ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(112)

2010-08-08 17:51:24 | Weblog



8月8日

 拝啓 ミャオ様

 夏の盛りに、当たり前のことを言いたくはないのだけれども、ただただ、毎日暑いのだ。
 8月4日から最高気温は、32度、35度、35度、そして今日31度と続き、さらに夜になっても27度前後までしか下がらず、最低気温も20度から25度と、殆んど内地(北海道以外の日本)の気温と変わらない。
 さらに、つらいことには、北海道の殆んどの家にはクーラーがないように、我が家にもそんなものがあるはずもなく、小さな扇風機が一台あるだけだから、まさしく熱帯夜の中で汗を流して、寝ている始末だ。
 暑さに弱い私だから、この北海道に来ているというのに。
 
 遠い昔の話、東京に住み始めたばかりの頃、私はアパートの一室に住んでいた。まだその頃は、クーラーは一般家庭には普及しておらず、デパートなどの大規模店舗か、映画館やパチンコ店などにあるばかりだった。
 そのおかげで、私はさらに映画が好きになり、今に至るまでの映画ファンになったのだが、一方、パチンコ店へは、なんの見返りもない多くの投資をしてしまい、結論として、賭け事の何たるかを思い知らされたのであり、その後二度と店に立ち入ることはない。
 そして暑くて汗だらけになるから、毎日欠かさず、近くの銭湯に通うことになり、子供時代からを通じて、それらの銭湯で、周りの大人たちとの付き合いの中から、数多くのことを学んだのである。ある人たちが、幼稚園の砂場で多くのことを学ぶように。
 さらに、当時、そんな暑い扇風機しかない部屋に、訪ねてきてくれる彼女もいたのだ。夜の暑さをもしのぐ、若い熱い心で。

 そうして考えてくると、あながち暑かったことが、悪い思い出ばかりではなかったような気もする。
 それは、前回まで書いてきたあの飯豊山(いいでさん)での、熱中症にかかるほどだったひどい暑さと、この4日間の耐え切れないほどの暑さが、私の悪い思い出ばかりにはならなかったように。

 この4日もの間、相変わらず続く、朝早いうちの1時間ほどの草刈をした後は、動く気にもならず、ただぐうたらに昼寝して、本を読んだり、テレビを見たりしていただけだ。
 最初の30度を超えた日は、まだ余裕があった。外は32度でも、丸太作りの家の中は、締め切っておけば、26度くらいで過ごしやすかったからだ。
 しかし、次の日から、さらに気温が上がり猛暑日なると、さすがの丸太小屋の中でも28度くらいにまでなって、それにもまして、北海道とは思えないぐらいに湿度が高く、むしむしとした熱気がこもっていた。まったく、あの内地の蒸し暑い夏そのものだったのだ。

 前回に書いたように、いつもの北海道なら、日中にいくら30度を越えても、からっとした暑さであり、日陰では爽やかな感じで、そして夕方からは涼しくなり、朝方は夏ブトンにくるまるほどに寒くなるのに。あの、爽やかな北海道の夏はどこへ行ったのだろう。
 ちなみにと思い、去年の同じ頃に、30度まで上がった前後の日の最高気温を調べてみる。2009年8月8日~11日、25度、27度、31度、21度であり、最低気温は、15度から18度である。

 そんな暑さだから、1日中ぐうたらに過ごし、まして暑さのこもる屋根裏部屋に置いてある、パソコンの傍には行きたくもなかった。
 こんな暑さなら、むしろ九州のミャオの傍にいたほうがいいと思えるくらいだ。あの家には、少し古くはなったけれどクーラーが置いてあるし、風呂にだって毎日入れる。

 そうなのだ、ここでは離れた掘っ立て小屋に、ゴエモン風呂はあるが、とてもこの暑さの中では、薪(まき)を燃やす気にはならない。朝、草刈の後の汗びっしょりの体を、行水で洗い流し、夜さらに体がべたついて寝られないから、体を吹くという毎日なのだ。
 あーあ、クーラーのきいた部屋で、ミャオをなでながら、ゆっくりと本でも読んでいたかったのに。
 
 しかし、思えば、人様が働いている時に山旅を楽しんでだりして、キリギリスの生活をしていた私への、それ相応の報いなのだろう。良いことの後には、何か良くないことがあるものなのだ。

 そんなある日、家の裏側にある窓辺に、暑い日差しを避けるように、一匹の蝶が止まっていた。エルタテハである(写真)。内地では高山蝶だけれども、北海道では平地から見られて、それほど珍しい蝶ではない。
 しかし、よく見ると、もともと大きく波打った形の、特徴ある羽がさらに少し磨り減っていた。彼は、その残り少ない命を、大切にするかのように、真昼の暑い日の光を避けて、日陰に休んでいたのだ。

 暑い時には、無理をしないことだ。そんな時には、何もしなくていい。ただ、時が過ぎるのを待つことだ。それもまた、生きていることなのだから。神に与えられた、小さな自分の命を守ること・・・。
 毎日の暑い、つらい日々が続く中で、あの一匹のエルタテハが、私に教えてくれたこと。

 「死は、われわれにとって何ものでもないと正しく認識するなら、死すべきものであるこの生を楽しいものにしてくれるが、それは、この生に無限の時間を付け加えることによってではなく、不死への空しい憧れを取り除くことによってそうするのである。(エピクロス)」
 (『ギリシア哲学者列伝(下)』 ラエルティオス著・加来彰俊訳 岩波文庫)

 ミャオ、全身毛皮のオマエは、さらにつらい夏だろうが、何とかガマンして耐えしのいでおくれ、必ず涼しい風の吹く日はやってくるのだから。

 夕方になって、霧がかかりそうな曇り空になり、ひんやりとした冷たい風が吹いてきた。ありがたい。

                      飼い主より 敬具