即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

ワクワクすること

2008年02月08日 00時13分13秒 | 雑感
僕のこの記事が発端になったかのような風屋さんの記事「高校野球」

そして、川島さんの記事「ラジオの実況中継。」

この二つを読んで、こんなことを思いました。

三丁目の夕日」の世界ではないけれど、昔はいろんなことに心ときめいていた。

あまり興味なくなった、と書いた高校野球も、
あの頃は開会式を見て、入場行進や選手宣誓を見て、
さー、始まるぞ、どんな熱戦が見られるんだろう、
10日以上も毎日楽しくてしょうがないなこれは、と、
対戦表を見ながら、ワクワクした。

大学時代、思い余って、地元千葉代表の習志野高校を応援しに、甲子園まで出かけていって。
別に出身校でもないし、親戚や知り合いがいたわけでもない。
単なる千葉県代表と言うだけの習志野が、準々決勝まで進んでいって、もう気持ちはチームと一体化していた。

一日で4試合やる準々決勝。
朝8時から夜まで。
夜行バスに乗り、朝の試合開始とともに球場にいて、4試合、ずっと固唾を呑んで興奮して見続けた。もちろん真夏のぎらぎら太陽直射なわけで、頭からカチワリを欠かさずに。
懐かしい真夏の一日。

巨人戦も、相撲も、父に連れていかれたプロレスも、そりゃあエキサイティングな観戦、経験をたくさんしました。

ダービーだって、有馬記念だって、朝からワクワクしていたし、
プロレスのチャンピオンカーニバルや世界最強ダッグなども、
こんなそうそうたる顔ぶれが一堂に集まり戦うなんて、どうなるんだろうか、って、入場行進の花束の殴り合いだけでもう興奮は極限状態に達していました。

そう、あの頃は、クリスマスも正月も、夏休みも春休みも、ずいぶん前からワクワクしていた。
紅白も、レコード大賞だって、ドキドキしてた。

それが、いつの頃からワクワクしなくなったんだろう?

高校野球も巨人戦も相撲もプロレスも、あの頃と比べたら数段興味がなくなった。

慣れてしまった、というのもある。

選手に個性がなくなった、というのもある。

大人になって、みずみずしい子供の頃の感性を失くしたから、というのもある。

また、これは、時代のなせる業、ってこともあるのかもしれない。

なんとなく皆冷めてる時代。

何かに興味を持てなくなったら、また次の新たなものを見つけるのか。

それともせっかく興味を持ってやってきたものだから、なんとか工夫して長続きするべく、モチベーションを上げていく方法を編み出すのか。

どんどん年とともにワクワクする物を失くしていってしまうのは寂しい。

前に書いたように、待ち合わせでドキドキしたり、もっと言えば、初めて自転車に乗れた時のワクワク感って、もう無理なんだろうか?

仕事は味方
浜口 隆則
かんき出版

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最近、この本を読んで、仕事について考えさせられた。

前に書いた、「戦わない経営」の続編です。

仕事は味方。栄養に溢れてる。
仕事とは喜ばれること、幸せを商品に乗せて運ぶこと。
関わるすべての人を幸せにすること。
幸せと人生と自分らしさをつないでくれるもの。

ほんと、浜口さんの言うことを聞いてると、仕事って楽しい、ワクワクしてくる。

失ってしまったいろんなワクワクを思い出しつつ、死ぬまでワクワクしていたい、と思う今日この頃です。
コメント (5)
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