ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(143)

2010-03-22 19:01:57 | Weblog



3月22日


 晴れた日が続いている。といっても、二日前は、強い風が吹きまくっていたし、昨日は、空が曇っているのかと思うほどの、後で飼い主が言うには、黄砂という現象だったとか。

 いろいろと、何かが違う毎日があり、しかしゆっくりと季節は変わり、さらにいつの間にか、歳月は過ぎてゆくものなのだ。
 今日は晴れて、穏やかな青空が広がっている。ワタシは、ベランダに出て寝ている。すぐ上の手すりの所にあるエサ台では、ヒヨドリが盛んに、飼い主の食い残しのリンゴをつついている。

 それでいいのだ。ワタシは、見る気もなく、目を閉じて、横になっている。耳には、ヒヨドリの食べる音が聞こえている。若いころなら、1mくらいは、楽にジャンプできたから、体を低くし、じっと目をこらして、待ち構えていたものだったのだが。
 しかしワタシは、もう年だということを自覚している。飛び上がるどころか、わずか30cmほどの、排水溝のミゾに降りた時でさえ、まず前足を上にかけ、そして後ろ足をよいしょと持ち上げてからあがるしまつだが、そうしている間に、飼い主がワタシを抱えあげて溝から上げてくれる。
 昔なら、そこで、アチャー、とか言いながら、頭をかいたりしたものだが、今では、それも年寄りの権利だと思い、ありがとねニャーと、一声鳴くだけだ。
 まあ、年をとれば、なんでも、それなりに、やっていけば良いのだ。
 それを分からぬ、家のバカ飼い主は、昨日庭の手入れで、あちこちにハシゴをかけて木の枝を切っていたが(本当は冬の間にやるべきだったのに)、それで今日は、腰が痛いとワタシにこぼすのだ。バッカじゃなかろか、どもならん。


 「朝の気温は、0度だったが、穏やかな春の日差しの中、日中は16度くらいまで上がった。ベランダの洗濯物の下に、ミャオが横になって寝ている。ヒヨドリも、エサ台のリンゴをついばんでいる。なかなかに、良い光景だった。

 いつも思うのだが、そうして、いいなあと思った一瞬の光景を、後になって、悲しみや苦しみの中にある時に、ふと思い出すものなのだ。あの頃は良かったなあと。

 私は、普通はクラッシック音楽しか聴かないし、それもほとんどがルネッサンスやバロックの時代のものばかりなのだが(1月30日の項参照)、たまには他の時代の音楽を聴くこともある。たとえば、私はそれほど熱心なオペラ・ファンという訳でもないのだが、それでも何枚かの、気にいったオペラのCD、そしてDVDを持っている。
 今ではすっかり聴くこともなくなったレコードの中にも、いまだに10点余りのオペラのレコードがある。昔よく聴いていたものを、そう簡単に手放すことができないのだ。年寄りの欲深さは、こういうところから始まるのかもしれない。

 そんなレコードの一つに、ヴェルディ(1813~1901)の『アイーダ』がある。1979年録音のカラヤン指揮ウィーン・フィル盤(EMIエレクトローラ、ドイツ輸入盤、三枚組)である。それはなんといっても、歌手陣が素晴らしい、ミレッラ・フレーニ(アイーダ)、アグネス・バルツァ(アムネリス)、ホセ・カレーラス(ラダメス)、ピエロ・カプッチルリ(アモナズロ)、ヨセ・ファン・ダム(エジプト王)、ルジェーロ・ライモンディ(祭司長)という、豪華キャストだ。
 この『アイーダ』というオペラが、大好きだという訳ではないのだが、このレコードでの演奏家たちの組み合わせにひかれて、買ってしまったのだ。
 カラヤンという指揮者は、当時はもとより、亡くなった今でさえ毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人だけど、しかしことオペラの指揮に関しては、つまり、カラヤンのオペラに駄作はない、とまで言う人もいるくらいなのだ。

 そんな古いレコードを聴いてみる気になったのは、例のごとく、NHK・BSで2月20日に放送され、録画したままになっていた、ミラノ・スカラ座日本公演(2009年9月6日)の『アイーダ』(写真)を、ようやく昨日、見たからである。
 このスカラ座の日本公演が、素晴らしかったとは聞いていたけれども、確かに、このハイビジョンの画面からもその一端が伝わってきた。

 物語は、古代エジプトの時代である。隣国エチオピアの軍隊を打ち破った若き将軍ラダメスは、王より王姫のアムネリスを与えられるが、彼は、そのアムネリスに仕える、エチオピア人奴隷のアイーダ(実はエチオピア王姫)を愛していて、二人は、エチオピアへ逃れようとするが捕まり、死に向かう地下墓地に閉じ込められることになる。

 今回の、この『アイーダ』公演で、まず始めに書くべきは、その見事な舞台衣装と舞台装置だろう。引っ越し公演というのに恥じない、壮大なエジプトの宮殿や神殿を模した舞台と、そして当時の壁画などで見ることのできるような、エジプト衣装に身を包んだ人々。
 このところ、私は、オペラの現代風演出に違和感を感じると書いていたのだけれども(3月22日の項)、ここでしっかりと伝統を守る舞台を見て、全く溜飲(りゅういん)の下がる思いがした。
 さらに、間奏曲ふうに踊られるバレーも、あの『妖精の女王』(3月10日の項)の現代バレエと比べれば、はるかに良かった。そこには、バロック・オペラの時代からの流れも感じられるし、壁画などに見られる動きをヒントにして、あえて昔風に振付をしたのだろうが、特にこのスカラ座バレー団のプリマだと思われる、女神の寓意(ぐうい)の姿の踊りには魅了された。

 そして、それらの演出を取り仕切ったのは誰あろう、あのフランコ・ゼフィレッリ(1923~)なのだ。映画監督、舞台演出で有名な彼の名前を初めて知ったのは、あの映画『ロミオとジュリエット』(1968年)であった。有名なシェイクスピアの物語を、当時無名の、若いレナード・ホワイティングとオリビア・ハッセーの二人が、ただひたむきな演じて、ニーノ・ロータの音楽が胸に響き、映画であることを忘れて涙したほどだった。
 ゼフィレッリがそこで描いた、若者の清冽(せいれつ)な思いは、さらにあの『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1972年)へと続いて行く。
 しかしその後、アメリカに招かれて撮った映画には、余り見るべきものはなかったが、オペラの舞台衣装、演出家としての名声は不動のものであり、オペラ映画としての『椿姫』(1982年)、『オテロ』(1985年)なども作っている。さらに、彼の子供時代の回想でもある『ムッソリーニとお茶を』(1998年)では、風雲急を告げる時代の話なのに、なぜか古き良き時代に居るような、彼のやさしいまなざしがあった。
 ともあれ、映画『ロミオとジュリエット』で見た、時代を思わせる豪華な衣装姿での舞踏会の場面などに、酔いしれた私は、彼があの名匠ルキノ・ヴィスコンティの助監督であったことを知って、納得したのだった。
 ヴィスコンティの映画、『夏の嵐』(1953年)、『山猫』(1963年)、『ルードヴィヒ/神々の黄昏』(1972年)における、当時の貴族社会の豪華な館、衣装を着た人々、などの場面を思い起こせば、彼が、そのイタリアの一つの伝統を受け継ぐものの系譜にあることが分かるのだ。

 さて次に、指揮者のダニエル・バレンボイム(1942~)である。ロシア系ユダヤ人の父母のもとにアルゼンチンに生まれた彼は、子供のころからピアノの神童と呼ばれるほどで、その後、家族とともにイスラエルに移住し、今では指揮者としての名声が高い。
 若き日の、モーツァルトのピアノ協奏曲全集で有名であった彼も、もはや68歳にもなるのだ。スカラ座との極めて友好な関係から、マエストロの称号を送られるほどに、今や、オペラの名指揮者でもある。しかし、大方の、クラッシック・ファンは、今は亡きあの悲劇の名チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレ(1945~1987)の夫であったことを忘れてはいないだろう。
 私は、あの有名なエルガーのチェロ協奏曲で共演した二人が、笑顔で写っているジャケットのレコード(ドイツCBS・SONY)を持っていたが、手放してしまった。
 バレンボイムはデュプレが亡くなった翌年、あの名ヴァイオリニスト、ギドン・クレメールの前妻であったロシア人ピアニストと再婚している。

 余分な話が続いたけれども、実はこの『アイーダ』を見て、今回私が感じたのは、今まで、主人公のラダメスとアイーダの、悲恋の物語だと思って、聴いてきたのに、実はもう一つ、テーマがあったということだ。愛する人が自分の方を向いてくれない、それでもその思いを断ち切ることができない、そのアムネリスの、つらい切々とした女の気持ちが込められている、オペラでもあることに気づいたのだ。
 若い時には、そうして自分を思ってくれる女の人がいたとしても、ただ迷惑なことでしかなかったのに、今にして、老残の年に近づいて行く身になれば、自分にもそういう人がいたのだと思い出して、ひと時の悔恨(かいこん)の情に胸がつまる思いになるのだ。

 今にして知る、その思い。実は、この『アイーダ』はアムネリスの思いを知るべきオペラでもあると、あのバレンボイムが語っていたのを、今回ウェブで調べてみて、初めて知ったのだ。
 付け加えれば、あのホロコースト(大虐殺)の被害者であるユダヤ人国家のイスラエルで、彼は、音楽に国境はないと、ナチス翼賛(よくさん)音楽だとされている、ワーグナーの楽劇の一部を演奏しているのだ。

 という訳で、話があちこちにそれてしまったが、そういう意味を含めて、今回見た『アイーダ』は、なかなかに興味深かった。最後になるが、歌手陣は、どうしても主役二人の外見、つまり体形が気になったが、ただ、アムネリスを熱演したエカテリーナ・グバノワと、エジプト王役のマルコ・スポッティの声が印象に残っている。
 つまり、それならばその主人公二人の声を聴こうと思い、フレーニとカレーラスの歌う、昔のレコードを取り出したというわけだ。

 また今回も、オペラの話になってしまった。まだまだ録画したオペラは、いろいろとあるけれども、このあたりでしばらく、オペラから離れなければと思う。もう、北海道へと向かうべき日も近づいてきているのだから。」