ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(118)

2009-12-10 17:40:48 | Weblog

12月10日


 昨日の昼前から雨が降りだして、今日も、降ったり止んだりの一日である。ワタシは、朝、トイレに出た以外は、いつものストーヴの前で寝ている。
 時折、飼い主が、ワタシに手を伸ばしてきて、なでてくれたり、ふざけて少し遊んでくれたりする以外は、他にやることもない。飼い主は、家の中を動き回り、座り込んでは何かをしたりしている。

 そんなにヒマだったら、ネコとはいえ、何か趣味を持ったらいいじゃないかと、前に飼い主から言われたことがあるけれど、ワタシたち動物は、生きるということに関わる以外の無駄な動作はしたくないし、考えたくもないのだ。

 ワタシの生きていく上での行動というのは、まず飼い主と散歩に出たり、あるいはひとりで外に出た時などの、自分の大切な生活圏(縄張り)の見回りである。同じように外に出てすませるトイレは、生理作用であるとともに、これまた自宅周辺での自分の臭い付け、マーキングもかねているのだ。
 次に、自分で狩りをして獲物をしとめるのは、時間と運もかかわる難しい仕事でもあるが、たとえ飼い主からエサをもらっていても、いつ半ノラになるかもわからないから、常日頃から、その準備だけはしておかなければならない。
 実際に、獲物をしとめることはもちろんのこと(前回参照)、毎日の訓練も大事である。例えば、飼い主がワタシの前でネコジャラシを動かして、ワタシがそれにじゃれているように見えるかもしれないが、あれはもちろん遊んでいるのではない、しっかりと狩りのための練習をしているのであり、と同時に、ワタシが遊んでいるように見せかけて、飼い主と遊んでやっているのだ。
 そして、寝る子だから、ネコと呼ばれるようになったワタシたちにとって、この寝るという行為は、また大切なことである。つまり、無駄な体力を浪費しないために、寝ているのであり、次の狩りのためのエネルギーを蓄えておくために、寝ているのだ。
 後は、その獲物をとらえるために、ひたすらに待つということ。それは、今のワタシでいえば、夕方に、飼い主から一匹の生ザカナをもらうために、もう何時間も前から、飼い主の顔をうかがいながら待ち続けることでもある。

 つまり、以上のこと、自分の足で歩きまわり、しっかり寝ておいて、ひたすらに待つというのが、ワタシが生きていく上での行動として、一番大切なことであり、猫の手も借りたいというが、忙しい誰かのために手を貸すとか、自分の趣味を持っていて、そのことに没頭するなんていう、無駄な時間は過ごしたくはないのだ。

 雨が降っていると外にも出られず、寝てばかりいるワタシだが、『雨の日のネコはとことん眠い』(加藤由子著 PHP文庫)とかいう本を書いている人間もいるくらいだから、飼い主もそのあたりのことは分かってくれていて、そんなワタシを見ては、体をなでてくれるだけで文句は言わない。
 しかし、さすがに一日中だと退屈してきた。もうサカナの時間も近いし、ベランダに出て、しばらく待つとしよう。こんな雨の中でも、鳥たちは、エサを探して飛びまわっている。ご苦労なことだ。



 「この一週間ほど、体調がすぐれない。一年のうちに一度、かかるかかからないかという風邪をひいてしまったのだ。症状が長引いたこともあって、例の新型のインフルエンザではないのかと、心配したが、幸いにも、いつもの風邪と同じで、そうひどいものではないのだが。

 熱はない。ただ鼻水鼻づまりに、喉の痛みで、すっかり鼻声になり、そして目の奥の頭痛で、少し頭がぼーっとしているくらいだから、日常生活で困ることはない。
 風邪の症状は、常日頃からその人の悪い所に表れるというから、(ミャオ、横目で私をチラ見して、笑うんじゃない。)確かに、私は、オマエほどに鼻がきいて、臭いに敏感ではないし、のど自慢でもないから、恥ずかしながら今までカラオケで一度も歌ったことがないくらいだし、そして、頭が悪いものだから、人間社会に十分対応できなくて、こんな山の中で暮らすしかないのだ。それは、自分でも分かっている。
 風邪をひかないミャオからすれば、私は悪い所の多い、至らぬ人間だと思うけれども、唯一、言えるのは、誰よりもオマエを愛しているということだ。
 
 アチョー、ニャオ、ニャオーン、にしきゴイ、げっとん。猫またぎ、猫に小判ってかー。
 いい年をして、まあ臆面(おくめん)もなく、そんなことを書いたのは、実は、このところ、ささやかながら、愛について若干のことを考えていたからだ。

 もとより、愛と呼ばれる言葉の定義は難しい。手元にある、古い百科事典や辞書によれば、『ある人にとって価値ありとされた対象によって、彼がひきつけられるときにおこる精神的過程を愛と呼ぶ』(世界大百科事典 平凡社)とか、『個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。』(新明解国語辞典 三省堂)とある。
 さらに、ネット上で調べれば、なんと7250万件がヒットするという有様であるが、ウィキペディアなどを読めば、懇切丁寧(こんせつていねい)に説明してある。

 そこで、愛という言葉の持つ意味を、以下のように幾つかに分けてみた。
 (1)可愛がり甘えさせること。親子や家族、仲間、ペットなどとの関係。
 (2)男と女が、相手のことを思うこと。いわゆる、恋愛感情。
 (3)対象物を切望するほどに思うこと。収集物とか何々マニアとか。
 (4)宗教的な愛。キリストや釈迦などの民衆にに対する愛。
    あるいは逆に、民衆からのキリストや釈迦などへの信頼の思い。
 (5)自己愛。5番目としてあげるべきか異論はあるが。

 (余談であるが、今年のNHK大河ドラマの主人公、直江兼続の兜に飾られていた愛の文字は、当時は今日的な意味とは違っていて、いわゆる古語の言葉、愛し(かなしと読む)の意味であり、人や自然に、胸が詰まるほどに、哀れと思い、情をかけ可愛がることであり、ここでは(4)の宗教的な意味で使われたのかもしれない。つまり(2)の意味での愛は、LOVEの翻訳語として、近年になって使われ始めたものである、と言われている。)

 さて、古今東西、人々が書き残してきた、物語、小説のすべては、何かしらの愛について書かれたものばかりであり、つまり、全部がそれぞれの愛のロマンを書いたものなのである。
 そんな中で、私ごときが、愛について何かを語るなどという、大それたことを考えた訳ではない。ただミャオと、二人で暮らしていて、ふと思ったのだ。
 私とミャオの間は、もちろん(1)の意味においてだが、しかしそれは本来向かうべき方向から、転移されたものではないのか。つまり人間というものは、成人男女として、本来は、(2)にウェイトが置かれた(1)の意味も含まれた愛の状態にあるべきなのだろうが、(2)に向かうべきものが、行き場を失い、(1)や(3)に転移せざるを得ないということなのだ。

 考えてみれば、私たちは誰でも、先に述べたような、”人間本来の暖かな心情”としての、愛の思いを持っているものであり、それは例えて言えば、水道の蛇口から滴り落ちる水滴のようなもので、自分の心の中には、誰でも、その愛の泉からの水滴を受け止めて、溜めておく受け皿があるものなのだ。
 その受け皿がいっぱいになった時、人は、愛すべき人に向かって、心の中で温めてきた愛の泉の水を、今こそ浴びせかけることができるのだ。激しい恋の思いである。

 しかし、その相手から無視されたり、相手が見つからなかった場合、そのいっぱいの愛の水は、どうするのか。そのまま溢れるままにしておけば、内に閉じこもったままの(5)自己愛に向かうということにもなるが、殆どの場合は転移行動として、別な相手を探すか、(1)のような身近な相手に向かうか、(3)のようなものに向かうか、あるいは宗教の中に身をゆだねることによって、(4)のような愛の世界へとたどり着き、自分の思いを神に向かわせるようになるのだ。
 本来、男女間の恋愛感情へと注がれるべく溜め込まれてきた、心の中の受け皿にあふれる思いが、心理学や精神分析学上使われる、感情転移として、様々な形で別な方向に向かうことは、考えてみれば当然なことであり、間違った選択ではない。
 むしろ、その転移行動の結果として、様々な芸術作品が生み出されることもあるくらいなのだから。もちろん、それは常軌を逸する形で歪められたり、犯罪へと転移変化を遂げるような場合は、別としてだが。

 思えば、私にも、もちろん若き日には誰もが恋していたように、ごく普通に、お互いにあふれる思いを共有していた何人かの彼女の存在があったし、そのことで私の受け皿は、いつも有効に活用されていたのだ。
 しかし、時とともに彼女たちを次々に失くしていって、その代わりに、猫のミャオに、そして高い山々に登ることに、クラッシック音楽を聴くことに、本を読むことに、絵画、映画などを見ることなどに思いを寄せることで、いつの間にか、自らの思いを転移していったのだと思う。
 ただそうして、本来私の受け皿にあった溢れる思いが、それぞれのものへと分散されていったことは、今では、むしろ良かったことなのだと思っているし、また、年齢的なものでもあるのだが、今更、若き日の愛憎混濁する思いの中に、引き込まれたいとは思わなくなっているからでもある。
 若い時には、愛する人がいなければ、とても生きてはいけないとまで思っていたのに。人は、その転移行動や転嫁行動によって、十分に自分の思いの、新たな行き場を見つけることができるのだ。
 
 そういえば、ずいぶん昔に場末の名画座で見た、『終身犯』という映画のことを思い出した。J・フランケンハイマー監督、バート・ランカスター主演による、1962年のアメリカ映画である。
 物語は、刑務所の看守を殺して、終身刑を言い渡された男が、その監獄の窓から見える鳥たちのことを思っているうちに、興味を持って調べ始めて、いつしか鳥類学の権威ある一人になるという、実話に基づいた話である。

 こうした類の話を上げていけばきりがないし、誰しもどこかでそうした感情転移によって、今まで果たせずに抑圧されていた思いのはけ口を、見つけたことがあるだろう。それから先の問題は、ただ一つだけ、つまりそれで満足できるかどうかであるが。

 考えてみれば、歳を取るというのは、悪いことではない。歳を重ねるごとに、すべてのものの関わり合いが良く見えてくるし、若き日の一本道しか見えない、狂気の激情に振り回されずにすむし、年寄りになってからの穏やかな静けさの彼方に、前回にも少しふれた、あの臨死体験の世界があるとしたら、自分が生きてきた過程は、そう悪いものではなかったと、振り返ることができるだろうからだ。
 ささやかながら、愛について、ささやかながら、生きていることについて、ささやかながら、ミャオと私について、ここまで書いてきたのだが、はたして・・・。

 さて、二日前の朝、ミャオと散歩に出た。曇り空の下に、低い山並みが続いていた(写真)。有名な『幾山河 越え去りゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく』(若山牧水)の歌や、『分け入っても 分け入っても 青い山』(種田山頭火)の一句を思い出した。
 しかし、今、私は、彼らのように旅を続けているわけではない。この風景は、私のいつも見る風景の一つとして、変わらずに、安心してそこに静かにあるというだけのことだ。」



 


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