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映画 ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ「愛と哀しみの果て(‘85)」

2007-09-15 15:03:52 | 映画

             
 製作年度で見ると、メリル・ストリープが36歳、ロバート・レッドフォード48歳の作品。クレジットの順番は、ロバート・レッドフォードが先に来てそのあとメリル・ストリープになっていた。主人公はあくまでもカレン(メリル・ストリープ)であるが。年の功か?
 デンマークの作家アイザック・ディネーセン本名カレン・グリクセン(1885年4月生~1962年9月没)のアフリカでの生活をベースに書かれたもの。雄大はアフリカの真っ赤に燃える落日や動物たちや木々、薄雲が浮かぶ空をバックにカレンのナレーションで幕が開かれる。
 “彼は(デニス=ロバート・レッドフォード)、サファリにも蓄音機を携えてきた。猟銃3丁と一ヶ月の食料とモーツアルト。
 わたしたちの友情は贈り物で始まり、サーボの出来事(複葉機の墜落事故)の少し前に、彼は素晴らしい贈り物をくれた。
 神の目から見た世界を(デニスが操縦する複葉機で空から見たアフリカ)。私は思った、これこそ神の意図された世界なのだと。私は彼以外の人々を書いてきた。彼らを書くことのほうが容易だからだ。彼は私を待っていた。
 話をとばすのはやめよう。彼が嫌う。デニスは上手な話を好んだ。私はアフリカのンゴングに農園を持っていた”

 カレンは行動的で意思堅固、自分の身分に安住しないで汚れ仕事も嫌わない。
一方サファリを業とするデニスは、何かに縛られるのを嫌い自由でありたいと考えていた。二人は出会い愛し合うようになって、デニスも彼女の家に移ってくる。
 しかし、彼の留守がちな仕事は二人の仲に溝が出来、ついにデニスは彼女の家を出る。悪いことに真夜中コーヒー園の建物が全焼して、彼女は無一文になる。
 カレンはデンマークに帰ることに決めて、がらんとした部屋で一人食事中、デニスがやってくる。飛行機でモンパサまで送ろう。サーボでの仕事のあと戻ってくると言った。彼は戻ることはなかった。墜落事故で死亡したという。

 葬儀をはじめすべてを片付けて、鉄道駅で執事のファラ(マリック・ボーウェンズ)との別れが印象的だ。デニスから貰った磁石をファラにプレゼントのあと、列車に向かいかけて「私の名前を言って」するとファラは「あなたはカレンです」カレンは小さく微笑んで列車に向かう。
 このときのカレンの表情やファラの表情は、大泣きするようなこともなく、ごくさりげない仕草がかえって印象を強くしていた。
 そしてエンディングのナレーション“今日友達からこういう手紙が来た。「マサイ族からンゴングにこういう報告が。夜明けと日暮れ時になるとしばしば彼らはデニスの墓にライオンを見かける。雄と雌のライオンが長いこと墓に立ったり寝そべっている。
 あなたが去ったあと、墓の周囲は台地のように平らにならされライオンたちのかっこうの場所になったのです。平原をどこまでも見渡せて、牛や獲物がよく見えるのです」
 デニスが喜ぶ話だ。必ず彼に聞かせよう。もしデニスが生きていれば、二人は睦まじいカップルになっただろう。デニスはがらんとした部屋でカレンに言った。「君に破壊されたよ。僕の孤独を」全編に流れるジョン・バリーの曲も画面とよくマッチしていた。
 なお、この作品のベースとなった「アフリカの日々」は、カレン・グリクセンがアイザック・ディーネンセンという男名で発表したものだという。
             
 映画は、‘85年アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞。作曲賞、美術監督・装置、音響賞を受賞。主演女優賞メリル・ストリープはノミネート。助演男優賞クラウス・マリア・ブランダウアーもノミネート。
 監督 シドニー・ポラック1934年7月インディアナ州ラファイエット生まれ。当初俳優を目指す。テレビ監督から’65年映画監督デビュー。’69「ひとりぼっちの青春」がアカデミー賞9部門にノミネートされ有名になる。
 キャスト メリル・ストリープ1949年6月ニュージャージ州生れ。
 ロバート・レッドフォード1937年8月サンタモニカ生れ。
 クラウス・マリア・ブランダウアー1944年6月オーストリア、バート・アウスゼー生まれ。
 マリック・ボーウェンズ、ジョセフ・シアカ、スザンナ・ハミルトンほか
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