即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

そこに七冠があるから

2008年02月14日 00時55分27秒 | 将棋
今日は二冠対決の棋王戦第一局が行われましたが、大熱戦を羽生二冠が制したようです。

ということで、またしても羽生ネタです。

ssayさん《モチベーション》という記事に触発されて書いてみます。

僕の「自分へのミッション」という記事に触発されて書いていただいたとのことですが、まず一部引用させてもらいます。
-------------------------------
将棋の羽生の場合、もちろん天賦の才能、並はずれた努力や根性も素晴らしいが、彼と他の超一流棋士達の何が決定的に違うのかと言えば、それはやはり「モチベーション」ではないだろうか。

--中略--

森内、佐藤にしても然りである。
森内が名人・竜王を含む三冠になった時、あるいは佐藤の5連続タイトル挑戦など、一時期羽生をも凌ぐ活躍を見せた事のある両名だが、長続きしなかった。何が羽生と違うのかと言えば、才能ではなく「モチベーション」である。

そもそも、羽生は勢いに任せて七冠を獲ったのではない。
七冠は棋士になった時からの目標だったと明言している。
このことは、自らの才能を過大評価しているのでも、他の棋士たちを見くびっていることを示しているのでもない。自分の才能に自惚れたり、他者を馬鹿にするような視野の狭い人間に、そんな大それたことなどできるはずがない。
おそらく羽生は、七冠王達成に対して「使命感」を持っていたのだろう。
それは、将棋界隆盛のため云々などという意味合いではない。そんな事を言うのは、国民のためと言ってその実訳の分からない使命感に燃えている政治家連中とあまり変わらない。

なぜ、七冠なのかと言えば、それは「そこに七冠があるから。」としか言いようがない。つまり、抽象的な漠然としたものでは、目標となりえない。羽生が棋士になった頃の将棋界は、それまでの先輩方の尽力により七つの公式タイトルを主催できるようになっていた。そういう環境を見て、羽生は七冠を目標に定めたのだろう。
ただし、目標にする事は誰でもできるが、本気で成し遂げようとするならば、これまでに述べた通り、才能+努力+体力+モチベーションが必要となる。
そして、羽生は自らに七冠制覇という「ミッション」を与えたのだ。

七冠達成以後の羽生の活躍も素晴らしいが、彼自身はその都度、その都度、自らのモチベーションの高さを維持するのに苦労したようだ。現在の羽生がどのようなモチベーションで臨んでいるのかは、現時点では分からない。
---------------------------------------

そこに七冠があるから、というのは蓋し名言だと思う。

7冠に向けての羽生のモチベーションは、マスコミも巻き込み、果ては世論までも巻き込んで、世論の強いモチベーションに昇華していった。

世間が7冠達成の瞬間を見たい、という大きな意思が、羽生を、そして、谷川を、そして、彼らの操る駒にまでも、ぐいぐいと染み込んでいった。

神戸大震災の被災というモチベーションで、谷川は一時凌いだものの、またそれはさらに拡大して、すべてのタイトルを防衛するという奇跡まで引き起こし、そのミッションは完璧に達成された。

その時点では、もう羽生のモチベーションと言うより、巨大に膨れ上がった世間のモチベーションとなっており、谷川は完全に飲み込まれていったのだと思う。

昨年暮れのプロフェッショナル仕事の流儀心に響いた流儀特集の中で、今までで最も心に響いた流儀ということで、羽生二冠の言葉、『才能とは努力を継続できる力』が見事第一位に輝いた。

また、片上五段この記事の中で、

「また羽生二冠の言葉にも、いつもながら印象的な言葉がたくさんありました。本当に、どんどん一人で深い世界へ行っているような印象を受けます。」

と語っています。

羽生はこれからどこに向かって行くのだろうか。

どうせわからないのだから、あとは混沌の世界に身を任せ、混沌を楽しんで対局している。

当時と比べて、森内、佐藤、郷田、深浦、そして若き渡辺竜王などなど、全体的にもレベルは上がっているし、羽生もどんなにがんばったとしても、多分4冠、5冠が精一杯ではないかと思う。

それでも、頻繁にタイトル戦に登場し、7割を超える勝率を残し、そういう意味でも羽生時代はまだまだ続くのだと思う。
どんな戦型でも厭わず、付き合い、絶妙の大局観の中で最善手を指し続ける羽生。

要は、彼の景色の中に、どんな山が見えるのか、である。

構想力 (角川oneテーマ21 C 138)
谷川 浩司
角川書店

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谷川九段がこの本の中で言ってます。

棋士は3つの顔が必要。
それは、勝負師と研究家と芸術家。

特に前例のない局面では、芸術家の側面が大きくものを言う。
この3つの顔をバランスよく持つことが、トップ棋士の絶対条件ではないかと。

しかし、羽生は、もうこの領域は超えているような気もしている。

将棋のことばかりでなく、学者や評論家や各界の一流の人たちと、対等以上に渡り合える力。
人間的にも、明るく、謙虚で、気配りも忘れない、一流の力量を備えるに至っている。

7冠の次に、聳え立っている山、それは果たして何か。

こうやって考えると、新手一生、とか、棋界の発展とかではないだろうし、言葉では言いようのない何かを捉えているのではないだろうか。

多分一人だけ、指し手、とか、局面、とか、盤上、という狭いところにはいないのでは、と思います。

もはや棋界の人ではなくなっているのでは、ないだろうか、と。
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失敗は協力者

2008年02月12日 20時58分00秒 | 
先日の雪が降っても自分の責任の続きです。

浜口 隆則さんの本とセミナーの話です。

戦わない経営
浜口 隆則
かんき出版

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仕事は味方
浜口 隆則
かんき出版

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雪が降っても自分の責任、というように考えると、失敗だらけの人生になる。
すべての失敗を、自分事として、いかに受容するのか?
失敗をどう捉え、どう生かしていくのか?

下記の図。
右に行ったら成功、左に行けば失敗。
これが陥りやすい図。
              失敗←   現在    →成功
-----------------------+-------------------------    

でも失敗の位置づけはそうではない。
何もしないのが、一番の失敗。

失敗は成功の母、とあるけれど、失敗を積み重ねることが、成功に向かって一歩一歩前進していくこと、という図です。
もちろん、反省や総括をして、次に生かす手をちゃんと考え、打たなければ意味はない。          
              失敗1   失敗2   失敗3   失敗4  
何もしない--------+---------+--------+---------+---------成功                                                    
   
構想力 (角川oneテーマ21 C 138)
谷川 浩司
角川書店

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この本の中で、谷川九段も言ってます。

『今まで、600回以上も、「負けました。」と頭を下げてきた。
それは本当に辛い。
だがそれだけ負けたからこそ、私は強くなれた。
なぜなら敗因を分析し、反省し、次はどうすれば勝てるのか創意工夫し続けてきたから。
反省のないところに前進は生まれない。』と。
                 
加藤九段の1000敗というのも、1000回もどんどん進化した、ということ。
負けを糧に、高みへ向かって、さらに崇高で聖なる領域にどんどん近づいて行っている証とも言える。

こういうことではなく、  
                 負け←   現在    →勝ち
三流棋士---------------------+----------------------- 一流棋士   

こういうことである。                    
                                                                          
             100敗  200敗 300敗  400敗
プロ入り------+-------+-------+-------+-------超一流棋士                                 

失敗は結果じゃない。
失敗は、「成功」と「何もしないこと」の間にある。

失敗はいつも教えてくれている。
より良くなるために鍛えてくれている。

失敗すればするだけ強くなる。

失敗をして、WHYを積み重ねていけば、より本質が見えてくる。
より本当の自分がわかる。

うーん・・・・・。             
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雪が降っても自分の責任

2008年02月09日 01時35分40秒 | 
前にも書きましたが浜口 隆則さんの本。

戦わない経営
浜口 隆則
かんき出版

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仕事は味方
浜口 隆則
かんき出版

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セミナーにも行ってきました。
初めて会った浜口さんは、若くて色黒で長髪のさわやかなスポーツマンタイプ。

講演は下手と言っていたけど、一言一言にすごーく説得力がある。

たくさん頷ける部分があって、充実した時間になりました。
胸が熱くなったひとときでした。





一番印象に残った言葉。
それは、

「雪が降っても自分の責任」

ちょうど今のように(旬なネタだなあ・・。)、毎日雪が降っている。
雪のせいで事業がうまくいかない。(外食産業の人はいつもこう言ってます。)

これは雪のせい。

また明日も降る。また雪のせい。

自分が悪いわけじゃない。

運が悪い。

でも来る日も来る日も雪のせいにしてるだけでいいんだろうか。

人生で起こるすべてのことは100%自分の責任。

こう思うことで変わる。

他のせいにしてたら何も変わらない。
自分のせいかと思えば、変えていく。

すべて自分のせい。

逃げない覚悟。

自分の人生をしっかり受け入れること。

そう思うと、景色が変わってくる。

もう仕方ない。もう逃げられない。
逃げてる場合じゃない。

プロフェッショナル仕事の流儀イチロースペシャルで、イチローが言ってたことにも通じる。

重圧と向き合う覚悟。

他人事にしない。自分ごととして、現実と向き合う。

浜口さんは、こう思えた途端に、事業がすーっとうまくいったとのことです。

電車が遅れて遅刻しても、電車のせいでなく、自分の責任。

誤審で負けても、自分の責任。

全部引き受けることはとても大変だけど、

ちょっとした気の持ちよう、ちょっとした生活の知恵、

というくらいのことでできるようになるかもしれない、と思う。

そう思おうとすること、そして、自然に思えるような気持ちのトレーニング。

今日からやってみようと、強く思いました。
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ワクワクすること

2008年02月08日 00時13分13秒 | 雑感
僕のこの記事が発端になったかのような風屋さんの記事「高校野球」

そして、川島さんの記事「ラジオの実況中継。」

この二つを読んで、こんなことを思いました。

三丁目の夕日」の世界ではないけれど、昔はいろんなことに心ときめいていた。

あまり興味なくなった、と書いた高校野球も、
あの頃は開会式を見て、入場行進や選手宣誓を見て、
さー、始まるぞ、どんな熱戦が見られるんだろう、
10日以上も毎日楽しくてしょうがないなこれは、と、
対戦表を見ながら、ワクワクした。

大学時代、思い余って、地元千葉代表の習志野高校を応援しに、甲子園まで出かけていって。
別に出身校でもないし、親戚や知り合いがいたわけでもない。
単なる千葉県代表と言うだけの習志野が、準々決勝まで進んでいって、もう気持ちはチームと一体化していた。

一日で4試合やる準々決勝。
朝8時から夜まで。
夜行バスに乗り、朝の試合開始とともに球場にいて、4試合、ずっと固唾を呑んで興奮して見続けた。もちろん真夏のぎらぎら太陽直射なわけで、頭からカチワリを欠かさずに。
懐かしい真夏の一日。

巨人戦も、相撲も、父に連れていかれたプロレスも、そりゃあエキサイティングな観戦、経験をたくさんしました。

ダービーだって、有馬記念だって、朝からワクワクしていたし、
プロレスのチャンピオンカーニバルや世界最強ダッグなども、
こんなそうそうたる顔ぶれが一堂に集まり戦うなんて、どうなるんだろうか、って、入場行進の花束の殴り合いだけでもう興奮は極限状態に達していました。

そう、あの頃は、クリスマスも正月も、夏休みも春休みも、ずいぶん前からワクワクしていた。
紅白も、レコード大賞だって、ドキドキしてた。

それが、いつの頃からワクワクしなくなったんだろう?

高校野球も巨人戦も相撲もプロレスも、あの頃と比べたら数段興味がなくなった。

慣れてしまった、というのもある。

選手に個性がなくなった、というのもある。

大人になって、みずみずしい子供の頃の感性を失くしたから、というのもある。

また、これは、時代のなせる業、ってこともあるのかもしれない。

なんとなく皆冷めてる時代。

何かに興味を持てなくなったら、また次の新たなものを見つけるのか。

それともせっかく興味を持ってやってきたものだから、なんとか工夫して長続きするべく、モチベーションを上げていく方法を編み出すのか。

どんどん年とともにワクワクする物を失くしていってしまうのは寂しい。

前に書いたように、待ち合わせでドキドキしたり、もっと言えば、初めて自転車に乗れた時のワクワク感って、もう無理なんだろうか?

仕事は味方
浜口 隆則
かんき出版

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最近、この本を読んで、仕事について考えさせられた。

前に書いた、「戦わない経営」の続編です。

仕事は味方。栄養に溢れてる。
仕事とは喜ばれること、幸せを商品に乗せて運ぶこと。
関わるすべての人を幸せにすること。
幸せと人生と自分らしさをつないでくれるもの。

ほんと、浜口さんの言うことを聞いてると、仕事って楽しい、ワクワクしてくる。

失ってしまったいろんなワクワクを思い出しつつ、死ぬまでワクワクしていたい、と思う今日この頃です。
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消費者の勝手・その2

2008年02月06日 00時08分09秒 | 雑感
上石さん、はじめまして。いらっしゃいませ。
英さん、振られ飛車さん、こんばんは。
皆様、コメント、ありがとうございました。

>「しかるべきコスト」とは?
企業にとってはいつも変動する相場があるだけなんです。価格が付いているのは、利益を上げるためなんですよ。他に存在するのは、リスク、です。


言葉足らずの記事で、わかりにくかったかもしれません。

発端はあの事件の直後に、緊急対応に追われている某大手外食企業の人と話していて感じたことだったんです。
中国産のものは、至急止めて代替品をどうするか、工場の加工をどうするか。
そして至急(再度)検査に出すものもたくさんある。
店のメニューはすぐには変えられない。
当然コストのことは考えず、対応せざるを得ない。

まあ、それは仕方ないことだけど、要は品質保証の度合い、安全の確率の問題だと思います。

中国だから100%危ないということでもなく、他の国だから100%安全ということでもない。
企業の姿勢として、安全確認や品質保証をどこまでするのか。
当然最低限の法令順守はするとしても、まだまだリスクは伴う。
食べ物に関してだから、当然100%安全ということにならなければいけないけれど、どこで線を引くのかは難しい。
どこまでやっておけば、自信を持って提供できるのか。

中国であれどこであれ、仕入先が信用できないとなれば、いや、信用していたとしても、念には念を入れて、頻繁に何度も仕入先の体制をチェックし、納品されたものを検査に出し、確認作業を繰り返さないといけない。

当然そこまでやればコストは上がる。
本当に責任持とうとしたら、とことんやらないとだめ。
そこまでやったとしても、リスクはある。

しかし、やったからといって、値上げしたり、明らかにバリューの下がる代替品に替えたら消費者は離れていく。
これだけかかってるコストをわかってくれない。

そんなわけで、(消費者側として)何が言いたかったのかと言えば、

英さんの挙げていただいた例、「パーソナルコンピュータやDVDレコーダーは少し高くついても、故障しない方がいいです。」ということです。

ここまでは保障はできないけど、これだけ安いです。
ここまで保障するので、これくらい高いです。
どっちを選びますか?

(安全のことはしっかりやってますが、)
中国産の食材が入っているけど、安いです。
中国産は入ってないので、高いです。
どっちを選びますか?

情報開示の問題はつきまといますが、成分の野菜などにも産地を書くことにしたら、小さなパッケージには書ききれなくなるし、産地だけでなくどんなチェック体制をしいているかのことまでは触れられるわけもない。

要は、安全ということのコストをどこまで払うつもりがありますか?

と、自分に問われている。

少し高くついても故障しないのと、普通すぐには故障はしないけど、故障の可能性はあるので安いです、という時、どっちにするのか。

メーカーのブランドや信頼度、その時にお金の余裕があるのかないのか、サポート体制、などなど、いろんな要素が絡まってくるので、そんなに簡単な判断ではないと思うけど、与えられた情報の中から選択していくしかない。

国や企業に、どこまでの安全性や品質を求めるのか、ということをコストとセットで考えていかなければ、と思った次第です。
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消費者の勝手

2008年02月05日 00時28分22秒 | 雑感
ギョーザ中毒 人為的に混入強まる 中国で製造・流通時に(産経新聞) - goo ニュース


期せずして、凡人さんこのことを書いてますが、ちょっと違う視点で。

最近、このニュースで持ちきりですね。

もう絶対に中国食材は食べない、と、街頭インタビューなどで皆が言ってる。

そりゃあ、あんな被害を目の当たりにしたら、誰だってそう思ってしまう。

ただ、その前に、我々消費者はメーカーや流通に対して、1円でも安いものを求めていなかったか。

メーカーはそれに応えようとして、1円でも安くできるところに発注する。

当然仕事は中国に行く。

価格だけでなく、品質も求めてはいるけれど、安さが正義、という感は否めない。

安全なのが当たり前。
安いのが当たり前。

もちろん両方を満足できればいいけれど、安さの方にウェイトが行ってしまうので、中国に目が行き、そして劣悪な環境で生産が行われる。

無理に無理を重ねて価格競争に勝とうとする。

しかし、特に食品は、当然ながら安ければいいということではない。

しっかりした安全検査とか、品質管理とか、それ相応の必要コストがかかる。

精一杯の企業努力は必要だけれど、それ以上の経済原理が働くので、当然どこかが蔑ろになる。

これだけの検査とか、品質管理とか、念には念を入れてやっているので、少し高いですよ、という売り方に修正していかないといけないのでは、と思う。

買う方も、そういう目で、買い物をしていく習慣をつけないといけない。

ディスカウント=ディスクオリティ?

品質も良くて、しかもめちゃ安、だなんて、そんな自分だけうまくいくわけはない。

消費者はしかるべきコストをきちんと払うから、という姿勢がないと、

何でも安けりゃいいだろ、の世界になってしまう。

安全代、安心代は高くつくもの。

別にいい加減な企業をかばったりするわけじゃないのだけど、

自戒の意味で、そう思った次第です。
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1月の日記

2008年02月02日 00時13分00秒 | 日記とニュース
現在gooの木、51,325です。
参加ブログは現在4,581ブログ。

最近の加速度的なスピード、ますます勢いづいています。

では1月の日記です。
---------------------------------------
新年です。寝不足だけど気持ちのいい年明け。今日は実家で、20人近く親戚が集まって大騒ぎでした。(1.1)
あっという間に6日間の休みが終わって明日から仕事です。ゆっくり本を読むとか、ハイビジョンで正月番組をゆっくり見る、とか、何もできないうちに過ぎてしまいました。(1.3)
昨日は電車、すいてましたねえ。とりあえず、年賀状終わって、一息です。正月の録画、これから見ます。(1.5)
今日もいい天気。それにしても流通経済大柏、強いですね。大勝で決勝進出。そして、gooの木、あっという間に35000本、達成!(1.6)
年明けから忙しいです。昨日も今日も一日中ハードで、昨夜は結構飲んでしまって。書きかけの記事、たくさんあって、どれからどう形にしようか、考えてはいるのだけど、落ち着いてまとめる時間がねえ・・・。(1.8)
今夜はマーケティングコンサルタントのセミナーに行ってきました。ほんと、興味深い、頷ける話満載の二時間半。充実して少し興奮しちゃいました。(1.10)
今日は仕事で会社。昨日とおとといは久々にカラダを動かして汗をかきました。あっ、gooの木、もうすぐ4万本ですよ。(1.14)
gooの木、あっという間にすごいペースで4万本超えました。現在40.600本。3910ブログです。もうどうにも止まらない~(1.15)
寒い夜でした。飲んで帰ってきました。こんなに寒い日が続くと、温暖化は進んでないのかな、なんて、ふと安心したりもしますね。(1.16)
おととい、gooの木が4万本行きそう、って書いて、たった二日しかたってないのにもう42,000本です。いやあ、速い!(1.17)
寒い毎日です。昨日の朝は少しだけど雪が積もってましたね。今日は寒気がして、早めに帰ってきました。しんどい一週間がやっと終わったけど、来週に持ち越しのこともたくさんです。(1.18)
読みたい本が溜まってます。忙しくて読めてない現状、情けないです。今日は少し進みましたよ。(1.20)
将棋の記事、書いてないです。もう少しお待ちくださいね。構想はいっぱい・・・。(1.21)
株価。ガソリン。気温。またかなりの腰痛。(1.22)
寒いです。出かけたくなかったけど、仕事で外出。こんなに出かけたくない日も珍しいですよね。(1.23)
gooの木、もうすぐ45,000本ですね。極寒でも、どんどん緑の木は育ってます。(1.25)
今日はどこにも行かず、ずっと家にいました。いろいろやることあって、ブログは書いたけど、なかなか本が進みません。(1.27)
明日は注目のハンドボール日韓戦。ルール、審判、判定、そして協会のやり方。いろいろ勉強になりますね。(1.28)
冷たい雨の一日。たくさんコメントいただいてるのに、レスできてなくてすみません。草稿中の記事も溜まりに溜まってます。(1.29)
あっという間にgooの木、五万本です。早すぎてついていけませんね。(1.31)
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アンリトゥンルール

2008年02月02日 00時09分08秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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ついに第六弾です。

明文化されていないけど、暗黙の了解で守られているルールの話。

メジャーリーグで、新庄がホームベースを手でタッチして問題になった。
ホームベースは足で踏むのがアンリトゥンルールであって、手でタッチするのはすごく失礼な行為に当たる。
アメリカ人の感覚では、おちょくられているような感じがするとのこと。

将棋では、例えば

駒を並べる順番とか。

封じ手の時間の10分前になったら指さない、とか。(記録係りが図面を書き始めているし。)

タイトル戦は、和服、とか。

船戸二段書いているけど、
駒は上手が片付けるもの、だとか。

相撲で言えば、
横綱は立会いでかわったりしない、とか。

柔道だと、
「はじめ!」の合図で試合を始める前に、相手の目を見て挨拶をする、とか。
最近は、目を見て挨拶もしない外人が増えているらしい。

『礼に始まり礼に終わる。』の精神。

グローバル化の波の中で、近年少しずつ変わってきてはいるけど、
こういうアンリトゥンルールの文化的背景をきちんと伝える作業をしないといけない。

外人じゃ、無理、とかってことはないはず。

柔道が盛んなフランスでは、柔の精神とはどういうものか、というのが、しっかり根付いていると言う。

要は、勝てばいいって話じゃない。

明文化されてない儀式ほど大切。

文化的背景をきちんと伝えること。
教えなきゃいけないし、逆に言えば、学ばなきゃいけない。

世界に日本の伝統的文化を発信する、という気概を持つべき。

伝統と合理性は矛盾しないはず。

などなど、二宮さん、羽生二冠は口を揃えて言ってます。

こんな話を読んでいると、

アメリカの合理的な市場主義とか成果主義に流されるのでなく、

日本の商売のしきたりとか商人の魂とか、

ずるいことはしない、ぬけがけはしない、みたいな、
伝統に裏打ちされたモラルがどこかに行ってしまっている現状に思いは至る。

法律の網さえ潜り抜ければ、どんな手を使っても、競合に勝てばいい。

勝ち残ることが正義、という精神。

金にものを言わせて、市場を牛耳る。

弱いものを支配する。

リトゥンルールのみが市場の原理原則になって回っている。

「アンリトゥンルールの大切さ」を、つくづく思い知らされる、
何でもありの現代社会ですね。
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自分へのミッション

2008年02月01日 00時31分40秒 | 将棋
歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論
羽生 善治,二宮 清純
日本経済新聞出版社

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この本の感想、第五弾です。

吉井がメジャーリーグに行く時の話。

32歳の時にアメリカ行きを決意し、誰もが無謀だという中で、自分は決して無謀ではないと言った。

彼はどうやったらアメリカで活躍できるかを考え抜き、入念に実験し、準備していた。
そのために自分に無理を重ねて、負荷をかけ続け、勝算が立ってから決断している。
高い目標のために根気と努力を続け、勝負の時期を待った。

結局は、才能よりもモチベーション、という話。

羽生さえもこう言う。

自分の立ち位置は自分では見えにくい。
人のことは見えても自分のことは見えない。

客観的に自分を評価するのは難しい、と。

自分が何をしたいのか。
本気でそれをするのか、したいのか。

反対されようが、どうしてもメジャーに行きたいのか。
世の中を全部敵に回しても、それでも行くのか。

自分のミッションをしっかり持っていること。

結局成功する人は、才能もあるかもしれないけど、

そこで決まるのではないか。

野茂やイチロー、そして中田や俊輔は、自分のミッションを持っていた。

いかに準備し、いかに順応できるのか。

そういう意味で、日本においての力はあまり変わらなくても、
そこで成否が決まる。

最初の頃の松井稼頭央とか、井川もそうかもしれない。
中村ノリもそうなんだろう。

ジャンボ尾崎なんか、どうしても行きたい気がなかったのが見え見えだし、
サッカーの柳沢や小笠原なんかもそうかもしれない。
オランダに行った平山なんかも、しっかりしたモチベーションのないままに行ってしまったんだと思う。

たまたまオファーがあったから、行ってみるのもいいかも、というのと、
反対されてもどうしても行きたい、というのは明らかに違う。

さて、
今、自分はこの仕事をどうしたいのか。

皆が反対しても、本気でそうしたいのか。

どういう生き方をしていくつもりなのか。

そのための準備は、理論武装や日頃の努力はしているのか。

そんな自分へのミッションをしっかり定めているのか。

しっかり定めて、そのための準備を怠らなければ、勝ち筋。

定められてないと、いくら才能があっても、負け筋。

当たり前のようなことだけど、モチベーションの強さの問題。

そのモチベーションをどう作るのか、自分の中で、さらにパワーアップしていけるのか。

大器晩成の吉井のように、強いミッションがものを言う。

そんなミッションが自分の中にあるのか。

メジャーリーガーになるというミッション。

名人になるというミッション。

「ミッションは使命。」

つまり、「命を使う」こと。

何のために自分のかけがえのない命を使うのか。

忙しさに流されて、そこまでの理念がない今の自分。

しばし反省です。
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