即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

やらないことを決める

2010年04月18日 10時49分32秒 | 雑感
今日はとっても個人的なこと。(いつもじゃん!)

売れてるビジネス書を書かれている古川ひろのりさんも、本の中に書かれているし、多くの賢人が語っている。

皆、忙しいし、やること、やりたいこと、やらなければいけないこと、は限りなくある。

そうなると自分で「やること」「やらないこと」をしっかり仕分けすべし。

そして、今まではかなりやってきたことでも、やらないことを作ることが肝心。

そうした上で、その時間をやりたいことに使う。

そうだなあと思う。
ssayさんもいつもこぼしているけど、いろんな意味で時間が足りない。
読みたい本がどんどん増える。
録画したビデオも観る時間がない。
スポーツクラブに行って、カラダを鍛えたい。
旅行に行きたいところもたくさん。
会いたい人、話したい人もたくさん。
それだけでなく、やりたいこと、やらないといけないことは止め処ない。

なので、それほどはきっちり決めたわけではないし、変化するかもしれないけど、

現状で、やらないこと、興味を持たないことを決めてある。(まだ足りない。)
(もしやるとすると、のめりこむかもしれないので、怖いから、ということも含む。)

ゲーム。(前はやってたけど、最近はどんなものもやらない。)
パチンコ。(もう10年とか20年くらいやってないかも。)
日本のプロ野球。(巨人が金に任せて一流選手を集めだしたのがきっかけで嫌気がさした。ニュースも新聞もほとんど見ないのでほとんど知らない。)
高校野球。(高野連問題以来一切知らない。)
ボーリング。
imuimuさん、昔はマイシューズ、マイボ-ル持っていて試合にも出ていたのですよ。)
プロレス(格闘技)。
(昔は観戦にも出かけたし、専門誌は毎月、東スポは毎日買っていたし、すべての番組はチェックしていたほどのめりこんでいた。
あー、ジンキニスキー@荒法師。殴られても蹴られても動じないあの強靭さ。あの強烈な戦う姿勢の表情が忘れられない。合掌。)
マニアとしての競馬。
お気軽な趣味としては、現在も継続中。
クラシックを始めとしたG1レースは大体買っている。(ちなみに、先週の桜花賞も当てちゃったよ、Danchoさん。)
なので、それ以上に昔のようにはのめりこまない、と言った意味。
(昔は馬場にも行っていたし、専門誌は毎週、土日は競馬新聞を買い、時間あるときは、午前中のレースから馬券買っていた。)

これはまたやるかもしれないけど、当面凍結。
楽器。
凡人さんのように新たな楽器にチャレンジしたい気もあるけど、その前に、すぐ横にピアノとギターが僕を待っている。
(大昔、フォークバンドをやっていた。)
ゴルフ。(休止して7、8年くらいかな。)

しかし、こんなに書き出したところで時間が足りないから、もっと影響のあるものをやらないことにしないといけない。

ブログやめようか?
飲みに行くのをやめようか?
テレビは一切見ないことにしようか。
(と決めたい気もあるけど、サッカーワールドカップとかオリンピックを見ないという決断は絶対にできない。)
サッカー?
(何もこの時期に決めなくてもいいよな。)

そうだ、これは?
川島さんのように、二次会には行かない。
と決めたいけど、うーーーん。
仕事(縮小)?
これも無理がある?

いいのないな。また考えよ。
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百貨店のイメージ・その2

2010年04月16日 10時24分09秒 | 「デパート」研究
久々のデパ研ネタです。
ずいぶん前に書いた百貨店のイメージという記事に、下記コメントいただきました。

すっかり遅くなって恐縮ですが、Kさん、とらんとらんさん、ありがとうございました。

Kさんより    =Kさん    =nanapon
-----------------------------------------------
うーん。深い洞察ですね。
しみじみ惨憺たる気持ちにさせられました。

私はせめてもの罪滅ぼしと恩返しのつもりで、1週間に1度は家族を連れて近くのデパートのレストラン街に出かけることにしていますが、焼け石に水の状況です。

Kさん、偉いです。罪滅ぼしという意識があること自体。
レストラン街もですね。デパートならではの、そういうところしかないレストランならいいのだけど、駅前でも、飲食店ビルでもどこにでもあるチェーン店が幅を利かしてることが、なんだかなあ、って思うのです。つまりデパートという立地の価値があるのかどうか。

レストラン街が廃れ、デパートがつぶれれば、近隣住民への有形無形のダメージは計り知れないのに、ともに少しずつ支えようという意識が薄いように思われます。想像力の欠如という要素も大きいのではないでしょうか。

そうなると地域社会全体の意識の問題ですね。
おっしゃるように“想像力の欠如”。 このことが現代社会すべてにおいて大きな歪みや不幸をもたらしている元凶なのでは、と思います。
川島さんがよく取り上げている車内や街中でのことも然り。

お金を置きにいく、という発想は、酒飲み特有なのでしょうかね。私も偉そうなことはとても言えないのですが……。

お金を置きにいく、ですか。そこまではないなあ。
税金も何もかも、信頼している政府に置いてあるので(ちゃんと使ってくれるだろうから)安心、という前に書いたオランダのおばあちゃんの話を思い出します。
--------------------------------------------------------

次にとらんとらんさんより。=とらんとらんさん =nanapon
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
どうも、お久しぶりですm(__)m
ここ暫くメタメタに忙しくて、参上できませんでした。。

はい、いらっしゃいませ。こちらがどんな惨状であってもどんどん頻繁に参上してください。賛助会員でしょ?(笑)

自分もこの記事は、日経BO(だったか?)で少し前に読みました!
なかなか面白い表現で、引き込まれてしまいました(笑)。
買い物なんて、生活必需品以外は、雰囲気で買ってしまうことが殆どではないかなんて、昔から思っていました。
その思いを裏付けてくれる記事で、なかなか痛快でした。

自分もnanaponさんと同じで、どうしても欲しいものなんて、そんなに無いんですよ~モノを買う基準が結構厳しい上に、消費しまくる体質が元々、好きではないんですね。
自分みたいな消費者ばかりだと、日本の消費はかなり冷え込んだままで、もう回復しないだろうな~なんて思います、親にも時々言われます(笑)。

日用品以外に、今何がほしいと言われて考えてみても浮かんでこない。
本が溜まってきたので、(まず売る!のが先決!)本棚を買いたい。イケア
FAX付き電話のFAXのインクが廃盤になりもう使えないので、新しいのを買う。ビックカメラ
服は要らない。もし買うとしてもせいぜいユニクロ

そして百貨店に欲しいものなんて、何も無いんですね、商品もサービスも。。
欲しい商品が無いのは、自分だけでなく、多くの消費者の思うところなので、今回は「サービス(接客等)」について、書かせて下さい。

以前にも書きましたが「百貨店で王様気分」を味わいたい人は、昔に比べると少数派ではないかと思っているんです。
私たちの親の世代は、何も無いところから、高度成長期を体現して、みんなが貧乏だったから、気分だけでも王様になりたいという願望が強かったこと、そして時代がその方向に向いていたから「王様気分の接客」を受けることに、何の違和感も無かったのではないかと思います。
自分も子供の頃、親に連れられて百貨店に行き、いつも優しい母が、百貨店にいるときだけは、何故か威張っている光景を今でも覚えています。
その事を、少し前に母に話したら「そう言われたら、、そうやったなぁ~」って笑ってました。
でも、今はそんなことは無いそうです(笑)。

王様気分かあ。そうですね、昔はそうだったかも。
ほんの一時でも王様気分に浸れる心地よさ。
それがデパートの本質的価値。

現在の接客事情はどうなのでしょうか。。

自分が思う事は、そんな王様気分の接客を受けること自体が「正直、恥ずかしい」ことがあります。
自分は、王様のような身分ではないし、どことなくこわばった笑顔を見せられても、どうも違和感が漂ってしまって、居心地が悪いのですね。。

昔はそんな気分に皆が浸りたかったし、とてもいい関係が成り立っていたのだけど、今はそんなことされたらこそばゆい。いや、うざい。
そんなこといいから、早く売ってよ。
そんなサービス要らないからその分安くして、なーんて。

こんな事を言ってしまえば、身も蓋もないのですが「結局はカネの為に、無理矢理な笑顔と言いたくも無い歯も浮くような褒め言葉」を投げかけられることが、すごく苦痛でした。
だから、自分から百貨店に買い物に行くなんて事は、基本的にありませんでした。
その自分が、百貨店で「されたくない接客」を強要される立場になるなんて・・人生はなんて残酷なんだろうと思うこともしばしば有りましたよ(笑)。

うーん、皮肉だし、面白い話です。
因果応報じゃなく、盛者必衰。いや、諸行無常かな。(笑)

例えば、こんな事もありました。
どうしても開店時間に、百貨店に訪問しなくてはならないのに、従業員に大袈裟に迎えられる(みんなが自分に向かって頭を下げる)のが苦痛なので、少しだけ、わざと遅れて訪問したことがありました。
自分は変わり者なので、みんながそうであるなんて思わないのですが、モノが有るのが当たり前の時代に育った世代には「自分は、そんなに偉くないんですがね・・」という感覚が無意識に有るのかな~なんて思うことがあります。

あー、両側にずらっと並んで満面の笑顔でお辞儀されるあれ、ね。
今でもやってるのかな?
紳士服売り場とか行ったときに、誰もいなかったのに一斉に店員がどこからか湧き出てきて、「いらっしゃいませ、お客様、何をお求めですか?」なんて。
歓楽街の客引きの「よっ、社長!いい子がいますよ、どうぞどうぞ!」みたいな近寄りたくない強烈な匂いがする。

カネにものをいわせて、威張りたい人種には、パラダイスなのでしょうが、そんな恥ずかしいことは、されたくないと思っている消費者が多いのではないでしょうか。
なぜ、そう思うのかというと、やはり「笑顔はカネ」だと認識している人が増えたのでしょう。

時代が明らかに違うんでしょうね。
昔は王様気分とか、皆が偉そうな雰囲気を味わいたかったけど、もう今は誰もそんなもん鼻にも引っ掛けない。

以前に少しだけ触れましたが、「笑顔はカネやっ!!」って叫んでる、接遇のカリスマに代表されるように、「基本は、カネなのね・・」ということに、消費者が気づいてるのではないでしょうか。
その意識が、接客態度の端々に現れるので、受ける側も、言葉では表現できないけど、居心地が良くないなぁ~とか、あるかもです。。

百貨店勤めの時に、その接遇のカリスマが講演に来たことがあります。
言われる事は「ごもっとも」なことがあるし、それに心酔する従業員もいることでしょう。
でも、自分が「笑顔はカネ」と言い放つ接客を受けてみたいかと尋ねられたら、答えは否ですね。
自分は、百貨店よりホームセンターが似合う男なのでした(笑)

まだそういうサービスがうれしいと思う人はある程度いるでしょうけど、昔ながらのあの百貨店というイメージは三丁目の夕日的な幻想になっています。

TVでも大々的に流されたし「YOU TUBE」でも、いつでも見れるので、目にしたことがある方も多いと思います。
親の世代で、王様気分に浸りたい人は、支持するのでしょうが、あまりのわざとらしさに気分が悪くなる人が、意外にも多いことも事実ではないでしょうか。
そんな接客を実践している百貨店(でなくても)で買い物がしたい人は、昔に比べれば少なくなっているのでないかと思うのです。

はい。そう思います。
でも、百貨店でも衣料品好調なところもあるというニュースもありますね。
どうなっていくのでしょうか?

本当に長くなってしまって、申し訳ありません。。
m(__)m

いえいえ、いつもありがとうございます。またこの件、話し合いましょう。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
そういえば最近デパートに行きました。
妻がまだ骨折中で動けないのでデパ地下で買い物を頼まれて。
そしたら、やってました。
百貨店のキラーコンテンツ、「北海道フェア」

歩くのも大変なほどの賑わい。老若男女が冷やかしだけでなく、しっかり並んで買っている。

どの店も賑わってるし、並ばないと買えないのも結構ある。
こうなると、人間ってものは不思議。
購買心理が急に高揚してくる。
んなわけで、ソフトクリームの列に加わり立ち食いし、そして、この海の幸がこぼれるほどのお弁当、15人ほど並んで買っちゃいましたよ!
あー。デパートっていいもんだ。楽しいところだよ、ほんと。
どうだあ!(何がどうだあ、だよ!)
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天下の悪法・その2

2010年04月15日 12時23分51秒 | 雑感
以前書いた天下の悪法という記事に、下記コメントいただきました。
遅くなりましたが、とらんとらんさん、くっち~さんssayさん、ありがとうございました。

ミスの指摘の応酬>< by とらんとらんさん

>久しぶりに覗いたら、大変なことになってたんですね^^;
重なるときは重なるもんです(汗)~早く全快になられますよう^^

ありがとうございます。大分落ち着いてきましたが、妻はまだ一人ではどこにもいけないのでいろいろ大変です。

>本当にどこも息苦しいというか、窮屈なんですね。
クレームに対する予防線を何重にも張り巡らすことにパワーを使いすぎて、本来のサービスとは何かを考えて実践する事を置き去りにしてしまってるんでしょうね。

そうですね。ssayさんも言ってるように、問題を起こさないことが目的化しちゃってることが敗因ですよ。

>実際にあったこと・・・時計の修理受付にて、一通りの説明(約3分ほど)をして「では、お時間を20分ほど頂戴させていただきます」と申し上げたら、「こら!そんなに時間掛かるんならはじめに言わんかい!!」。。
~何が悪くて、どこを修理するのか、話を聞けば2,3分は掛かりますって^^;
20~30分話した後で「20分掛かります」なんて言ったら、アタマにくるでしょうが・・(汗)。

そういう常識が通用しない世の中になってる。
モンスタークレーマーです。

>過剰な対応が消費者を増長させる原因の一端かも知れませんし、こんなことで人を消耗させる事が当たり前の社会がまともとは思えないんですよ。

全般的にこういうことに対してパワーを使わざるを得なくなり、本来するべきことに対してかけられるエネルギーが減ってますね。
だから忙しくもなり、企業の力が弱まってる。

>仮に何らかのミスがあったとしても、人間である以上は誰でもミスをする事を許容して、大らかに許しあってあげれば良いんじゃないかと。。
命を落とすとか、財産をなくすとかの事でなければ、大袈裟に構えなくてもと思います、本当に。。

そんな気持ちの余裕を持てる人が減ってるんですね、多分。これも格差社会、二極分化の行く末かあ。寂しいな。
ちょっとしたことですぐ文句を言う。
街中や車内で肩が触れ合ったり、車同士でもそうだけど、すぐに怒りだしてそれこそ事件になったりもしちゃう。

>どこまでも続く「お互いのミスの指摘の応酬」~こんなことが当たり前にあるなんて、やはり異常としかいえないと思います。

ミスの応酬ですか。
下手なサッカーの試合のようですね。
闇雲にロングボールを蹴って、またすぐ取られて、ロングボールが帰ってくる。

>結局、そんな事を避けるために「説明しましたよね?」という予防線を張ることだけに懸命になってるのではないでしょうか。
自分として、そんなことを常に疑問を抱えていたことも、仕事を辞めた理由のひとつでした。

とろんとらんさんのように、辞めたいとまで思わずとも、どれだけつまらない仕事が増えているか。働く意味とか、世間のお役に立つみたいなCSR的な気持ちなんて、なんなんだ、馬鹿馬鹿しい、ってことになってしまう。
このことをどうしていくのか、これは経済の力とか、国民の幸せとかに大きくリンクするので、政治や行政も取り組まないといけないと思うんですけどね。

今時の学校は  by くっち~さん

>nanaponさんは、クラブの事なかれ主義が腹立たしんでしょうけれどね。

ほんとに行く度に腹立たしいことがある。それほどまでに徹底した事なかれ主義。
やるもんだよ、全く。(笑)

>DなのかSなのか判りませんが、大阪近郊のお客さんはそうでなくても「いらち」がおおいですから。クリスピークリームドーナツができたら客がどういう対応をするのやら。

いらち、っていうんですか。
でもイメージ的には、文句言いつつも、明るくて冗談ぽかったりするんじゃないでしょうか。馬鹿!っていうのと、アホやなあっていうのとまるで違うし。

ほんと、そう思います。 by ssayさん

TB、ありがとうございます。(ssayさんの関連記事はこちら。)

>けど、いつの間にかそのルールを守る事に必死になっている。
実際に、情報が漏れたか漏れなかったかよりも、
ルールを破ったことに対して、お咎めがある。
それで、益々、みんな戦々恐々としてしまう。

ほんとその通りです。
個人情報保護法を改訂するとかっていう話をあるようですけど、どんどんこういう方向に進んでいったら、どういうことになるんでしょうか。
不安というより、馬鹿げてるって思いが強いです。

>落ち着いたら、ぼくも取り上げたいと思います。

なかなか落ち着かないようですけど、期待してお待ちしています。
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行きたくて行きたくて

2010年04月14日 01時38分32秒 | 健康
風屋さんのシュールでロマンティックな記事、《会いたくて、会いたくて》。
まずちゃんと読んで、その世界に浸ってください。
情景が目に浮かび、心が洗われます。

あまりにも感動したので、真似してみました。
-----------------------------------
夜の駅。
行きたくて、行きたくて、
ドアが開くと同時に飛び出して、
階段を駆け上がり、改札を走り抜けて
駅前にある場所へ
一目散に向う彼のことを知っているか?

50を少し越えたように見える歳格好に似合わず、
階段をひとつ飛ばしで軽やかに、
降りた乗客達の先頭をきって行く。
周りのことには見向きもせず
まっしぐらにあの場所へと向う彼の姿を君は知っているか?
その場所に飛び込み、
なんとも言えないホッとした表情を見せる。

行きたくて、行きたくて、
夜の駅の白々とした灯りの下を
風のように駆け抜けて行く彼の姿を
知って欲しいのだ。

仕事からの帰り道、
花巻駅で見掛ける光景。
彼は毎晩走っていく。
どこかの町で一杯ひっかけてきて、
車中でしたくてしたくてたまらなくて、必死に駆け込むあのいとおしい姿。
--------------------------------------

最近歳のせいか、すぐに我慢できなくなる。
飲むとすぐに、何度でも行きたくなる。
我慢に我慢を重ねた末のあの放●感。
汗をかきつつ、必死にやっとたどり着き、
とんでもないことにならずにやり終えたなんとも言えないあの快感。安堵感。
たまらないです。

風屋さん、ごめんなさい!
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挨拶の重要さ

2010年04月13日 02時25分01秒 | 雑感
今日は時節柄「つい注意したくなる新入社員の行動」というgooランキングです。

1位 無断欠勤をする
2位 挨拶をしない
3位 休憩時間を平気でオーバーする
4位 遅刻をする
5位 返事をしない
6位 軽薄な言葉遣い
7位 電話に出ない・気付かない
8位 会議中に携帯電話をOFFにしていない
9位 自分の席で居眠りをしている
10位 締切を守らない

1位がこれっていうのにびっくり。
今どき、そんなにあるんでしょうか?無断欠勤って。

そして今日のテーマ。

「挨拶」です。

以前も取り上げた、成城石井社長の大久保恒夫さんはこう書いてます。

小売業に夢を翔けて 挨拶を強化すると何が起こるか? 「商品を売る」から「お客様に喜ばれる」へ
--------------------------------------------------
売り上げよりも挨拶を重視

 挨拶の徹底は、一見、簡単なようで実際には非常に難しい。奥が深い問題である。

 私は今まで小売業の経営改革をしてきて常に挨拶の徹底を強化してきたが、その実感からすると、経営の中で一番難しいくらいだと感じている。評論家や学者、コンサルタントが小売業の経営改革をする時に、問題点を分析しても挨拶の問題が出てくることは少ない。

 経営改革の実行計画で挨拶の徹底は軽視されがちである。そんなのは現場に指示すれば済むことで、大きな問題でないだろう、そのくらいすぐできるだろうという感覚である。挨拶をするように指示を出すことで問題解決できたと判断されているようだ。

 確かに、挨拶は誰でもできることである。頭を下げ、声を出せばできることである。指示をし命令すれば、その場で挨拶という作業はすぐにできるようになる。しかし、本当に気持ちのいい挨拶が、パートやアルバイトを含む全従業員が、365日24時間できるには、気が遠くなるほどの努力が必要である。

 命令をし、その場でできても、1~2週間でしなくなってしまう。社員はできても、パートやアルバイトはできない。上司がいる時はできても、いなくなるとしなくなる。「いらっしゃいませ」という声は出ているが、気持ちがこもっていないので、感じが悪い挨拶になっている。多くの問題点がある。

 挨拶で最も重要なのは、気持ちの問題である。挨拶は頭を下げ声を出すという作業ではなく、気持ちを伝えるコミュニケーションである。別に声を出さなくても、アイコンタクトと笑顔で気持ちが伝わるならそれで十分だ。要は本当にお客様に喜んでいただきたいという気持ちになっているかどうかである。楽しく買い物をしていただきたいという気持ちにならないと、感じのいい挨拶はできない。
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これはサービス業なので、当たり前かもしれないけど、どんな商売であろうがプライベートであろうが、普段の挨拶ができるかどうかは人間としての基本中の基本であると思う。

大手一流企業の若者はそんな事はないのかもしれないけど、挨拶のできない、下手な若者は多い。しかも増殖している。(と思う。)

ゲームや携帯の普及で、『心の鎖国化、砂漠化』、が進行し、オタクだの、草食系だのと形容されるようになっている。

通っているスポーツクラブでもそう。
racquetballをやっているので、そのサークルでコートサイドに老若男女が集う。
中高年の人たちは、いつも明るく冗談を飛ばしつつ、

「いやあ、元気?」
「どうしてたの?」
「しばらく見ないうちにおなか出てきたんじゃないの?」
などと和気藹々やっている。

そこに若者が来る。
挨拶もせずに通り過ぎて、仲間内だけでこそこそ話している。
知ってる人に会ったら(特に年長者には)、はきはきと明るく「こんちわ!」くらいの挨拶すればいいのに。
目を合わせて、嘘でもいいから敬意を表したらいいのに。
コミュニケーションの基本たる挨拶がろくに出来ない。
そんなことがジェネレーションギャップ、コミュニケーションギャップを引き起こしている。
つまんないことなのにね。
そんなに難しいことじゃないのだから、そこだけはしっかりやればいいのにね。

将棋界でも同じような話を聞いた。
(一部の)若手棋士が挨拶をしない。
実力はあるのに挨拶が出来ない若者はいかがなものか。
真っ向から注意する先輩棋士もいるとのことだけど、なかなか改善されない。
挨拶しない、できない棋士は、力があったとしても、評価されない。
こいつにだけは負けたくない、という変な心理を引き起こす。
笑顔できちんと挨拶ができていれば、こいつはいい奴だから、最後まで頑張った挙句であれば負けてもいいか、という奥底の心理が生まれる。
まあ、そんな簡単なもんじゃないけど、人間ってもんはそんなもんだ。

はい、じゃ、皆様、おやすみなさい。
毎晩、遅いんだな、最近。
明日もよろしくお願いします。
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名人戦第一局

2010年04月10日 18時18分49秒 | 将棋
花冷えのおととい昨日の二日間、椿山荘で行われた、今期の名人戦第一局

400人も集まった前夜祭も含め、主催者、関係者やたくさんの棋士が集まり、中継、報道も含め、近来にないほどの盛り上がりを見せました。

米長会長の挨拶のように、これが共催効果なのでしょうか。

羽生名人、そして挑戦者の三浦八段の勝負に対する集中力、自信がぶつかり合い、あまりの熱戦、熱気で、今日は半袖でも過ごせるようなポカポカ陽気になってしまいました。

将棋の第一人者 vs.将棋の研究の第一人者の戦い。

一日10時間研究していた三浦八段。
浅田真央が朝6時から夕方6時まで、12時間練習をしているという話を聞いて、ショックを受けた。
まだまだ自分は研究が足りない。

ということで10時間から12時間にした、という話。

それを受けた羽生名人も、これは油断できない、と、いつも以上の闘志を持って厳しい戦いの姿勢を見せたように思います。

先手三浦八段がかなりリード、という局面から、終盤の一分将棋に至る闘いは、本当に真剣での斬り合いと言った様相。
緩い手などまるでない。
形勢判断が一手ごとに揺れ動く。
鋭い斬り合いが続いていくうちに、いつしか羽生名人の大局観が勝っていた、という結果に。

落ち着いた差し回しで、二枚の角を中心に左から勢いよく攻め込む三浦。

△6六歩と銀の頭に歩を叩き、△5四桂で牽制し、形を崩し、左右から挟み撃ちする羽生。

△三八歩という手も凄かった。

第一人者同士の極限の読みの力の闘い。

それにしても昨夜のBSの8:50~9:00という放送は見事でした。
夕方の放送から、一気に深夜に飛び、結果を知らせる、という以前の放送形態でなく、この時間帯に10分だけでも放送枠を設けた快挙。

なんと、「生(なま)羽生震え→生(なま)三浦投了」
という究極の緊迫感を味わう事ができました。

思わず、「あっ、震えてるよ!」と叫んでしまった。
久々に羽生名人の手が震えている様をリアルタイムに観られる臨場感。
感激しました。

勝った羽生名人はやはり誰よりも広く、大きく、深く盤面を観られる凄さを感じたし、自信を持って臨んだ三浦八段も、しっかりと自分の力を出し切った闘いが出来て、ある意味満足感、充実感に浸っているのではと思いました。

渡辺竜王名人戦第1局。という記事。
遠山四段冷や汗という記事。
そして、そこでも紹介されている梅田望夫さん名人戦開幕という記事。
いつもの名調子で動画も含めて楽しませてくれるshogiygooさん2010名人戦第一局ー羽生名人vs三浦挑戦者という記事。
あまりにもレベルの高い戦いを目の当たりにし、皆、興奮しているかのようです。

「将棋というゲームは、世界中のゲームの中で唯一戦死者を出さないゲーム。」

「将棋は日本の誇るべき素晴らしい文化だ。」という前夜祭での大臣の挨拶。

桜満開の美しい舞台で行われたこの最高峰の戦い。

将棋の醍醐味を再確認し、将棋ファンでよかったと心から思わせてもらった名人戦第一局でした。
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ぼったくりのその後

2010年04月09日 02時10分59秒 | 日記とニュース
激動の一週間から始まったいろいろ勉強になったこの10日間。

病院の不思議、そして、ぼったくりの真相と書きました。

たくさんの方々にご心配をかけ、温かいコメントもいただきました。
本当にありがとうございました。
おかげさまで、妻も大分落ち着いてきました。
とは言え、まだ骨はついてないので、足は固定されたままで、一人ではどこにも行けません。もう少々の辛抱ですね。
僕の腰の方はほとんどもう気にならなくなりましたが、まだ整骨院にほとんど毎日のように通ってケアしています。
-------------------------------------------
びっくりですね。 by Danchoさん

>奥様もnanaponさんも、快方に向かっているようで、ホッとしています。
ですが、ご無理はなさらずに…。

ありがとうございます。
妻はかなり歩けないストレスが溜まっているようで、わああーと叫んで、包帯も添え木も取ってぶん投げたくなる時があるって言ってます。

>私も、23年前の左足の病気ときに、松葉づえを借りました。

そうでしたね。
いや、松葉杖はやってみたけど難しいです。
皆、手のひらや脇のところがずるむけになるって聞きました。

>しかし、「1本」が「30本」ですか。そんなミス、その時点で気付かないのが具合悪いですね。もしこれが薬なら、命にかかわる事じゃないですか!。

ほんと医療の実態は誰がどこまで掴んでいるのか、心配です。
誰もわからないところで恐ろしいことが起こっている可能性はかなりあるのではと思いました。

くっち~さん

>まるでレガースのように右足に添え木を当てている光景を想像しました。
手術といっても、切開せずに直すケース(整形外科とか)も有りますけれどねえ

レガースですか。30本を想像するには創造力が必要です。

>>添え木っちゅうもんは、そんなに高いもんでっか?
>なんで関西弁になりますねん。

なんや知らんけど、そうなりまんねん。

怪しい気が…  by 英さん

>う~ん、単なる間違いなのでしょうか。
私はひねくれ者なので、勘ぐりたくなりますね。

この話はひねくれてなくても怪しいと思うのではないでしょうかね。

>最初、「添え木1本」を「添え木30本」と入力して請求した。
 その後、請求額が高いという質問に対して回答するとき、その間違いに気づいた。しかし、その際、『「1本を30本」と入力した』という間違いに気づくべきところ、『「1本を3本」と入力した』と思い込んだ。再度の質問に、「30本と入力した」ということに気がついたということになります。

怪しいですが、僕の読みは、最初の質問で、3本と答えた後に、いろいろ調べてみたら、3でなく30だったと気づいたのではないかと思います。しかしそれを僕に連絡するのも変だし、とりあえず6万という正しい金額も伝えたので、いっか、と思ったのだと思います。

>治療を受けた側は支払わず、加害者側が支払うので、細かいチェックはしないだろう。それを見越して、水増し請求したのではないかと、勘ぐりたくなりますね。
 
いや、ここの部分、絶対にうまくやればわからない悪の温床です。

>悪いと知りながら作為的に犯すような「故意犯」「未必の故意」にあたる場合に、「確信犯」という言葉を誤用される場合が多いのですが、元来の意味「たとえ法律に違反しても、自己の思想・宗教・信念のもとに正しいと確信して罪を犯す」→「悪いと知りつつ罪を犯す」→「故意犯」とする考え方もあるそうです。

そうですか、知らなかったですよ。よくわかります。
話は変わるけど、バンクーバーの国母も、自らの思想、信念に基づき確信的にやったのであれば、どう言われようが、どうなろうが、貫けばよかった、という事だと思います。(犯罪じゃないけど)

けいすけさん

>しかし、1本を30本ですか。そこまでいくと、さすがに単純ミスでしょうね。故意犯でそこまではしない。世の中、嘘つくにもほどがあるってものです。如何に加害者払いとはいえ、加害者本人が支払う訳ではなく、その保険者(自賠責)が払う訳でしょ。彼らだって素人じゃないんだから、気付いていちゃもんつける可能性大だろうと思います。

先日、大手損保会社の友人に会ってこの件話したのだけど、多分よほどのことがない限り調べないで払うのでは、と言ってました。

>しかし、そこまで極端なミスなら、病院の事務担当だって、書類をパッと見て「数字が不自然」と気付きそうなものですが。。。

ほんとそう思うんですよ。
そんな注意散漫で事務的に、流れ作業をしてるんでしょうかね。
------------------------------------------------
この話、今いろんな人と会う度にしてます。

平均的な反応は、

『やあ、それ、(その病院は)やってるね、絶対に。』

大手損保会社の友人までもそう言ってました。

この病院だけでなく、医療と政治の癒着、利権構造、なんて話にまで膨らむと、これはすごいことになる。

添え木の数から始まり、永田町を揺るがす大問題に発展する。

でももしそうであれば、新政権の問題というより、このブログが立花隆の田中角栄の金脈を暴いた文藝春秋のような存在になるやもしれない。
日本の医療制度改革における歴史の1ページがこの記事から始まるのかもしれない。
ドキドキしてきた。

そして今日のこと。
保険会社が病院にお金を払ったとばかり思っていたら、実はまだだった。
保険会社の人と話したら、
「請求書を送って欲しいと言ったのに、まだ送ってこないんです。そればかりか、早く払って欲しいと今日病院から電話があったので、請求書を送ってこないから払えないんじゃないか、と言ったんです。」
やあ、ひどい病院です。
こんなことを日常茶飯事にやっていたら、添え木1本を3本なり30本に、軽く間違うのも不思議ではないです。
いやあ、やるなあ、世の中には想像を絶していることがあるんだ、
と、あきれるばかりの今日この頃です。

皆様、いろいろお気遣いありがとうございます。

多分、このネタはまだ続きます。
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さあ、名人戦です

2010年04月07日 13時40分33秒 | 将棋
さあ、いよいよ名人戦の季節です。
少しずつテンションが上がってきました。

そして過去のいろんな名棋士たちの名人位を争う戦いの歴史が蘇ってきます。

昨日の朝日新聞です。

あの棋聖戦で羽生七冠を撃破した三浦八段が、羽生名人の牙城を崩すことが出来るのか。
さらに出来る限りの研究を重ねて万全の体勢で椿山荘に乗り込んできているはずです。
やっと掴んだこのチャンス。
自分の力を発揮できずに、簡単に退けられるような棋士では絶対にない。
力と力がぶつかり合って、激しくスパークし、盤上に自分のすべてを注入する闘いが繰り広げられます。

昨日の日刊スポーツです。

あらっ?名人戦と関係ないか、これ。(笑)

満開の桜に冷たい雨。

二人のこの戦いに向けてのいろいろな思いに心を馳せつつ、

どんな戦いになるのか、ドキドキしてきました。
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私鉄沿線

2010年04月07日 02時04分13秒 | 日記とニュース
僕が幼稚園時代からずっと通っている私鉄の最寄り駅。

鈍行しか停まらない。

都心へ1時間もかからないのだけど、こののどかさ。

桜がきれいです。

平日の通勤時間帯はさすがにこんなではないけど、子供の頃とそんなに変わらない風景がそこにはあります。

広告主がいないので、スカスカになっちゃってます。

通過電車ばかり。停まるのは珍しい。(うそ!)

いいでしょ、こういう風景。

一瞬、時間が止まっているかのような錯覚を覚えます。
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ブームがもたらすこと

2010年04月05日 16時47分22秒 | 将棋
落語の事、これこれこれと書いてきました。

先日、強烈な落語マニアの友人と飲んだ時の話です。

最近かなりの落語ブームとのこと。
若いファンも急速に増えてきているとのこと。
ある意味うらやましいしそうなった背景や理由をきちんと調べてみたいところです。

それで、何が変わりつつあるかというと、
(あくまでもその友人の意見だとは思いますが)

若手でも、芸が巧くなくても、何でも受けてしまう。

その結果、若手の噺家が慢心するようになっている。

そして、芸が粗くなってきている。

うーん。よくわかる。。。

生かすも殺すもお客様次第。褒め殺し。

彼のような落語をこよなく愛するファンとしては、
いろんな落語家の落語を観ているうちに、
「落語という古き良き日本文化」を育てたい気持ちが膨らんできた、とのこと。
大げさに言えば、自分たちのようなコアなファンが、芸の質を守り、上げていくくらいの気持ちだそうな。

すごいです。
おこがましいと思う人もいるだろうけど、一ファンとして、そこまでの意識、熱烈な愛情が持てるというのは、落語界も幸せだと思います。

ということで、ブームになりすぎて、右も左もわからないファンが増えていることは、
あまり歓迎すべきことではないと言っていました。

ゴルフも似たような話がありますね。
石川遼や宮里藍、横峯さくらが大活躍して、以前よりギャラリーも視聴率も増えている。
当然ながら、ゴルフのことをあまり知らないギャラリーも押し寄せてくる。
それに連れて、平気で写真撮ったりなど、マナーがすごく悪くなっている。

そういうビギナーファンのために、お金をかけて、「観戦のマナーを守りましょう!」というPRビデオやポスターも作ったらしいですね。

ずいぶん昔、京都や奈良、津和野とかがブームになり、歴史も文化もおよそ興味のないようなアンノン族のギャル(死語?)たちが押し寄せて、ちゃらちゃらしたお土産屋さんが並び、警官が来るほどではなかったけど、景観を損ねたこともありました。

ファンが増えれば増えたでいろんな悩みが出てくるようです。

さて、将棋界は一体どうなんでしょうか?

栃木将棋まつりもおとといの弁護士イベントも満員御礼だったそうだし、僕がこの前行ったA級順位戦最終局とか、王将戦第五局の大盤解説会も立ち見だった。
まあハコ(キャパ)の問題はあるだろうけど、これは何年か前に比べたら、確実に進歩してるのではと思えてしまう。

過去の解説会の集客実績の時系列データなんてきちんと取っているんでしょうか?

先日、なんでアンケートをやらないんだろ?って書いたのだけど、いつも来てる人(レギュラー顧客)だけでなく、新規の客が増えているのか。
一度来た人はリピーターになっているのか。
来場客満足度は高まっているのかどうか。

今、連盟もLPSAもプロ棋士たちも、普及のために、全力投球をしている。
そういう努力が、ちゃんと実を結んでいるのかどうか。
単に、連盟の収支が改善されたかどうかなどの曖昧なことでなく、きちんと把握しようとしているのでしょうか?
そして、うまく行っているにしろいないにしろ、データを元にして、その原因を究明し、分析し、修正をかけ、さらにいい方法、効率的な方法を編み出そうと努力しているのかどうか。

もっと言えば、イベントの集客数だけの問題ではなく、
将棋連盟やLPSAやタイトル戦HPなどのアクセス数、
将棋世界や週刊将棋の販売部数、
NHK杯や囲碁将棋ジャーナルの視聴率、
囲碁将棋チャンネルの契約数、
などの時系列データも知りたいところです。

将棋ファンは、減ってなくて、着実に増えているのか。
今やっている普及の努力、底辺拡大の施策が、数字の実績、結果として着実に現れているのかどうか。

将棋は斜陽産業、という言葉もあったけれど、今はどういうカーブのどの辺にいるのだろうか。

一将棋ファンとして、将棋をいう素晴らしい文化を応援したいと、常々思っているので、ついついそんな風に興味は尽きない今日この頃なのです。
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