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読書  厨房の裏側「キッチン・コンフィデンシャル」から No5親友ディミトリと、いざニューヨークへ

2010-08-17 12:38:50 | 
                 
 卒業するまでにもう一つエピソードがある。不用意に熱いソースパンを掴んで「バンド・エイドは?」の問いかけに、巨漢のタイロンが示した究極の屈辱にまみれて一年半後の夏、再びプロヴィンスタウンに現われた。

 知識と自信も以前とは段違いのレベルだった。パスタ係のディミトリとは相性が良かったのか、アンソニーのコック人生で二番目に影響を及ぼした男だった。アメリカ生まれではあるが、父親はロシア人、母親は有能で厳格な産婦人科医でドイツ人だった。

 雇い主のマリオは、毎年恒例のガーデンパーティの料理担当者を二名選ぶことになった。そしてアンソニーとディミトリが選ばれた。
 プロヴィンスタウンで肉や魚のパイ皮包み(パテ・アン・クルート)やゼリーで固めた冷たい詰物料理(クガランティーヌ)や鶏や魚の凝ったゼリーよせ(ショーフロワ)など、まだ誰も手がけていなかった。

 その料理に二人は果敢に挑んだ。結果は報われた。そして「ムーンライトメニュー」というケータイング会社を立ち上げた。
 名刺を作って手渡しながら、「別に仕事が欲しいわけではなく、注文をとろうなどという気はまったくないんです。そもそも、あなた方にはちょっと手が出ないかもしれません。なにしろ、このケープ全域でもっとも高価にして、かつもっとも先端を行くケータリング会社ですからね! われわれのように高度な訓練を受けた料理人には仕事が殺到して困っているんです。というわけで、よろしく」

 まったく大風呂敷を広げたもんだ。普通なら、そんなに仕事があるんなら、何で名刺なんか配ってるんだ? といいたいところ。ところが1976年の夏の終わりごろのプロヴィンスタウンには、贅を凝らしたお別れパーティで他人と差をつけたいと思うビジネスマンが大勢いた。これらの人たちの注文を受けて、ブランド化した。
 ここからアイデアがどんどん膨らみ、より飛躍するために世界の大都市ニューヨークへと夢がつながる。
       
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