ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(155)

2010-08-27 20:05:38 | Weblog



8月27日

 晴れて暑い日が続いている。ワタシは、飼い主の洗濯物が干された、ベランダで寝ている。洗濯物との間で半日陰になるここは、風が吹き抜けて涼しく居心地がいい。昼ごろには、それでもこのベランダの照り返しが熱くなり、他の場所にうつるのだが。

 飼い主は、三日前に帰ってきた。夕方、日も落ちて、昼間の暑さもやわらいだころ、家から離れた所で涼んでいたワタシは、何か家の方から物音がするのに気づいた。
 ゆっくりと、起き上がって家の方に向かう。ベランダに上がってみると、何とあの固く閉まったままだったドアが開いている。物音がして、足音が聞こえる。ニャーオ、ニャーオと、夕闇の中で呼びかける。
 飼い主も、鳴き交わしてワタシの名を呼び、近づいてくる。離れた所で、飼い主かどうかを確かめて、体をなでさせた。

 そしてすぐに、冷凍してあったらしいサカナを持ってきてくれるが、それにはほんの少し口をつけただけで、それより嬉しかったのは、久しぶりに飲む牛乳の味だ。皿にいれてもらった牛乳はすぐに飲んでしまった。うーん、たまらん。もう一杯と、飼い主にお代りを催促する。
 しかし、まだ落ち着かない。ベランダの方の夜の闇が気になる。しかし、飼い主は帰ってきて家にいるし、と出たり入ったりを繰り返したが、結局、安全な家のソファの上で寝ることにした。

 翌朝、朝早く起きてきた飼い主に、ニャーオとあいさつする。こうして、呼びかける相手がいることは、嬉しいものだ。ワタシもこれでやっと、ネコなみの暮らしが送れるというものだ。


 「三日前の夕方、家に着いたとき、ミャオの名前を呼んでみたのだが、何の返事もなく、後で探しに行かなければと思っていた。無理もない、二ヵ月もの間、ほったらかしにしておいたのだから。おそらくは、またあのエサを頼んでおいたおじさんの家の近くにでもいるのだろう。
 途中で買ってきた弁当の夕食をすませて、さてと腰を上げたところ、ベランダの方から鳴き声が聞こえてきた。あーよかった、ミャオは元気でいてくれたのだ。
 いつも帰るたびに、もうミャオは歳だから、15歳、つまり人間でいえば85歳くらいにもなるのだから、ひょっとして死んでしまってはいないだろうかと、もしものことを考えてしまうのだ。

 久しぶりに見る、ミャオは、夏場だから、毛も短い夏毛に代わっていることもあって、冬に私と一緒にいる時のあの太り方からすれば、見る影もない変わり方であった。
 たとえて言えば、あのお笑いトリオの森三中の肉付きの良い彼女たちから、まるでやせて髪の毛も薄い、あのモト冬樹に変わったくらいの違いがあるのだ。
 前回、夏の初めに帰った時もそうだったから(6月6日の項)、そうは驚かないのだが、それにしても年齢から言えば心配になる。

 翌日の朝、おじさんに会って話を聞くと、ミャオは近くまでは来ていたそうだが、他のネコたちもいるしクルマも通るから、なかなかおじさんの家にまでは行けずにいたらしい。
 それでおじさんは、毎朝、私の家まで来て、直接ミャオにエサをやっていたとのことだった。ありがたいことだ。
 他の人たちも、お宅のネコちゃんがいたよとか教えてくれることもあり、そうしてミャオは生かされているのであり、飼い主である私もいろいろとお世話になっているのだ。
 ミャオも私も、一人では生きていけないのだ。
 
 しかしそうして、ちゃんとエサをもらっているのに、どうしてミャオはやせているのか。次の日に合点がいった。
 まず一つには、ベランダの手すりの下に幾つも落ちていたフンと、すぐ傍の柿の木にとまって鳴いていたヤツ、間違いなくそのカラスのせいだ。
 つまり、ミャオは、エサ皿にいっぱいに入れられたエサを、一度に食べることはなく、何回かに分けて食べるから、それを見たカラスが、残りを食べてしまっていたのだ。
 さらにもう一つ。次の日の朝、ミャオのエサ皿、ミルク皿がすっかり空になっていた。前の夜、ミャオが落ち着かず何度も出入りしていたから、ドアを少し開けたままにしておいたのだが、恐らくは他のノラネコがやって来て、食べてしまったのだろう。

 それらを防ぐ手立ては、一つしかない。近づかせないこと、つまり相手をもう行きたくないと思わせるほどに、驚かせることだ。
 そうして、カラスは何とか撃退したが、真夜中に来るノラネコは始末に困る。早寝早起きの、私に、そんな時間に起きていろというのは無理な話。
 そりゃ、鬼瓦(おにがわら)顔の私が、夜中に下からライトを当てて、ベランダにいれば、ネコどころか、人間でさえ、化け物屋敷と間違うだろうし、効果のほどは疑いなしだが、自分で想像しても恐ろしい光景だ。

 しかし、できないとなるとどうするか。当然、ドアを閉めていればいいだけの話だが、物事はそう簡単には運ばない。
 つまり私がいる間はいいが、いなくなれば、そのノラネコは、ミャオの残りエサを狙ってまたやってくるだろう。もしかしたら、春のサカリの季節の時にやってきたネコかもしれないのだが、あのネコは石を投げて追い払っていたはずなのに。
 ともかくミャオが元気でいられるためには、何とかしなければと思うのだが。

 ミャオはその後、殆ど家にいる。私の傍にいたいのだ。昔のように、連れ立って遠くまで散歩に出かけることもなくなった。ただ半日ベランダで寝て、時々私に体をなでてもらい、時間になると生ザカナを食べ、夜少し外にいて、後はソファで寝るだけだ。
 しかし、ミャオはそれでいいのかもしれない。自分が年老いたことを知り、また飼い主のいない不安な日々を送ってきただけに、そうしていることが、ミャオの安らぎなのかもしれない。
 そして、それは飼い主でもある私の、日常の思いでもあるのだ。

 「少しは不便でもいいから、もっとのんびりさせておいてもらいたい。」
 (尾崎一雄著『虫も樹も』より)
 

 天気の良い日が続いて、さすがに日中は暑く、30度を超えるけれども、九州とはいえ山の中だから、朝夕は涼しいし、何より暑ければすぐにクーラーのスイッチを押せばよい。つまりは、クーラーのない北海道での、耐えられない蒸し暑さよりは、よほどしのぎやすいのだ。
 その上、毎日、風呂に入れるし、洗濯はできるし、トイレはちゃんと家の中にあるし、ベランダにはミャオが寝ているし、夏は九州で過ごす方が良いのかもしれない。つまりそうすると、北海道は、私の好きな冬にいるべき所なのだろう。
 もちろん、ミャオがいる以上、冬、北海道にいるのは、今のところ無理なのだが。

 ところで、この一週間、ミャオが元気でいてくれたことも嬉しかったのだが、もう一つ良いことがあった。
 いつものNHK・BSの深夜の映画劇場で、何と先日、映画の話の所で書いたばかり(8月16日の項)の、ギリシアの巨匠テオ・アンゲロプロス(1935~)の作品が、この4日間、連日で放映されたのだ。
 『シテール島への船出』(’83)、『霧の中の風景』(’88)、『永遠と一日』(’98)、『エレニの旅』(’04)の作品群であり、これに『旅芸人の記録』(’75)などの数本をくわえれば、それでアンゲロプロスの大まかな映画芸術の集大成になるだろう。
 すべて録画しただけで、まだ見てはいないが、特に『エレニの旅』は、私は初めて見る作品なだけに、楽しみにしている。

 それにしても、NHKはいつも、内外の芸術文化のあちこちに目を配り、適宜(てきぎ)に放送してくれる。春の、イングマール・ベルイマンの作品特集といい、他の民放、あるいは有料放送のどこがやってくれるというのだ。
 NHKは本当に、文化芸術における、「我らが神は固き砦」(バッハのカンタータ第80番)、と讃えたいくらいである。

 何としても、今後とも、これらの名作映画、オペラ、歌舞伎、ドキュメンタリーを見るためにも、不肖、鬼瓦権三、しぶとく生き抜いていきたいのであります。」