息子の背丈が私と同じになり、妻もかつてないほど輝いていた。私は心の底から満たされて、達成感を味わわせてくれるのは、大きな新しい家でも仕事でもないことを悟った。それは家族であり、家族が人生に与えてくれる奥行きと安定感であり、静かに根をおろしているという感覚、私の父が一生手に入れられなかった幸福感なのだ。これこそ自分の人生の最大の勝利だ、と考えるようになった。
そこで私は写真を撮ろうと思い立ち、息子のキースと妻のメレディスを外に呼び出した。二人を両腕に抱えて「はい、チーズ」。出来上がった写真には、真ん中に私、右腕にメレディス、左腕にキース。くったくのない大きく笑った顔が三つ並んでいた。幸せな家族の写真。しかし、私の頭の片隅から湧き出るのは「家族写真はいつでも嘘をつく」だった。
アメリカのどこにでもあるような小さな町。私はその町に一つしかないショッピングモールで、写真店を営んでいる。私は、エリック・ムーア、妻メレディスは、短期大学の講師をしている。一人息子のキースは15歳。
写真店の近くで青果商を営むヴィンス・ジョルダーノからの頼みで、ヴィンスの娘エイミー8歳のベビー・シッターを受け、キースが出向いた。キースが帰宅したのが午後10時過ぎ。思春期特有の掴みどころがなくぶすっとした不機嫌な表情とともに帰宅した。
そして夜半、ヴィンスから電話がかかってきた。「うちのエミーが見当たらないんだ。キースが何か知っているだろうか?」この1本の電話がムーア家を混乱の渦に巻き込んだ。キースは知らないと否定する。やがて刑事二人が事情を聞きに顔を出す事態に発展する。
キースは容疑者か。エリックに猜疑心が浮かぶ。家族の信頼が徐々に揺らいでいく。父と子、夫と妻。こういう問題の場合、キースが殺人犯となれば、家族は団結する方が多いだろう。しかし、行方不明状態が長く続くと、徐々に家族崩壊に向かうだろう。
エリックは「人生の半分は否認であり、たとえ愛する相手でも、相手の中に何を見るかではなく、なにに目をつぶるかが私たちの関係を支えているのだということを、その後、私は学ぶことになるのだが」と言う。どこにでもある題材ながら、心の深奥が迫ってくる怖れを描いて秀逸だ。
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