昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

年金問題

2004-05-07 22:06:26 | ニュース
今回の福田官房長官の辞任劇は、月並みな言葉ながら正に「晴天の霹靂」そのものだった。国会議員さんの年金は我々一般国民と異なり、ガッチリと税金で裏打ちされて居るから未納なんか有ったって、将来の生活に大した影響も来たさないだろうからそんなに大きな問題にもならず、その内うやむやにされて仕舞うに違いないと思っていたものだ。現在二ヶ月毎に振り込まれて来る金額をもとにして実際の生活をして身からすれば、年金行政の落ち着く先は極めて重要な問題となる。有り余るほどの資産を受け継ぎ、或いは既に功成りて将来に何の憂いの持たない者ならばともかく、未来の世相は今の政治屋!(政治家!の何と少ない事・・)の世界を見る限り余り希望は持てないのでは無いか。しかし大半の国民の老後の生活は年金に掛かっているのだ。誰もが安心して将来に希望が持てる様な制度を確立して欲しいものである。もう間も無く72歳になる私の今ある生活は過去約45年間積み立てた厚生年金の結果である。今働き盛りの人達又は若い人達のためにも、老後の生活は「個人責任で・・」などと冷たい事を口にしないで、真剣に考えて欲しいものです。
 確実な見返りが確約されてこそ何事も信頼されるのです。正直者が馬鹿を見る様な世界だけには決してしないで下さいよ・・政治家さん!

休み明けの病院

2004-05-06 22:08:24 | 日々の雑記
G・ウィーク明けの混雑を予想していつもより早起き、約一時間早めに出かけた。恐らく駐車場も満杯状態でさぞかし苦労するだろうと、内心うんざりの態で行ったのだが着いてビックリ・!むしろ何時もよりすんなりと停める事が出来た。院内も拍子抜けするほどの患者数で、今朝ほどの我が身の意気込み様が可笑しくさえなった。
 この大病院に通院してまだ二ヶ月足らず、個人病院は数多く通って来ているがこんな経験は始めてである。大病院の患者さん達は永年の経験からお互い牽制しあって居るのだろうか。それからすると明日辺りが一番の混雑が予想される。実のところ連休中の治療日の振り替えで、明日も行かねば成らないのだが、明日が混雑の本番で駐車場所探しのために、今朝と同様一時間も早く駈けつけなければならないのか・・と思うと今から滅入る事しきりである。

とんだ人違い

2004-05-05 22:28:10 | 日々の雑記
連日の雨続きで三日ぶりに車を出して、世の人並みにG・ウィークの雰囲気にでも浸ろうと、国道を南に向けて走らせた。今日は連休最終日のうえ朝から晴天ときてるから、何処へ向うのかは知る由も無いが結構な車の数であった。早い話が特別に行く当てもなく、只妻を乗せてその他の車の流れに従ったまでである。
 その車の流れの行く先は隣町の漁協のイベントであった。駐車場は殆ど満杯だったが何とか無理して停めて、人の流れに従いて行くと大きな人だかりが出来ていて、ソフトクリーム売り場だった。晴天とは云い風のまだまだ冷たい中、年寄り向きじゃないと別な集まりに向った。其処は此処の漁協が今日のイベントの目玉としている、「タコの串焼き」でとても美味そうで焼く片端から飛ぶように売れていた。もとより蛸好きの私にはかなり魅力的である。列に付こうとした時である、見るからに道央の都心からの観光客と思われる紳士の家族一行が急ぎ足で私に近付くなり、何を勘違いしたのか丁重に挨拶を始めたのである。「お久しぶりです。その節は大変お世話に成りながら、ご無沙汰いたし申し訳も有りません」夫婦揃って深々と頭を下げられても、とんと覚えも無く全く初対面、自分でも何を話して居るのか判らず、そうなると「タコの串焼き」どころでなく、適当に誤魔化してほうほうの態でその場を去った。全く惜しい事をしたもう少しで「タコの串焼き」にあり付けたのだ。勿論そのイベント会場からは逃げ出すように飛び出した。
 車内でも家に戻ってからも、思い出そうとしても何も浮かんでこない。やはり人違いなんだと自分なりにケリを付けて納得した。それにしてもあの熱々のは美味そうだったと残念だ。








 

毛蟹釣り

2004-05-04 18:30:51 | じゃこしか爺さんの想い出話
 樺太の最北に位置する場所でも、五月になると海の水もすっかり温んで来る。私ら子ども等の遊び場所は、それまでの山や川遊びから海岸に移動する。これからの話は私たち家族が住んでいた樺太最大手の炭砿街を、終戦時父(在郷軍人)が行方不明となり、病弱な母と私たち弟妹が止む無くその街を離れ、母の姉たちが住む海岸町に移り住んだ時のことである。
 海水が大分温くなったからと云っても、海水浴にはまだまだ無理で、水際の辺りを棒切れを手に走り回って、チャンバラの真似事をしたり、遠浅に足を入れ逃げ遅れた「ツブ貝」などを捕らえた。そんな遊びの中でも一番なのが、毛蟹釣りである。この海岸町の裏山には小規模ながら炭砿が在ったから、戦後になっても石炭積み出し用の桟橋が残っていた。其処も当然子どもたちの遊び場とされていたが、危険な場所として濫りに近寄る事は停められていた。しかし小学生の高学年とも成れば、一々誰もそんなことは気には留めない。風が落ちて海の凪ぐ午後になると、「ミガキ鰊」の頭を結わい付けた荒縄を手にした子ども達が、桟橋の先端部分に集まって来る。そして思いも思いの場所を陣取り、歩み板の隙間からその餌の付けた荒縄を海中に繰り出すのである。大きく潮が引いて海面の静かな時には、海中が見渡せ岩の隙間や桟橋の脚注の隙間に巣食っている毛蟹がのそのそと用心深げに出て来て、荒縄の先の「鰊の頭」にしがみ付くのが見られる事がある。しっかりと抱き付いた頃合を見計らって吊り上げるのだが、水中ではともかく水面から離れる時のタイミングが一番難しい。どんなに大物だと喜んでいても、水際で餌を離されて仕舞っては全く水の泡・・泣くに泣けない気持となる。小さい子は大抵ベソを掻く始末となる。海中が手に取るように判るような凪の日は何時も有るわけでないので、海面が波立って居たり海水が濁って何も見え無い時は、目くら滅法投げ込み手先に来る感触を頼るより他に手は無い。それでも長時間飽きずに粘って居ると、それなりの収穫が見込まれる。それらを持ち寄って海岸の砂浜に集まり、流木の陰に焚き火を起こし焼き上げた毛蟹を仲間で均等に食べるのである。この遊びはこの後も暫らくは続くのである。

雨の連休

2004-05-03 22:18:58 | じゃこしか爺さんの想い出話
連休で雨が降ると昔を思い出す。若い頃もその後も私の職場はとにかく忙しい処だった。休日と云えば日曜日だけで、その週一回の休日も場合によっては、出勤が割り当てられる事がしばしばだった。世の中の大抵の勤労者が休める、正月・お盆・お祭り・それにG・ウィークなどの休日の内、まともに三が日如何にか休めるのは正月くらいのもので、他のお盆にお祭りなどは書入れ時ばかりに出勤させられたものだ。年間で一番忙しいのは十二月(年末)で月の半ばを過ぎたら、休みは無くぎりぎり大晦日の九時頃まで働いたものである。そんなことだから、G・ウィークの連休なんてものは夢のまた夢に過ぎなかった。沢山の若い人達が連休を前に色々計画を練り、気の合う仲間と行楽に出かけるのを、置いてけぼりを食ったかの様に恨めしげに、只眺めていたものである。そんな頃からである、G・ウィークになんかには「大嵐来い」と本気に祈った事が有った。此方の祈りが通じたのかドウかは、滅多にそんな事には成らなかったが、時折り予想外の雨風でそうした催しのなどがお流れに成ると、職場の仲間内で目配せをしながら「快哉」のポーズを交わした。
 今日連休三日目朝から雨風が激しい。隣町での農水産祭りに出かける予定でいたのに、この天候のなかこの年齢での運転で出掛けるのは・・ちと無理だろう。この当ての外れは、もしや・・若い頃の祟りじゃろうか・・?

日曜日の昼食

2004-05-02 22:03:15 | 日々の雑記
 我が家の日曜日に限り昼食は大抵に場合、家族三人でコンビニ又はスーパー大型店の出来合いの食事で間に合わせる事にしている。何故って特別な理由がある訳でもなく、何かの時家族で店に出かけていた時、それに日曜日で朝食が遅くなり、わざわざ家に戻ってからからの食事の用意も面倒だし、見るからに食欲をそそる食事の陳列を目の前にして、各自が勝手にそれぞれ選び出して持ち帰ったのが始まりである。毎週妻や娘の選ぶ物には、パスター系・グラタン・焼きそばなどが多く時にはケーキも付くことがある。私の場合はサンド(カツ・ミックスにタマゴ)が主体で、二週に一回「カツ・・」混じることになる。カツそのものが大好物だから毎回でも良いのだが、「臑にキヅ持つ身」の脂肪肝・高コレステロールetcの悲しさ・・毎回とはそうは上手い具合に行かない。幸い今日は「カツ定食」の日で楽しみにしていたが、娘がコンビニに云った時には、どちらにも品切れだった・・との電話、止む無く「カツカレー」にした。カレーも久し振りである。カメラに収めようと思ったが、帰りの自転車の荷籠に揺られて少し崩れていたので止めた。

体力

2004-05-02 15:00:30 | 日々の雑記
この年齢(70歳過ぎ)に成ると体力の衰えは目に見えて甚だしい。昨年の途中までの勤務中と、その後の退職後の約半年間はそれ程感じなかった筈なのに、もうそろそろウォーキングの季節が身近になり、思い掛けないほどの気温に恵まれ、妻を誘って足慣らしの為の外歩き・・と云っても日光浴が主体だが、今年に限って私の歩きがどうもおかしい。以前から膝に欠陥のある妻は常に杖無しでは外歩きは到底無理で、一緒に歩く場合は何時の場合も、私が先導して歩いて居たのだったが、最近の場合は全くその逆になって仕舞った。
 私の場合は大分前から、歩き初めこそ右腕に痛み(大抵の病院で検査済み)が生じたが、3分ほど休むと後は問題は無かった。それが3月の或る夜半に急激な痛みに襲われて、救急病院に担ぎ込れて以来妻との立場が逆転した。2・3分も休めば痛みは無くなるのだが、長続きがしなくなった。それに前のように或る程度の早歩きはどうやら無理と成って仕舞ったようである。今では杖付きの妻の歩みよりも早く歩けず、妻が私に付き添って呉れてる始末である。暖かかくなれば様子も変わるだろうと、今のところ週に一回の注射と、週に二回の電気治療(リハビリ)に通って少しでも早い回復を念じて、不本意ながら妻の後に随って休み休み歩きを続けているが、この気持ちたるや何事のも耐え難い。それにしても知らず知らずの内に遅い来る体力の減退はげに恐ろしいものである。 

G・ウィーク

2004-05-01 21:04:02 | 日々の雑記
五月一日今日から連休の始まりである。幸い今日のところは好天に恵まれたようである。今後の予報によれば、後半は余り期待出来ない風でもある。丁度一年の三分一が過ぎたことになるが、只寒いだけの月日であった。他の市町村では色々と記念行事が予定されているようだが、此処では五月に入っても未だにストーブは外せない。昨年途中まで勤務していたので、それも零細企業の組合組織で来る日も来る日も、人手不足のためにただ忙しいだけの職場だった。祝祭日の休日などは全くの夢もの語りで、他人が遊び歩いて居るのを指を咥えて見ているだけだった。幹部として無我夢中で働いている時はさほど感じなかったが、現場の人達は自分の身に引き換え、連休一杯を楽しく過ごしているのを見るのはさぞかし辛かっただろ、今更ながら慙愧に耐えない。いま自分としては七十歳を越えて引退した。年金生活者と相成り、連休どころか毎日が年から年中が休みで、G・ウィークになったからと云って何の思いも無い。むしろ体力の衰えた分動きようも無くただ辛いだけである。やはりG・ウィークなどは年齢相応に在るべきだと、年甲斐も無く今頃になって身に詰まされ、若い人達に悪い事をしたものだとつくづく悔やんでいる次第です。