
「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄について、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、ありのままの事実を書いてみようと思います」という書き出しで始まる。
最初この文章は平凡だなと思ったが、読了してみて何故か独特の雰囲気に呑み込まれて、まるでこの小説のナオミの手管にかかったように感じてしまった。
マゾヒズム文学とも言われていて、譲治という男が心理的マゾヒストらしい。全体の印象からは、西洋崇拝が色濃く出ていて、ナオミをその偶像に仕立て上げているようだ。
例えばこんな記述がある。“日本の女の第一の短所は確固たる自信のない点にある。だから彼らは西洋の女に比べていじけて見える。近代的の美人の資格は、顔立ちよりも才気活発な表情と態度とにあるのだ。よしや自信というほどでなく、単なる自惚れであってもいいから、「自分は賢い」「自分は美人だ」と思い込むことが、結局その女を美人にさせる”
愚かな男河合譲治は、女給のナオミを顔が西洋風で映画女優のメリー・ピックフォードに似ているということで、引き取って自信を持たせ真の美人に育てようとする。
この河合譲治は、身長五尺二寸(約153センチ)の小男で色が土人のように黒く、しかも乱杭歯だった。自虐的にもなろうという容姿だった。乱れに乱れるナオミの男遍歴。最後の最後まですべて計算づくで、譲治を操るナオミ。そして、譲治との優雅な結婚生活は、老後の安定した生活も視野に入れているのだろう。悪女は意外に魅力的なのは確かだ。