3月18日
春だからこそなのか、まだまだ天気は落ち着かない。晴れて暖かくなったかと思うと、冷たい風が吹いて、雨が降り、またストーヴの前で寝ているしかないほど、寒くなったりする。
その上に、このところ飼い主が、出かけていくことが多くて、それだけでも気が休まらないというのに。つまり、ワタシとしては、ちゃんと、今日のサカナにありつけるだろうか、もしかして旅に出て帰ってこないのではないのかなどと、心配することになるからだ。
そんな、ある日のことだった。出かけていて、少し遅くなって帰って来た飼い主から、やっとサカナをもらい、ようやく安心して、ストーヴの前で寝ていた時、飼い主が突然、ワタシを抱えあげてテレビの画面に向かわせた。
ゲッ、そこにいたのは、なんとワタシの知らないネコだった。これは、大変なことだ。家の中に、よそのネコが来るなんて。
ワタシは、飼い主の手を振りほどき、テレビ台の上の画面に見入った。顔を上下して見ても、画面の裏側を覗きこんでも、そのネコはいない。
後ろで、飼い主のクックッと笑う声が聞こえていた。画面からは、そのネコの姿が消えていた。画面の反対側に回り込んでも、もうその姿は見えなかった。まるでひと時の、”春の日の夢”のように。
元来、ワタシはテレビの音には慣れているから、画面から他の人の声が聞こえたり、騒々しい物音が聞こえても、余り気にはしていなかった。ただ、どうしても、身近なワタシの敵である、ネコやイヌの声がそこから聞こえると、思わず聞き耳を立てていたのだが、それでも、テレビ画面を見上げることはあまりなかったのだ。
今回、抱えあげられて、まともに他のネコの姿を見せられて、驚いたのだ。しかし、時がたてば、何のことはない。ワタシの記憶から、忘れ去られてしまうのだ。つまり、大事なことは、その相手の動き、その臭い、鳴き声や動く音などが総合的に、判断されて一つのその時の記憶になり、積み重ねられて経験となるのだ。
あの画面の中には、ネコの臭いがなかった。つまり、ニセモノは、忘れて良いということなのだ。
飼い主が、後で話してくれたが、もうすぐテレビは3Dとか言う立体画面になり、そのうち匂いまでも出てくるようになるそうだ。ワタシは、何のためにと思う。大事なことは、実際に体験することなのに。
「最近いろいろと用事があって、忙しく出歩いていた。遠くまで出かけると、周りでは、もうサクラの花も咲き始めていた。
それ以上に、コブシやハクモクレンが枝いっぱいに白い花をつけ、ハナモモの赤い花と隣り合わせに咲いていて、その根元に黄色い菜の花の一群があったりすれば、それはもう、絵にかいたような、日本の春の景色だった。
その鮮やかな、色の対比による風景は、私の心に、何か似たある光景を呼び起こす。目に鮮やかに残る色合い、明確に色の輪郭をかたどった舞台風景、日本の誇るべき伝統芸能、歌舞伎の舞台である。
しかしここで、その歌舞伎の舞台について、今詳しく述べるだけの知識も余裕もない。ただ、最近、テレビやDVDなどで、オペラを見る機会が多く、その比較としての歌舞伎の舞台を思い出したという訳である。
オペラについては、前々回(3月10日)にも少しふれていたように、その後、ワーグナーの大作、あの『神々の黄昏(たそがれ)』(3月13日、NHK・BS)が放映された。私は、その4時間半もの番組ををしっかり録画して、3回ほどに分けて見た。
ワーグナーは、全部通しての演奏時間が15時間にも及ぶ、四部作からなる楽劇、『ニーベルングの指環(ゆびわ)』を、35歳の時から61歳の時までの、足かけ26年にわたって完成させたといわれている。序夜『ラインの黄金』、1日目『ワルキューレ』、2日目『ジークフリート』、そして3日目がこの『神々の黄昏』である。
その昔、東京で働いていた時に、音楽や映画の担当であった私は、ある時この『ニーベルングの指環』の解説、訳文の校正作業を手伝ったことがある。当時は、うんざりするほどの仕事だと思っていたが、後になって思えば、全くこの『指環』を幾らかでも理解できる、ありがたい機会を与えられたようなものだったのだ。
その時、同じように延々と続くレコードを聴くのにも、少なからずうんざりとしたものだが、今にして思えばそのことも良い経験だった。その後、この『指環』の、ハイライト盤や、序曲集(何と言っても、カラヤンの壮麗な演奏は分かりやすい)などを聴いてはいたが、舞台として、すべてを見たことは一度もなかったのだ。
ワーグナー(1813~1883)の書いた物語は、エッダとサガなどの北欧神話と、13世紀ころ成立したといわれている『ニーベルングの歌』を基にしたといわれている。物語は、ヴォータンが支配する神々の国ワルハラと、地上の人間の国、そして地下に住むニーベルング族の国があって、そこに英雄ジークフリートが現われて、竜を退治して、秘宝の指環を得る。その指環は、世界を支配する力があるとともに、呪われてもいるのだが、以後その指環をめぐって、争いが繰り広げられることになるのだ。
そして今回の公演は、確かに、見るに値する舞台だった。何より、オーケストラの素晴らしさ、それはしっかりしたオーディオ音響を通してではなく、テレビの貧弱なスピーカーから聞こえてくる音だったけれども、明らかに聞きわけることのできるほどの、見事に洗練された音の響きだった。
フル・オーケストラでピットに収まっていたのは、あの天下の、ベルリン・フィルなのだ。ドイツの作曲家、ワーグナーの楽劇を、具現化するのには、最もふさわしいオーケストラだと言えるだろう。この『神々の黄昏』は、もうこのオーケストラが演奏するという時点で、その成功を約束されたようなものだ。
そして、指揮者はサイモン・ラトル(1955~)である。カラヤン、アバドの時代のベルリン・フィルを聴いてきた私たちにとっては、次なるラトルという指揮者が、当時は、いささか軽く思えたのも事実である。しかし、彼がベルリン・フィルの常任指揮者になってから、なんともう8年もたつのだ。
オーケストラを前に指揮する姿にも、自信と余裕が感じられ、ある種の風格さえも感じられた。(それはあの、トレードマークのカーリーヘアの後頭部が少し薄くなっていることからも・・・余計なお世話か。)
歌手陣も、それぞれに良かったと思う、(ジークフリート役の体形は少し気になったが)。そして、私は初めて聴いたのだが、あのブリュンヒルデ役のカタリーナ・ダライマンも、ワーグナー歌手として十分だと思うし、終幕の死を決意してからのアリアは、思わず胸に迫るものがあった。
しかし、何と言っても、特筆すべきは、あのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが出ていたことである。ブリュンヒルデの姉妹の一人であり、女戦闘士ワルキューレの仲間の一人でもある、ワルトラウト役として、わずか一場面だけではあったけれども、その声、演技は、さすがだと思わされた。
リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』(1月3日の項)や、モーツァルトの『フィガロの結婚』などのお小姓役とか、バロックや宗教曲にふさわしいと思っていたのに、このワーグナーで歌うなんて、全く予想外の喜びだった。
ただし、相変わらず保守的な見方しかできない私だから、舞台には満足できなかった。それは舞台の装置に問題があったわけではない。ベッドが一つとか、広い階段状のバルコニーとかの、簡潔な舞台に文句はないし、水や炎を巧みに表した照明も良かったと思う。(舞台は、あの2月27日の項でふれたバロック・オペラの時と同じだ。)
ただ、どうも違和感を感じてしまうのは、その衣装だ。昔の剣や盾(たて)、兜(かぶと)に角笛などがあるのに、どうして猟銃がずらりと並ぶのだ、さらにどうして、男たちはトレンチ・コートや背広服姿なのだ、と思わずにはいられない。私が求める舞台は、なるべく時代考証をした上での衣装であり、舞台装置であって欲しいのだ。
例えば、ルートヴィッヒ王の依頼で、ノイシュヴァンシュタイン城に描かれていた『ニーベルングの歌』の、フレスコ画のように(写真、ユリウス・カロルスフェルト画『ジークフリートを殺そうとするハーゲン』)。(それにしても、1980年に公開された、あのルキノ・ヴィスコンティの映画『ルートヴィッヒ、神々の黄昏』は忘れられない。)
ともかく、それらの衣装は、今の時代の観客が、より身近な物語として感じられるように、現代の服装にしたのだろうが、上にあげた小道具や、あるいは狩りで仕留めた熊などは、時代に即してリアルな姿なのに、なぜに背広姿なのかは、私には分からない。
日本の歌舞伎、あるいは大相撲の、伝統を受け継いだ今の舞台姿と、比べてみたくなるのだ。私が、このところオペラの舞台について、その現代的な演出について、感じる違和感は、この『神々の黄昏』でも同じだった。そのために、他が良かったのに、今ひとつもろ手を挙げて、拍手という訳にはいかなかったのだ。
しかし、一般的にはヨーロッパでもアメリカでも、この現代的な演出が観客に受け入れられているからこそ、今では普通に組み入れられて公演されているということなのだろう。
そんな今の時代の感覚に、大した知識もなくついて行けずに、違和感を感じて、十分にオペラを楽しめない自分自身が、実は一番哀しいことなのだ。いよいよ私は、本当に、古典の世界だけに引きこもって行ってしまうのだろうか。
年をとれば、いろんなことが良く見えてくると思っているけれど、こうして新しいものについて行けなくなるという、ガンコおやじの哀れな一面を、露呈することにもなるのだ。」
参考文献: 『名曲大事典』(音楽之友社)、『エッダとサガ』(谷口幸男 新潮選書)、ウェブ上のウィキペディア他