ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(116)

2010-08-22 17:45:26 | Weblog



8月22日

 拝啓 ミャオ様

 前回からの続きで、沢から上がった稜線でヒグマに出遭い、すっかり気が動転してしまったが、ひたすら歩いて野塚岳西峰(1331m)にたどり着く。そのまま、本峰との鞍部(あんぶ)へと降りて行き、途中の見晴らしの良い涼しい所で、やっとゆっくり腰を下ろして休んだ。

 一気に水を飲んで乾いたのどをうるおして、簡単な昼食をとった。様々な反省点を含めて、考えに一区切りがつくと、気持ちも落ち着いてきた。
 見下ろす南側の斜面から、さわやかな風が吹き上げてくる。遥か下に、野塚岳への日高側からの登路でもある、ニオベツ川の沢筋が白く光って見えている。
 そこからの高度差、900mほどでせり上がるオムシャヌプリ(1379m)の双耳峰(そうじほう)と、その後ろに控える楽古岳(1472m)と十勝岳(1457m)の姿は、見慣れた光景だけれども、いつも見入ってしまう。(写真)
 2000m前後の、日高中央部の主峰群と比べれば、ずいぶんと高度を下げた南日高の山々だけれども、すっきりと伸びる尾根や谷筋は、やはり日高山脈らしい感じだ。

 この日高の山々は、土日をはずせば、めったに人に会うこともなく、静かな山歩きが楽しめるのだが、それは反面で、今日のような目に会うことにもなるのだ。
 しかし、何といっても、私は、この山々に登るために、この山々の見える十勝平野に住むために、都会の生活を捨ててやってきたのだから。
 長い歳月の間には、自分の最初の目的を忘れてしまい、今の生活に小さな不平不満を抱くようになるが、考えてみるがいい、最初の目的である、北海道に家を建て、住むという、単純な願いは、もうずっと前に達成されていることなのだから、何を今さら文句を言うことがあるだろう。

 今の家の、水まわりやトイレなどが不便だとか、将来ひとりでの老後はどうなるのだろうかとか、余計な心配はしないことだ。それは、家を建てた時から覚悟していたことだ。
 同じように、この日高山脈に多くのヒグマがいて、道もなくひとりで歩き回るには危険なことなど、最初から分かっていたことだ。

 だから、もう二度と同じ失敗を繰り返さないように、以後注意することは言うまでもないが、つい先ほど逃げていったヒグマのことを、いつまでも思い悩んでいても仕方のないことだ。
 すぐ下の鞍部、野塚平からの沢筋に下るルートは、3年前にもたどったことがあり、問題はない。あのヒグマがいたから、この辺りは彼の縄張りだろうし、もう他のヒグマに出遭う心配もないだろう。

 私は立ち上がり、さらにその尾根道を下り、すぐに野塚平に着いた。エゾシカの足跡が散乱するその裸地は、年毎に広がっているような気がした。
 北海道の山々の上から、平地の耕作地は言うに及ばず、我が家の庭にいたるまで、エゾシカの食害は大きな問題になっているのだ。
 
 さてここからは、あと20分足らずで野塚岳に登れるのだが、もう何度もその頂上には立っているし、何より、登る沢を間違えてすっかり時間がかかってしまった。ここはそのまま降りて行くことにしよう。
 カール状に開けた谷に向かって、背丈ほどのササをかき分けて降りて行く。ササは下向きの順目に生えているから楽だし、時にはその上を尻すべりしたりする。
 源流部のチョロチョロの流れが一度途絶えて、下のほうではっきりした流れとなって出て来ている。伏流水の水で、これなら安心して飲める。(北海道の川の水は、エキノコックス症の危険があり、むやみに飲んではいけないのだ。)
 そして、その辺りからの沢は先ほど登ってきた狭い沢と違って、左右がゆったりと開けて、草地の斜面には低いダケカンバの木が生えていて、その谷あいを細いしっかりとした流れが下っていた。

 水の流れの中を気持ちよく歩いて行くと、水辺には紫色のヒダカトリカブトや小さな白いダイモンジソウに、黄色のミヤマアキノキリンソウの花などが咲いている。
 私は、何度となく、立ち止まり腰を下ろしては、その沢沿いの光景を楽しんだ。
 先には、5mほどの小さな滝や溝状の滝などがあり、その水しぶきの中を降りて行けないこともなかったが、無理をしないで巻き道をして下って行った。
 そして、行きに間違えた分流点らしきところに来た。信じられないことだ。それは普通に沢を歩いていれば、まず間違えるはずもない所だったからだ。
 ただあの時、私が河畔林(かはんりん)の中の踏み跡がなくなったにもかかわらず、流れに出ずに、そのままヤブの平地をたどっていたからだ。そういえば、そこから沢に降りるときは、急な斜面だった。
 さらに、前に登ったことのある沢だから、迷うことのないやさしい沢だからと、たかをくくり、慢心(まんしん)していたからでもある。まったく、長い間沢登りをやっていて、情けないことである。

 思い返してみると、もうずいぶん昔のことだが、母が元気な頃、夏に九州の家に戻り、祖母山系のウルシワ谷に入り、同じようなミスをして、最後は岩稜の尾根に出て苦労したことがあった。
 沢登りの時は、常に地図と見比べて現在の場所を確認し、注意深く登っていくべきなのだ、当たり前のことだけれど。 

 さて、下流の方に降りてくると、川幅も広くなり、水の流れも多いから、余り川の中は歩いて行けなくなる。それで、川岸に続く河畔林の中の踏み跡を探して行くことになる。もっとも下りだから、そこでは、他の沢に入り込む心配はないからいいのだが。
 途中、川の真ん中にある平たい岩の上でゆっくりと休んだ。周りには激しい水の流れの音がしていたが、涼しくて実に静かだった。上流の方を見ると、遥か上の方に、野塚岳から続く稜線の一部が見えていた。
 あの出来事は、ずいぶん前のことのように思われた。しかし、なによりも、無事に戻って来れたことに感謝したい気持ちだった。

 結局、下りの沢のあちこちでのんびりしたために、野塚平の鞍部から3時間半近くもかかってしまい、余分な稜線歩きとあわせて、当初の予定からは2時間も遅くなっていた。
 空を見上げると、山の上に少し雲があるだけで、一日晴れの良い天気だった。前半、自分のミスで、危険な目にあったけれど、下りには、涼しい沢登りの楽しさしさを、十分に味わうことができた。

 沢を間違い、ヒグマに遭い、もう危険な山登りはこれで最後にしようと思ったのに、下に無事にたどり着けば、またいつか沢登りに行こうとも思う。
 人は、『喉もと過ぎれば熱さを忘れ』の諺(ことわざ)どうりに、どうしてこうも、懲(こ)りずに、次を目指す気になるのだろう。しかし、考えてみれば、それが生きていこうとする意志なのかもしれない。

 昨日、深夜から朝にかけて、何とあのドイツのバイロイト祝祭劇場からの、NHKハイビジョン衛星放送生中継による、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』の第一夜(二日目)になる『ワルキューレ』の舞台が放送されていた。
 しっかりと録画はしたけれども、6時間にも及ぶ番組だから、まだ見てはいない。ただ、思うのは、何という良い時代になったことかということだ。
 私たちの予想以上に、科学文化は進歩していく。今まで不可能だったものが、たやすく可能になる時代なのだ。しかし、どれほど人間社会が変わろうとも、地球自然という観点から見れば、殆んど変わらないものもある。

 生きていくことは、変わることであり、その流れの中にいることでもある。しかし、変わらないものの中に身を置き続けるということは、その反対に、生きてはいないこと、つまり生物としての死の世界にいることになるのか。それとも、変わらないこと、つまり永遠の中にいるということになるのか・・・。

 そんなことを考えながら、日々を生きていき、またミャオの家へと帰るのだ。ずっと猛暑日が続いている九州で、ミャオは元気にいてくれるだろうか。

                      飼い主より 敬具