ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(115)

2010-08-20 21:37:23 | Weblog



8月20日

 拝啓 ミャオ様

 家の前から、日高山脈の山なみが見えている。山の見える天気の日が三日も続くなんて、夏には珍しいことだ。そんな日に、山に登らないわけにはいかないだろう。

 前回の飯豊(いいで)連峰縦走から、もう3週間も間があいてしまった。いつものように、8月の初めには、この夏、二度目の大雪山のお花畑を見に行くつもりだった。
 もちろん、もう夏の花は終わり、秋の花の時期なのだが、楽しみは、雪渓が溶けた後に咲く、エゾコザクラやチングルマ、エゾノツガザクラなどの群落である。
 しかし、今年の夏は余りにも暑く、天気も一日すっきりと晴れてくれることはなかなかなくて、あの飯豊山での熱中症寸前のトラウマもあって、とても山登りに出かける気にはならなかった。
 そうして、暑さにまいりながらぐうたらに過ごしているうちに、早くも、お盆も過ぎて、そろそろミャオのいる九州に戻らなければならない日も近づいてきた。
 そこで、今の時期に最適な沢登りへと出かけたのである。

 しかし、それまでの二、三日は、雨が降っていて、街に出かけたときに見た、日高山脈の山々の水を集める札内川の水位は、いつもと比べればずっと多かった。(ちなみに、札内川はアイヌ語のサツナイから来た言葉で、その意味は、水量の少ない乾いた川である。)
 前日にはあの、日高山脈中ノ川での東京の大学生たちの鉄砲水による3名もの遭難死が伝えられたばかりであった。(あの若さで、と思うといたたまれない気持ちになる、本人はもとより家族にとっても。)

 そこで、水量が増えていても、このぐうたらなオヤジでも比較的楽に登れる沢はというと、まず思いつくのは、日高山脈は野塚岳(1353m)の豊似川支流ポン三の沢からの北面の沢である。
 沢登りを楽しむだけなら、まだいろいろと美しい沢もあるのだが、私は、そうした沢から沢へとその上り下りを楽しむような、いわゆる沢屋(沢登り専門の人たち)ではないし、山岳展望を第一と考えているから、どうしても沢詰めをして山頂に至りたいのだ。
 つまり夏の暑い尾根歩きを避けて、涼しい沢から頂上にたどり着くという、まさしく一石二鳥の夏の登山方法なのだ。
 そしてこの、日高山脈の山々には、いわゆる登山道が整備された山が少なく、この夏の沢登りか、冬から春の積雪期の尾根ルートで登るしかない山々が数多くあるのだ。

 私も、そうした沢登りによって初めて頂に立った山が幾つもあり、野塚岳もその一つである。いわゆる天馬街道(てんまかいどう)と呼ばれる、十勝と日高を結ぶ国道の開通以来、一気に南日高の山々へのアクセスが便利になり、いろいろなルートを選ぶことができるようになったのだ。
 特にこの野塚岳は、南北のトンネル出口傍からすぐに取り付けることもあって、夏の時期、雪の時期を含めて何度も繰り返し登っている山でもある。(前回は、春に野塚岳近くの尾根を登っている。4月28日の項参照。)

 その野塚岳の沢登りによるルートは、トンネルの南、北からのものと、東面の広尾の野塚川からのものがあるが、最もよく登られているのは、適度な滝や、ナメ(河床が滑らかな一枚岩ふうなところ)がある日高側、つまりトンネル南側のニオベツ川直登沢からのものである。
 そのうちの、十勝側、北面からの沢は、小さな滝が幾つかあるだけで、ザイルがいるほどの困難な所もなく、いわゆる熟練の沢屋などには、取るに足りない沢だろうし、下り用として利用されるほどなのだ。
 
 しかし、体力の衰えを感じる今の私にとっては、まさにうってつけの沢でもある。あーあ、その昔は、とある北アルプスの山小屋のオヤジさんに、岩塊帯を巧みにに歩いて行く様を見られて、「ただものじゃない」とまで言われたことがあるのに、この今の、ぐうたらなメタボおやじのていたらくは、情けないばかりだ。

 ともかく、久しぶりの沢登りだ。家を出てしばらく走り、野塚トンネル北の、他に車もいない駐車場にクルマを停め、ウェディング・シューズ(底がフェルト地の沢靴)にはきかえて出発する。7時だった。  
 気になっていた沢の水は、激しく水しぶきを上げて流れていて、いつもの夏の時期はもとより、雪解けの時期よりも多い水量だった。
 普通ならなら、水の中を行けるのだが、流れの勢いが強く、川岸や河畔林の踏み跡をたどりながら行く。
 その踏み跡道の上に、ヒグマのフンがあった。数センチはあるその直径から見て、かなりの大物らしかった。形が崩れていないということは、雨の降ったのが三日前だから、昨日か一昨日かのものだろう。余りいい気分はしない。

 沢の流れの音の中で、鈴を鳴らしながら歩く。先で踏み跡が分からなくなったが、そのまま山すそ沿いに行って、先のところで、再び沢に降りた。流れが、いくらか狭くなり、小さな滝が幾つか出てきたが、ともかく水量が多い。
 明るく開けた二股に出た。しかし、途中でも少し気になっていたのだが、何かが少し違うように思えた。高度計と地図で確かめる。
 なんと、これはたどるべき本流の沢ではない。しかし、間違えたあの分岐点からは、1時間近くも登ってきている。戻るのも時間がかかるし、それほど難しい沢ではないだろうからと、登って行くことにした。地図を見ると、野塚岳西峰の北1260m標高点に出るようだ。

 しかし、問題はそう簡単ではなかった。滝は小さいのだが、滑りやすいうえに水量が多いから、その中をシャワー・クライムだと登って行くわけにはいかない。それは、今日は簡単な沢登りだからと、デイパックの防水対策を十分にしてこなったからでもある。
 その滝を登らなければ、巻く(両側の斜面に回り込む)しかなく、そうすれば斜面の低い木々やササのブッシュをかき分けて行かねばならず、余分な体力を使う。

 とは言っても、明るい沢で、行く手には常に青空が見えているし、水しぶきと、吹き上がる風で涼しく、沢登りの爽快さが十分に味わえるのだ(写真)。水辺には、ヒダカトリカブトの鮮やかな紫色の花と、白い大の字の形をしたダイモンジソウの花が咲いている。
 やがて、ふかふかのコケに被われた流れの先からは、水が少なくなり、ついに背丈を越すササのヤブの中に入って行く。しかし所々、下の方には、エゾシカの踏み跡もある。頭上が明るくなって、ハイマツが見え、稜線に出た。

 地図上の1252m点手前の所だった。ハイマツをかき分けて、その1252m点の高みに着く。3時間以上かかっていた。
 空に少し雲が出ていたが、よく晴れていた。南に続く稜線の先に、双耳峰(そうじほう)の形で、野塚岳とその西峰が並び立ち、その間から、楽古岳も見えていた。
 一休みした後、稜線をたどって行く。雪に被われている時期に、何度か歩いたことはあるが、夏の時期は初めてだ。ハイマツやミヤマハンノキなどの低い木々がうるさく、かき分けていくと、少し下の南西斜面側には、人とシカなどが作った踏み跡があり、それをたどって行く。

 とその時、右斜め後の方で、ガサガサと大きい音がして、振り返ると。かなり大きなヒグマが一頭、体の肉を震わせて、その下にある低いダケカンバの林に向かって、逃げ去っていく所だった。
 私は、呆然として、その姿を見ていた。その距離、わずか50m足らず。

 私は、ヒグマが林の中に入り姿が見えなくなった後も、そのまま鈴を鳴らしながら、稜線を歩き続けた。時々後を振り返りながら、ともかく西峰の頂にたどり着かなければと。
 暑い日差しに照りつけられ、喉はからからになりながら、ただひたすらに、斜面からハイマツの稜線に上がり、頂上を目指した。1252m点から、1時間近くかかりようやく、ハイマツに囲まれた野塚岳西峰(1331m)に着いた。

 ヒグマの入って行ったダケカンバの斜面は、そこからは見えなった。しかし、まだ気になるし、そのうえに風がさえぎられていて暑かった。
 すぐに立ち上がり、その頂からハイマツの中の踏み跡をたどり、野塚岳との鞍部(あんぶ)へと下って行った。途中の風が吹き渡る小さなコブの所で、ようやくゆっくりと腰を下ろした。
 正面には、堂々たる野塚岳の姿が見え、その右手には、オムシャヌプリ(1379m)の双耳峰と十勝岳(1457m)、楽古岳(1472m)が見えている。

 見たばかりのヒグマのことが、頭から離れなかった。危なかった。ただ、幸運なだけだったのだ。
 まず第一に、人の入らないような沢に、入り込んだのが初歩的なミスであり、戻らなかったのがさらに大きな間違いだった。もし何かあったとしても、誰かに助けを呼ぶことさえできない無名の沢なのに。
 思えば、若い頃からこの年になるまで、殆んどひとりだけの単独行の登山を続けてきて、よく数々の危い所を切り抜けてきたものだと思う。まして、殆んど人と会うことのない日高の沢を、何度となく、たったひとりで登ってきたのだから。今にして、その無謀と紙一重の山行の幾つかがが思い出される。

 ヒグマに出遭(であ)ったのも、私が悪い。夏の道もない稜線を歩く人間などいないから、ヒグマは、安心して風の当たる草の斜面にいたのに。
 ただ、聞ききなれない鈴の音と、大きな身振りで歩く人の姿を見て驚いたのだ。
 もし鈴の音も鳴らさずに、私が歩いていたら、風上側のヒグマのほうからは、私の足音などは聞こえにくく、もっと近い距離で出遭っていたかもしれない。
 そうすると、隠れる場所も木さえないこの稜線で、私と同じくらいの身長があり、体重も百数十キロ以上はありそうな、あのヒグマが反撃のために襲ってきたかもしれない・・・。

 北海道のヒグマによる登山者殺害事件は、あの有名な、日高山脈はカムイエクウチカウシ山(1979m)での、福岡大学ワンゲル部の3人の犠牲者が出て以来、もう40年もの間起きていない。
 毎年のようにニュースになる、ヒグマ殺傷事件の多くは、春や秋の、山菜採りやキノコ採りなどによるものが殆んどである。
 しかし、伝えられる事件の他に、登山などで山に入って、いまだに行方不明という事案が幾つもあることも確かなのだ。

 今回のことは、大きな意味で言えば、ヒグマが悪いわけではない。無警戒に彼らの生活圏に入り込んで驚かせた私が、明らかに悪かったのだ。そしてすぐに逃げてくれて、運よく私が襲われなかっただけのことだ。
 一昨年の、晩秋の日高山脈の剣山(つるぎさん、1205m)でも、ヒグマに遭っているのに。(’08.11.14の項)

 ただただ、私が幸運なだけだったのだ。母さん、ミャオ、お二人のご加護の下、生かされております。ありがたく感謝するばかりです。

 この沢登りの項は、次回へと続く。

                      飼い主より 敬具