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デジカメ持って小旅行「千葉県市原市 上総国分寺(かずさこくぶんじ)」

2009-08-09 13:14:31 | 旅行

          
 坂東三十三箇所霊場めぐりをしていて、なにやら不遇をかこつようにみえる仁王像が気がかりになった。不遇をかこつと思ったのは、本尊や本堂、鐘楼、観音堂に三重塔など、国宝や国指定の重要文化財などには、大きな説明板が用意してある。 しかし、風雨にさらされ埃(ほこり)まみれの仁王像ついての説明はあまりない。ところがこの仁王像、なかなか面構えが男らしくて精悍な体つきは、プロレスラーか映画のランボーを連想させて頼もしい。
 本尊を守るボディガード、頼れる守護神でありながら、それについての書籍が少ない。そんな中、一坂太郎著「仁王」を読むと全国の仁王像の紹介のなかに、この市原市の国分寺があった。早速訪ねることにした。
 その前に「国分寺」で検索してみると、ウィキペディアでは、国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、天平13年(741年)聖武天皇が国情不安を鎮撫するため各国に建立を命じた寺院とあった。
 「仁王」の記述では、「上総国分寺(かずさこくぶんじ)は奈良時代、聖武(しょうむ)天皇の発願により、各国府の近くに設けられた国分寺の一つだ。寺域は13・9万平方メートルを誇り、かつては南大門・中門・金堂、そして七重塔までがそびえる官立の大寺だった。国分寺は時代とともに衰退したものが多いが、上総国分寺の場合は鎌倉時代前期の記録でも『国分水田ハ四、五十丁候』とあるから、国衙(こくが)(律令制下諸国に置かれ、中央から派遣された地方官が執務する役所)の保護下、有力寺院としての地位を保ち続けていたことがうかがえる」
 その国分寺へ行く日は、涼しいが薄日が差すと蒸し暑いという天候だった。車のエアコンを入れるかどうかは微妙で。窓を開けたりエアコンを入れたりを繰り返した。そして着いたとところは、市原市役所、市原市民会館の裏手にあたる場所にあった。かつての伽藍のたたずまいは無く、仁王門と本堂、将門搭(宝篋印塔(ほうきょういんとう))、鐘楼、薬師堂それに住職の住宅というものだった。
          
 さて、わたしのお目当ては仁王像であるが、ほとんどのお寺では、金網で覆われているのが多い。このお寺も例外ではなかった。これがなんとも癪で、デジカメで撮ると金網にピントが合ってしまい(当たり前か)役に立ちそうも無い。文句を言っても仕方が無いが、有名人なら住職が金網をはずしてくれるのだろう。「仁王」の中の写真は、金網越しではない。
              
               阿形像 水晶の玉眼
              
               吽形像 ガラスの玉眼
               どちらも変わりないように見えるが?   
 そして仁王像の説明は、現在の仁王門は江戸時代の建築。向かって右の阿形像は、鎌倉時代の写実と房総の地に根付く平安時代後期の伝統を通わせた。十三世紀末ころから十四世紀前半にかかる作と見られる。左にある吽形像は、阿形像よりも大分新しい作だ。この二体とも玉眼であるが、阿形の方は水晶製で、吽形はガラス製。吽形像は技法的に阿形像よりも落ちるという。と言われても埃をかぶった仁王像は、同じように見える。わたしのような素人は、形の面白さを楽しめばいいのかもしれない。

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