ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(139)

2010-03-07 18:41:28 | Weblog


3月7日


 もうこれで一週間も、曇りか雨の重苦しい天気が続いている。それでも雨が降っていなければ、飼い主と散歩に出たりするのだが、この二日はしとしとと降り続く雨で、外にも出られない。
 気温もずっと10度位で、今日などは4度までしか上がらない。全く、ワタシでさえ、春は名のみのと、口ずさみ、いや、ニャーと鳴きたくなる天気なのだ。あーあー。

 仕方なく、ストーヴの前で一日を過ごす。お昼前に一度トイレに出て、夕方、唯一の楽しみであるサカナの時間を、飼い主に催促して、ニャオニャオ鳴き続けて、ようやく、コアジ一匹をもらう。
 それも最近は、ワタシも年をとり、前のように頭からガリガリと食べられないので、飼い主が、ちゃんと、料理ばさみで斜めに四等分して切ってくれたものを、食べている。顔が鬼瓦(おにがわら)の割には、よう気がつくやっちゃ、ほんま、このアザラシ男は。


 ともかくそうしてサカナを食べると、体に生気がみなぎってきて、じっとしてるわけにもいかず、ベランダに出て警戒の目を光らせ、物音がすると、雨の降っている庭に駆け下りたりもする。
 そうしてしばらく動き回り、寒くなってくると、家に戻りニャーと鳴いて飼い主に知らせて、濡れた体を拭いてもらう。そして、ストーヴの前で毛づくろいをする。
 9時過ぎになると、飼い主がストーヴを消して、自分の部屋に行ってしまう。ワタシは、コタツの中にもぐり込んで、寝るだけだ。夜中に何度か起きて、水を飲んだり、エサ(キャットフード)を食べたりする。そして飼い主が起きてくる、朝を待つのだ。

 こんな毎日で良いのか、ネコはもっとネコらしく、ネコとしての自分のことを考えるべきではないのか。しかし、もしワタシたちが本気なって、哲学的に物事を考えるようになれば、それはダーウィンの進化論にそっての話になるし、かといって、ファーブルが言うような、昆虫たちのすでに埋め込まれた本能だけだという主張も、ワタシたちネコはそれだけではないと言いたいし、難しいことになってしまう。
 だから、ここは、ただ暖かい春の日が来るのを、待つしかないのだ。果報は寝て待て、という人間たちの世界のことわざもある。じたばたしても、どうにもならぬ時もある、ということなのだ。


 「毎日毎日続く、この天気の悪さはどうだろう。青空はどこに行ったのだろうか。晴れている日の山々を、眺めていたい私には、辛い日々である。
 だけれども、こうして家にいるしかない私には、逆に天気が悪いことが、好都合だったのかもしれない。というのは、この一週間は腰を痛めてしまい、余り出歩かずに、家で横になっていることが多かったからだ、ミャオも隣で寝ていたし、大きなマグロと子マグロになって。

 ずいぶん昔の話になるが、今の北海道の家を、一人で建てた時に、重たい丸太を抱えての仕事で、ひどく腰を痛めてしまった。その時も、医者にも行かずに、一週間ほど寝ていてなおしたことがあったから、大した怪我だとは思っていなかった。しかし、その後も年に一回くらいは、その後遺症で、同じように痛める癖がついてしまっていた。それでも、一日二日寝ていればなおるくらいのものだったのだが、今回は、痛めてなおりかけの所で無理をして、長引かせてしまったのだ。
 腰痛にはいろいろな種類があるそうだが、大まかにいえば、老人性の骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を別にすれば、椎間板(ついかんばん)ヘルニア(骨と骨の間のクッションが外に出て神経に触れる)と、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう、神経を囲んでいる骨の管が狭まって神経に触る)の二つが、多いとのことだ。
 私の場合は、重たい荷物を持つことで起きた、いわゆるぎっくり腰系の原因によるものだから、前者であることに間違いはないのだろうが、北海道の友達の一人は、最近、その後者の原因による腰痛になったとか言っていた。しかし、いずれの場合でも、外科手術の後、一カ月で治るとのことだが・・・。

 まあ年をとればとるほど、長年使い続けている体に、不具合が起きるのも当然のことかもしれない。そして、じっと寝ているしかなかった私は、それはそれでまた、ツライことばかりでもなかった。つまり、じっくりと本を読むことができたし、録画していたオペラの幾つかも見ることができた。まあ、何事もすべてが悪いことばかりではないのだ。


 読み始めた本は、ダンテの『神曲』である。若い時に、なんとか抄訳(しょうやく)で読み終えたという記憶があるだけで、詳しい内容はおぼろげになっていた。さらに、最近、西洋の思想について、ギリシア・ローマの時代から調べなおしていたところ、中世からルネッサンスの辺りで、自分の知識が乏しいことに気づいた。そういうわけで、そのころの大きな、著作物の一つ、ダンテ(1265~1321)による詩編『神曲』を読みなおそうと思ったのである。
 それはまだ、ようやく『地獄篇』を読み終えたばかりで、全体的な感想を書くほどではないのだけれど、ある一つのことに思い当って、とりあえずここでふれておくことにした。

 それは、第十三歌の一場面である。ダンテはウェリギリウス(ローマ時代の詩人)の案内で、地獄の第七の谷へと降りていく。そこで、かつて放蕩(ほうとう)者であった男二人が、この地獄に送られ、裸のまま逃げてきて、その後を狂ったように追いかけてきた猟犬に食いちぎられる、という光景に出くわすことになる。
 そして、その『地獄篇』(河出文庫『神曲』 平川祐弘訳)を読み終えた末尾の解説には、”ボッカッチョ(1313~1375)は、『デカメロン(十日物語)』の第五日第八話に、それと同じ題材ながら別な話として書いている。それは、ある男につれなくして男を自殺に追いやった女が、その後、自分も死んで二人とも亡霊になった後、いつまでもその男に追われ、残酷な猟犬に食われることになったという話である”、との記述があった。

 この『デカメロン』も、同じように若いころに、抄訳として読んだのだが、この話のことは憶えていなかった。それより先に、私が思い出したのは、一枚のボッティチェルリ(1444~1510)の絵(写真)である。それは、確かあのスペインはマドリードの、プラド美術館で見た絵に違いなかった。
 フィレンツェのウフィツィ美術館にある有名な『春』や『ヴィーナスの誕生』以上に、その鮮やかな彩色と図形的人物群が、その時の印象として残っていたからである。それは、『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』(三枚組、1483年頃)と題された絵で、いわゆる教訓的な絵画として、個人の家の部屋の壁に書かれていたものだとされている。
 つまりこの絵の右側では、その亡霊の男と女の残酷な情景があり、左側では、だからこうならないように私の求愛を受け入れたほうがいいと、娘たちに話しかける男の姿が描かれている。
 
 そして、このつれない娘のために死んだ男の話として、私はまた、ある歌を思い出した。時代は大きく変わって今の時代になるが、あの”サイモンとガーファンクル”の一人、アート・ガーファンクルの、当時の初ソロ・アルバムであった、『天使の歌声/エンジェル・クレア』(CBS・SONY、1973年、2300円レコード)の中の一曲、『BARBARA ALLEN (バーバラ・アレン)』である。
 スコットランドの民謡が原曲だとされていて、多くの異版があるとのことだが、ここでは、巧みな編曲によるアート・ガーファンクルの歌声が素晴らしい。歌の意味は、恋をして死にかけた男の所へ呼ばれて行った彼女だが、しかし、つれないそぶりをして帰り、そのまま彼は死んでしまった。その後、余りに冷たい仕打ちだと、彼女はかげぐちを言われるようになり、耐えきれずに彼女もまた死んでしまう。そして、同じ村の墓地に埋葬され、その二人の墓石の傍から伸びてきたバラのつるが、やがて一緒に絡み合い二人は結ばれた、という泣ける話である。

 しかし、この歌が、その元をたどれば、あの『デカメロン』に、そして『神曲』にまでたどり着くのではないか、などと単純に考たわけではない。私はただ、この人の世は、いつも同じように繰り返すものだ、いつの世も変わらずに・・・ということを思っただけなのだ。

 さて最後に、ボッティチェルリは、さらに、この『デカメロン』だけではなく、先にあげた『神曲』の挿絵(さしえ)も描いているのだ。それらは、1480年から1503年ころに描かれた線描画と彩色画であり、未完成のまま残されているとのことであるが。ちなみに、今読んでいる河出文庫の『神曲』の挿絵は、1861~8年頃に描かれたギュスターヴ・ドレによる見事な石版画である。

 このダンテの『神曲』について、またボッティチェルリについても、他にいろいろと考えたこともあるのだが、また改めて別の機会に書いてみたい。それにしても、年をとるにつれて、物事がいろいろと、ほんの少しずつでも見えてくるのはありがたいことだ。私にとって、何の役にも立たず、まして他人にとってはただの無用の長物でしかないものでも。」


参考文献:『神曲 地獄篇』(ダンテ、平川祐弘訳、河出文庫)、『ダンテ』(寿岳文章訳、集英社 世界文学全集)、『デカメロン物語』(野上素一訳編、教養文庫)、『ボッティチェルリ』(世界の大画家、鈴木杜幾子解説、中央公論社)他