アメリカ推理小説作家クラブの1955年度最優秀長編賞受賞、ごく最近村上春樹の翻訳で「ロング・グッドバイ」として再び出版された。
図書館のホームページを見ると、リクエストの人々が列をなしている。翻訳が村上春樹というのがウリなのだろう。その列に加わるのはもう少しあとでもいい。
まず1976年発行清水俊二訳のものを読んでみた。私は古い作品を読むことを避けてきた。それは単に性に会わないと思い込んだせいだった。
ところどころ古い表現があるが、プロットを追うには不都合はない。むしろその古さが、ある種の郷愁をかきたてることもある。
この作品が上梓されたのは1954年で、邦暦では昭和29年になる。ところが本の中味は、金持ちは豪壮な邸宅に住み、私立探偵のフィリップ・マーローは、ロスアンジェルスの小奇麗な住宅に住んでいる。こんな舞台設定は、いまと変わらない。いろんな点で、例えばインターネットの普及や携帯電話、パソコンなどの変化はあったものの、住についてはそれほど変わっていないし、所得に応じた住み分けがなされている。
住宅に関して面白い記述がある。“私たちは朝食を食べるために特に作られている小食堂で食べた。そんな小食堂が必ず作られていた時代に建てられた家だった” 私たちはとあるが、これはレストランの前で、ロールスロイスの中で酔いつぶれていたテリー・レノックスを介抱して連れ帰ったためだった。見ず知らずの男に親切にしたがために事件に巻き込まれていく。ところで昼食はどこで食べるのだろう!?
“君は何を期待してるんだ――ばら色の霧の中に飛んでいる金色の蝶々か”と言った表現が無数にちりばめられ、“金というものは不思議なものだ。ひとところに多額に集まると、金に生命が生れ、時には良心さえも生まれる。
金の力を制御することが難しくなる。人間は昔から金に動かされやすい動物だった。人口の増加、戦争に要する多額の軍事費、税金の重圧――こういったものが人間をさらに金に動かされやすくしている。
普通の人間は疲れて、おびえている。疲れて、おびえている人間に理想は用がない。まず家族のために食べ物を買わなければならないのだ。われわれ社会のモラルと個人の道徳が著しく崩れ去ったことを見てきている。
人間の品質が低下しているのだ。マス・プロの時代に品質は望めないし、もともと、望んでいない。品質を高めると長持ちするからなのだ。だから、型を変える。 今まであった型を無理にすたらせようとする。商業戦術が産んだ詐欺だよ。
今年売ったものは一年たったら流行おくれになるように思わせないと、来年は商品を売ることが出来ない。
われわれは世界で一番きれいな台所と一番光り輝いている浴室を持っている。しかし、アメリカの一般の主婦はきれいな台所で満足な食事を作ることが出来ないし、光り輝いている浴室はたいていの場合、防臭剤、下剤、睡眠薬それに、化粧品産業と呼ばれている信用だけに頼る事業の商品の陳列所になっている。
われわれは世界で一番立派な包装箱を作っているんだよ、マーロウ君。しかし、中に入っているものはほとんどすべてがらくただ”と痛烈な文明社会時評も展開する。
レイモンド・チャンドラー
‘73年「ロング・グッドバイ」のタイトルで映画化されていて、ロバート・アルトマン監督フィリップ・マーロウにエリオット・グールド、ほかにスターリング・ヘイドン、チンピラ役のアーノルド・シュワルツェネッガーというキャストになっている。なかなか好評のようだ。廉価版のDVDもあるようなので観てみたい。今のところ在庫切れのようだけど。
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