長寺の一番奥の「半僧坊」にまずお邪魔をするということになります。

「半僧坊」は境内のもっとも奥、山の中腹にあり、建長寺の鎮守さまなのだそうです。
ここに祀られている半僧坊権現は火除けや招福に利益があると聞き、私も帽子を脱いでお参りしました。
半僧坊前には急な石段があり、その横には天狗の像が並んでいました。


石段を下っていくと、丁度見頃の「モミジ」が迎えてくれました


「モミジ谷」の背の高い山モミジと違い、階段をおおう様に垂れ下がるお寺のモミジは
アップの写真が狙えるので嬉しいですね。
でも・・・
今年のモミジは少々鮮やかさに欠けるような気がしました。
(カメラの腕も悪いのですが


午後3時半を過ぎて、晩秋の陽も傾き、竹林の前の狛犬さんもシルエットに・・・

「龍峰院」

建長寺の塔頭龍峰院の門前でも、モミジが色づいていましたが、日陰になって上手く写せません。
院の中は立ち入り禁止なので、門前から赤く色付いた境内を撮りました。

「唐門」(重要文化財)
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「龍峰院」から更に下ると「方丈」に出ます。
そこには見事な「唐門」が・・・
マウスオンで内側から見た「唐門」もご覧下さい

重要文化財で方丈入口の門。
仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したものだそうです。

「方丈」内の庭園

「唐門」横の通常口から「方丈」には入ることが出来ます。
建物自体は京都の般舟三昧院から移築したもの。

廻り廊下の奥には見事な庭園が広がっていました。
この庭園は夢窓疎石の作といわれていますが、同じ作者のお庭でも
一週間前に見た「瑞泉寺の岩庭」とは全然趣が異なるものでした。

出口(正式には建長寺入り口)に向かって歩いて行くと、法堂、仏殿、三門(山門)と続きます。
創建当時の建物は失われたとはいえ、これらが一直線に並ぶ伽藍配置は、
創建当時の面影を残しているようです。

non_nonさんのソースをお借りしてスライドショーでまとめましたので、マウスオンでご覧下さい
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建長寺・三門(山門)
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「仏殿」は重要文化財で寄棟造で単層裳階(もこし)が付くそうです。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)が安置されていて、
そして堂前にあるビャクシンの古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、
樹齢約750年といわれています。

一番右の画像は国宝の「鐘楼」です。
三門の右側にあり、高さ約2.1メートル。
建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして大変貴重なものだそうです。

ここには写っていませんが、仏殿の後ろ側には重要文化財の「法堂」(はっとう)がありました。
文化11年(1814年)の建立で内部には千手観音坐像が安置されていて、
この観音様も2005年に重要文化財に指定されそうです。

流石に鎌倉五山第一位のお寺だけあって、たくさんの国宝や重要文化財がそろい
すべてが立派

「総門」

天明3年(1783年)の建立。
山号の「巨福山(こふくさん)」という文字が書かれています。

ここで拝観料を払って「建長寺」を後にしました。
ハイキングコースを歩くだけが目的でも、拝観料は取られます。
帰りはごまかせますが、トレッキングシューズにザック姿ではやはり気が引けますものね。

京都の中央政府の力が弱まり、鎌倉が事実上の日本の首府であった時代に建てられた「建長寺」
北条氏の権勢を誇示し、当時海外渡来の最新文化であった「禅」の寺を建てることによって、
京都の公家文化に対抗しようとする意識の現われとも見られます。

京都のお寺のような煌びやかさには欠けますが、質実剛健のシンプルな美が感じられる「建長寺」
紅葉のころに訪ねたのは初めてだったので、新たな感激がありました。

コメント (14)
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