ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(120)

2009-12-17 17:12:48 | Weblog



12月17日
 
 今日は、朝から雪が降っている。家の中でも寒いくらいだから、外は相当に冷え込んでいるのだろう。昼前に、ほんの少しの間、飼い主と散歩に出たが、後は、家の中で寝ている他はない。昨日からついに、本当の冬が来たのだ。

 昨日の明け方、ワタシは目が覚めて、コタツの中から部屋の外に出て、そしてベランダへと出てみた。薄暗がりの中、身ぶるいするほどの寒さだった。雪が積もっていた。その雪の上を歩いて、下に降りた。
 トイレをすませると、すぐにまたベランダに上がり、部屋に戻った。
 しかし、体にしみ込んだ寒さは、飼い主によって、低い温度に設定されたままのコタツの中くらいでは、とても温まらなかった。

 ワタシは、部屋を出て、隣の部屋のドアの前で、少し遠慮がちに、ニャーと鳴いた。ややあって、ドアが開き、飼い主は黙ってワタシを抱えて、ベッドの布団の中に入れてくれた。
 そこは、飼い主の臭いと、温かい空気に満ちていた。ワタシは、ニャーと鳴いた。飼い主は、ワタシをなでてくれた。ワタシは毛づくろいを終えて、そこで丸くなって寝た。
 しばらくして、飼い主はワタシをベッドに残したまま、部屋を出て行った。そうか、もう飼い主の起きる時間だったのか。
 日中は日も差して、幾らか暖かくなり、ワタシはベランダで、日の光を浴びて寝ていた。

 「昨日の明け方、ミャオは、この冬初めて私の布団の中に入って来た。それで目が覚めてしまい、そのまま起きて外を見ると、まだ日の出前だったが、周りが白々と明るくなって、雪が積もっていた。
 しばらくして、日が昇ってから、カーテンを開けて外を見ると、積雪は3、4cmほどで、辺り一面の雪景色だった。
 ベランダに積もった雪の上には、ミャオの足跡が残っていた。そして、その夜になって私が寝る頃になると、ミャオはまたも私の布団の中に入って来た。
 寒いからだろうが、私としては、あまり歓迎すべきことではないのだ。それは、寝がえりを打ってミャオを押しつぶしやしないかと気になって、ぐっすりとは眠れなくなるからだ。
 今日も朝は、-5度と冷え込み、晴れ間ものぞいたりはしたが、雪が降ったり止んだりで、マイナスの気温のままの寒い一日になった。


 さて、前回からの話の続きになるが、人というものは誰でも、時々、立ち止まっては、自分の人生を振り返ってみるものだ。
 ある時は、輝かしき成功の甘い思い出に酔い、ある時は、屈辱的な失敗への悔悟(かいご)の思いにさいなまれながら、何度となく、繰り返しては思うのだ。
 しかし、歳月とともに、あれほど色鮮やかに分けられていた、良き思い出と悪しき思い出が、いつしかその境がぼやけて行ってしまい、ついには、過去という名の大海を目の前にした時のように、すべては茫洋(ぼうよう)とした広がりの中に混じりこんでしまう。
 そして、いつかは今ある自分も、その海の中のほんの一滴として、溶け込んでいってしまうのだろう。

 そんなふうに、今ではもうさしたる区別をする必要もないような、私の記憶の中にある事柄を、三つほど並べてみる。

 まず、子供のころの思い出。私には、父親の記憶が余りない。物心ついたときに傍にいたのは、母の姿だけである。
 誰もが貧乏で、それでも一生懸命に生きていた時代のことだ。私の母は、まだ小さかった私を、彼女の兄の家に預け、次には妹家族のもとに預けて、その間に一人で働いては、親子でなんとか生きていくためだけの、わずかばかりのお金を稼いでいた。まだ母親に甘えていたかった幼い私が、その母に会えるのは、一月に一度くらいだった。
 小学校の転校も繰り返し、言葉が違うからと、そのころは体も小さかった私は、よくいじめられていた。遠い昔の話だ。

 次の記憶は、高校に入ったばかりのころだ。その高校は、古くからの藩校の伝統があり、初めて知ったたくさんの古本の臭いに満ちた図書館で、私は様々な本に出会った。
 まず、手始めに読み始めたのは、恥ずかしながら、私の年齢からでは余りにも遅すぎる児童文学全集だった。
 その中には、『母をたずねて三千里』、『家なき子』、『フランダースの犬』等があり、私は、書棚の片隅で、人に気づかれぬように、涙を流しながら、それらの本を読んでいた。

 そして、都会の学校に入り、そこで下宿生活を送りながら、学生時代を過ごした。今にして思えば、自分の将来への希望に満ちた思いが、いつしか崩れていき、自堕落(じだらく)な生活へと傾きかけた青春時代であり、とても充実していたなどとは言えぬ思い出である。
 ただそのころ、私は、手当たり次第にたくさんの本を読んだ。田宮虎彦はその中でも、一時は、夢中になって読んだ日本の作家の一人である。
 
 それらの幾つもの記憶があって、前回書いたように、一週間ほど前に、たまたまテレビ番組の中で、『フランダースの犬』を見て、さらにミャオと散歩中にサザンカの花を見て、これら三つの思い出が、まるで一本の糸のようにつながっては、私の脳裏にまとまり浮かんだのだ。

 そのテレビ番組の中で、私と同じように涙を流して見ていた人は、テレビ・カメラに写っていた限りでは、何人かはいたのだが、そう多くはなかった。あの悲しく哀れなラストシーンを見て、ああかわいそうだとは思っても、泣くほどではないという人の方が多かったのだろう。
 ただ、私にとっては、主人公のネロと犬のパトラッシュに襲いかかる不幸の数々が、人ごととは思えなくて、幼いころの自分に重ねて見えてしまったからだ。
 私はここで何も、『フランダースの犬』を見て泣く人が、私と同じようにこの物語を良く分かっている人たちで、それ以外の人は分かっていない人たちだなどと、浅薄に決めつけようとしているのではない。(実のところ今になって思えるのだが、私などは、ずっと恵まれていて幸せな方であり、世の中には私以上の悲しい子供時代を送った人が、幾らでもいるはずだ。)
 むしろ、ここで言えるのは、泣いた人たちは、多分に不幸な過去を持つ人たちであり、泣くほどではなかった人たちは、ただそういう過去の悲しみがそれほどのものではなくて、どちらかといえば、あまり大きな波風を受けることなく、普通の家庭で育ってきた人たちだろうということだ。
 そして、そんな彼や彼女たちが、その両親のもとで、恐らくは健(すこ)やかに育ってきただろう子供時代を、私は、むしろ良かったと喜んであげたいくらいなのだ。
 人は何も、悲しみ泣くためばかりに生まれてきたのではない。悲しみは少なく、喜びは多くあることが、人としては望ましいことなのだから。

 ただし、人が生きていくうえでは、その数の多少はあるにせよ、何度かは、嵐吹きすさぶ中で、恐怖に立ちすくみ、凍える寒さの中で、ただ身を縮めて、ひたすらに耐えて、過ごさなければならない時があるものだ。
 
 前回、暖かい冬の日差しの中で写したサザンカの花が、今は降り積もる雪の下で、ただ寒さに耐えている(写真)。
 次回は、田宮虎彦の幾つかの短編小説について、少し考えてみたい。」